メタボリック・エイリアン

@HighTaka

本編

 社史編纂室に異動を申し渡された時、山本はもちろん部長の言葉を信じなかった。

「一時的な、腰掛異動だと思ってほしい。なに、三ヶ月少しの辛抱だ」

 山本よりやや若い部長はもちろん社内の出世頭で、会社史上、二番目の若さで部長職についている。確かに切れ者で、人付き合いも如才ないし、社内各部署でも評判はよい。

 山本の見るところ、それは会社の中で忘れ去られたくない人たちのように見える。

 彼のような、どちらかというとはぐれ組にとっては、結果的な嘘も偽善もお手の物の信用できない人物にしか見えない。

 また、頭のいい人間にありがちの、頭の鈍い人間への軽侮があることを山本はふとした偶然で知っている。

 世はまさに不景気。いよいよ俺もリストラかと思うと、無念であるとともに、割り切ったすがすがしさ彼は感じていた。もちろん再就職のあてなどない。当然やけっぱちである。

 普通なら、会社史を興味本位でながめながら、ときどき有給を取ってだめもとの再就職面接に出かけていくような生活を送ったであろう。

 ところが異動後数日して、彼は部長に取締役が使う会議室まで呼び出された。

 おっかなびっくりノックして入ると、そこには銀行から派遣された専務と、部長だけがそこで待っていた。

「彼かね」

 時代錯誤なちょび髭とロイド眼鏡の小柄な専務は横柄に部長に尋ねた。

「はい、さようで。条件にもっとも見合った人材であることは保証いたします」

 勝手に何を保証してるのやら。そんな怪訝な視線を専務は見逃さなかった。

「どうやら、説明はしていないようだね」

「急いで知ってもよいことはないと判断いたしまして」

 ここでひるんでしなくてよい言い訳をしないところがこいつと俺との違いだなぁと山本は自嘲ぎみに思う。

「よい判断だね」

 専務はにこりともしなかったが、部長はにっこり会釈した。

「君、山本君だったか」

「は、はい」

 専務は席をたった。

「ついてきたまえ、車の中で説明しよう」

 心の中でたくさんの疑問と抗議の声があがっていたが、彼は結局へいこら専務に従った。


「木村君も冗談がきつい」

 車中、専務が微笑んだ。

「君は自分がリストラされると思っているだろう。はは、答えんでもいい。普通はそう思う」

「はぁ」

「彼に指示したのは、君を時間の取れる部署に異動させておくことだった。それが社史編纂室とはまったく」

「どうもお話が見えないのですが、いったい私は何をすればよいのでしょう? 」

「ダイエットだ」

「は?」

 山本が目を丸くするのもむべなるかな。

「見たところ、なかなかの押し出しじゃないか」

 専務は引き締まってるなどとはお世辞にも言えない山本の腹を見る。

 大きなお世話だ、と思っても言えないのが山本だ。

「これを機会にひっこめてはどうかな? 君はそれができる人物と評価されている」

「私がダイエットしないと何か問題でもあるのですか? 」

「君、十二年前に肥満解消運動のリーダーをやったろう」

 そんな昔のことは忘れていた。だいたい、効果はあがったが自分が何かやった覚えはない。

「そのときの君のメンタリングはなかなかの評価を得ているよ。今回もそれを生かして、これから引き合わせる人物のダイエットに協力してくれたまえ」

「それはいったい」

 車がものものしく警備された敷地に入っていることに、山本はようやく気づいた。

「宇宙人だ。太ってしまって帰りの宇宙船に乗れないそうだ。かわいそうじゃないか。力になってあげたまえ」

「ダイエットの専門家なんか、本の数だけいるでしょうに、なんで私なんです」

「なぜなら、みな自律克己のダイエットばかりだからだ」

 ほらついた、と専務は止まった車のドアをあけた。

「宇宙人君は意志薄弱でな、はげまし、導いてあげなければとうていダイエットできないらしい。あと、これは隠密裏に進めるためにな、いたって普通の人物がよいと政府筋を通して申し入れてきたのだ」

