8
フランシス・エルドレッド・フラムは、第一皇子である。しかし、皇太子ではない。現在の皇太子は弟で第二皇子のジェラルドだ。なぜ第一子の彼が皇太子ではないのか。それは彼が他国から嫁いで来た皇后の子ではなく、ただの平民の宿屋の娘の子どもだからだ。
その昔、皇太子だった頃にたまたま訪れた宿で、現皇帝はフランシスの母親に恋をしてしまう。彼には既に他国の許嫁がいたにもかかわらずだ。彼は婚約を破棄して、彼女を皇后として迎えようとした。しかし、周囲から猛反対を食らいそれは叶わなかった。けれどもこの国の皇族の特殊な事情のため、彼女は皇妃として城に置かれることとなった。二人の妻しかいない後宮はこうして出来上がった。
彼は二人の妻に対し、皇后の方をより尊重した。しかし、気持ちがどちらに傾いているかなど明らかで、皇后を更に苛立たせた。自分の前では義務的に笑う皇帝が、平民の女の前では柔らかな表情をすることが彼女の高すぎるプライドが許さなかった。周りの人間たちも小国から来た正妃である自分より、この国出身の平民をかばう。彼女は徐々に心を病んでいった。
そんな中、皇后は懐妊した。彼女はついに自分が優位に立ったとほくそ笑んだが、彼女が臨月を迎える頃恐ろしい知らせが耳に飛び込んできた。皇妃が男児を出産したという知らせだった。彼女だけが城で一人だけ何も知らなかった。
皇后もまた少し時が経ってから男児を産み、国内はどちらが皇太子となるかで騒動となった。帝国は基本的に第一子が相続する。それが女児であっても、庶子であってもだ。当然、第一皇子のフランシスが皇太子になるものだと、皆が思った。しかし、皇帝は第二皇子のジェラルドを後継とすると宣言した。
皇妃の出産を聞き、気を病んでいた皇后は再び正気を取り戻した。が、それも長くは続かなかった。皇妃が自ら自分の息子ではなく、彼女の息子を後継にして欲しいと望んだのを知ったからだ。敵から施しを受けたと、そう感じた彼女は五年もの間部屋に閉じこもることとなる。
その五年間は、フランシスにとって幸せなものだった。母からの愛情を受け、健やかに育った。皇后の公務は皇妃が行うようになり、国民も他国から来た皇后のことをやがて忘れてしまった。そのうちに皇妃は再び懐妊する。弟か妹が生まれる日をフランシスは心待ちにしていた。しかし、その幸せはすぐに壊れてしまう。彼の母親は離宮の火事で亡くなってしまったのだ。火の不始末とされているが、はっきりとした原因は今でも分かっていない。しかし火事の次の日、五年ぶりに皇后が姿を現したのは紛れもない事実である。
皇帝は皇后を決して罰したりはしなかったが、フランシスを皇太子に推したいという意思を以前から示していた。それを婚約と共についにフランシス本人に打診してきたのだ。その場はとりあえずそれだけで終わったが、きっとまた父は同じことを聞いてくるだろう。
父の後押しとエルフェンリート家や他の有力貴族の力があれば本当に皇太子の座が手に入るのかもしれない。母の復讐にもなるだろう。しかし、そんな気はフランシスには全くもって起こらなかった。皇后はフランシスに暴言を吐き、嫌がらせをし、刺客を放ってきたこともある。けれども、彼の中には皇后が被害者であるという気持ちが復讐したいというそれをどうしても上回ってしまうのだ。彼女のことは嫌いだ。憎いし、死んでしまえとも思う。でも、自分で手を下したいとまでは思わないのだ。彼女のジェラルドと皇太子の地位への執着はもはや痛々しく、見ていられない。その彼女からこれ以上何か奪う気は今の彼には起こらなかった。
ミモザに会いたい。フランシスはそう思った。どうしてこんなに自分が頭を悩ませなければならないのか。他の同い年の子どものように外で疲れるまで走り回っていたかった。彼女の可愛い笑顔を見て、癒されたかった。
今まで彼はずっと皇帝に相応しいと思われないために何にしても、ジェラルドより劣っているように見せていた。しかし、無能ではなくあくまでも凡庸に見えるように。彼の演技は、皇后を喜ばせ、弟に自信を与え、父を落胆させた。父は自分でジェラルドを皇太子に指名して置きながら、愛した女との子を跡目にしたいと思っていた。そんなもの平穏に暮らしたい彼にとっては迷惑でしかないのに。
ミモザを巻き込んで、皇帝になることが彼にとって幸せなこととはとても思えなかった。もしかしたら母のように闇に葬られるかもしれない。そんな危険を彼女に負わせることはしたくなかった。
けれども、同時に彼女を誰かに取られたくない、自分のものにしたいという気持ちが消えず、せめぎ合ってくるのだ。これが父と同じ気持ちなのだろう。フランシスはこの呪いであり、皇族の証をこれから隠し続けることを誓った。
『執着』は、帝国の皇族にとって一般的なものと違う意味を持つ。『執着』は元々呪いではなく、祝福であった。
