第95話

 その日の朝、今上帝は中宮に後朝きぬぎぬの文を送った。

 だが中宮からは、直ぐには返事は来なかった。


「不思議でございますが、昨夜の事は誰しもが余り覚えておりません」


 伊織が今上帝の前に現れると、第一声がそれであった。


「昨夜の遅くの事が、誰しもが記憶にないそうなのです」


「寝ておったのであろう?」


 今上帝も、素知らぬ風に相手をする。


「寝ておった者は、今までになく良く眠れたと申しておりますが、遅くまでと致しておった者達が、ちょっとあやふやで……」


「はて?そのとはなんであろうか?伊織そなたもであるか?」


 今上帝は、解っているくせに真顔で言った。


「何を……私はそれは、よく眠れましてございます」


 伊織が顔を伏せて言った時に、何処かで油を売っていた雛が入って来た。


「昨夜時を止めたので、女房達が呆けてしまった」


 雛は双髻を弄りながら今上帝に言う。


「と、時を止めたぁ?」


 伊織が目を丸くして声を張る。


「雛よ。まさか女房に、その様な事を申してはおらぬであろうな?」


「申した」


「申したぁ?」


 伊織は声にならずにパクパクだ。


「女房は何と申した?」


「雛ちゃん凄いね〜。全くあやつらは、実に善い奴らであるが、私を馬鹿にしておる。実に不敬な奴らである」


 プンプンと怒っているが、双髻頭とマッチして可愛い過ぎる。

 実は自分は瑞獣のお妃の子である、とまで告白しているが、そんな雛を女房達は顔は可愛いが、ちょっとイタイ子だと思っている。それゆえの天真爛漫、純真無垢だと思って、憐憫をも含めて物凄ーく可愛いがってくれているのだが、当の雛がそんな女房達の思いを理解していない。


「さようか?賢い者達で何よりである」


 気にかける様子も無い今上帝にも、伊織は言葉を失ってしまった。


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