第五節 婚礼

 翌日になって、頭領が朝早くから皆を招集し、朝食の席に座らせた。どうやら次の仕事は、大規模な計画になるらしい。若頭わかがしに準備をさせながら、頭領は朝食を囲ませつつ、朗々とした声で説明した。

「これから行くマグダラ村は、ガリラヤ湖の西沿岸部にある漁村だ。そこで三日後、エルサレムの大司祭のぼんぼんが、村一番の美少女を嫁に迎える。普通なら有り得ない身分格差の縁談なんだが、どうやら過越祭の時に見初めたらしくてね。親の弱みを握って、許嫁も捨てて、結婚することにしたらしい。無論、娘の意思はない。俺達が今回盗むのは、ずばり『花嫁』だ。その他の女子供は好きにして良いし、葡萄酒だろうと果物だろうと奪って構わねえ。ああ、でも羊は、出来れば傷のない牡の子羊にしな。祭りがあるしな。」

 盗んできた物を使って祭りに参加するのか、と、真槍しんそうは面食らったが、ここは気にするべき所ではないと考え、話の続きを聞いた。

「『花嫁』だけは指一本触れるな。俺が直接盗む。例え劣勢になっても手出しは不要だ。天眼てんがんが見張ってるからな、余計な野心や下心は、村の女子供で発散させろ。」

「今回の仕事が、各自がどれだけ暴れまわれるか、式は勿論、村をどれだけ攪乱出来るかにかかっている。皆、いつもよりしっかり暴れるんだよ。私も頭領も、重要なところにしか行けないからね。」

 穏やかに物騒なことを言う天眼てんがんの顔は、何だか晴れない。真槍しんそう天眼てんがんに申し出た。

「ご心配なさらずとも、天眼てんがん様はぼくがお守り致しま―――。」

「黙れ、ちんちくりん。」

 ぴしゃりと否定したのは、柳和やなぎわだった。なんといつの間にか馬に乗っている。それも、真槍しんそうがローマ兵であった頃に乗っていた馬よりも大きい。毛並みは良くないが、戦場に出ていても問題ないような、実に大きな馬だった。しかもこの馬には、手綱がない。柳和やなぎわは手綱を握らず、太股と脹脛の筋肉だけで馬を乗りこなしている。確かにこれだけ大きな馬なら、手綱を見つけるのもつけるのも、作るのも大変だろう。だからといって、そんなところを横着しては、防げる危険も防げまいに。

「おじ様をお守りするのはぼくの役目だ。お前にこんな大仕事、勤まるもんか!」

「あー、柳和やなぎわ、悪いが今回、お前はそっちじゃない。」

 ざりざり、と、もじゃもじゃのもみあげを掻いて、頭領が言った。これには柳和やなぎわを初めとした全ての盗賊が驚いたようで、目を丸くする。それは真槍しんそうを軽んじているからではなく、今までに前例がないからだろう。そんな驚き方だった。当然、柳和やなぎわは馬からひらりと降りて、食卓に駆け寄った。

「何故です、おとうさま! ぼくは前回の仕事でも、その前でも、一度も大きなしくじりはしていないじゃないですか!」

「落ち着け柳和やなぎわ、そうじゃなくて―――。」

「あの葦は、昨日│若頭わかがしが連れてきた不良品です! そんな奴におじ様の護衛なんて―――。」

柳和やなぎわ!」

 厳しい声で諫めたその声は、しかし真槍しんそうにとってはどこか懐かしいものだった。幼い頃、悪戯が過ぎた時、母からあんな風に叱られた記憶がある。しかし柳和やなぎわは、死刑判決でも受けたかのように怯えて縮こまった。

「口が過ぎるぞ、柳和やなぎわ。あいつは天眼てんがんが認めて、傷も治して、脚にも祝福をしてるんだ。俺も仲間に入れることを認めた。あいつは俺の息子も同じ、お前の弟分でもあるんだぜ。それに不満があるのか?」

「いいえ…。ぼくは、ただ―――」

「もういい、結束が乱れる。今回の仕事はさっきも言ったとおり大仕事だ。雑念はいらん。柳和やなぎわ、花嫁をもてなす準備を女達としておけ。火の番でもなんでも、出来ることをさせてもらうといい。」

「………。はい、お頭様とうさま。」

 子犬のように惨めにしょぼくれている柳和やなぎわは、何だか酷く憐憫の情を誘った。慰めに行こうか、と、とぼとぼと奥へ消えていく柳和やなぎわを追いかけようとすると、頭領に止められた。

真槍しんそう、さっき言った通り、天眼てんがんの護衛はお前の仕事だ。今回は状況が激転することが予想される。天眼てんがんは武器を持てないからな、しっかり前線で護れよ。天眼てんがんが集中して物見をするのを手伝え。道中三日間、飯炊きも水汲みもきちんとこなせよ。天眼てんがんが持たねえからな。」

 そう言っている内に、若頭わかがしが頭領の者らしい馬を引いてくる。馬の首をまたぐように、何か思い者を両端に詰め込んだ長い布が、拳一つ分くらいの高さになるまで積み上げられてぶら下がっている。重そうだ。馬が少し可哀相になった。頭領も似たような感想を持ったらしく、馬の首を労りながら、若頭わかがしに尋ねた。

若頭わかがし、石投げはどれくらい作った?」

「なな個の石投げを、しち回作りやした。」

 ということは、四十九あるのか。それは重そうだ、と、考えていると、ビシッと若頭わかがしの額が弾かれた。

「嘘こくない、七十はあるぞ、この厚み! ちゃんと数を覚えろって言っただろ! また七までしか数えられなかったのか!」

「ななをしち回数えて、それを朝昼晩、みっかにちょっと欠けるくらい作ったんでさ。だからそンくらいでさ。」

 恐らく若頭わかがしは『なな』と『しち』が、同じ数であることを理解していない。

「勉強不足だ。花嫁が手に入ったら、身代金の計算の仕方をたたき込むからな。」

「ひぇっ! タマが縮こまる!」

「タマはお前に何個ついてるか、言えるか?」

「………。………。みっつでさ。」

「バケモンかお前は!」

「あいたっ!」

 眩暈がするほど程度の低い会話に真槍しんそうは大きく溜息を吐いた。こんな頭の悪い、学のない奴に、自分のいた隊が全滅させられたのかと思うと、ローマの未来を嘆かずにはいられない。否、今更ローマに戻る気などないのだが。

「…ったく、出鼻を挫かれたぜ。野郎共! 出発だ! この音声おんじょうの言葉を聞き逃すなッ!」

「おおおーっ!」

 馬の鞍に乗っていた装備をひらりと纏うだけで、軍を率いる王のように見えた。その装備はただの外套で、腰に乱暴に剥身の剣が刺さっているだけだというのに。そしてその剥身の剣は鋼ではなく、石ですらない、木製だというのに。

 頭領は、ただ粗暴なだけの統率者ではないのだろう。その理由について、真槍しんそうにはまだ分からないのだけれども。


 出発して二日目の夜。ガリラヤ湖で、頭領、天眼てんがん真槍しんそう以外の盗賊は、村から舟を根こそぎ拝借し、ぞろぞろと沖へ漕ぎ出していった。頭領の言葉がけもなく、余りにも手際よく彼らは統制されている。彼らは今夜一晩を湖上で過ごし、明朝湖の方から奇襲をかけるのだという。陸路で襲撃するのは、頭領、天眼てんがん真槍しんそうだけだ。今夜はマグダラ村の近くにある高台で野宿することになっている。

天眼てんがん様、あんなに遠くては、頭領の声は聞こえないのではないですか?」

 真槍しんそうは後ろに座り、自分の腰を掴んでいる天眼てんがんに尋ねた。何のことはない。真槍しんそうの身長、基腕の長さでは、天眼てんがんを収めて手綱を握れなかったのだ。しかし目の見えない者に手綱は握れないし、今回はどうしても何が何でも行くと真槍しんそうも譲らなかったし、頭領も真槍しんそうを置いて行く気はないようだったので、仕方なく天眼てんがんの身体の前で、真槍しんそうが手綱を握ることになったのだ。年の差が二十もあるのだから仕方がない。

