7
本当に準備を3日で終え、いよいよ出発となった。最後まで2人はついて行きたいと言ったが、それだけはフランシスは断った。出発の直前、意外な客がフランシスの部屋に訪れた。
「何の用だ、ジェラルド」
フランシスの弟で皇太子のジェラルドだった。彼は勝手にズカズカと部屋に入ってくると、またしても勝手にベッドに座り込んだ。
「何の用って…良いだろう?別に来ても。それとも何かやましいことでも?」
ニヤニヤとフランシスによく似た顔でにやけるジェラルド。
「忙しいから用がないなら帰れ」
「冷たいなぁ。可愛い弟が来たって言うのに。――なあ、兄さんここを出ていくんだろ?」
「なんの事だ」
「とぼけたってダメだよ、分かってるんだから。なあ、兄さん。どうしても皇帝にはなりたくないのか?」
「なりたくないね。これまで俺は皇帝にならない為にこれまでやって来たんだ」
「ふーん。まあ、兄さんの生い立ちを知っていればわからないでもないけど。ミモザ嬢を追いかけるのか?そこまでする価値があるのか?あの子に」
「お前もいずれ分かるよ。俺にはそれがミモザだっただけだ」
「どうかな、俺は皇帝に向いてないから『執着』なんてしないかもよ」
ジェラルドは皮肉るように笑う。その顔をまじまじとフランシスは見つめる。
「なんだよ。ジロジロ見るな」
「ごめんジェラルド」
「へっ?」
「お前に責任を押し付けるのは申し訳ないと思っているんだ。お前が困った時は必ず俺が助けよう。何ができるか分からないがな」
「…約束だからな」
「ああ」
返事を聞き届けると、ジェラルドはおもむろに立ち上がった。
「帰るよ、じゃあな。元気で」
「お前こそ。さよなら、ジェラルド」
サレンとアドルのおかげで、城を出るのも、国境を超えるのもかなり楽だった。他にも協力者がちらほらいたのが幸運だったのだろう。自分なんかの為に力を貸す人間などこの2人以外は居ないと思っていたフランシスは驚いていたが、サレンは今までしてきた事が帰ってきただけだと言った。
一人きりでの旅は楽なものではなかった。旅の経験はあったが、一人きりで、しかも位置がよくわかっていない場所を探すのは途方もないことであった。派手な外見は隠し、たまに商人の護衛をしたりして銭と足を得た。そうして、一年以上かけてやっとアステール島への手がかりを見つけた。
彼は大急ぎで船を用意し、自ら船を漕いだ。しかし、やっと見つかった手がかりに興奮していた彼はその日の天候の悪さを甘く見ていた。海に関してはてんで素人の彼は、荒れた海の恐ろしさを全くもってわかっていなかったのだ。やっと塔が見えたというところで、そのまま船を上で気を失ってしまった。
薄れていく意識の中、幼き日のことを思い出していた。あの日は、とても暖かい日だった。
皇后からいつものように嫌味を言われ、げんなりしながら外に出たフランシスは、木の上に何かがいることに気が付いた。猫かリスでも紛れ込んだか、そう思って見てみると、そこには一人の少女が木の上で縮こまっていた。
―――木の妖精?
