射干玉の髪の簒奪者

デッドコピーたこはち

第1話

 姿身の前に立ち、私自身の髪を見る。金、白、赤、茶。生えている個所によって色は違うが、みな絹の様に滑らかで柔らか。染められていない天然の髪だ。肩まで伸びた私の髪は色とりどりの美しい流れストリームになっていた。

 だが、あと一つ。黒だけが足りない。闇よりなお黒い、あの髪が。


 今回の標的は『カラス』と呼ばれる暗殺者の女だ。全く日を浴びて居ないのかの如く病的に白い肌と、夜よりなお暗い漆黒の髪を膝まで伸ばした美しい女。純白のチャイナドレスを好んで身につけ、すらりと伸びたその真白い脚を惜しみなくさらしている。

 鴉は優れた格闘能力で武器やサイバネの持ち込みのできない場所での暗殺を得意としているようだ。男どもは彼女の美しさに惹かれ、そして殺されるのだろう。食虫花に食われるハエのように。

 その鴉を殺し、彼女の致死的に美しい黒い髪を奪うことで私は完成するのだ。


 1週間の尾行によって鴉の生活パターンを私は完璧に把握していた。

 鴉は毎日、夕方18時ころに自宅から出て、住居近くの屋台まで徒歩で行き、そこでお気に入りのライスヌードルを食べ、帰路に着く。これが、鴉の欠かすことのできない習慣であるようだった。この時に襲撃するのが一番効率的だと、私は結論付けていた。

 今日も18時になると、鴉はいつもと同じく住居を出た。私は鴉を尾行した。鴉が屋台に行く時にいつも通る人通りのない路地がある。そこを狙うつもりだった。

 鴉が大通りに差し掛かると、人混みの中で私は鴉を見失いかけた。PVCコートの下に水着を着た女、くたびれたスーツを着た客引き、両腕を戦闘用義手に置換した大男を押しのけ、鴉に追いすがる。少し、距離を離されてしまった。かろうじて鴉が例の路地へと入ったのが見え、私は慌ててそれを追いかけた。急いで角を曲がると細い路地の奥で鴉が待ち構えていた。

「こんにちわ」

 鴉は柔和な笑みを浮かべていった。その右手には緋い扇が握られていた。路地には不法投棄されたゴミ袋が落書きだらけの壁沿いに山積みになっており、物が腐っていくすえた臭いがした。

「……もう、夜だけど?」

 私は動揺を隠しながらいった。

「わたしは、いつでもこんにちわなんだよ」

 鴉は笑った。

「お姉さん、わたしに何か用なのかな?強盗?復讐?それとも賞金が目当て?」

「ふん、私は天牛テンギュウ。君のその髪が目当てなんだよ。君のその美しい黒い髪がね……」

 私は答えた。近場で見ると、鴉の黒髪の美しさがよりよくわかった。濡れた鴉の羽根の様に黒く髪が、頭頂部から膝あたりまで清流のごとく滑らかに流れている。

「どういうこと?」

 鴉は首を傾げた。

「私の髪を見ろ。これは最高の髪を持つ23人の女性から殺して奪い、頭皮を移植したものだ。君で24人目……これで私は完璧な頭髪の持ち主となる。完全な美だ」

 私は自分の滑らかな髪の一房を撫でながらいった。ちょうどそこは私の姉が持っていた金髪だった。私が最初に奪った髪。ずっと羨ましかった金糸のような髪。鴉から髪を奪った暁にはこの髪の隣に移植するとしよう。

「あなた、本当にくだらないことをしてるね」

 鴉は手に持っている緋い扇を僅かに開き、口を隠してふふっと笑った。明らかに嘲笑と侮蔑を含んだその笑顔を見て、私は自分の頭に血が上るのを感じた。だが、私は大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせた。激情に身を任せてしまえば、目的を果たすことができない。経験からわかっている事だが、髪の質とその髪の持ち主との知性は比例しないものなのだ。