「頭領、いつまでも隠しておくものでも無いよ、話しておやりよ。」

 そう言いつつ、天眼てんがんも自分で話すことはしないらしい。真槍しんそうが少なからず頭領に敵意があることもあるだろう。だが頭領は、暗闇の中で、月の光にもじゃもじゃの髭をちらりと光らせるだけで、何も言わず、勝手に野宿の準備を始めてしまった。天眼てんがんは溜息を吐き、真槍しんそうにも準備をするように求めた。二人が寝床を作ったり、焼いたパンや苦菜を取り出したりしている間、天眼てんがんは手探りで薪を並べて組み立てていた。大分手慣れているように見えるが、やはり顔はそっぽを向いているし、ゆらゆらと身体が動き、手もうろうろと宙を彷徨いながら、それでもてきぱきと支度をしているようである。本当に見えてないのだな、と、思うのと同時に、その有様はどこか物乞いのようで、哀れっぽくて、見ていて気持ちの良いものではなかった。まるで自分たちが、彼が奴隷のように扱っているみたいだ、と、思ったのだ。


 夜中、誰かが話をしていたような気がする。

 睡眠もそこそこに、空の色が薄くなった頃、頭領に蹴り起こされた。乱暴にするんじゃない、と、天眼てんがんに窘められたが、どうにも興奮しているらしい。朝食を獣のように貪り、早々と馬を駆り立てた。パンを葡萄酒で流し込み、慌ててその後を追いかける。馬術ではそこそこの成績を持っていた真槍しんそうだが、追いつけない。

「頭領、頭領、―――音声おんじょう!」

 小高い丘の上まで来た時、天眼てんがんから、聞いたことのない名前が飛び出した。否、一昨日くらいに正確には頭領が一度だけ言ったっけか。それで漸く、頭領の馬が止まる。

「なんか言ったか、天眼てんがん。」

「逸り過ぎだ。心配しなくてもマグダラ村にもガリラヤ湖にも想定外の動きは―――。」

「ンなこた分かってんだよ! それでも気が休まらねえのが男ってモンだ! ―――この辺で良いか。」

 その視線の先には遠く、村が見える。あれが恐らくマグダラ村だ。真槍しんそうには見えないが、きちんと人の営みがあるのだろう。少なくとも寂れてはいない。ガリラヤ湖の方から、舟がじわじわと忍び寄っている。村はそんな気配に気付く良しもない。

「行くぞ。視ろ、天眼てんがん。」

 頭領は馬から飛び降り、馬の首に提げた石投げを両手に二つずつ取ると、四つしかない指の谷間を器用に使い、同時に回し始めた。石は風と力を纏い、あっという間に凶悪な鏑矢のような音を立てる。聞いているだけでざわざわと危険を知らせる本能が騒ぎ出す、そんな音だ。天眼てんがんは深呼吸し、何か意識を集中させている。何が起こるのだろう、否、何を行うのだろう、と、真槍しんそうはじっと観察していた。

「―――今だ!」

 天眼てんがんの叫びに呼応して、計四つの石投げが回転しながら飛んでいく。空高く高く飛んでいき、太陽に隠れた辺りで、まるで天罰が下るかのように、マグダラ村に垂直に落下した。

『総員突撃!』

 耳のすぐ後ろで、頭領が叫ぶ。しかし驚いて振り向くと、天眼てんがんの腹があった。天眼てんがんの声ではない。何が聞こえたのか、と、考える間もなく、頭領は再び馬に跨がって走り出してしまった。

「何してる真槍しんそう! 行くぞ! 花嫁を強奪する!!」

 慌てておかを駆け下り、真槍しんそうは頭領の馬の尻尾を追いかけた。村からは煙がどこかしこに上がり、手下達が暴れているのだと分かる。頭領は右手に剥身の木刀を握りしめ、強く馬を踏み込ませると、まるで馬に翼が生えているかのように宙を跳躍し、村の中心へ飛び込んだ。真槍しんそうにはとてもじゃないが真似できない、度胸と馬の脚力の成せる技だ。真槍しんそうは確実に馬の蹄を地面に叩きつけながら、村の中へ突入する。既に盗賊達が暴れ、女達の阿鼻叫喚が響き、何人かの男は倒れていた。先ほどの獅子投げが破壊したらしい屋根が、ごろごろと石を零して崩れていく。そんな中でも、頭領は容赦なく次の石投げを投げ、建物を破壊していった。どこかに隠れていたのだろう住人が、それに驚いて外に飛び出したところを、盗賊達が待ち構えている。

天眼てんがん! 何処だ!」

「村の一番高いところに、召使い達といる! でもまだ―――。」

「へっ、暴れ足りねえってか。」

「逃走準備をしてるみたいだ。村から出たところを掠った方が良い。」

「そりゃご機嫌だな。こんな村、ぶっ潰してやれ!」

 屁っ放り腰で突撃してきた中年男の額を木刀で叩き割り、頭領は倒壊した家屋の上を馬でよじ登り、石投げを更に投げて降らせ始めた。本来なら敵味方問わず、無差別に落ちていくだろうに、不思議とそれらの石投げは、家屋だけを破壊していく。無論、その家の中で誰かの脳天を砕いている可能性はなきにしも非ずだが。

真槍しんそう、ぼやっとしていると危ない。頭領の近くに行っておくれ。人が入り乱れすぎてて、流れ矢に当たるかも知れない。」

「はっ、はいっ!」

 真槍しんそうはなんとか頭領と同じ建物に上ろうとしたが、あまりにも足場が悪く、とてもじゃないが上れない。倒壊の少ない小さな民家の脇に、六つの瓶が置いてあった。瓶を一つ踏み壊して、その屋根によじ登ると、壊れた瓶からほんわりと良い匂いが漂う。上等な葡萄酒が入っていたのだろう。勿体ない。この音に気がついて、何人かの村人が、まだ誰も殺していない真槍しんそう天眼てんがんに殺意を向け、走ってくる。

 少し躊躇った事は事実だ。ここで殺せば、真槍しんそうは立派に犯罪者だ。頭領も、無理に山賊をさせるつもりはないと言ったのだ。だがすぐに、あの死んだ百人隊長を思い出す。自分がまだ一兵卒だった頃に、あの人も寂れた村や男手のない村を見つけたり、訳ありの女達の集まりを襲ったりしては、強姦した挙げ句、殺していたのだ。ローマ兵はユダヤ人にとって暴虐の輩であり、それは誰だって然うなのだ。だが、真槍しんそうから視れば、目の前の殺意に白目を剥いている人々は、顔も知らない父の縁者かも知れないのだ。

真槍しんそう、この村にお前の縁者はいないよ。殺して構わない。今更だよ。」

 その言葉が後押しとなり、真槍しんそうは馬の脚を切ろうとした男の喉を突いた。崩れた身体が、後続の男達を押し潰して転落する。

 どこからか甲高い娘の悲鳴が聞こえた。だが外にいるのは男ばかりだ。と言うことは、娘達や子供は家の中にいるのだ。何が起こったのか察して、真槍しんそうの心臓が強く唸る。耳を塞いで、ぐっと吐き気を堪える。後ろから、天眼てんがんが安心させるようにそっと抱きしめた。

「今はまだいい。でも覚えておくんだ。これが男だ。これが女だ。そうして行われたの果てに産まれたのが、私達なんだよ。愛などなくても子は授かる。けれどもいつだって、その試練を主は女にしか与えない。こうして産まれたんだ、私達は。人の営みは、乱暴で、醜穢しゅうえなんだよ。」

「はい、はい、その通りです、天眼てんがん様。ぼくの母も、見知らぬ男に強姦されて、ぼくを孕んだんです。」

「主はそのように男を創られ、産みの苦しみを女に与えたんだ。それは人祖が犯した罪の故に、私達は醜い方法でしか繁殖ふえないんだよ。」

 もし、愛し合う夫婦がいて、その夫婦が可愛い孫にも恵まれていたならば、その言葉を否定し、子供の清らかさを説くだろう。

 だが、此処にはそんな両親の情愛を知る者はいなかった。真槍しんそうも、天眼てんがんも、若頭わかがしも、頭領でさえ然うだった。この盗賊団にいるのは、そうやって母を無残に奪われた者達だったからだ。

