第二十二節 預言
朝の足音が聞こえ始めても、
「
「
彼がどこに居るのか、咄嗟に分からず、
「………。」
「………。」
乞うように口づけて、それでも何を乞うのか明確に口には出さない。それでも
「そと…。」
「ん?」
「かぜに、あたらせて。」
「………。いいよ。」
本来であれば、
外は朝焼けの帽子が遠くに見えるにも関わらず、満ちきらない月も出ていた。
「
「大丈夫に見えるのかい…。この一年、この過越祭をずっと恐れて恐れて、そしてそれが、昨日始まってしまったんだよ。」
「そうだな、俺も初めて聞いた時は驚いたよ。」
「なあ、なあ、
「うん、うん。」
「だから、お前がもしここから逃げ出したとして、その身代わりを誰かに任命したとして、お前は私の眼に神が訴えなければ、私の指先を誤魔化せるんだよ。」
「うん。」
つるん、と、涙が顎まで伝う。
「お前が―――貴方が、死んでしまったら、他の誰が私達を救ってくれるんだ! 母を売女と罵り縊り殺したこの国を、誰が変えてくれるんだ! 思い直してくれ、私はお前に言われて死ぬのは怖くないとも。ゲヘナに全裸で投げ込まれても、獅子の踊る谷底でも構わない、私はどこへでも行くとも、お前が行けと言うのなら!」
「
「なのに、どうして、お前は誰からも好かれて愛されて、私以外にだって身代わりを申し出る子はいるだろうに、何故逃げてくれない。何故来たるべき戴冠の時まで、生きようとしない! ここで負けるのか、屈するのか! 何故! どうして!!」
「
「何故、何故お前は、敗北を認めるんだ。お前が言ったんじゃないか、神に遣わされる者の名を! この世を救う王の名を! そうだろう、
「
「それはお前が、山賊だからか? 私達は本当に何も持たない
「
わっと
「死ぬな、
「なあ、
「う…うう…。なに?」
「さっき、お前を抱いてここまで来ただろ。」
「うん。」
「俺が中風になってお前が飛びだして行って、帰って来た時、俺はお前の所にどうやって来たか、知ってるか?」
「………杖を、突いたと聞いた。」
「そうだ。あれから一年かけて、物は投げられないが、抱えられるくらいまで回復した。…理由を、教えたな? 覚えてるな?」
「………。」
いやいや、と、
「いやだ、言うな。」
「
「いやだ、分かりたくない。」
「
「そんなこと思わない。」
「
「嫌だ、いやだ、言わないで! 言わないで! 望むものか、神は絶対に正しく公正な存在なのに、その方に何故お前の死が望まれる! そんなのおかしい!」
「
「…でも、神は、備えを置いておかれたじゃないか。」
「ああ、そうだ。置いておかれた。だがそれを、彼は知らなかった。神は、彼が最後には神が全て良くしてくださると信じる事を、知っていた。知っていたからこそ、命じたんだ。」
「ああそうだ、あの方は偉大な信仰の持ち主だ。あの方なしには、大王も、賢王も、私もお前も、否、私達の母すら、居なかっただろう。だがお前は忘れているよ、
そう叫んで、
―――俺の腹心と見込んで、話がある。…倒れていた間の事なんだがな。俺ももう、年貢の納め時らしい。―――神の、声を聞いた。俺は死ぬ。丁度一年後の今日、俺は死刑を執行される。それで、俺は神に取引を持ちかけた。それについての話だ。まだ、誰にも言っていないし、誰にも言うなよ。二人だけの秘密だ。怖がるといけねえから。
一年前の今頃、
「熱に
長々と話された夢見物語のような話が終わったと、視線を感じ、
「何だかよく分からないよ、
「おいおい、それお前が言うのか? ―――王ならここにいるだろう。」
そう言って、
「………。………。え、わたし?」
「他に誰がいる? 俺に奇跡を起こす手伝いをさせているのは、お前だけだぜ。」
「おい
「えー? だって、お前が歌うと何でもその通りになんじゃんか。」
「そんなの、お前が歌えばそうなると言ってくれるから…。…いや、いいや。この話は終わらないから。」
そんな事より、と、
「それはいいとして、要するにお前はあと一年の命だとでも言いたいのか? 私達を置いて一人で死ぬとでも? 少なくとも今の私が認知できていない王のために!」
「おう。」
シュッと
「人は皆死ぬ、
「冗談じゃない! 人は生きるんだ、
眠りに落ちた
だが何も心細いだけではなかった。見えないが、すぐ近くで岩を叩く鉄の音がする。きっと
「―――………。」
「…うわああっ!」
一歩、進もうとして、慌てて踏みとどまる。道が途切れていた。途切れているというより、抉れているというべきだろうか。
「この先の道は、出来上がっていません。丁度あと一人、鉱夫が足りないのです。あと一人居れば、王が来るのに間に合うのに。」
「王? その王は、
「その王を形作られた方、そのものがお座りになる玉座が、この山の向こうにあるのです。」
「その王は、今どこにおられるのですか。」
「玉座への道が整えられるのを待っています。王は、道が整えられるのを待っておられます。」
「私のような
すると青年は、手を差し出した。その手を取れば、足元の穴は造作もなく越えられそうだ。
「玉座へと至る為に、あと一年必要です。もう道具は、
「でも、そうすれば、王はいらっしゃるのでしょう? 私の弟や、私を慕う少女や少年が、王の平和の統治の下暮らせるのであれば、この
「お前は私の愛する子。私はお前を歓ぶ。」
鳩の群れの中で、一際輝いた、水面の月のような一匹が、自分の顔の目の前に
「一年後、この命を差し上げます。ですので、私の愛する者たちを、どうぞ、神の国に、神に選ばれた民の末席に、お加えください! 彼等も彼等の母も、罪は犯しておりません!」
鳩は答えず、羽ばたく音がどんどん大きくなり、辺りは輝く鳩の羽根で白くなっていった。
「………!」
目を覚ますと、朝日が顔の、目元だけに集中して差し込んでいた。夢の中で青年が掴んだ筈の掌は、まだ眠っている
それを感じ取るだけで、
「一年後、お前の勝利と戴冠の時、私はお前の所にいないのだろう。喜んでこの命を差し出そう、お前の為なら。我が王、我が牧者、どうか、御心通りに行われますように。」
主はわが
主は我をみどりの野にふさせ いこひの
主はわが
たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも
なんぢわが
わが世にあらん限りはかならず
―――そうして、一年が過ぎた。何もかもが、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます