黒髪おかっぱ vs 薄茶色のセミロング⑤
――フゥ―――ッ……
――深夜、一時すぎ。湿り気が混ざった初夏の風が俺の肌を撫でつけ、さんざめく虫の音が真っ暗な空に鳴り響いている。室外喫煙所で、たそがれるように手すりにもたれかかっている俺の手元から、白い煙がユラユラと立ち上っていた。
……ベータ納品まで、あと、一週間――、まだ実装要件が全部乗り切ってるわけでもねぇし、ホントに間に合うのか、コレ……? クソッ――、毎日毎日新しい不具合ばっか出やがるから、何を優先で片付けていいのかが、全然わかんねぇ――
一抹の不安を吐き出すように、はぁっ、と大仰なタメ息を吐いた俺――、『桝田 大介』は、ふと、子供みたいに泣きじゃくっていた、今日のアイツの顔を思い出す。
……アイツだったら、どうさばいていくのかな、この状況――
――さんざめく虫の音に混ざって、無機質な電子音が、突如鳴り響く。
ハッと我に返った俺は、ズボンのポケットにしまっていたスマホを取り出し、画面に映し出された表示名……、俺に電話をかけてきた『ソイツ』の名前を確認して、すぐに耳元にスマホをあてる。
「……もしもし」
努めて冷静に、いつものようにぶっきらぼうに、
高くも低くもないテンションのトーンで、俺は通話相手に向かって声を放った。
『……ごめんなさい、遅い時間に……、今、大丈夫かしら?』
電子音に変換されたソイツ――、香澄の声は、昼に会ったときとは違い、落ち着いてるようだった。
「……いいけど、忙しいのはわかってんだろ? 五分で済ませろよ……」
やさぐれたような返事を返した俺の声を聞いて、香澄が遠慮がちに、「ありがとう」と呟く。
『……聞いて、欲しい話があるの、私の……、子供の時の、話――』
「…………おう」
少々面食らった俺だったが、なんだか断るタイミングとは違う気がして、すっかり短くなったタバコを吸い殻入れに投げ捨てたあと、二本目のタバコにシュボッと火をつけた。
『……私が小学校の時、スミレって名前の同級生がいたの。気弱で病弱で……、学級委員でクラスの中心だった私は、中々みんなの輪に入れなかったその子をなんとか仲間に入れてあげようと、使命感のようなものを感じていたわ。お昼休みのおにごっこに誘ったり、放課後、みんなが私の家に遊びに行くときに声を掛けたり……、すみれは徐々に心を開いて、段々みんなになじんでいった』
「――ハッ、お前、学級委員だったのかよ……、お似合いだな……」
思わず茶々を入れる俺の声なんて、聞こえてないみたいなそぶりで、香澄は淡々と、言葉を
『ある時、私がピアノ教室に通っているって話をしたら、スミレも、やってみたいって言い出して……、私、段々と気持ちが前向きになっていくスミレに嬉しくなって、ぜひ一緒にやろうって、誘ったの。スミレは学校の時とは違って、すぐにピアノ教室になじむことができた。先生にも気に入られて、スミレはピアノに夢中になっていったわ。教室に通う回数も増やして……、気づけば、前からやってる私なんかよりも、断然にピアノが上達していった……』
そこまで言うと、香澄の声が一度途切れる。俺はドカッと地べたに腰を降ろし、深淵の空に向かって、フゥーーッと白い煙を吐き出した。
『……そのころから、私は……、ピアノを弾くのがイヤになって……、ピアノ教室もなにかにつけてサボるようになったの……、気づけば、ほとんど通わなくなっていた。……スミレは、ピアノで自信がついたのか、以前よりも積極的にみんなと話すようになっていたわ。……クラスの、中心って感じだったかな。放課後のたまり場も、私の家じゃなくて、大きくて立派なすみれの家に、いつの間にか変わっていた……』
『……私は、それまで感じたことのない……、疎外感っていうか、仲間外れにされているような感覚に陥ったの。……私なんか必要ない、みんな、私なんかよりスミレの方が好きなんじゃないかって――、そんなことばかり考えるようになっていた、ある日……、学校で、すみれの体操着が盗まれるっていう事件が起きたの』
無機質で淡々と流れ出ていた香澄の声に、だんだんと、震えが混じるようになった。俺はそれに気づかない振りをして、ボーッと、深淵の空に目を向ける。
『……結局犯人は見つからず、スミレは、とっても怯えたような表情をしていた……、その後も、スミレに対しての陰湿な嫌がらせが続いたわ。上靴が隠されたり、スミレの持ち物がトイレの中で捨てられていたり……、恐怖に耐えられなくなったスミレは、せっかく手に入れた前向きな気持ちを、段々と失ってしまって……、とうとう、学校に来なくなってしまった……』
「…………」
『…………』
「…………」
『…………』
「…………? ……おい?」
急に黙りこくった香澄に対して、俺は