 と、ハッと天眼てんがんが顔を上げた。

「頭領! 裏の門だ! 侍女が三人、奴隷が三人、それから―――義父がいる。」

「へっ、あの腐れ禿、まだ生きていやがったか。上等だ! 天眼てんがん真槍しんそう。お前達は退路にいろ。退却号令は俺が出す!」

 そう言うと、またしても頭領の馬が大きく跳躍し、建物から飛び降りた。真槍しんそうは言われたとおり、元来た道を戻った。馬ごと隠れるような大きな無花果の茂みの中に飛び込み、身を隠した。


 逃走する花嫁一行を華麗に飛び越え、頭領は先行していた奴隷の上に、馬の蹄を乗せて着地し、損ねた一人を後ろ足で蹴り殺し、くるりと向きを変えて、三人目の奴隷の首を横薙ぎにして殺した。侍女達は突如目の前に降り立った悪魔のような男に絶望しきった表情で、お互いを抱き合っている。花嫁は、彼女の義父になる筈だった男が抱きしめていた。

 頭領はその男を知っていた。

「よォよォ、親父殿。まだくたばってなかったのか。大司祭ってなァ、引退しても儲かるからねえ。婿養子にしたあのもやしは元気かい? そういやさっき、うちのが上等な葡萄酒の瓶を一つ蹴り割ったけど、ありゃあアンタの差し入れかい?」

「旦那様、この狼藉者は一体…。」

「お義父さま…。」

 怯える娘達を見て、頭領の眉間の皺が一本深くなる。馬から飛び降り、義父の―――より正確に言えば、死んだ生母から取り上げ、自分を跡継ぎとして育てながら、絶縁した愛娘とですら結婚は許さなかった、頭領の育ての親の眉間に木刀を突きつけ、頭領は言った。

「花嫁を置いていけ。そうすればあと三年は生かしておいてやる。」

 それを聞いた花嫁は、ふるふると震えながら義父の服を掴む。その光景を見た瞬間、頭領の口の奥から、グッと義父達にも聞こえるような大きな歯ぎしりの音がした。彼らが答えを言う前に、頭領は石投げを掴み、まっすぐに投げ、義父の肩を撃ち抜いた。石打の刑に処しても、頭を割ることは難しいのに、拳ほどの大きさもない石投げが、目の前で人の身体を貫いたのだ。悲鳴を上げるのも忘れ、娘達の腰が抜ける。義父は花嫁を離し、傷口に引っかかったままの石投げをぶらぶらと揺らしながら、奇声を上げてのたうち回る。ぺっとその顔に唾を吐きかけ、頭領は震える花嫁の腕を掴んだ。

「ひっ! お、おゆるしを、…わ、わたし、と、嫁がないと―――。」

「悪ィな。ちょっと先に馬に乗っててくれ。」

 ひょい、と、片腕で花嫁を馬の上に座らせる。その手つきが、腕を掴んできたその掌が、花嫁が落馬しないように、丁寧に彼女を座らせたことに、花嫁は呆気にとられた。

「な、何してるお前達! は、は、花嫁を守らんか! お前達三人売っても取り返せない生娘だぞ!」

 ぎゃあぎゃあと尚も喚く義父を見て、頭領は彼らを捨て置くことを止めた。女が商売道具になることも、家系を繋ぐための借り腹になることも、頭領は別になんとも思わない。だがこの花嫁に関してだけは違ったのだ。その花嫁を『娘三人』と、商いに擬えたことが、酷く癇に障った。

「うるせぇな、このインポ爺。嫁ぐ男もいなくなってンのに、花嫁も鼻くそもあるか。」

 ひいひいとのたうち回っていた義父は、はっとして顔を上げた。聡明な男は、花嫁が嫁ぐはずだった男―――数日前から行方不明だった、妾腹の長男が、もうこの世にいないことを悟った。

「き、きさま…ァァァアアア!!! どこまでも、どこまでも恩知らずな!!! けだものの息子のくせに!!」

「へっ! 言ってくれるねえ! そのけだものが孕ませた子供に跡を継がせようとしながら妾に男が産まれた途端に奴隷に格下げしてくれた、ユダヤ教一の大司祭サマのツラ、俺ァ一生忘れねえぞ! そして今日『誰の』『何を』『どう』しようとしたのか、そりゃァ天の父以上に、この俺様が知ってらァ!!! おい侍女共!! この爺をここで見殺しにするのと、皆殺しにされるの、どちらが良いか選びな!!! どちらにしたって、娘は俺のものだ。命は大事にするんだな!!」

