今上帝の想いの先

第98話

 今上帝は月が昇る頃、中宮の待つ弘徽殿に向かった。


「何かございましたら、私が詰めておりますので……」


 伊織は何と言っても心配症だ。

 だが今上帝は、昨夜枕を共にしていると中宮が思っているだろうと、そう短絡的に考えているから、今宵も望んでいるとは思っていない。

 中宮は決して自分から、今上帝を望む事は今までになかったからだ。

 だが御子ができぬと噂が立ち始め、今上帝が中宮付きの女房ばかりに手を出し始めた頃から、中宮から誘う様な文が届く様になった。

 それは決して恨み言を書いた物でも無いし、心のこもった愛情のあるものでも無い。それでも少しは、今上帝の気をひこうとする気持ちは、動いているのかもしれないが、他の女御達の様に媚を売る様なところも無いし、肌を合わせたがるという事も無い。それはたぶんかの方の性分だと思っている。

 ただそれが、父法皇にも当てはまるのかは自信が無いし、その自信が無い事が、昨今の夫婦の危機を誘っている事を今上帝は知り得ない。


 今上帝は、昨夜同様に弘徽殿の中に入った。

 御なりを告げられた女房達は、気を利かせて酒肴の手筈を済ませて下がった。

 かの方中宮は、今宵も潤んだ瞳を今上帝に向けてくる。

 黒目がちで何時も潤んで見える瞳は、それは罪作りな瞳だ。

 当人がその気がなくとも、下心を持つ男にとっては、それは意味を持つものとなるからだ。


「懐かしい菓子を、手に入れました」


 中宮は今上帝が忘れてしまった程の、記憶の彼方にも追いやった思い出を掻き集めている様だ。

 もう少し以前に、その気持ちを持ってくれれば……否、そういう事ではない事を知っている。


「これは後院の女御様の?」


 今上帝はかつて恋い焦がれた少女と共に、御簾越しではあったが、父法皇の女御から頂いて食べた菓子を思い出した。

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