フランシスはそう錯覚した。少女は、穏やかな金色と先だけ鮮やかな新緑のような髪色をしていた。大きな目は淡い水色で、涙がにじんで更に輝いていた。桃色の裾が広がったドレスは、まるで花びらのようでますます彼女を妖精のように見せていた。思わず見惚れていたフランシスだったが、儚げな顔立ちに長い睫毛がぷるぷる震えているのに気が付いた。もしかして、降りられないのか?思わず、彼女に声を掛けた。
「おい、お前」
少女がこちらを向く。うわっ、可愛いな・・・。目が合うと、胸が高鳴るのを感じた。しかし、不思議なことに彼の気持ちとは裏腹に偉そうに腰に手を当て、彼女を睨みつけていた。
「降りられなくなったのか?ドレスで木になんか登るからだ。サルみたいな女だな」
そこまでして、自分の失言に気が付いた。しまった、こんなこと言いたかったんじゃないのに。それだけでなく、彼はもう一つの失敗に気が付いた。
普段の彼はとてつもなく猫を被っていた。その方が都合がいいからだ。丁寧な言葉遣いと紳士的な態度、出過ぎない謙虚さ。それが後見がおらず、肩身の狭い彼にとっての自分を守る防御策だった。もちろん、一部の人間にだけは本当の姿を見せていた。それを初対面のどこの誰か知らない令嬢に見せてしまった。彼女の見た目からして相当の上位貴族の娘に間違いないだろう。この一瞬で今まで築き上げたものが終わってしまったのではないか。
何にしても、この可愛らしい令嬢に不必要な暴言を放ってしまったことには変わりない。ドレスで木に登るような彼女だが、普通の令嬢はそんなキツイ言葉を言われることなど普段ないだろう。少女は怖がっているのか、うつむいてしまった。
仕方ない。こうなったらこのままの性格で行こう。もうどうせ嫌われるのだから取り繕っても意味がない。しかし、彼女をこのままにしておくことは出来ない。黙っている彼女に対して、浅く息を吸い深く吐いて、もう一度声をかけた。
「サル女。そのまま俺のところに飛び降りろ。俺が受け止めてやる」
「え。そんなこと出来ないわ。あなたが潰れてしまうわ。大人を呼んできた方が・・・」
「は?俺が受け止めきれないって言いたいのかよ」
咄嗟にそう返したが、確かに子どもの自分では無理だなとも思った。フランシスは彼女を助けるという名誉ばかり欲していて、彼女の安全について考えていなかったと考えを改めた。
「わかったよ。誰か呼べばいいんだろう」
そう言うと少女は安心したような顔をした。その瞬間だった。
バキバキバキバキバキバキバキバキバキバキバキ
彼女が乗っていた太い枝がそのまま音を立てて折れた。
「危ない!!!」
フランシスは夢中になって飛び出した。自分が怪我をするとかそんなことは全く考えずに手を伸ばした。彼女の体の柔らかい感触が伝わる。しかし、その感触が伝わって来たのは腕だけじゃなかった。ずっしりと彼女の体はフランシスの体に乗っかっていた。
「・・・・・?ご、ごめんなさい」
彼女の声を聞いて無事を確認する。
「ケガしてない?」
「お前は?」
「していないわ。あなたは?」
「してない。・・・重いから早く降りろ」
「ごめんなさい!・・・助けてくれてありがとう」
お互いの無事を確認してほっと息をついたが、その後の少女の言葉に固まることになった。
「ねぇ、あなたってもしかして皇子様?」
「・・・・違う」
思わず咄嗟にそう返したが、無理があったと後悔した。こんな見た目の子どもは他に城にいないのだから、自分か弟しかないじゃないか。彼女もまた同じことを思っていたようでこう聞いてきた。
「嘘だわ!黒い髪に紅い目なんて二人の皇子様のどちらかだけだわ。ねえ、どちらの皇子様なの」
「お前はどっちがいいんだ」
意地の悪い返しだ。自分でもそう思ったが、自分の名前を言う人間がいるわけないと思い意地悪をしたくなった。皇太子ではなく、凡庸な第一皇子の自分を望むわけがないと思い込みたかったのかもしれない。彼女は不思議そうな顔で小首を可愛らしく傾げた。
「どっちがって・・・。変なこと言うのね。どちらの皇子様でもいいわ。私を助けたのはあなただもの。私はあなたのお名前を知りたいから聞いただけだわ。あ、私はミモザ。ミモザ・エルフェンリート!」