「わしの剣を取れ、女共! もうならぬ、法の裁きなどいらぬ、ここで殺せ! この不信心ものを殺せ!! ユダヤ教の頂点であるこのわしに楯突くテロリストを赦すな! 殺せ!! 殺せ!!!」

 だが娘達は動かなかった。逃げもしない。刃向かいもしない。ただ震えて互いを抱き合っている。それを見ていた花嫁が、震える声で頭領に話しかけた。

「あ、あの、どうかお慈悲を…。貴方に従います、ですから、おとう―――ひっ!」

 お義父さま達を見逃して。

 恐らく花嫁は然う言いたかったのだろうが、言葉の途中で頭領が木刀を抜き、血の染み込んだ先を花嫁に突きつけた。

「今日限り、奴を『父』と呼ぶな。呼べばお前は殺さないが、お前の近しい者が死ぬぞ。」

 花嫁が涙を浮かべて頷くと、何故か頭領は満足そうではなく、気まずそうな顔をして、足下の砂を義父に蹴りかけた。

「…ふん、時間をかけすぎたな。」

 頭領は顔についた砂を払っている義父の顔に唾を吐き捨てると、花嫁のすぐ後ろに跨がり、その場から駆けだした。

『総員撤収!』


 頭領以外の盗賊達と真槍しんそう天眼てんがんは、一足先にねぐらに帰った。真っ先に頭領に会いたかったらしい柳和やなぎわは、一番に飛び出してきたが、まだ頭領が戻っていないと知って、何をしていたんだと真槍しんそうを詰った。行けなかった事が余程悔しかったのだろう。天眼てんがんは、すぐに戻るから、と、宥めていたが、それえも柳和やなぎわの怒りは治まらなかった。暴れ疲れた盗賊達は、醜女の仲間達の作った料理に手をつけ、ある者は身体を拭いて貰い、ある者は誇張した武勇伝を繰り返していた。だが真槍しんそうが不思議だったのは、彼らは羊や銀貨の袋を持っていても、女や子供を一人も連れてきていなかった事だ。ということは、やはりここの醜女達は連れ去られてきた訳ではないのだ。美しい女が一人もいないし、連れてくるつもりもなかったのだ。

 その理由も、先ほど天眼てんがんが囁いた言葉が全てを物語っていた。とどのつまり、この盗賊団は、頭領が始めに言った通り、父親の知れない者だけで出来た盗賊団なのだ。だから自分が名前の知れない父親になることを、誰も望んでいないのだ。恐らく男達は、殺しはするが、犯しはしないのだ。

天眼てんがん様。天眼てんがん様も、そうなのですか?」

 詰りすぎて喉が渇いたと、柳和やなぎわがやっと離れてくれたのは、ねぐらの岩の裂け目に月が架かる頃だった。天眼てんがんは、何が、とも聞き返さず、答えた。

「そうだよ。私は養母によれば、腐らなかった母の屍の中から取り出されたんだそうだ。その時、目をね…。腹を割いた時に、傷つけられてしまったんだそうだよ。養母は私に乞食の方法を教えて、ある時出かけて帰らなくなってしまったんだ。…その時、この『眼』をね。頂いたんだ。多分、天の父―――どんな方法であれ、私を母に授けた、その御方がね。」

「具体的には、何がお視えになるのですか?」

「未来や、全く私の与り知らない事、人の心の中以外は、大抵視えるよ。だから真槍しんそう、お前の先祖のことも、すぐに答えられたんだ。でも、ものが見えてるわけではないから、めくらには違いないけどね。」

「では、頭領が今どこにいるのかも?」

「分かるとも。具体的にいうと、彼は今、花嫁を仕立て直しているから、もう少し時間がかかるんじゃないかな。でもすぐに柳和やなぎわに会いに行くし、呼びかけるだろうから、もう喧嘩けんかしなくて良いよ。」

 そう言うと、天眼てんがんは疲れたと言って、その場に寝っ転がってしまった。

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