3.
彼女たちには運命の相手がいて、その相手に会う時だけ塔を出ることができる。――
「星詠みの魔女たち」イヴァン・アルバス著
ついに出発の日が来た。ミモザを迎えに来た神殿の人々はみな揃いの白い装束を着て、いかにも神職の人間といった様子だった。見送りには、家族と使用人たち、ローズだけが参加した。フランシスはまたしても現れなかった。そのことに対してローズとアリーは、ミモザ以上に憤慨していた。ミモザは逆に二人が怒ってくれたおかげで、自分は冷静になることができた。縁がなかったのだなと、何となく納得した。
「ミモザ・・・元気でね」
「うん、貴女もねローズ。皇太子殿下とお幸せに。貴女ならきっと立派な皇后になれるわ」
「勿論よ。貴女の分まで頑張るわ」
二人はお互いを抱きしめた。ああ、彼女ともっと早く友人になりたかった。ミモザは軟らかい彼女の身体を感じながらそう思った。そんな時、聞きなれた高い声がミモザの耳に届いた。
「ミモザ!」
「ミモザ様!」
振り向くとそこには学園で別れを告げたはずの友人たち―彼女が特に仲の良かった三人が立っていた。驚いた顔をするミモザに彼女たちは駆け寄った。
「ローズさんに聞いてきたのよ。全く水臭い」
「もう、ミモザだって言うのを我慢していたのよ」
「私たちもお別れさせてください・・・ぐすっ」
「ラナさん、泣くのは早いわよ」
ローズの方を見ると、白々しく「私は関係ないわよ」とでも言いたげな顔をしていた。彼女たちとローズは敵対派閥。そんな彼女たちに、ルール違反をしてまで会わせてくれたローズに感謝しかなかった。全員と抱きしめあい、涙を流しながらつかの間の楽しい時間を過ごした。
「皆さん、ありがとう。さようなら!お元気で!」
父、母、兄、妹。遠くの地から来てくれた祖父母、友人たち、今まで世話になった屋敷中の使用人。たくさんの人々が涙を流し、別れを惜しんでくれた。彼らとの思い出がどんどん浮かんでくる。ミモザは、これまでの人生と彼らに感謝した。ただ、一つフランシスのことだけを後悔しながら、馬車に乗り込んだ。
神殿の人々はとても静かなもので、彼女に軽い説明だけすると、ほとんど関与しては来なかった。質問をしても、星詠みの魔女のことは星詠みの魔女しか知らないとのことだった。ただ、ここからあと一週間かかることと、年に一度外部に手紙を届けてくれることだけ教えてくれた。長旅をしたことがほとんどないミモザにとってそれはきつい知らせであったが、手紙に関しては嬉しい情報であった。全く連絡が取れないわけじゃない。これからずっと一人きりの彼女にとってそれほど救われることはない。少しだけ救われるような気持ちになったミモザだった。
旅の最後の日、ミモザは昔の夢を見た。フランシスと婚約した日のことだ。初めて会ったその日からミモザは、時折城内でフランシスと遊ぶようになった。いつも二人だけ、父の用事が終わるまでだったが、ミモザには幸せな時間だった。
そして、十歳になった頃、フランシスとの婚約の話が持ち上がった。ミモザは父から話を聞いて舞い上がった。
「こらこら、まだ確定ではないのだよ。フランシス殿下の婚約者候補はお前ともう一人いるんだ。まあ、殿下は仲のいいお前を選ぶだろうがな」
一週間後、陛下たちも交えて面談をし、その場で発表する。ミモザは胸を高鳴らせて、その日が来るのを待った。
当日、一番お気にいりのドレスを用意して父と登城した。父は何があっても、大人しく我慢をしなさいとミモザに言った。おてんば娘のミモザもさすがに、皇族たちの前に出ると緊張してしまって、縮こまった。ミモザともう一人の候補は、公爵令嬢だった。ミモザに比べると美人ではないが、同じ年とは思えないほど落ち着いていて、所作が美しく洗練された少女だった。受け答えもはきはきとしていて、ミモザは急に不安になった。身分も上の完璧なレディーである彼女。いくら仲が良いのはミモザの方でも、皇族の一員になるのに相応しいのは彼女の方ではないのか。ちゃんと礼儀作法の授業をもっと真面目に受けなくてはならなかった。そう後悔していた。
「ミモザ嬢、エルフェンリート侯爵、前へ」