「で、選ばれたのが私? 」

 専務はうなずき、車をおりるよう促した。

「名誉なことじゃないか。そんな顔をするな。面倒がいやなら絶対ばれないようにな」

「でも、宇宙人ですよ」

 悲鳴に近い声だった。

「大丈夫。政府が宇宙人の姿を隠匿してるのにはな、ちゃあんと理由がある」

 ロイド眼鏡がきらっと光った。

「ま、ここまできたからには断ってもむこう三ヶ月は守秘のため監禁されるんだがな」

 山本の半べそを専務は楽しそうに眺める。

「気にするな。終わったあとの休暇とボーナスのことだけ考えろ。行くぞ」


 宇宙人が来訪したのは半年ほど前のことだった。

 はじめそれは未知の遊星かと思われた。慣性飛行をしていたこともあるが、巨大で、表面はあばたのようになっていて人工物にはなかなか見えにくいこともあった。

 その軌道を計算した天文学者が驚いて新聞社に電話をかけたことから騒ぎになる。

 衝突コースを飛んでいたのだ。

 質量は地球や月に大きな影響を与えるほどではないが、衝突となると話は別だ。恐竜絶滅の一説を思い浮かべた人々が少なからず終末を語る宗教に走った。破壊する案もあったが、闇雲に核兵器をぶつけても粉砕するのは至難であろうと思われた。やるなら構造調査を行い、効率的に爆破を行わないと無理だ。

 それなら壊れればもうけもので軌道をそらそうということになった。だいたいこのへんに当ててくれというおおざっぱな指示のもと、地上で使うには威力の大きすぎる核が何発も放たれた。

 一発目は命中した。遊星の一部が大いにへこんだのが見えた。軌道が少し変わったが、まだ地球の重力で落下する。

 ところが二発目はよけられたのだ。

 三発目以降は破壊された。エネルギー兵器のようなものが使われたのではないかと専門家たちは分析した。

 そして、なぜかアラブ語で、続いてロシア語で、ラジオの波長で宇宙人の言葉が届いた。

「衝突軌道では驚いたのも当然です。もうしわけないことをした。しかしもう攻撃しなくてもよい。我々は地球を脅かすことなく到着するだろう」

 ファーストコンタクトである。

 人々は初めて遭遇する宇宙人の姿をめいめいに思い浮かべて固唾をのんでその到着を待った。SF評論家が大勢うまれてメディアで熱く思いをかたり、たくさんの作品が倉庫の片隅から掘り出されて再版された。

 宇宙人の巨大な宇宙船は地球の周回軌道に乗らず、惑星軌道を一つ選んでこれにのった。そして地球に最接近した時に小型の宇宙船を月面に着陸させた。小型といっても地球の大型タンカー数隻分はある星形構造の船である。移動基地とよんで差し支えない。

 そして彼らは公式には地球におりなかった。

 各国の派遣した代表団を招いて会談しただけである。代表団がどうやって月面基地まで行ったのかは未だに公表されていないが、帰ってきた代表団は一様に押し黙り、無口に自国へと戻って行った。

 この秘密主義にマスコミが黙っているはずはなく、各国政府を非難し、プロ市民は市民こそ宇宙人と交渉すべきだとデモを行い、そしていろいろな憶測やデマが飛び交った。

 そんななかで、どうやら本当らしいのは、宇宙人は地球の生物と代謝の仕組みはそっくりらしいということであった。

 根拠は諸説あるが、確からしいのは、代表団が宇宙人と同じ空気を呼吸し、音声で会話して戻ったらしいといういくつかの証拠によって裏付けられていた。もちろん代表団の面々はおかしな細菌やウィルスを持ち込まないよう隔離され、しばし徹底的に身体を調べられるという拷問を等しく受けた。