電波でも急に悪くなったのかと、眉を八の字にしてスマホを一旦顔から離そうとした俺の耳に――
『私……なの――』
――海の底に深く沈んだような、冷たい声が、放り込まれる――
「――あん?」
『――スミレの体操着を、焼却炉の中に、投げ入れたのも、上靴を、校庭の隅に投げ捨てたのも……、全部、私が、やった…………」
とぎれとぎれに、
バラバラに飛んでいきそうな言葉を、必死で繋ぎとめるみたいに、
荒い吐息の混じった電子音が、俺の耳元で、ザラザラと歪んでいる。
『……「スミレさえいなければ、私はずっとクラスの中心でいられたのに」って……、自分で、スミレの心を、開いたくせに、彼女を傷つけるような、真似、して…………、自分の、くだらないプライドのせいで、私、スミレの人生を、めちゃくちゃに、しちゃってッ――』
感情のノイズで、俺の耳ん中がヒリヒリと妬かれる。
――段々、香澄の声を聴くのが耐えられなくなってきた俺は、少しだけ、スマホを耳元から離した。
『……その後、スミレと会ったのは、成人式の時だった……、あの子、すっかり自信を取り戻していたみたいで、ピアノも続けていて……、私、その時にホントウのコト、言えなくて……、ずっとずっと、あの子にウソを吐いて――』
「――っはぁ~~~~、……なんの話かと思えば、……『くだらねぇ』」
舞台役者みたいに声を張り上げる香澄に対して、俺はヤジを飛ばす様に
『――な、何よッ! 私は、真剣に――』
「――なんで今更そんな昔のコトを悩んでるのか知らねぇけど……、ガキのいじめなんて……、『よくある話』だろ」
いつの間にか火が消えていたタバコの吸いがらをポイッと投げ捨てた俺は、すくっと立ち上がって、電話越しの香澄にぶっきらぼうな声を放る。しゃがみこんでいた足がジンジン痺れて、ちょっとだけよろけた。
「……いじめなんて、普通はガキのうちに、卒業するべきなんだよ……、その前に、人生から逃げちまうような……、大バカ野郎も、まぁ、いるけど――」
「――そんな小さい事、ウジウジウジウジ……、二十五にもなって気にしてるの、たぶん、この世でお前みたいな、『バカ真面目』だけだぞ。……っていうか、簡単な話じゃねぇか――」
――シンッ、と
一瞬の静寂が空間となり、
混じりけの無い俺の声が、俺の頭の中に、そのまま、響いた。
「――謝っちまえよ。……バカ真面目に、ウジウジ悩んでるくらいなら……、どんな結果になるかは知らねぇけど、少なくとも、お前はけじめをつけられるだろ?」
さんざめく虫の音を聴きながら、
俺は電話越しにいるバカの返事を、黙って待った。
『――フフッ』
「…………あん? 何、笑ってんだよ……」
『……いや、やっぱり、「バカ」に話して、よかったなって――』
「……はぁ?」
『バカ』にバカ扱いされた俺は、イラつき気味に返事を返す。さっきまでの
『……大介に話せて……、よかった……、理由、教えてくれって、言ってたから――』
「……んだよ、『らしくねぇ』な」
『…………なんか、眠くなってきちゃった。電話、切るね……、おやすみ……、また、明日――』
「――はっ? お、オイッ――」
俺の返事を待つこともせず、香澄は一方的に電話を切った。
無機質な信号音が俺の耳から耳へと通過し、取り残された俺は、呆けた顔でスマホをズボンの後ろポケットにしまった。
……女って、何考えてるのか、一生わかる気がしねぇな――
俺はシュボッと三本目のタバコに火を付ける。いつだったかにプレイした恋愛シミュレーションゲームで、女の子の好感度ゲージに爆弾マークがついたのを思い出した。……あの時も、どうしてそうなったのかが、俺には全くわからなかった。
……ん? そういやアイツ……、『また、明日』って――――
生ぬるい初夏の風が俺の肌を遠慮がちに撫でつけ、俺の手元から立ち上る白い煙が、ユラユラユラユラ、深淵の闇に溶け込んでいった。
※
次の日の朝、ケロっとした顔で出社した香澄が、ファイルバインダーを片手に俺の眼前で仁王立ちをしていた。めちゃくちゃになっている開発スケジュールに阿鼻叫喚しながら、俺に怒鳴り声をまき散らす香澄の顔が、妙にスッキリしているように見えて――
「――あれ、香澄ちゃん……、今日は私服なんだね?」
「……ええ、スーツ、今クリーニング出しているんです。たまには、いいかなって――」
一束に括っていた薄茶色の髪をほどき、無造作にバサッとなびかせている香澄が、ふいに声をかけたテッさんに向かって、ニコッと、屈託なく笑う。
執務室に敷き詰められたグレーのカーペットを、履きやすそうなスニーカーで軽快に踏み歩いている香澄は、いつもよりなんだか、身体が軽そうだった。
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