第四章 信者
第三十一節 刑死(後編)
遥か昔からイスラエルの民に伝えられている所に曰く、神は世界を創るのに、六日を要し、七日目に休んだと言う。この同じようにイスラエルの民は、六日間働き、一日を讃美のために使う。明日がその、七日目に当たる安息日で、そのような理由で聖なる日であるから、
十字架にかかったその日のうちに、
あの二人が、十字架を二人分担いでいた頭領を見かねて、直訴しようとしたことは聞いている。だからこそ、彼が死ぬ間際まで、彼女たちは傍にいるだろうと思っていたが、姿を見せない。大勢の前で彼と関わりのある女だと思われてしまったから、どこかに隠れながら見ているのだろう、と、
日が沈み、二日目になった。
頭領は気を失いそうになるのか、時折瞳を回転させて、空を見上げた。右の瞳は潰れているのか、それとも瞳の根のようなものが切れてしまったのか、頭領の顔の向きに関わらず、下を向いている。
「
頭領の身体の事を思えば、そんな言葉を発するだけの体力はないし、もし言葉を発すれば、息が苦しくて二の句が継げないだろう。だが頭領は確かに、
「はい、とても良い空です。ぼくから見ると、貴方が
「そうか。」
頭領はそう言って、その日はもう何も話さなかった。ただ、死んではいないらしく、時折空気を求めるように蠢いた。
日が沈み、三日目が終わった。もう間もなく三日目になろうという明け方、突如としてまた地震が起こった。その地震で、男と
日が昇ってから
「ご覧ください、
頭領は眼を開けると、顔を下げて花に鼻先を近づけた。
「ああ…。こりゃ、コロナの花だな。」
「ころな。」
「ずっと東…アテネとか、あの辺りの祭りで欠かせない、
「きっと貴方の誇り高い選択に、この花も何か特別な事をしようとして咲いたのでしょう。」
「そりゃ、うれしいね。」
頭領はそういって、その日はもう話さなかった。頭領は死ななかったが、花は枯れてしまった。
日が沈み、四日目になった。
日がまだ昇りきらない、朝も早くから、異邦の身形をした若い二人組が走ってきて、突然跪いて拝んだ。
「おお、大王の子よ、私達の師匠を哀れんでください。貴方がお生まれになって三十年以上、我が師は、貴方を拝そうと、沢山の宝物を持って国々を巡ったのです。」
「ところがこの間、奴隷買いから娘を買い戻してやったのを最後に、宝石が無くなってしまいました。神はお怒りです。その翌日にせっかくこのエルサレムに着いたのに、四日前の地震で神殿の下敷きになってしまわれました。」
「そして息を引き取られたのです。我が師は、御身に奉げるべき宝物を全て施してしまいました。それが神の怒りに触れたのだと言うのなら、私共の命で、新しく宝石を作ってください。」
「或いは、私共は占星術を学んでいる者です。空に新しく召し上げられた魂の中で、最も優れた星を見つけ出し、御身にお奉げ致しましょう。」
「ですから大王の子よ、どうぞ私たちの師匠を、地獄から救い出してください。」
「生憎と、俺はお前達が求めている
頭領は遂に死が近づき、気が触れてしまったのかと思った。
「ガリラヤ―――この国の北に行け。お前達の師がどうなっているのか、直接聞くと良い。」
若者二人は、ぼろぼろになりながらも堂々と答えるその姿を信じ、もう一度深く頭を下げ、走り去って行った。
日が沈み、五日目になった。
いつまでたっても
「何をするんだ、このバカ!」
「バカはアンタですよ、隊長殿! 総督はアンタについての書簡を皇帝陛下に送って、皇帝陛下もアンタに興味を持ったらしいのに、アンタは一向に戻って来やしない。生きてるのに虫が湧いたり集ったりするもんですか!」
「良く見ろこの節穴! あの額の汗が見えないのか! この人は生きてる! 三日過ぎても生きてるんだよ、脛を折ったはずなのに、生きてるんだ! この人は神と取引したんだから!」
「何を
「この人が取引したのは
あまりにも凄い剣幕で怒鳴りつけるので、遂に部下は悪態を吐きながら退散した。
日が沈み、六日目になった。
今頃になって、思い出したかのように、十字架を片づける人々がやって来た。どうやら都市の方で、何か大きな出来事があったらしく、バタバタしていたのだと言う。しかし彼等は、頭領がまだ生きていることを知って恐れ
「しんそう、まだそこにいるな?」
「はい、います。獣だけではありません。」
「お前に名前をやったのは、俺だったな。」
「はい。あの日から、ぼくは真理を護る槍になれるように、
「もうその役目は終わった。俺の置き土産だ、受け取ってくれるな。」
見えないのなら声に出さなければならないのに、
「その刃は、
黙って結論を待つ。頭領の声はだんだんと二つに割れ、頭の中に反響して行く。
「お前は
「はい。…はい! この
だが『それ』は、頭領の頭に確かに手を置き、破けた頬を撫でていた。
「これは私の愛する子。また、うつろなるもの。」
声は、
「我はうつろなるもの、故に幸いなる者。―――全て、成し遂げられた! ザマァみやがれ、くそじじいども。―――が、ごっ、こふっ、ガ、かはッ。」
そのまま頭領は、薄い笑みを血飛沫の中に浮かべながら、罪の元を吐きだして死んだ。
日が沈み、六日目が終わった。
日が昇った七日目の朝、
遥か昔からイスラエルの民に伝えられている所に曰く、神は世界を創るのに、六日を要し、七日目に休んだと言う。
確かに彼は、
主は私の牧者。私は乏しい事が無い。
神は私を緑の牧場に伏させ、憩いの水辺に伴われる。神は私を生き返らせ、慈しみによって正しい道に導かれる。
例え死の陰の谷を歩んでも、私は
貴方は刃向かう者の前で、私の為に会食を整え、私の頭に油を注ぎ、私の杯を満たされる。
神の恩寵と慈しみに生涯伴われ、私は神の家に生きる。
私は貴方に出会えて良かった。さらば我が父、我が兄、我が導きの海の
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