 しかし政府の口は一様にかたくなだった。そしてだんだんに世間の熱もさめてきた・・・。

 山本が宇宙人にひきあわされたのは、そんなころのことだった。


「こら、起きろ。いつまでねこいてるつもりだ! 」

 山本は鍋をおたまでがんがんたたいた。

 布団の山がもぞもぞと動き、その騒音から逃げようと弱々しくもがく。

 いらいらを押し隠さず、山本は布団をつかむとひっぺがした。

「起床! 」

「ひどいよ、山本さん」

 抗議するのは頭の毛のやや薄くなってきた、しかし三十そこそこの男。少々あくの強い顔をしている。おなかがせりだして典型的なメタボリック体型だ。

「まだ七時じゃないか」

「もう七時だ。ほれ、あこがれのおてんとさんがあんなにさんさんと輝いているぞ」

「紫外線のあびすぎは肌によくないんですよ」

「いいから飯を食え、頭にブドウ糖を回せ、今日は二十キロ歩くからな」

「きのうは十五キロもあるいたじゃないですか」

「安心しろ、きょう歩いたら明日は完全休養日だ」

「今日じゃだめなんですか? 」

「そんなこといってたら毎日完全休養日になるぞ」

 山本は男にジャージを投げた。

「がんばれば今日の昼はうまいものが食える。がんばらないならコンビニのおにぎりを食べながら歩くからな」

「そ、それはみっともない」

「じゃあがんばれ。それと、いいから朝飯を食え」

 男は悲しそうな顔でスプーンを手に、オートミールを食べ始めた。

「うう、あんまりおいしくない。あなたがたはなんでこんなものを食べているんだ」

「やせるなら貧乏人の食い物が一番だからさ」

 向かい合って同じものを食べながら山本は言い切った。

「だが、労働が美徳であった時代は昼食がもっとも豪華だった。というわけで今日は前から食べたかった麻婆豆腐を食べに行く」

 材料にだめな食材はなかったはずだ。

「あなたの食道楽につきあわされるのか。ひどい」

「文句があるなら、とっととこんな苦行を終わらせて政府の金で食わせてもらえよ」

「あなた、私が外交官だって知ってていってるのか?」

「外交官? 」

 はっ、と山本は鼻で笑った。

「いまのあんたは、俺の重荷のただのでぶだ」

 くやしそうな目でにらみ返すのを山本は心地よくせせら笑った。

(まったく、これが宇宙人だって? )

 泣き言ばかりの意志薄弱な肥満中年のダイエットを三ヶ月で達成するという苦行の前ではもはやそんなことはどうでもいいことだ。

「さあ、食ったら座ったままでストレッチから始めるぞ」

 山本の方法は簡単だった。食事を完全にコントロールし、有酸素運動を延々続けるだけ。そして終わりを示し、憎まれ役を引き受ける。あとは飽きないよう毎日違うコースを散歩したり、体を使うゲームをしたりする。ゲームはいい年の男二人では遠慮したいところもあるので、もっぱら散歩である。コースは毎晩山本が考える。

 同じ方法が宇宙人に有効かはなはだあやしいが、ここまで外見に差異がなく、だいたい同じものを食べることができるのであれば期待は持てるだろう。

 問題は方法よりもこの宇宙人の意志薄弱だった。食べることをやめることができずにこの腹らしい。

 いまだに彼はかつがれているのではないかと疑っている。

 そしてなにより、この男の柔弱ぶりが苛立たしい。

「腹が納まったら筋トレだ。メニューこなすのが遅れて昼に間に合わなかったらおにぎり行進な」

「うう、それはやだなあ」

「文句をいうな。あんたのやることは俺もやる。できねえことは言わないから」

 男は何か言い返そうと口をあけたが、山本がギロリとねめつけるとしゅんとなってしまった。

「よし筋トレを始めるぞ」

 大変な国賓であるはずの宇宙人の一人が、離婚歴のある四十男の広いとは言えず、清潔ともいえない住処で起居をともにしている。しかも家主にはぞんざいに扱われ、罵詈雑言に近いことまで言われている。

 気がついたらこうなっていた。そもそも引き合わされた時に、あまりに印象とかけはなれた相手に、すっかりかつがれたと思って堪忍袋の緒を切ってしまったのが始まりだった。

 高そうなスーツ姿の官僚と専務になだめられ、説明を受けて脅しも受けてようやく連れて帰ることを承服したが、宇宙人のあまりに気の小さい様子に、いきおい言葉はぞんざいになった。なにしろ、膨大な資料を押し付けられて、ダイエットメニューを考え、実行せよと命じられて不機嫌であったのだ。

 受け取った資料は専用のリーダーに入ったもので、山本の生体認証でしか起動しないどうやら軍用文書のためのリーダーらしい。

「君以外の誰かが中を見ようとしたら消滅するようにできているから、注意したまえ」

 そんな大げさなものを一介の冴えない中年社員に渡してしまうのだから恐れ入る。

「内容は彼らと我々の生理の違いについてだ。食べられない食品、有害な嗜好品、逆に彼らにしかないそれら、病理や筋骨の相違、平均基礎代謝なんぞも入っている。ま、よほど変なものを食べされなければ大丈夫だ。味覚もどうも一緒らしい」

