4.
ミモザが塔に来てから、一年ほど経った。この暮らしにもすっかり慣れていた。貴族令嬢だった頃のことが遠い過去のことのようだ。自分のことが何も出来なかった彼女は既にいない。今では料理こそまだ完璧ではないが、洗濯や掃除、自分の身支度はすっかりこなしている。反復は何にしても重要なことだ、昔狂ったようにありとあらゆる知識を身に着けていた頃のことを思い出した。ここに来た頃は時々、昔のことを思い出してはその寂しさを嘆いたものだったが、今ではそれさえもなくなった。この自分以外のいない世界に適合するとは、なかなか先代の魔女の先見は外れていなかったのだろう。ミモザは一人、今までこの塔にいた他の女たちに思いを馳せるのであった。
星詠みの魔女の仕事はシンプルなものだ。世界を揺るがすような大きな災厄が来たとき、真っ先に神からの言葉を受け取り、神殿を通して各国に伝えること。魔女と名前が付いているが、どちらかというと巫女の仕事に近い。そして災厄なんてものは頻繁に起こるものでもないので、彼女が星詠みの魔女である間には何も仕事がない可能性も十分ある。ならばずっと星詠みの魔女を塔に置く必要なんてないのではとも思うが、『星読み』というのは古い占星術の類で、今はもう星詠みの魔女の間にしか伝わっていないもののため、絶やすことが出来ないのだ。
本来は先代の魔女がそれを自ら次代に伝えていくのが習わしなのだが、今回の場合はもう既に先代が亡くなってしまっている。ミモザは彼女が残した日記と、塔の中にあるたくさんの書物で、独学で学ぶことになった。幸い、書物は星読みだけでなく他の学問・・・薬学や医学、魔法、各国の歴史、普通の読み物に至るまでかなりの数を保有しており、一生かけても全部読破できるかわからないほどだった。中には絶版になっているものや行方不明とされていた有名な著書もあり、歴代の魔女が持ち込んだものなのが察せられた。しかし、ミモザにとって一番ためになったのは、どんな貴重な書物でもなく、ここにいた住人たちの日記であった。
ミモザはここに来るまで星詠みの魔女について余りよく知らなかった。何しろ星詠みの魔女は伝説とも等しい存在であるため、おとぎ話扱いで、ほとんど学ぶ人間もいなければ、書籍も残っていないのだ。そこで役立ったのが、彼女たちの日記だ。たくさんの魔女たちの日記は、一種の歴史書にも等しく、この生活と魔女たちの決まりごとについて学ぶことができたのだ。
おとぎ話で語られる星詠みの魔女でよく言われるのが、魔女の子は魔女というものだ。実際先代の魔女、ベゴニアも母親が魔女で、そのまま継承したと書いてある。ここで疑問になったのが、この塔にほとんど軟禁状態の彼女たちがどうして子を残し、継承していくことが出来ているのかだ。
答えは一枚のメモ書きからわかることとなった。それは本棚ではなく、水色の水晶の隣にそっと添えられていた。
『これは、運命の人がわかる水晶だ。どこに現れるかと、今どこにいるかがわかる。この水晶が光り、お前を導いた時だけ、外に出ることが出来る。』
メモはそれだけ書いてあった。ミモザは驚いて、水晶を思わず手に取った。すると、水晶は一瞬光ったかと思えばすぐに元の色に戻った。魔女の残したものとは言え、さすがにそんなものが存在するわけがない、ミモザは元あった場所に戻そうとした。置こうとした瞬間、ミモザは水晶の中に何かが浮かんでいるのに気が付いた。顔を近づけてみるとそこには、一点の点滅する光と地図が見えた。
「もしかして・・・これが今の運命の人の位置?」
点は、塔のあるアステール島から程遠い位置にあった。他にも何かこの水晶についての情報がないか調べてみると、ミモザの予想通り地図に点だとその人の位置を表すと書いてあった。この場合、ミモザが自分から会いに行くことも出来るとも書いてあった。稀に水晶は位置とその日付を示してくることもあるらしい。○○年後の△△といったように。どちらにせよ水晶はその人の顔どころか名前も教えてくれないらしい。ミモザはその水晶のことはとても気になったが、まだ新しい恋愛をする気には到底なれなかったため、ほこりが溜まらないよう布を被せ、元の場所に戻した。
そうやって自分にとっての運命の人を見つけ、魔女たちは子を残していた。そうやってできた夫と子は島で共に暮らすことが許されている。だが、娘が生まれ、無事継承させると魔女と家族はその魔女になったたった一人を残して塔を去るのだ。それを長い時間延々と繰り返したため、各地に魔女の末裔が存在する今の状態が出来上がったというわけだ。中には先に結婚していて子のいたものや、先代のように独身の道を選ぶものもいたが、別に必ずしも運命の人をというわけでもないため、代替わりが上手く出来ていたのだ。
塔での生活は独りぼっちだが、全くの孤独でもなかった。アステール島の隣の島の人々が、週に一度ほど来て、必要なものを置いていくからだ。彼らはとても善良な人々で、ミモザには見慣れない黒い肌をしていて最初は驚いたが、しばらくするうちに彼らにすっかり慣れた。彼らは、今までの魔女の話をしてくれた。ミモザも自分の故郷の話をしたりした。彼らはミモザの必要としたものを持ってきてくれたし、ミモザもまた彼らへの返礼として薬を返した。それが今までの魔女たちと彼らの契約なのだ。と言っても初めて薬を作るミモザを急かすこともなく、難しいもの今すぐ必要なものからではなく、ミモザが作れるものから要求した。最初は島の老人の湿布からで、少しずつ少しずつ難易度が高いものを作っていった。先代が亡くなる前にストックを大量に作っていたのが助かった。薬の勉強は、今まで数々の学問を修めたミモザにとっても簡単なものではなかったが、とても興味深くどんどんのめり込んだ。何よりも島民たちからミモザの薬で助かったと言ってもらえることが嬉しかった。
ミモザはこの生活に慣れると同時にあの日見た水晶のことも忘れられずにいた。あの点は今何処にいるのだろうか。もしかして、こちらが探しに行かなくても、あちらから来るのではないか。そうなれば、私今度こそフランシスを忘れられるかしら。ぼんやりとそんなことを考えるミモザの脳裏には、懐かしい、いつも寂しそうな赤い瞳が浮かぶのだった。
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