初代皇帝はドラゴンと共にこの世界を駆けた。そのドラゴンからの別れの際の贈り物がこの祝福だった。祝福の内容は、人並み外れた強靭な肉体と高い炎の魔力を持ち合わせて、全ての子孫が産まれてくるというものだった。初代皇帝は喜んでこの祝福を受け取ったが、ドラゴンはこの祝福に関する副作用というものを説明しなかった。この祝福はどの子どもたちにも必ず受け継がれる。しかし、その中には異常に物や人に執着するようになる者がいたのだ。
祝福の副作用が出た子孫たちの様子は様々で、その大多数は皇帝として大成した。執着の傾向がみられると、祝福の力が強くなり戦士としてだけでなく異常なカリスマ性を発揮しだすことが多かったからだ。
彼らが執着するものは多岐にわたり、フランシスや彼の父のように一人の女性に向けられることもあったが、中には鳥や剣に執着するものもいた。しかし、呪いと言われるのは伊達ではなく、栄光の一方で影も作り出していた。
皇后だけを溺愛した者は長く続いた領土問題を解決したが、その一方で妻が自分以外の人間と話すことが許せず檻に閉じ込め、最後には怒れる自分の子に殺された。
鳥を愛した者は多くの鳥の保護に努め、鳥の生態や種類を把握し生物学に貢献した。しかし、それ以外のものに何も関心を示さず皇位から引きずり出された。
女そのものを愛した者は社交界を華やかに活発にしたが、彼の多すぎる子どもたちは継承権争いでほとんど死んでいった。
金を愛した者はありとあらゆる金策を思いつき、どんどん国力を高めていったが、臣下の不正に気付かず、逆に借金を増やしてしまった。
剣を愛した者は最後には剣に狂ってしまい、自らまでもその剣で貫いた。
祝福と呪いは紙一重のため、執着に狂うものの存在は確認されていても、執着を発現した者こそが全てとされ、誰よりも皇帝の地位に相応しいとされた。ドラゴンというものはその生き物の特性として、番というたった一つの存在に執着するものだ。ドラゴンの祝福のため、その性質が皇族にも受け継がれてしまったのではないかというのが多くの学者の意向だ。
これに父が気が付けば、自分は完全に逃げられなくなる。黙っていればいいだけの話なら良かったが、執着の兆候があったものは背中に大きな竜の翼のような赤い痣が出てしまうのだ。その痣は既にフランシスの背に現れていた。フランシスはそこから一切の着替えや風呂を誰にも見せなかった。これがバレれば、自分だけでなく執着の対象のミモザまでも自由ではいられない。執着する者が近くにいると力を発揮しやすいとされていたからだ。母と同じ目には合わせない。それだけが彼の生きる目的に変わっていた。
婚約者の決定の日、フランシスはミモザではなく、公爵令嬢のブレンダを選んだ。ブレンダの家は中立派で、フランシスを皇帝に推したりしない家だったからだ。ブレンダを選べば、皇后に自分は敵対する気はないという意思表示を見せることが出来た。フランシスの思い通りに事は運び、父はもう皇帝にならないかと言ってこなかったし、皇后も嫌がらせをしてくることはなかった。
ただ、その瞬間のミモザの絶望した表情は一生忘れることはないだろう。泣きこそしなかったが、一言も喋らずにそのまま帰っていった。彼女を守ろうとした行動が結果として彼女を傷つけた。きっと彼女は二度と会いには来てくれないだろう。もうフランシスにはどうすることも出来なかった。
しかし、運命というものは抗えないもので、二年後再び彼女が婚約者になる機会が巡ってくる。二年ぶりに会うミモザは、可愛らしい様子からすっかり成長して更に美しくなっていた。フランシスは目が合うたびに痣が疼いた。父は今度は勝手に婚約を決めてしまった。フランシスは覚悟を決めて、今度は自分の立ち位置と向き合おうと思った。ミモザにもちゃんと謝って自分の気持ちと今までのことを伝えようとしたのだ。それはすぐに打ち砕かれることとなった。
「まあ、良かったわね。フランシス。あちらで二人でお話してくるといいわ」
その言葉を放った皇后の顔が、笑顔だが目だけは敵意に満ちていた。フランシスのミモザと共に戦おうという気持ちは一瞬で消え去ってしまった。あんな悪意に彼女を晒したくない――。彼はミモザと距離を取り、この執着が誰にもバレないようすることにした。執着がなくとも、あの女ならばフランシスの大事なものならば奪おうとするだろう。だから、彼女を大切にしているが、あくまでも契約上の関係と見えるようにした。かつて弟よりも優れていると演技したように。側近たちにしかそれを言えず、思いだけを閉じ込めたまま月日は過ぎていった。
彼は父に皇帝を継がぬ代わりに、彼女と暮らす土地が欲しいと願った。父は今国内で問題の大きな七つの仕事を無事に完了したら、辺境伯の地位と土地を与えると約束した。その七つ目の仕事、違法薬物の流通の出所を解決すると、彼の最も愛する少女は既に遠い地へと旅立っていたのだった。
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