 政府の男は気軽に説明したものだ。

「本当はただの人間なんじゃないですか? 」

「宇宙人の問題が表沙汰にされない理由はそこだよ。これはもちろんあなたの守秘義務に属することだが…」

 政府の男は声をひそめた。

「彼らは確かに地球人だ。ただし、人類ではない」

 ネアンデルタール人のようなものだという。

「細かいことは省くが、数万年前に地球から星の世界に移り住んだのだそうだ。そして今、その子孫が里帰りしてきたという次第さ」

 山本はまるまるは信じなかった。

 が、言葉を探すうちにそう考えればこの事態を受容しやすいことに気づいて「だまされて」おくことにした。

「それが賢明だ。我々も彼らのいうことをそのまま信じているわけではない。だが、こんな情報が少しでも漏れたらどうなるか、それは想像しておいてほしい」

「わかりました」

 飲み屋でホッピーと串揚げつまみながら政府の愚痴をぼやいていた自分がこういうことになるとは、山本は亡くなった祖母の言葉を思い出した。

「人間、生きてりゃあいろんなことがあるさ」

 まったくだよ、ばあちゃん。

 山本はため息を一つつくと、腕立てをする宇宙人の背中をぐいと押した。

「もっとちゃんと下げろ。それじゃまるでけいれんだ」

 隣にはらばいになって、模範とばかりに腕立てを始める。正直、なまりきった重い体にはきつい。だが、不思議とこの情けない宇宙人のことを意識するとそれがなんでもなくなる。完全休養日を設定していなければ、動かなくなってしまうだろう。

 前準備が終われば、いろいろな用心を詰め込んだバックパックを自分と宇宙人に背負わせ、男二人は歩き始めた。こうしてみると、ちょっと濃い顔の日本人にしか見えないところが、山本の選ばれることになった所以だろう。

 歩いている間は、山本が主にしゃべることに決めていた。田舎の人に東京の案内をする、という装いで、宇宙人がうかつなことを言って通りすがりの人に聞きとがめられないようにしようという申し合わせだった。

 弱音、泣き言しか言わない宇宙人もこれにはきちんと同意した。山本はコースを決める時に下調べをしていて、ざっとだが地球の、日本の歴史を見るもの聞くものにつけて宇宙人に語った。あきた、しんどい、と泣き言をいったり座り込んでしまったりしないようにという彼なりの涙ぐましい努力である。

 宇宙人がどれほど興味を示しているのかは山本にはさっぱりわからない。ただ、昨夜は寝床の中で二つ、三つ質問をしてきたから、少しはそそられているのだろう。そうでも考えないと続けられない。

 宇宙人は思いのほかがんばった。そして刺激の強い地球の食べ物にびっくりしながらも、昼食を楽しんだ。


 その夜、山本に電話があった。田舎で老々介護をしている父からだった。

 元気か、といつもの挨拶からはいり、近況から天候の話、世情の話をしたあと、ようやくせきをきったように母親のことを一方的に、少しおかしな解釈もまじえて滔々と繰り返す。一週に一、二度はあるいつものガス抜きであった。

「そっちもどって手伝おうか? 」

「仕事がないだろう。大丈夫だ。おまえにたよらんでもなんとかなるさ」

 それが強がりだと山本は知っている。その強がりを折ってしまえば父親が立ち直れなくなることも。だからたよりない息子の演技で、だんだんに弱る父をささえるのがならいだった。

 社史編纂室においやられ、リストラを恐れたときも、ここで首になってしまえば父親も納得する帰郷の理由になる、と少し安心さえしていた。再就職はきびしいはなしになるだろう。だが、やむをえないことならあきらめてがんばれるだろう。