ミモザの番が来た。ミモザはおずおずとドレスの裾を持ち、礼をした。それを見た皇后は微笑みながら、カナリアのような声を響かせた。
「まあ、可愛らしいこと。これならアルバートの婚約者候補でも良かったのではないかしら?エルフェンリート卿?」
「いえ、娘は皇后向きの性格ではありませんから」
「あら、そう?本当にそうならいいですけれど」
含みを持った笑顔を二人は互いに向けあう。皇帝は二人を置いておいて、どんどんミモザに質問をしてくる。ミモザは途切れ途切れになりながらも、一生懸命全部の質問に答えた。もう一人の公爵令嬢―― ブレンダ嬢に比べると劣るが、及第点は貰える応答だっただろう。質問を一通り終えると、皇帝は隣に立つフランシスに声を掛けた。
「お前も何か言いたいことや聞きたいことがあるだろう。ほら」
皇帝に促され、フランシスは一歩前に出た。いつものラフな格好と違い、正装をしたフランシスはいつもより一層輝いていて見えた。ミモザは何を言われるのかと身構えた。
「初めまして。フランシス・エルドレッド・フラムです」
(初めまして?)
ミモザは思わず怪訝な顔をした。フランシスは何を言っているのか。こんな時に冗談を言っているのだろうか。身を乗り出してフランシスに問いかけようとした瞬間、父に腕を引っ張られる。振り返ると、父は何も言うなと口を動かした。なぜ、と父を問いただしたい気持ちはあったが、大人しく従った。そう判断するしかないほど、彼女は混乱していたのだ。フランシスの質問は既に彼はとっくに知っているようなものばかりで、ミモザをますます混乱させた。もしかして、今まで会っていたのは彼に似た誰かとかだったのだろうか。そんなことを考えているうちに、面談は終わってしまった。
「フランシスの婚約者は、ブレンダ嬢だ。これから仲良くしなさい―――」
ミモザは選ばれなかった。ここに来る前に父は言っていた。最終決定権はフランシスにあるのだと。ということは、フランシス自身がミモザのことを選ばなかったのだ。皇帝や皇后がミモザ以外をと望むならここまでショックは大きくなかっただろう。好きだったのは、自分だけという事実は幼かった彼女にはとても重く辛いものだった。ミモザは帰り道、一言も発せずに帰った。家に着き、母親の顔を見た瞬間に大泣きすることになった。母はミモザの頭を撫でながら、こう諭した。
「ミモザ、とても悲しかったわね・・・。貴女は本当にフランシス殿下が大好きだものね。でもね、貴族というのはそれだけではいけないのよ。好きとか嫌いとかだけで、必ず結婚出来るわけじゃないの。貴族はね、家同士や領地のことも考えて結婚を決めるの。それが私たち、たくさんの人の命を預かっている貴族の責任なのよ。ただ綺麗な服を着て、お腹いっぱい食べることだけが仕事ではないのよ。そしてね、皇族の皆様はもっと私たちより裕福だけれども、もっと自由がないのよ。ブレンダ様はとても優秀なお嬢さんだったのよね?きっと殿下は、貴女のことが好きじゃないわけではないと思うわ。ただ、ブレンダ様の方が国のためにはいいと考えたのではないかしら?貴女はマナーも勉強もさぼってばかりだった。そのツケが今やって来たのよ。私たちも貴方に強く言わなかったのだから、私たちの責任でもあるのだけれどね。貴女はせっかく好きな人と結婚できる好機をふいにしてしまったのよ」
母親にここまで強く言われたのは初めてだった。ミモザは今まで自分の生活が誰のおかげで出来ているかなんて考えたこともなかった。領民たちがいたから、その領民に信頼されている父のおかげで自分は生活できるのだ。彼らのためにも今回の婚約者の座を射止めることは、本来重要なことだった。皇族の婚約者がこの地にどれだけの名誉と富をもたらしただろうか。きっとミモザを誰も責めたりはしないだろう。それでもミモザは自分自身が許せなかった。生まれ変わろう、そしていつかフランシスに立派な貴族令嬢になったなと認められたい。そう願うのだった。
