第五節 婚礼
翌日になって、頭領が朝早くから皆を招集し、朝食の席に座らせた。どうやら次の仕事は、大規模な計画になるらしい。
「これから行くマグダラ村は、ガリラヤ湖の西沿岸部にある漁村だ。そこで三日後、エルサレムの大司祭のぼんぼんが、村一番の美少女を嫁に迎える。普通なら有り得ない身分格差の縁談なんだが、どうやら過越祭の時に見初めたらしくてね。親の弱みを握って、許嫁も捨てて、結婚することにしたらしい。無論、娘の意思はない。俺達が今回盗むのは、ずばり『花嫁』だ。その他の女子供は好きにして良いし、葡萄酒だろうと果物だろうと奪って構わねえ。ああ、でも羊は、出来れば傷のない牡の子羊にしな。祭りがあるしな。」
盗んできた物を使って祭りに参加するのか、と、
「『花嫁』だけは指一本触れるな。俺が直接盗む。例え劣勢になっても手出しは不要だ。
「今回の仕事が、各自がどれだけ暴れまわれるか、式は勿論、村をどれだけ攪乱出来るかにかかっている。皆、いつもよりしっかり暴れるんだよ。私も頭領も、重要なところにしか行けないからね。」
穏やかに物騒なことを言う
「ご心配なさらずとも、
「黙れ、ちんちくりん。」
ぴしゃりと否定したのは、
「おじ様をお守りするのはぼくの役目だ。お前にこんな大仕事、勤まるもんか!」
「あー、
ざりざり、と、もじゃもじゃのもみあげを掻いて、頭領が言った。これには
「何故です、お
「落ち着け
「あの葦は、昨日│
「
厳しい声で諫めたその声は、しかし
「口が過ぎるぞ、
「いいえ…。ぼくは、ただ―――」
「もういい、結束が乱れる。今回の仕事はさっきも言ったとおり大仕事だ。雑念はいらん。
「………。はい、お
子犬のように惨めにしょぼくれている
「
そう言っている内に、
「
「なな個の石投げを、しち回作りやした。」
ということは、四十九あるのか。それは重そうだ、と、考えていると、ビシッと
「嘘こくない、七十はあるぞ、この厚み! ちゃんと数を覚えろって言っただろ! また七までしか数えられなかったのか!」
「ななをしち回数えて、それを朝昼晩、みっかにちょっと欠けるくらい作ったんでさ。だからそンくらいでさ。」
恐らく
「勉強不足だ。花嫁が手に入ったら、身代金の計算の仕方をたたき込むからな。」
「ひぇっ! タマが縮こまる!」
「タマはお前に何個ついてるか、言えるか?」
「………。………。みっつでさ。」
「バケモンかお前は!」
「あいたっ!」
眩暈がするほど程度の低い会話に
「…ったく、出鼻を挫かれたぜ。野郎共! 出発だ! この
「おおおーっ!」
馬の鞍に乗っていた装備をひらりと纏うだけで、軍を率いる王のように見えた。その装備はただの外套で、腰に乱暴に剥身の剣が刺さっているだけだというのに。そしてその剥身の剣は鋼ではなく、石ですらない、木製だというのに。
頭領は、ただ粗暴なだけの統率者ではないのだろう。その理由について、
出発して二日目の夜。ガリラヤ湖で、頭領、
「
「頭領、いつまでも隠しておくものでも無いよ、話しておやりよ。」
そう言いつつ、
夜中、誰かが話をしていたような気がする。
睡眠もそこそこに、空の色が薄くなった頃、頭領に蹴り起こされた。乱暴にするんじゃない、と、
「頭領、頭領、―――
小高い丘の上まで来た時、
「なんか言ったか、
「逸り過ぎだ。心配しなくてもマグダラ村にもガリラヤ湖にも想定外の動きは―――。」
「ンなこた分かってんだよ! それでも気が休まらねえのが男ってモンだ! ―――この辺で良いか。」