 電話をきったとき、山本は宇宙人が聞いていたことに気づいた。

「ずいぶん長くお話していましたね」

 彼のおさがりの安物のパジャマを着た宇宙人は不思議そうであった。

「人の電話に聞き耳たてるのは、感心できないな」

「失礼。ただ、あんまり長くお話していたものだから、私のことを話しているのかと不安になったもので」

「見損なうない。仕事はできないが、信義だけは裏切らない」

「そのようでした。大変ご無礼しました」

 宇宙人が丁寧に詫びたので、山本は許すことにした。

「今のは俺の父親でな、田舎で老いてぼけた連れ合いの介護をしている」

 ここで山本、興味がわいて聞いてみる。

「あんたらに老人問題ってあるのかい?」

「老人問題、ですか」

「あんたもいずれ年を取る。あちこちこわれて体がきかなくなって死ぬ。それとも、宇宙人は不老不死なのかい? 」

「いや、そりゃあ、我々も老いぼれて死にます。生き物の摂理です。それがどう問題になるのかがわからない」

「あんたの親父さんが老いぼれて死にかけてるとして、あんたはどうするんだい?」

「分かち合います」

「何を? 」

「死を」

「わからん」

 山本は首をふった。

「それは宗教儀礼かい? 」

「その単語の意味はよくわかりません。われわれは歌をかわします。苦痛の歌を、慰めの歌を」

「うーん。そういう気持ちの問題じゃなく、世話とかそういう話だ」

「それはみんなで面倒を見ます。自分たちを育んでくれた先達たちですよ。それに恩返しすることは当たり前のことではないですか? 」

「はは、こいつは耳が痛いや」

 山本は苦笑した。

「いや、悪かった。地球人ってなぁ身勝手の恩知らずでな」

「それでも、自分の生みの親に対しては心を痛めているではないですか」

「身勝手な地球人が身勝手に悩んでいるだけだ」

 これ以上続けたくなくなって山本は寝ろ、と言った。

「明日は完全休養日だが、起床、朝食の時間は一緒だからな」

「ゆっくり寝させてくださいよ」

「たっぷり寝たかったら、さっさと寝るんだな」

 恨みがましい目を無視して、彼は横になった。

「俺はねる。おやすみ」

 そうはいったものの、山本はなかなか寝付けなかった。

 宇宙人のほうがころっと寝付いてすうすう寝息をたてている。

「得な野郎だね」

 泣き言はおおく、わがまま、すぐ心がくじける。これが外交官というのはどういう人選だ。

 こんな連中は狡猾な地球人に何もかもむしられて滅んで行くのではなかろうか。

(まるでスペイン人にであってしまったインカのように)

 それでもようやくうつらうつらし始めた時、彼は遠くから耳慣れない静かな歌声を聞いた気がした。

 山本は、とても気持ちよく眠れた。


 山本が誘拐されたのはその翌日だった。


 完全休養日は健康診断の日でもある。宇宙人は朝食を取ると政府がさしむけた車にのって出かけていった。

 山本も暇ではない。午前中はこの一週間のデータのまとめがあるし、食材などの調達依頼を作成しないといけない。日報は毎日出しているので、これをさらって簡単に週間報告を作成、そして途中昼食をとって自社に報告に出る。

 報告相手は専務だ。だが、マイクがおいてあるから、あの官僚あたりも聞いているのだろう。報告内容は、ダイエットの効果とこれからの見込み、変わったこと、それに宇宙人とかわした話となる。職務上の報告とは思えないが、専務は時折手元のモニターを見ながら穏やかに質問してくる。