あっけなく彼の企みは躱され、彼女はにこにこと無邪気に名乗った。エルフェンリート侯爵家か、かなり大きな家だ。確かに同い年の娘がいるとは聞いていたが、彼女のことだったか。確か弟の婚約者候補の筆頭だったはずだとフランシスは重要な情報を思い出した。
「エルフェンリート・・・。ふん」
俺とは縁のない人間か。何となく名残惜しい気持ちがあったが、彼は立ち去ることにした。背を向けると、ミモザは慌てたような声を上げた。
「待って!どこに行くの?」
「もう用事はない。どうせまた会うことになる」
弟の婚約者として。そう続けようとして止めた。考えただけで胸が苦しくなったのだ。どうしてこんなにも初めて会ったばかりの彼女に心をかき乱されるのかわからなかった。
「そんな・・・。お名前聞いたから怒ったの?じゃあもう聞かないから、お父様が来るまで一緒にいて」
フランシスはじっとミモザを見つめた。応えるように、彼女もまた見つめ返してくる。彼女は恐らく自分の態度からどちらの皇子か気付いただろう。それでもまだなお、話したいというのか。はぁ、とため息をついて彼は再びミモザの横に腰を下ろした。暴言のお詫びと言っては何だが、彼は彼女の願いを叶えることにした。
「お前の父親が帰ってくるまでだ。あと・・・俺はフランシスだ」
「うん!ありがとうフランシス」
彼女と過ごした時間はとても楽しかった。他の令嬢たちと違い、遠慮して委縮したりしない彼女は、フランシスの知らないような外の世界の話を聞かせてくれた。彼女の髪を綺麗だと褒めると、顔を真っ赤にして慌てていたのはとても可愛かった。話せば話すほど彼女への気持ちが大きくなっていくと、フランシスは認めざるを得なかった。自分も結局父と同じなのだと、彼は気付いてしまったのだ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、遠くに侯爵の姿が見えた。
「あ!お父様だ!それじゃあまたね。フランシス」
「ああ。・・・ごめんなミモザ」
ごめんな。俺なんかに『執着』されて。しかし、ミモザはフランシスの謝罪の本当の意味には気が付かない。
「ん?サルって言ったこと?いいよもう。レディーはそんなことで怒らないんだよ」
「いや・・・、それもだが・・・。あとレディーは木登りなんかしない」
「もう!本当にまた会える?」
「ああ」
「約束だよ?」
「わかってる」
「うん!じゃあね、バイバイ、フランシス」
迎えに来た侯爵がこちらに頭を下げる。ジェラルドと間違ってくれたりしないかと期待したが、ミモザが大声で名前を呼んだのでその可能性は無くなった。変に勘違いしなければいいが・・・フランシスの新たな不安の種だった。
数日後、父から呼ばれ応じると、そこにはエルフェンリート侯爵も立っていた。
「お呼びでしょうか」
「ああ、フランシス。待っていたぞ」
皇帝は朗らかな笑みを浮かべていた。フランシスは何となく嫌な予感を察した。
「フランシスよ、エルフェンリート侯の娘と仲が良いらしいな」
「いえ、一度会っただけです」
「む。そうなのか?皆からお前が珍しく笑顔になっていたと聞いたのだがな。ミモザ嬢もお前とは友だと言っていたのだろう?」
「はい、陛下。私の娘は帰ってからずっとフランシス殿下の話ばかりしております。もう私が妬けるほどに」
答えたのはフランシスではなく、侯爵だった。フランシスはミモザが自分のことを考えていると聞いただけで気分が高揚したが、皇帝の様子を見て緩みそうな顔を引き締め直した。
「お前が初めて会う人間に心を開くなんて珍しい。そこでだ、私たちで話し合って彼女をお前の婚約者にしようという話になった」
やはり来たか。恐れていた事態になってしまい、フランシスは押し黙った。彼女との婚約自体は好ましいものだ。しかし、エルフェンリート侯爵家はダメなのだ。このフラム帝国で上から数えた方がいいほど力のあるエルフェンリート侯爵家と繋がることということは。
「なあ、フランシスよ。もう一度皇帝になることを考え直してはみないか?」
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