第二十三節 殺人者
過越祭の期間がまだ終わらない頃、
目出度い祭りの日だというのに、神殿の祭司たちは殺気立っていて、妙に興奮していた。特に聞き耳を立てていた訳ではなかったのだが、その言葉は囁くように
「あやつ、どこの家に居るのだ! エルサレム中の宿を探して、あれだけの大所帯が隠れられる訳がない!」
「誰ぞ、金持ちの家に隠れているのやも。」
「それは不味い、実に不味い。エルサレムであれだけの大所帯を迎えられる家なんて、名士に違いない。そやつがあやつの言葉に惑わされていたら―――。」
「何、それならあの時の娘のような姦通の女を連れてこれば良い。今度は姦通でなく、
「そんな都合よく、
「居るとも、
「はっはっは!」
「はっはっは!」
下品な笑いを生み出す首を、
「おい、今お前達が話した『女』、今どこに居やがる。」
「ひゃあ、―――ぎゃっ!」
騒ごうとしたもう一人の祭司に向かって、掴んだ男の首を放り投げて黙らせる。腰を抜かした老骨の一人の鼻先にナイフを突きつけ、ちょんと突く。
「どこに居る!! 答えろ、クソジジイ!!!
握りしめたナイフの柄が軋む。花嫁を強奪し、辱める場を整えた奴らを、今ここで皆殺しにしないのは、彼女の行方が分からないからで―――。
とんっ。
その時、全く虚を突いて、背中を押された。前にばかり集中していたからだ。振り向く間もなく、大きく体勢を崩して、前に倒れ込む。手に握ったナイフは手放さず、両手で身体を支えた。右手の感触が気持ち悪い。後ろにも敵が居たのか、と、ナイフを握りなおして立ちあがった、その時、びちゃっと何か生暖かいものが手にかかった。なんだと顔を其方に向けると、胸に細く鋭い穴が開いた祭司が、仰向けに倒れていた。
「言え!! あっしの女を、
祭司は答えず、揺さぶられて眼球が動き、口から泡と涎と血を垂らして、骨が折れたかのようにぐったりとしている。
「この泥棒! あっしの
こちらを見向きもしない祭司にかまけている内に、ローマ兵の一人が
「離せ! こちとらまだ話がついてねぇんでぇ!」
「あ、お前は!」
部下に
「お前、覚えているぞ、その白痴っぽい顔! 三年前、私達を襲ったあの山賊! 女神の前に漸くお縄だ、神妙にしろ!」
「だれが、ハクチでぇ、ローマのドテカボチャが! あっしがやんのはバクチだけよ、あっしを捕えるんだったら、この祭司共を人攫いで縛りやがれ!!」
「ユダヤ人がローマ人を殺したらどうなるか、思い知らせてやる! おい! すぐさま総督にご連絡申し上げろ! 処刑の準備だ!!」
尚もぎぃぎぃと喚く
「!!!」
丁度その時、
「
その危機が、今、そこで起きている危機が、嘘偽りなく
「
しかし
しかし
「あれ、
「
「は、はい!」
「馬を、馬に乗せてくれ。エルサレムに連れてって! 弟が、私の弟が殺されてしまう!!!」
「おとうと???」
その後も
エルサレムへと登る山道の入口まで来て、漸く
案の定、頭領は気づいていた。自分の腕の中から
『
頭領は『声』で、
「お呼びですか、お
「こっちにおいで、
平静を装って呼び寄せると、
「
「ええ、次の安息日で、丁度五年です。」
「もうそんなになるのか。」
「ええ。お
その言葉を愛おしそうに噛みしめ、
「お前は、俺の下に来て良かったか?」
「当然です。」
「後悔した事は? 山賊の子になった事に。」
「一度たりとも。寧ろお
「俺はお前を救えたか?」
すると
「はい、ぼくはお
「家庭を持つ喜びを捨ててまで、俺に従うか。」
「ぼくの家庭は、お
「それに、後悔はないんだな。」
「はい、何も。………お
「悩み…。悩みねえ、そう見えるかい?」
「はい。この一年、
「そうだな、多分、次の安息日が終わる頃には、それも終わるよ。」
「では、解決する日が近づいているんですね。良かった。」
そう言って
「ねえ、ここで寝ても良い? ほんの少しだけ…。」
「いいとも、歌ってあげよう。竪琴が…その辺に。」
身体を少し反らせて捩じると、使い込んだ竪琴が立てかけられているのに手が触れた。頭領はぽろんと初めの音を弾いて、唄いはじめた。
ミズ クローム フロム ハレルー ヤ
聖所にて神をほめたゝへよ 主をほめたゝえよ
ハレルー エル ベコチョウ
神をほめたゝへよ その
ハレルー ウー ベル キーアー オズ ジョウ
神をほめたゝへよ その
ハレルー フ フウィクロ ターヴ
神をほめたゝへよ その
ハレルー ケ ロッグ ロウ
神をほめたゝへよ ラッパの
ハレルー フ フェ テーター ショ ファール
神をほめたゝへよ
ハレルー フ ヴェル ネール ゼヒ ノール
神をほめたゝへよ つゞみ
ハレルー フ ヴェ トース マ ホール
神をほめたゝへよ
ハレルー フ ヴェニール ゼム ガーヴ
神をほめたゝへよ
ハレルー フ ベン ツェ レーシュ アーマ
神をほめたゝへよ なりひゞく
ハレルー フ ベン ツェ チーレ ゼム ハー
主をほめたゝふべし
コール ハッレー シャ マーテ ハッレル ヤ
なんぢら 主を ほめたゝへよ
ハレルー ヤ
ほめたゝへよ 主を
それは、大王が遺した詩篇の、最後の歌だった。過越祭という大いなる歓びの期間に、その歌が歌われることは全く不自然ではない。
「│ ほめたゝへよ《ハレル―》、│主を《ヤ》。│ほめたゝへよ《ハレル―》、│主を《ヤ》。ほめたゝへよ《ハレル―》、主を《ヤ》………。」
最後の節を三度繰り返し、頭領は少しの間黙想した。そしてゆっくりと
もう、ここに戻って来ることはない。
さらば、さらば、我が娘、我が息子。お前達の父は、母は、もう戻らぬ。
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