 こんな仕事を専務が買ってでているところはことの重大性をうかがわせる。

「順調なようでよろこばしい」

 専務は相変わらず眼鏡をひからせるだけでにこりともしない。

「目標より早く目標体重になりそうだね」

「地球人の平均より代謝が高いようですね。地味な方法でも効果があるようです」

「それに、君のいうこともよく聞く。逃げ出して買い食いとかしそうなものだが」

「実は、財布を取り上げてます」

 専務は初めてくすりと笑った。

「君、あれで大事な大使閣下だぞ。各国饗応の結果、ああなった大食漢だが」

「その大使閣下は意志がよわく、泣き言ばかりいわれておりますよ」

「うたがっているのかね? 」

「ちょっと信じられません」

 ためいきひとつこぼすと、専務は眼鏡をはずして磨きはじめた。

「彼の大使としての仕事ぶりは見てはおらんが、宇宙人が代表として送ってきたのは確かに彼だ。そのへんが、彼らと我々の違いかもしれないね」

 その日はそれで終わりだった。なんだかごまかされた気分で山本は退出する。

 まあ、このあとは買い物をすませて帰るだけだとほっとしたその時、携帯がなった。

「おひさしぶり」

 離婚した妻からだった。

「どうしたんだ。急に」

 山本に未練はある。そんな期待をさとらせまいと、わざと不機嫌な声で答える。

「俺なんかに電話なんぞしたら、今の旦那が妬くぞ」

「あいかわらずだね」

 ほほえむ気配に山本は警戒心をかきたてられた。

「社史編纂室だって?」

 ぎょっとする言葉が放たれた。

「何で知ってる? 」

「ちょっと、ね」

「養育費の心配か?」

「そんなところ。ちょっと表であえない? 」

「じゃあ、駅前のいつもの喫茶で」

 やれやれ、なんて忙しい日だろう。

 自分がのんきすぎたと山本が思ったのは、待ち合わせの喫茶の前の通りで車に押し込まれて数秒たってからだ。

 救いを求めて二階の喫茶店の窓を見上げたが、元妻がどこか遠くをぼうっと眺めているのが目にはいっただけだった。そして脇腹には固いものが押し付けられる。

「お静かに」

 誘拐犯はなまった日本語でとてもおだやかに警告した。

 やれやれ、ほんとうに忙しい日だ。山本はため息をついた。


 会見はモニターごし、相手の姿はアイコンで、声は機械音声を使っていた。たどたどしさがなんとも場違いだが、相手に事情はあるのだろう。

 それらを知ることができるなら、彼か彼女かは政府関係者に間違いはないのだから。

「宇宙人との同居生活、ご苦労様です」

「あんたもあの根性なしでぶを宇宙人というんだな」

 機械音声の無機質な笑い声が響いた。

「ひどいいようだ。彼は全権大使ですよ」

「あの意志の弱さでそんな重職がつとまると思えないんだけどな」

「見たものしか信じない人ですね」

「心の狭い小さな人間だからね」

 相手が少し間の抜けた機械音声のせいか、山本は思ったより落ち着いていた。とはいえ、自分がこれからどうなるか確信がもてないゆえに心臓はばくばくいっている。

「なるほど、さて実はあなたに少しうかがいたいことがあります」

「答えられることなら答えるけど」

「なに、たいしたことはききませんよ」

 たいしたことをきくつもりだからこんなだいそれたことをしたんだよな、とは山本は言わなかった。

「まず、彼の知能についてどう思いますか? 」

「検査したわけじゃないからなんともいえんよ」

「ああ、そっちはいろいろ結果がでていますがね。知能というのははかり方でかなり結果が違うんですよ。あなたの感覚的な感想を聞きたいですな」

「ん」

 ちょっと考えてから山本は答えた。

「いいほうじゃないかな? こっちのいってることはだいたい理解している。わかっててとぼけて甘えてきやがる。大使閣下だと思えるとしたらその理解力だけだな」

「なるほど。ところで大使としての彼のふるまいについてご存知ですかな」

「いや、知る訳がない。興味本位で聞いていいとも思わなかったし」

「なぜきかなかったのです? 」

「さあね。たぶんあいつがそんなたいしたたまにどうしても思えなかったからじゃないかな」

「あなたの直感は正しい。大使閣下は彼らの中からくじでえらばれたそうです」

「はぁ? 」

「正確には神祇官のような地位だそうで、重責ですが就任する者はくじで選ぶそうです。おみくじというとこですな」

「そんなPTA役員みたいな決め方でいいのか」

「姿は似ていますがね、社会的な考え方は随分違うようです。種としてはいとこくらいの近縁ですから、これはびっくりすることですが」

「じゃあ、さぞかし国際社会のお歴々の前で恥かいたんじゃないかい? 」

「ところがとても威厳ある、優雅な受け答え、ふるまいだったそうで」

「別人じゃないのか? 」

「いえいえ、彼ですよ。何度か歓迎パーティをやってるうちになんだかおかしくなってきたそうです。これはあちら側もびっくりして、いったん使節団を戻そうと思ったのですが」

「大使閣下が太って乗れなくなった? 」

「さよう。それでダイエットをすることになってあなたが選ばれた」

「光栄だね。迷惑だが」

 妙だな、と山本は思った。俺は・・・

「動悸がだいぶんおさまってきましたね」

 機械音声でも、その揶揄するような口調は伝わってきた。

「自問してください。あなたはそんなに度胸のある人でしたか? 緊張していても冷静であるのはもともとのプロファイル通りですが、あなたは気の小さい人だったはずだ」

「どういうことだい? 」

「離婚の理由、奥さんに甘えすぎたせいという分析が出ております」

「関係ないだろう」

 一瞬、山本は声をあらげたが背後でこほんと咳払いが聞こえて、浮かせた腰をおろさざるをえなかった。

「そろそろ感づかれたと思いますが、これは実験でもあるのです。あなたは地球側のモルモット、大使閣下は宇宙人側のモルモット。違いは大使閣下は志願したものであるのに、あなたは何も知らされずに上司命令でしぶしぶやってること。いやはやすまじきものは宮仕えですな」

