後世 ある文学の系譜
ローマ帝国の崩壊の一端に、魔術師一団の要素があった事は、意外に知られていない事実である。というのは、そもそも魔術師一団は一枚岩ではなかったからである。
ローマ大火後、
ローマ帝国はその後、数多の王朝の興亡を繰り返すが、五百年後にはローマ帝国の行政、軍事、金融などに、ローマ派の魔術師がその地位を独占して行くようになった。ローマの
さらに、ローマ大火の時の第五代皇帝即位から数えて丁度千年後の一〇五四年、ローマ派の魔術師とコンスタンティノープル派の魔術師が断裂し、これに伴い、多くの文化交流が絶たれた。無論、その理由の一つに、一〇五四年の段階で、初代ローマ王朝の時代には無い国が現れており、彼等は魔術師の教えをより完璧で、より平等な博愛精神に満ちたものとして完成させようとしていた事も影響していよう。
このようにして、ヨーロッパはある一線を境に、西と東に分かれるのである。そしてやはり、西ヨーロッパにはローマ派の魔術師の子孫たちしか居らず、徐々にそこの文化の頂点となって行った。
窮屈な世界であればある程、人は娯楽を求める。そしてローマ派魔術師が牛耳る西ヨーロッパは、最早群雄割拠の時代になっており、逆に言えば、如何に自分の国が古くからローマ派魔術師により、文明化されているかが、とても大きな課題であった。
もしそれが見当たらなければ、どこかからか奪って来れば良い。奪うものは、文化や女、伝説ではなく、誰もが納得するもの―――即ち、
伝説は口で語り継がれるが、それよりも文字で残された方が多くの人々に、より正確に伝わる。やがてそれらの伝説は、土着信仰と混ざり合い、複雑に発展し、豊かな文学として流布されて行った。
聖槍の伝説は、西ローマ帝国の滅亡を持って東ローマ帝国に渡り、多くの王の元を転々とする内に、壊れて穂先と柄が離れ、その欠片は多額の対価で取引された。天啓を受け、必勝を
聖杯の伝説は、武勲詩として成立し、多くの旧西ローマ領で、文学として語り継がれた。それは騎士と貴婦人との恋愛、王の落胤の旅と言った、宮廷風恋愛、貴種流離譚等と言ったものに昇華されていった。それらの舞台は主に、ブリタンニア地方であり、これは聖杯と後に呼ばれるようになった、あの銀の皿を元々持っていたアリマタヤの議員が、幼い魔術師と共にそこへ渡り、妖精の国アヴァロンに到達したという伝説から来るものである。そこで議員は、ブリタンニア地方初の教会を建てたとされ、この教会は今日修道院として現存している。これは四方を海に囲まれ、旧西ローマの後継国でない彼等が、後継国と渡り合うために現れた伝説も言われているが、議員が迫害を逃れ、ブリタンニア地方に行っていなかったと言う証拠はない。聖杯の持つ不思議な魅力は民衆にも広がり、周知の事実とは違う事を信奉しようという者達は特に熱狂的に、歴史上の聖杯の所持者や、聖杯の意味するものを論じ合った。つまり、陰謀論である。これらは為政者も民衆も皆求めた。それが物として手に入らないことが分かると、聖杯は何かの暗喩ではないかと言われるようになった。それは磔刑にかけられた魔術師の血を引く者のことである、という飛躍まで産まれた。それ程までに、彼等は聖杯を愛したが、聖杯を聖杯足らしめる磔刑も、魔術師と呼ばれた救い主も、人々はそれ程愛さず、彼の言葉は、多くの場合彼等の敵を凌辱する為に使われた。それは、魔術師の不文律の教えが、国の法律として明文化され、抽象的な教えが具体性を持った問題に対処しきれなくなっていったと言う事でもある。磔刑の時、中央に掛けられた魔術師が、高弟を通して全世界にかけた大規模な魔術は、時に民族を滅ぼし、時に乞食を救い、時に国を焼き、時に戦争終結を早め、時に人々を縛り、時に人々を解放した。
四人の
しかし後世、様々な形で名を残した地域に、彼はきっと行ったのだろう。そしてその度に、人の剥き出しの素顔を見たのだろう。
その石を使い、神に従わない罪人を裁くか、神を讃える家の親石とするかは、個々の信仰の赴くままに行えばよい。神はどちらを選んでも、祝福し、人生の黄昏に、愛によって、その決断を裁くだろう。
【もう一人の男 完】
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