その日以降のミモザは、領地に戻り、ひたすら猛勉強した。マナーや礼儀作法だけでなく、歴史、算法、魔法にいたるまで全てを学び直した。これまでのサボっていた分まで取り戻すのは簡単なことではなかったが、ほとんど一日中遊びに行くこともなく取り組んだおかげで自分の年齢まで追いつき、そこから追い越すことまで可能にした。苦手だった刺繍や詩文の技術も見違えるほどに成長し、元々得意だったダンスや乗馬は他の令嬢では真似が出来ないレベルにまで達していた。その様子は周りの人間から心配されるほど必死であったが、彼女はひたすらゴールの見えない己を高める道を邁進していった。
二年の月日が経つと、ミモザはすっかりお行儀のいい侯爵令嬢になっていた。もう彼女は木の登り方も忘れてしまっていた。その噂は皇都にも届くほどで、彼女と年の近い子息からお茶会やパーティーの誘いが盛んに来るようになっていた。中にはかつて、ミモザの髪をからかった者たちの名前もあって彼女は心底呆れた。ミモザは未だに誰とも婚約を結んでいなかった。あの初恋の皇子が忘れられなかったからだ。父も母も社交界に入ってからでいいというため、それに甘えることにした。
そんな中、どうしてもフランシスのことを考えてしまうのが止められないミモザの元に一件の知らせが届く。なんとブレンダ嬢が流行り病にかかって亡くなったため、ミモザをフランシスの次の婚約者に指名したいというものだった。彼女は二年ぶりに、皇都に向った。
フランシスに会うのはあの日以来だった。ミモザはとても緊張していたのだが、いざあの時と同じく皇族たちの目の前に立つと不思議と身体が勝手に動いた。彼女がこれまで学んだことはしっかり彼女に染み付いていたのだ。皇帝はミモザの変化に驚いていたが、大変喜んで早々に婚約者と決定した。
「まあ、良かったわね。フランシス。あちらで二人でお話してくるといいわ」
皇后にそう急かされ、二人はかつてよく二人で遊んだ庭に出た。
フランシスは、以前より背が伸びて、ますます男らしくなっていてミモザは眩しくて少し目を逸らした。
「久しぶりですね。ミモザ」
「え?ええ・・・お久しぶりです」
二人はそこで黙ってしまった。十二歳という微妙な年齢は少年少女には、しばらく会っていなかった彼らには大きな壁であった。二人はそのまま当たり障りのない話をして別れた。次に会う時はいっぱいお話ししよう、そう決意し、その日の帰りの馬車に乗ったところで目が覚めた。
夢から醒めたミモザは、起き上がりぐんと伸びをした。結局、二人の溝は婚約が解消されたその日まで埋まることはなかった。もちろん、ミモザは以前のように歩み寄った。しかし、フランシスはどこか他人行儀な綺麗な皇子様のままで、かつての不器用で優しい少年の姿を見せてはくれなかった。無視されるといったことは決してなく、むしろ紳士な対応であったが、以前の素顔を見せてくれていたフランシスではなく、ミモザにまでも作り笑いを常に浮かべるようになっていた。それは思春期特有の照れなどではなく、わざとミモザと距離を置いているようだった。やがて、ミモザも彼と仲良くすることを諦め、それでもはた目からはお似合いの二人と言われるようになっていったのだった。
ミモザは相変わらず自分の諦めの悪さに、ため息をつく。もう塔は目の前だ。いつまでも皇子様は待っていても来るはずもないのにどうしても期待している自分がいた。
ブレンダ嬢とフランシスは上手くいっていたと聞いている。ミモザが知らなかっただけで、婚約前から二人は相思相愛だったのではないか。そんな彼に対して、自分の気持ちを言うなんておこがましい、なんとも恥知らずではないか?そう思ってしまえば、彼女は自然と彼に対して一歩引いてしまった。その結果があのざまだ。よくわからない女に奪われるなんて理由で婚約解消ではなく、破棄になっていれば外を歩けなかっただろうが、ミモザにとって屈辱だったことは変わりはない。
「全部終わったことなのだけれどね」
そう一人ぽつりと呟くと、島へ向かう船に乗り込んだ。海は霧で覆われ、近くにあるはずの島の姿は見えないが、高すぎる塔の影だけはぼんやりと見ていた。
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