 ざわざわとざわめく心の山本に、声は楽しそうに会見の終わりを申し渡した。

「さ、知りたいことでいまわかることは全部把握できました。お戻りください。それとこの会見のことですが、他言無用とはいいませんよ。ただ、あなたの元の奥さんと、あちらに引き取られた息子さんのことはよく存じておりますから、そのことをどうぞご考慮ください」

「汚いものいいだな」

「まったくですな。気がひけますがしかたありません。さ、送らせますのでまた目隠しを」


 解放された場所はいつも買い物をするショッピングセンターの裏だった。彼の行動予定をよく把握していたらしい。待ちぼうけをくわせた元の妻に電話しようかと思ったが、おそらく一枚噛んでいたのだろうと思ってやめることにした。それでも用があればあちらからかけてくるだろう。

「山本さん、もう少し、もう少しだよ」

 遅くなったが、買い物をすませて戻ると宇宙人ははしゃいでいた。

「もう少しなんなんだい? 」

 うきうきにやにやしている顔にいやな予感をもちながら山本は尋ね返した。

「もう少し、栄養とっても大丈夫みたい。予想以上にへってるって」

 と、どこでどうやって入手したのか、有名菓子店のカタログを持ち出してくる。

「リバウンドって言葉があるんだが」

 山本は受け取ったカタログをゴミ箱に投げ込んだ。宇宙人の顔がものすごく悲しそうになる。

「リバウンド?」

「ダイエット中に摂取カロリーを増やすと、ダイエットしていない時以上に腹につくんだよ」

「それはあなたがた、私たちはきっと大丈夫」

「科学的根拠は? 」

「たぶん大丈夫」

「ダイエットが思いのほか成功してるってことは」

 山本は腹をぽんとたたいた。

「リスクも同じかそれ以上と考えるべきだと思うのだが、反論はあるかね? 外交官殿」

「ありません」

 しょぼんとする宇宙人。小学生なみであるが、これ濃いめの中年男という時点でその知的能力に疑いさえ覚える光景である。

 これが、地球人には到底不可能な宇宙旅行をなしえる連中の一員とは本当に信じがたい。

「では、このまま順調に、前倒しに達成の方向でいくよ」

「早く終わらせたら何かいいことがあるのか? 」

「早く終わって都合の悪いことでもあるのかい? 」

 言い返された宇宙人はちょっと考え込み、首をふった。

「あなたがたはせっかちですね」

 山本はいらいらしたが、何かいうことは控えた。

 かわりに一つきいてみることにした。そう、何か問うべきであり、どう問うか買い物の間も迷っていた質問だった。

「あんたらは、なんで地球から去ったんだ? 」

 宇宙人はきょとんとした顔をした。

「どうしたんですか、山本さん。いままでそんな質問をしなかったじゃないですか」

「うん、俺にはどうでもいいことだったからな」

「ではなぜ急に? 」

「知っておくべきだろうと思ったからさ」

「さて、どういう」

 といいかけて宇宙人ははたと膝を打った。

「何を聞かされましたか」

「今のあんたと、大使としての最初のほうとはまるで別人だということかな」

「あなたには話さないという取り決めだったのに」

「さて、あんたがたが何を知りたいのかわからんが、こっちの偉いさんも知りたいんじゃないかな? 」

「教えてください。何をでしょう? 」

「知ってしまった地球の市民がどう反応するか」

「地球の人々には驚かされることばかりです。今日、いきなり聞かされたのですか? 」

「誘拐されて、遠回しにね。だからうちの政府や会社から聞かされた形になってない」

「ますます驚かされます。あなたはそれを見抜いたのですね」

「というか、あちらに隠すつもりはあんまりなかったようだね」

「大義名分とかそういう概念だと思いますが、本当に興味深い」

「あんたがたにはそんなものはないのか? 」

「あるともいえますし、ないともいえます」

「ふむ」

 むずかしい話のようなので、山本は追求しないことにした。

「最初の質問に戻っていいかい? 俺とあんたのかかわりの根っこは遠くはそこにあるような気がしてしかたないんだ」

「隠すことではありませんね。そちらの政府の方々にも聞かれて説明したことです。気候変動ですよ。海水面の長期的な変化や、地震、津波、社会を維持していくにはつらい状況が予測されました。実際、自分たちで後始末をしたとはいえ、我々の文明は痕跡をとどめていません」