その視線の先には遠く、村が見える。あれが恐らくマグダラ村だ。
「行くぞ。視ろ、
頭領は馬から飛び降り、馬の首に提げた石投げを両手に二つずつ取ると、四つしかない指の谷間を器用に使い、同時に回し始めた。石は風と力を纏い、あっという間に凶悪な鏑矢のような音を立てる。聞いているだけでざわざわと危険を知らせる本能が騒ぎ出す、そんな音だ。
「―――今だ!」
『総員突撃!』
耳のすぐ後ろで、頭領が叫ぶ。しかし驚いて振り向くと、
「何してる
慌てておかを駆け下り、
「
「村の一番高いところに、召使い達といる! でもまだ―――。」
「へっ、暴れ足りねえってか。」
「逃走準備をしてるみたいだ。村から出たところを掠った方が良い。」
「そりゃご機嫌だな。こんな村、ぶっ潰してやれ!」
屁っ放り腰で突撃してきた中年男の額を木刀で叩き割り、頭領は倒壊した家屋の上を馬でよじ登り、石投げを更に投げて降らせ始めた。本来なら敵味方問わず、無差別に落ちていくだろうに、不思議とそれらの石投げは、家屋だけを破壊していく。無論、その家の中で誰かの脳天を砕いている可能性はなきにしも非ずだが。
「
「はっ、はいっ!」
少し躊躇った事は事実だ。ここで殺せば、
「
その言葉が後押しとなり、
どこからか甲高い娘の悲鳴が聞こえた。だが外にいるのは男ばかりだ。と言うことは、娘達や子供は家の中にいるのだ。何が起こったのか察して、
「今はまだいい。でも覚えておくんだ。これが男だ。これが女だ。そうして行われたの果てに産まれたのが、私達なんだよ。愛などなくても子は授かる。けれどもいつだって、その試練を主は女にしか与えない。こうして産まれたんだ、私達は。人の営みは、乱暴で、
「はい、はい、その通りです、
「主はそのように男を創られ、産みの苦しみを女に与えたんだ。それは人祖が犯した罪の故に、私達は醜い方法でしか
もし、愛し合う夫婦がいて、その夫婦が可愛い孫にも恵まれていたならば、その言葉を否定し、子供の清らかさを説くだろう。
だが、此処にはそんな両親の情愛を知る者はいなかった。
と、ハッと
「頭領! 裏の門だ! 侍女が三人、奴隷が三人、それから―――義父がいる。」
「へっ、あの腐れ禿、まだ生きていやがったか。上等だ!
そう言うと、またしても頭領の馬が大きく跳躍し、建物から飛び降りた。
逃走する花嫁一行を華麗に飛び越え、頭領は先行していた奴隷の上に、馬の蹄を乗せて着地し、損ねた一人を後ろ足で蹴り殺し、くるりと向きを変えて、三人目の奴隷の首を横薙ぎにして殺した。侍女達は突如目の前に降り立った悪魔のような男に絶望しきった表情で、お互いを抱き合っている。花嫁は、彼女の義父になる筈だった男が抱きしめていた。
頭領はその男を知っていた。
「よォよォ、親父殿。まだくたばってなかったのか。大司祭ってなァ、引退しても儲かるからねえ。婿養子にしたあの
「旦那様、この狼藉者は一体…。」
「お義父さま…。」
怯える娘達を見て、頭領の眉間の皺が一本深くなる。馬から飛び降り、義父の―――より正確に言えば、死んだ生母から取り上げ、自分を跡継ぎとして育てながら、絶縁した愛娘とですら結婚は許さなかった、頭領の育ての親の眉間に木刀を突きつけ、頭領は言った。
「花嫁を置いていけ。そうすればあと三年は生かしておいてやる。」
