王都陥落

湯の介

王都陥落

 窓がなく薄暗い小さな箱のような部屋。その中央には異様な存在感を放つベビーベッドが置かれている。黄金をくり抜いて作られたそれに使われているのは、在位三千年を記念して献上されたものだ。万が一、呪いの魔術が身に降りかかった時に祓うことができるよう、魔術を食うと言われている伝説の生物『蛇』の細工が大量に施されている。眼の部分には、高価なエメラルドやサファイアを始めとしたと色とりどりの宝石が丸く加工され散りばめられている。丁寧に作られた絹布団の中央には、寝息を立てて蹲る赤子の姿があった。


 弱者が強者に強奪されるだけの混沌とした世界を憂い、三つの都市と数百の村を整え、長寿故に増え続ける領民を統べ、平和に刃を向ける者がいれば迷いなく首を切り落とすことができる魔王。この世界で最も強靭な精神力を持ち、優れた魔術を扱う男でさえ息子の前では思わず顔を綻ばせる。


「陛下、恐れながら申し上げます。よもや……」


 ベビーベッドの傍らで膝をつく侍女が淡々とした声を投げかける。その白い肌は蛇の鱗のようにひび割れ、黒猫のような黄色い瞳を持ち、瞳孔は縦に細くうっすら白味を帯びた光を放つ。すらりと伸びた脚の先には馬の蹄を持ち、肩甲骨から生える白い羽根には、所々に返り血が染み込んでいた。


「分かっている」


 魔王は小さく溜息をつくと、その長く青い爪で傷をつけないように右手をそっと赤子の額へ置く。刹那、赤子の額が鈍い紫色に輝き始めるが、赤子は微動だにせず眠っているようだ。魔王は目を瞑ると眉間に皺を寄せ、大木の葉を一枚残らず震わせる地鳴りのような低い音で言葉を紡ぎ始めた。


お前に何を詩おうか

太陽よりも赤々と燃える双眸

宵闇よりも重たい黒色の長髪

獅子よりも鋭い牙 鰐よりも頑丈な顎

何億年も在る岩の色を写したような肌の

処々に持つその鱗は万病の薬となる

お前こそ魔の民を統べる者

私と瓜二つ 闇に愛された可愛い息子


私の力は既に衰え

三千余年 一欠片の綻びもなかった私の化身

この城も 王都も 私と共に

彼奴等の前では脆く散る

ニンゲンという蛮族が

穢れを祓わんと仕立て上げた

勇者とは名ばかりの 争いを好む愚か者ども


お前に従わせよう 王の眷属

母なる闇が産んだ三つ子

青い翼 禿鷲のような爪で死肉を食らう長兄

赤い翼 怒り狂った象のように仇を踏み潰す次兄

白い翼を血で染め お前を抱く娘

その羽根が抜け落ちれば 新たな眷属が産まれる

落ち延びよ 二度とこのかいなに抱けなくとも

再起せよ お前がこの詩を理解した時に


父として 母として ただ生きろと

一人の親としての言葉を 絞り出せたらどれほど良いか

お前が私の鱗から出でた時 不思議と涙が零れたものだ


生きよ お前は全ての魔の民を統べる者

生きよ 王の定めを受け継ぐ赤子よ

戦え 全ての魔の民の仇を討つ為に

戦え 君臨する血の責務を果たす為に


 魔王が口を閉じると同時に、赤子の額は元の深い灰色へと戻っていく。そして、魔王は右手をベビーベッドから離してゆっくり下ろすと同時に、崩れ落ちるように膝をついた。


「陛下」


 侍女が眉をひそめて声をかけた。魔王は肩で息をしながら立ち上がる。


「大事ない。記憶を刻む呪文の詠唱ですらこの様とは思わなんだ」


 疲労のせいか、深い灰色の肌が少し黒ずんでいる。息を整えてから赤子を両腕でそっと抱きかかえると、額に軽くキスをして、足元に控える侍女に視線を移した。侍女は何かを察するように頷いて、魔王の手から赤子を抱き取る。一度大きく口を開いたが、すぐに言葉を飲みこむように口を閉じる。