「……まあ、理解しなくても良い。君はここで死ぬからな!」

 銃は使わない。私は袖に隠してあった鎧通しアーマーピアサー――刺突のみに特化させた刃のない短刀――を右手に持った。私が鎧通しアーマーピアサーを使うのは、髪を傷つけずに相手を殺す為だ。

「ああ、怖い、怖い」

 鴉はまた手に持っている扇で口を隠し、笑った。

 相手の挑発に乗る気はない。私は姿勢を下げ、地面を舐めるようにして駆け出した。ほんの数歩で鴉を射程に捉えた私は、鎧通しアーマーピアサーを鴉の心臓目がけて突き出した。

 鴉は扇で鎧通しアーマーピアサーの突きを受けた。扇の骨には金属が入っているようで、衝突の瞬間硬い感触がした。鴉がくるりと舞う様に手首を返すと、鎧通しアーマーピアサーが絡めとられた。

「しまった!」

 私は手を離れた鎧通しアーマーピアサーに気を取られ、扇を手放した鴉が踏み込みと共に放つ掌底への反応が遅れてしまった。

「ぐっ」

 腹部への衝撃によって息が詰まる。よろめいた私が顔を上げると、そこには飛び上がる鴉の姿があった。打点の高い右飛び膝蹴りをなんとか手のひらで受け、追撃を受けない様にと押し返す。鴉は左足で着地し、右足を私の股の下に差し込んでさらに踏み込んだ。私はほぼ密着した状態から鴉の鉄山靠を受け、吹き飛ばされた。

「うぐっ」

 路地裏に山積みにされたゴミ袋が私の身体を受け止めた。私が受ける筈だった運動エネルギーを肩代わりしたゴミ袋のいくつかが破裂し、私は腐りかけの生ゴミにまみれた。

「お姉さん、弱いね」

 鴉は私を見下ろしながら、手招きするような仕草をした。

「クソが!」

 私は弾かれるようにして跳び起きた。その勢いのまま、鴉に右ローキックを放つ。鴉は腿を上げてそれを脛で受けた。私がすかさず右足を引き戻し、今度は上段前蹴りを放つと、鴉は一歩退きながら左手で蹴りを払った。そして、私はまた蹴りを打ったばかりの右足を引き戻し、身を捻って横蹴りを放った。鴉が飛びのくと、私の横蹴りは空を切った。

「くだらないよ。お姉さん。何もかもくだらない」

 鴉は笑った。だが、眼は笑っていなかった。少しも面白くなさそうな、冷たい笑みだった。鴉は両腕を後ろに組みながら後ずさりして、さらに距離を取った。

「舐めるな!」

 私は鴉との距離を走って詰め、鴉の顔面目がけて前蹴りを打った。走り込んだ勢いが加わった渾身の一撃。まともに食らわせられれば、鴉を昏倒させることができるはずだ。

 鴉は身を横に捻った。

「……!」

 次の瞬間、鴉の放ったサソリ蹴りが私の顔面に突き刺さっていた。鴉の右脚と身体は、私の右脚に絡みつくようにして湾曲しながら蹴りを避けていた。攻防一体の神業だった。

 脳を揺らされて、ふらつくが、何とか歯を食いしばって耐えた。私の鼻が折れているのに気づく。鼻孔から鼻血が流れ出て来た。

「ああ、この」

 手で鼻を抑えるが、鼻血は止まる気配はない。指の間から生暖かいものが際限なく滴り落ちるのを感じた。

「お姉さん、魂の醜さが技に出てるよ。顔が良くても、髪をいくら綺麗にしても、中身がそれじゃあね」

 鴉はまた嗤った。私は鴉の嘲笑に向けて、右ストレートを打った。鴉は私の拳を軽々と手のひらで受け、捕えた。

「この――」

 私は右手を引き戻そうとしたが、既に遅かった。鴉は私の右手をひねりあげ、肘へ掌底を打った。

「あああっ!!」

 私の肘が反対方向に曲がった。焼けるような痛みが私を襲った。鴉はまだ私の右手を離さない。さらにねじり上げようとしているようだ。

「クソッ」

 私はそれを阻止すべく、左足で膝蹴りを打った。それと同時に、鴉は私の右手を左へ引っ張った。私はバランスを崩し、膝蹴りは外れた。鴉は軸足になっている私の左足の膝へと蹴りを加えた。私の膝があらぬ方向へと曲がった。