それを聞いた花嫁は、ふるふると震えながら義父の服を掴む。その光景を見た瞬間、頭領の口の奥から、グッと義父達にも聞こえるような大きな歯ぎしりの音がした。彼らが答えを言う前に、頭領は石投げを掴み、まっすぐに投げ、義父の肩を撃ち抜いた。石打の刑に処しても、頭を割ることは難しいのに、拳ほどの大きさもない石投げが、目の前で人の身体を貫いたのだ。悲鳴を上げるのも忘れ、娘達の腰が抜ける。義父は花嫁を離し、傷口に引っかかったままの石投げをぶらぶらと揺らしながら、奇声を上げてのたうち回る。ぺっとその顔に唾を吐きかけ、頭領は震える花嫁の腕を掴んだ。
「ひっ! お、おゆるしを、…わ、わたし、と、嫁がないと―――。」
「悪ィな。ちょっと先に馬に乗っててくれ。」
ひょい、と、片腕で花嫁を馬の上に座らせる。その手つきが、腕を掴んできたその掌が、花嫁が落馬しないように、丁寧に彼女を座らせたことに、花嫁は呆気にとられた。
「な、何してるお前達! は、は、花嫁を守らんか! お前達三人売っても取り返せない生娘だぞ!」
ぎゃあぎゃあと尚も喚く義父を見て、頭領は彼らを捨て置くことを止めた。女が商売道具になることも、家系を繋ぐための借り腹になることも、頭領は別になんとも思わない。だがこの花嫁に関してだけは違ったのだ。その花嫁を『娘三人』と、商いに擬えたことが、酷く癇に障った。
「うるせぇな、このインポ爺。嫁ぐ男もいなくなってンのに、花嫁も鼻くそもあるか。」
ひいひいとのたうち回っていた義父は、はっとして顔を上げた。聡明な男は、花嫁が嫁ぐはずだった男―――数日前から行方不明だった、妾腹の長男が、もうこの世にいないことを悟った。
「き、きさま…ァァァアアア!!! どこまでも、どこまでも恩知らずな!!!
「へっ! 言ってくれるねえ! その
「わしの剣を取れ、女共! もうならぬ、法の裁きなどいらぬ、ここで殺せ! この不信心ものを殺せ!! ユダヤ教の頂点であるこのわしに楯突くテロリストを赦すな! 殺せ!! 殺せ!!!」
だが娘達は動かなかった。逃げもしない。刃向かいもしない。ただ震えて互いを抱き合っている。それを見ていた花嫁が、震える声で頭領に話しかけた。
「あ、あの、どうかお慈悲を…。貴方に従います、ですから、おとう―――ひっ!」
お義父さま達を見逃して。
恐らく花嫁は然う言いたかったのだろうが、言葉の途中で頭領が木刀を抜き、血の染み込んだ先を花嫁に突きつけた。
「今日限り、奴を『父』と呼ぶな。呼べばお前は殺さないが、お前の近しい者が死ぬぞ。」
花嫁が涙を浮かべて頷くと、何故か頭領は満足そうではなく、気まずそうな顔をして、足下の砂を義父に蹴りかけた。
「…ふん、時間をかけすぎたな。」
頭領は顔についた砂を払っている義父の顔に唾を吐き捨てると、花嫁のすぐ後ろに跨がり、その場から駆けだした。
『総員撤収!』
頭領以外の盗賊達と
その理由も、先ほど
「
詰りすぎて喉が渇いたと、
「そうだよ。私は養母によれば、腐らなかった母の屍の中から取り出されたんだそうだ。その時、目をね…。腹を割いた時に、傷つけられてしまったんだそうだよ。養母は私に乞食の方法を教えて、ある時出かけて帰らなくなってしまったんだ。…その時、この『眼』をね。頂いたんだ。多分、天の父―――どんな方法であれ、私を母に授けた、その御方がね。」
「具体的には、何がお視えになるのですか?」
「未来や、全く私の与り知らない事、人の心の中以外は、大抵視えるよ。だから
「では、頭領が今どこにいるのかも?」
「分かるとも。具体的にいうと、彼は今、花嫁を仕立て直しているから、もう少し時間がかかるんじゃないかな。でもすぐに
そう言うと、
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