「恒星の世界をわたるほど技術があるならなんとかとどまることはできたのじゃないか?」

「そこまでつらい思いをして地球にこだわる理由はなかったようです」

「では、なぜいま戻ってきたんだ? 」

「もどってきたのがおかしいのですか? 」

「あんたらは俺たちと微妙にいろいろ違うようだが、一つは確かに共通してることがあるな」

「なんでしょう」

「嘘をつけることだ」

「嘘をついていると? 」

「地球にとどまりつづけるのがつらいなら、もっと居心地のよい新天地があるのだろう。そこを離れてなぜ戻ってくる? 」

「地球は我々のふるさとです」

「ならば、なぜ捨てた? おかしいと思わないのか」

「何か察していますね」

「俺たちの先祖の存在が関係してないか? 」

「ご明察」

 宇宙人の目に、これまでなかったほどの叡智の輝きがやどっていることに山本は気づいた。やはりこいつ、猫をかぶってやがった。

「正確には類縁種ですが、別の人類が生まれつつあることを我々は知っていました。彼らは潜在能力こそ、現代のあなたがたや我々に匹敵しますが、まだまだ発展途上で野蛮で短い生をまばゆいほど散らす、絶滅危惧種でした」

「見てきたように語る」

「あなたの察したように、そここそが最初の鍵だったからですよ。もし、絶滅危惧の類人猿がいれば地球人類もきっと我々と同じことをしたでしょう」

「保護・・・か」

「ええ。我々は彼らを保護せざるを得ない。しかし、彼らの異質さは当時の祖先にもよく理解されていました。おそらく彼らは我々と同じ場所を争う生存競争のライバルであろうと」

「地球人なら戦争をしかけて滅ぼすな」

「短期的な脅威であればそれもあったでしょう。しかし、彼らはかよわく、我々は力あるものとして保護せざるをえなかったのです。そして、生存競争とは幾世代にもわたって種の運を試す争いです。我々は短期的には保護せざるを得なかったが、長期的には生存競争に負けたかもしれないのです。それは、やはりいやでした」

「ジレンマだね」

「我々の干渉によって、彼らが生存競争にうちかちえるならば・・・我々は干渉をやめるべきだと判断したのです。ちょうど気候変動による厳しい時代が予見されていました。いま、彼らを適者生存の審判にかければ、その異質な特性もあってかならず滅びるだろうと期待していました」

「死に絶えるまでほっといて戻ってくるつもりだったのか。ひどいな」

「ところが戻ってくると類縁種のあなたがたが文明社会を築いているではないですか。おどろきましたよ。我々の分析では、文明社会を築くには粗暴であり、見栄ゆえに自壊し、決して発展した世界を築くことなく死に絶えるだろうと思っていたのですから」

「あてがはずれてさぞ困っただろうね」

「そうですね。それとともに関心は二つのことにしぼられました。あなたがたの成功の理由と」

「おたがい共存していけるか? 」

「そうです。ダイエットが必要になったのは、本当によい機会でした」

「あんたも俺も随分影響うけているようだが、自覚はあるかい? 」

「ちょっと驚いています」

「俺もだ。誘拐犯に指摘されて、自分の変化に気づいたよ」

「いえ、あなたに影響がでたことにですよ。種としては非常に近いとはいえ、これは驚きです」

 ふうん、と山本は鼻で笑った。

「シンパシーってやつだな。にしてもあんた俺に染まりすぎだが、あんたらそういうもんかね」

「まあ、そうですね」

「正直に答えてくれてありがとう」

「で、どうされますか? 」

 宇宙人の質問に山本は肩をすくめた。

「どうもしないさ。あんたのダイエットを完遂するだけだ」

「ほう」

「要するに、あんたと俺が友達になれるかということだろう?」

「なんというか、あなたの祖先なみの乱暴な理屈ですね。でも、間違ってはいません」

「じゃ、続けようや。知らずにやるのと、知っててやるのではまるで違う」

「そうですか」

 宇宙人はそれこそ異星人を見る目で山本を見た。

「そこも理解できませんが、それなら続けましょう。実際、ダイエットできないと座席におさまらなくって・・・」

「では、そういうことで」

 山本はにやりとわらった。

「飯をそんなに食うな! とっととねろ! 明日も歩くぞ」

「ちょっと、容赦なしですか」

「地球人にはそういう愛情の示し方もあるってことさ。さ、言われた通りにする」

 宇宙人は抗議の声をあげたが、それはどこかうれしげにも聞こえた。

「うまく、いくといいですね」

 宇宙人は言った。

「やってみなきゃ、わからんさ」

 地球人は答えた。

                               了

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メタボリック・エイリアン @HighTaka

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