第72話

「そなたには、珍しい菓子をたんと食わせておろう?」


 今上帝はご丁寧に、面前で雛が広げる懐紙を注視する。


「……そうであるが、他の物も吟味しなくては……」


 ……とか言って、不調法にも菓子を頬張る。

 さすがに主人たる者に失礼極まりないと、伊織が注意をしようとすると、目敏くも今上帝はそれを制される。

 今上帝は実に穏やかな視線を、雛に向けられる。

 昨今の今上帝の物憂げな、それでいて内心より溢れ出る苛立ちが、微かな物となっている。その事をご当人より側にいて知り得る伊織は、大きく嘆息を吐いてお側を退いた。

 それから暫くして中宮から、再びの御文が届けられたそうだが、相も変わらず読まずに焼き捨てられたと聞いた。


 ……以前はまるで逆であったに……


 伊織は帰宅する牛車の中で思う。

 中宮が予期せず入内されて、今上帝はそれはそれはマメに、一日に幾度も文を書かれて届けさせられた。

 当然の様に、伊織がお届けする事が多かった。

 それは今上帝の長きに渡る恋心を知っているから、だから伊織はその成就が嬉しく、我がごとの様に心ときめかせてお届けしたのだ。

 あれ程に嬉しげでお幸せそうなかのお方を、存じ上げなかったから、だから伊織は心よりお喜び申し上げていたのだ。

 牛車が、屋敷の門に入ったのか止まった。


「着いたか……」


 伊織はそう言うと、身を動かした。

 そういえば、雛がお側に遅くまではべっていてくれるお陰で、伊織の帰宅は早くなった。

 今上帝には、真から御心をお許しになられる者が存在しない。

 天子の座とは、孤高の座、であると聞くがそれは真実だ。

 幼い頃より共に育つ事を許され、側に存在する事が当たり前である伊織以外に、かのお方は、心の奥底をお見せになられない。

 それは生まれ出た時よりお持ちの物なのか、それともの事を経験してお持ちになられたのかは、高々の伊織には計り知れない事だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る