春風ひとつ、想いを揺らして

蟬時雨あさぎ

異界の御子は許さない

 あわい、ぬるい、風が吹き込んだ。

 春の概念はないけど、こう、吹いた時の感触が春風と同じ気がする。

 どうにも目が冴えて、寝付けない夜。そういえば、もうそろそろ満開だろうか。


「お花見、か。アリだな」


 まさか異世界に来て、瓢箪的な入れ物からお酒を飲む日が来るとは思わなかった。中身は、どちらかというとビールに近いけど。棒サラミ的なおつまみも持っていくか。手ごろな布マットあったっけ。

 上着を手に取り、扉を開けて外に出る。


「何処へ行く」


 と、見知った低い声。側仕えという名の監視員。普段着に帯剣だけという事はオフなんだろうけど、玄関先で張っているとは趣味の悪い男だ。


「……お花見ですよ、騎士サマ」

「帯同しよう」

「必要ありません」


 双子の月が照らす夜は、故郷よりも光量が多い気がする。気がするだけかもしれないけれど。

 歩き始める。足音が付いてくる。立ち止まる。足音も止まる。


「……何の御用でしょうか」

「奇遇だ、私もハナミに行くところだ」

「……よく回る、舌だこと」


 片言で模倣しただけのくせして、何を言うか。

 一人花見酒と洒落込もうかと思ったのに、これでは計画が台無しだ。だからといって引き返したら、たかが騎士サマで準備に掛けた僅かな時間を無駄にするようで嫌だった。

 歩く。足音が付いてくる。ストーカーってこんな感じなのかな。


「おい」

「どういたしましたか、騎士サマ」

「……いつになったら名前で呼ぶ」

「そうですね」


 名前、そうか、名前。何て名前だったっけ。騎士サマと呼んでおけば大抵誰かが返事をするから、気に留めることも無くなった。


「御子として扱われなくなったら考えます」

「考えるだけではないのか」


 にっこりと笑い返した。

 というもの、周囲の人間全員が外国人状態だったから、名前を覚えるのをあきらめたというのが実情だ。何せ、発音できない。

 訳も分からないまま付けられた首輪が双方向の翻訳機能を為しているが、人名や地名などの固有名詞の翻訳は出来ないらしい。あと、意外と翻訳機能がポンコツ。


「何処へ行く」

「私が行きたいところへ」


 息を呑む音が聞こえる。それもそうか。

 本当に行きたいところうまれ そだった ばしょへは、もう二度と戻れないことを知っている。


「……御子、様」

「――許しません」


 古い書物に記載された、世界を救う秘術。そこに書かれていたいくつもの条件を満たす程の非常事態。

 必要だったから、喚んだ。

 それだけなんだろう。ただ、それだけ。でも。


「この世界は、私が生まれ持ちえた家族を、文明を、出生を、私という存在を消しさった」


 それだけが私の。日本で生きていた、私の人生を狂わせた。

 どれだけ母に疎まれようとも、父に嫌われようとも、兄に蔑まれようとも。

 家族むこうはどう思ってるか分からない、でも。


「――到底、許せることじゃない」


 私にとっては唯一無二の、紛れもない家族だった。血のつながった、遺伝子を共有した、紛れもない家族だったんだ。


「許せない。……許さない」


 ある意味これは決意みたいなものだ。別に復讐とか、国家転覆とか世界征服とかするわけじゃない。ただこの世界に捧げる、ささやかな私の叛逆。


「……そうか」


 それきり、騎士サマは黙った。

 春の風が吹いた。スカートの裾が広がる。木々が騒めく音と、ピンクの花びらが舞う。もう少し。もう少しで――見えた。


 桜、という品種はこの世界にあるワケがない。

 けれど、とても似たサクラモドキが、存在した。

 ピンク色の花をつける樹。ただその花は蛍光塗料を塗ったみたいに少し発光して、花びらの枚数は五枚と言わず十二、三枚あるけど。ファンタジー。


 御子の役目を終えて与えられた終の棲家。近くにサクラモドキの群生地があったのは僥倖としか言いようがない。


 この辺かな。手頃な樹の下に、布マットを広げて座る。騎士サマは、辺りをきょろきょろと見渡してから私の座る布マットを見て。


「隣、座っても?」


 おい一人用の布マットだぞ。同席しようとは厚かましいにも程がある。


「準備せずに花見に来るような人は空気椅子でもしていなさい」

「……??」


 翻訳できなかったらしい。ポンコツ。


「非常に不本意で不服ですがどうぞ」

「有難い」


 これは翻訳できるのかよ。ポンコツ。

 瓢箪的なヤツと、サラミ的なつまみを取り出せば、花見の準備は万端。では早速ですが。


「……ぷはっ」


 この世界のお酒しか知らないけど、そこそこ美味しいと思える年齢になってきた。瓢箪でお酒飲むより、御猪口と徳利で清酒仰いでみたかったな。


「酒か?」

「これは渡さないわ」

「……まだ何も言っていない」


 空を見上げれば、寄り添うような月がサクラモドキを照らす。淡く光り舞い散る花びら、瞬く星。ぬるい春風が、さあっと通り過ぎる。


 棒サラミを齧る。塩気が多いな。これはビールが進む。

 騎士サマは、サクラモドキを見ている。


「……喉が、乾いたのだが」

「あげません」

「……少しだけ」

「自分で調達してください」

「滅多に手に入らないベルディ産、幻の酒一瓶ひとびん

「仕方ないですね」


 金持ちめ、今回だけだぞ次は無い。




 春風が吹いた。

 サクラモドキの花が揺れる。


 いつか家族で見た桜はもう思い出せないけど。



「……綺麗だなあ」



 異世界での花見も、悪くはないものだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春風ひとつ、想いを揺らして 蟬時雨あさぎ @shigure_asagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