「魔王陛下、万歳」


 と呟いて一礼すると、馬の蹄のような足音を静寂に響かせて部屋を出て行った。


 魔王は少しの間虚空を見つめて立っていたが、やがて子ども部屋がある地下室に背を向けた。魔物の成長を阻む光を遮断する為に作られたこの部屋は最早必要がなくなった。三千余年使われていた古い螺旋階段には、先週まで埃ひとつ落ちていなかった。それが今では全体にうっすらと埃が積もり、鼠の足跡が駆け巡り、あちらこちらにひびが入っている。


 魔王の知らない土地から『ニンゲン』なる種族が攻め入ってきたのは、僅か三年程前のことだった。彼らはまず小さな村々から農作物や絹糸といった特産品を強奪し、次第に子どもを連れ去るようになった。やがて、奪うものがなくなった村から順に、血で染めあげていった。


 魔王が望んだ平和な日常の中で、交易の発展と引き換えに戦力が衰えていった農村部は、王都からの軍隊派遣を待つまでもなく次々と滅んでいった。


「これも全て、私の責任だ」


 魔王は自らも広い領土を駆け巡り、あらゆる武力と魔術を用いて領民達を守ろうとしてきた。しかし、あの『ニンゲン』と言う種族は『カガク』という魔術を上回る不可解な何かを操り、確実に魔王を追い詰めていった。この三年程の間に、目の前で倒れ伏した部下達の顔を一人ずつ思い返しながら石の階段をゆっくりと登る。ついに吹き抜けになっている最上階に続く階段の、最後の一段に足を掛け奥歯を噛みしめる。


(彼奴等からすれば、魔術という未知の文明を有する私達が恐ろしかったのだ。自分たちの平和をいずれ脅かすかもしれない悪だった。所詮は強者が正義か。……せめて王として、最後の仕事を成し遂げなければ)


 体を支えていた右足にグッと力を入れて踏み込む。その勢いで地を蹴り、幾度となく登った長い螺旋階段に惜別の想いを手向け、王都を見渡す為に置かれた王座の前に駆ける。息もつかずに両腕を組んで仁王立ちしてから、下を向いた。この王座は、深い川で溺れている子どもを助けた時に、家具職人だった子どもの両親から献上されたものだ。岩を切り出して作られた頑強な城には似つかわしくない、木製の簡素な椅子。それには、家具職人ならば三年分の給料を投げ打っても手に入るか分からない、人魚の涙でできた結晶が散りばめられている。


「魔王陛下、これは私ども家族だけではなく、周りの村にも声をかけて、お慕いする一心で作り上げました」


 視察の度に不便がないかを尋ねて回ってくださる。膝をついてそうはにかんだ家具職人が住んでいた村は、先月の急襲で焼け野原と化した。作り手の悲痛な叫び声が風に運ばれて届いたのだろうか、磨かずとも昼夜光り輝いていた水色の結晶は今や灰色に曇ってしまっていた。


 魔王の脳裏を三千年の記憶が駆け巡る。思い出す領民の笑顔に胸を締め付けられながら、前を向いてありったけの思いを魔術に乗せて叫ぶ。


「魔の民よ、聞け。対話を知らぬ蛮族どもはもうじき王都にまで押し寄せる。生きて恥を晒すな。この地を呪い、魂となりて再起の時まで共に眠ろうぞ」


 次の瞬間から、王都のあちらこちらから魔術に乗せた叫び声が返ってくるのを全身で感じる。


「魔王陛下、万歳」

「お世継ぎ様の未来に栄光あれ」

「魔王陛下、万歳」


 叫びは王都にとどまらず、他の都市があった場所からも、生き残った数少ない村々からも響き渡る。そして、僅か十分程で声は返ってこなくなり、魔王を拝する生命の息吹も感じ取ることができなくなった。


 魔王は急激に体の力が抜けていくのを感じた。体力も魔術に用いる精神力も限界だった。残る全ての力をふり絞って領土全てに声を届ける魔術を用いたせいで、膝が笑って体重を支えることすらままならない。今にも這いつくばりそうな様からは、支配者としての威厳はまるで感じられない。それでも最後まで立ち続けようと、王座の上で両膝に力を込める。その意地を嘲笑うかのように、もはや支配者を失った王都は唸り声を震わせ、城の輪郭がゆっくりと崩れ落ちていく。舞い立つ粉塵と共に地面に飲まれていきながら、魔王は両腕を高く掲げて最後の声を振り絞った。


「愛する息子よ!再起せよ――――――!」

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王都陥落 湯の介 @yunosukexpen

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