「いいいいっ!!」

 私は悲鳴を上げた。鴉が私の右手を離すと、私は地面へとうつむせに崩れ堕ちた。

「はあっ、はあっ」

 脚と腕を砕かれた苦痛で、汗が噴き出し、呼吸が荒くなる。鴉は私の左足の大腿を踏みつけた。私には鴉が何をするつもりなのかわかった。私の左足には、万力の様にゆっくりと力が加えられていった。

 あまりにも実力の差がありすぎた。私は鴉を標的に選んだことを後悔していた。

「もう、やめてくれ……たのむ」

「あなたがそう言われた時、どうしたの?」

 鴉は冷たい声でいった。私の心は絶望で包まれた。私の左足に掛けられる力が更に強くなり、やがてボキリという音がして私の左大腿骨が砕かれた。一瞬、太ももに氷柱を入れられたかのように冷たく感じ、その次に灼熱の痛みが襲って来た。

「ひいっ、ひいっ」

 私は残された左手を使って這いずった。逃げられないことがわかっていてもなお、少しでも鴉から遠ざかりたかった。

「止めなかったでしょ?」

 鴉は私を先回りし、地面に投げ出された私の左手のひらを踏みつけた。

「…………!」

 もはや、声は出なかった。四肢を砕かれた私は、ただ全身からの痛みに耐えるしかなかった。

「ねえ、本当にこんなことの為に人を何人も殺したの?」

 鴉は私の髪を掴み上げながらいった。私の首だけが地面から持ち上げられ、膝をついた鴉と目が合った。

「……お前だって人殺しじゃないか!」

 私は最後に残された気概を振り絞って叫んだ。

「まあ、そうだけど。ふふっ、それにしたってね」

 鴉は笑った。

「うーん、どうしよう。このまま殺してもいいけど。それじゃあ、面白くないし……あっそうだ」

 鴉は私の髪を放し、地面に転がっていた鎧通しアーマーピアサーを拾い上げた。

「あなたの髪、貰うね」

 鴉は戻ってきて、私を仰向けになる様にひっくり返してから、再度私の髪を掴み上げた。

「なにを……やめろ!」

 私は身をよじった。だが、当然鴉の手から逃れることなどできはしない。

「あなたにとってこれは大切なものでしょ?だから、わたしを追って、取り戻しに来てね」

 鴉は地面に正座し、私の頭の下に太ももを入れた。私は鴉に膝枕をされる格好になった。先ほどとは打って変わって、鴉の声色が優しいのが、むしろ恐ろしかった。

「きっと、わたしを殺してね」

 鴉は私の唇に口づけをし、鎧通しアーマーピアサーを私の額に突き立てた。


 私は朝日によって目を覚ました。顔を上げるとパリパリという音がした。乾いた血が地面と私の顔面をくっつけていたのだろう。辺りを見回すと、散乱した生ゴミはそのままだったが、鴉は既にいなかった。

「うう……あ、ああ」

 四肢からだけでなく、頭皮からも酷い痛みを感じる。記憶はないが鴉に何をされたのかは明白だった。私は頭の皮を剥がされたのだ。今まで収集された極上の髪は奪われた。

「鴉……」

 鴉から受けた最後の口づけの感触が、痛みと結びついて離れない。何もかも失った私だったが、鴉のことを思うと殺意で力が漲った。

「殺してやる!殺してやるぞ!鴉!」

 私は四肢を砕かれた身体をなんとか動かし、大通りへと這いずり始めた。

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