第380話 作られた騎士
デニッサの手記には、日々の他愛ないできごとから魔導の研究に関することまで、子細に記録がなされている。
それは、レリィが生まれる以前から書かれていて、レリィが生まれてからも淡々とその記録は続けられていた。
山奥の村の狩人とその伴侶である二級術士デニッサとの間に子供が生まれた。親の性質を受け継いだ赤毛と青い瞳が特徴的な娘だった。
しかし、その子はまもなく病に罹り、瀕死となる。
村にはまともな医者もおらず、医療知識だけならデニッサが村一番の知識人で薬師の真似事などしていたくらいだ。そんなデニッサが病気の原因を突き止めるまでに至ったことは奇跡に近い。だが、その病には有効な薬がなく、ただ患者の体力と自己治癒力の解決に任せるしかなかった。
けれど、生後間もない子供の体力では病にとても抗えず、確実な死が待っているとデニッサにはわかってしまった。
その子を救う為の手段として、デニッサは独自に研究を進めていた古代遺跡の魔導設備を使う事を思いついたのである。
人間の身体に特殊な魔導回路を転写して、人造魔人とする回路刻印の施術装置。
魔人は人類の敵とされるが、人造魔人は現代における騎士に準じた存在だ。将来的に迫害を受けるようなことにはならないだろう。人体改造の倫理的な問題も、魔導回路の皮膚刻印が一般的になった今ではさして忌避されるものではない。他の一般的な術士の見解はともかくとして、少なくともデニッサはそう考えた。
人造ではあっても、闘気を操るなら騎士として認められる。その確信がデニッサにはあった。なにしろ、人工的に騎士を作り出す魔導技術など現代では完全に失われたものなのだから、誰も真相には辿り着けない。闘気を使えるのだから騎士の素養があるに違いない、そう誰もが思うはずだ。
なにより、何もしなければ死を迎えるだけの子供に、親としてできることがそれ以外になければやるのだ。
闘気はあらゆる身体能力を引き上げる。病魔に対する抵抗力さえ向上させる。娘を救う手立てがあるのなら、デニッサが迷うはずもなかった。
魔導回路とは、刻んだ回路に沿って魔導因子を流すことで、この世界には本来存在しない異世界の法則、すなわち魔力を召喚するものである。
ところが、人造魔人の体に刻まれる魔導回路とは、あらかじめ回路を刻むものではなく、特定の魔力を発現させながら魔導因子を体に流すことで自然と回路を形成させる方法なのである。それがどれだけ乱暴なことなのかは、体に刻まれた魔導回路を見れば一目瞭然だ。
普通の魔導回路は皮膚表面に刻み、魔導因子を生成する脳との接続に皮下組織の浅い領域にある神経を使う。
だが、無理矢理に魔導因子を流して『自然に』形成される魔導回路というのは、体のあちらこちらに無数の回路を網の目のように形成してしまう。その回路は皮膚に止まらず皮下組織より深く、体中の血管や内臓にまで魔導回路を行き渡らせるのだ。
回路刻印の施術装置、『棺』の中へと安置された赤ん坊=レリィは、古代の棺の中で、人造魔人となる施術を受けた。施術の副作用で髪の毛は深緑色に、瞳の色は翡翠色へと変色していく。
だが、レリィの施術をしていたまさにそのとき、朽ち果てていたはずの遺跡の守護者が目を覚ました。
神と戦う者にのみ許された施術。この施設が無法者に利用されないよう、侵入者を排除するのが守護者の役目。長い年月が経過して自力で起動するエネルギーを切らしていた守護者であったが、遺跡の施術装置を起動させたことで、守護者にもエネルギーが供給されてしまったらしい。
眩い光を放ち、守護者は侵入者を滅ぼそうと動き出した。幸、デニッサ達は背を向けていて、奇襲の目くらましをまともに受けることはなかった。
狩人の父親が守護者を拘束し、術士のデニッサが守護者を封印した。
守護者の妨害もあって施術は中途半端に終わったが、それでもレリィは特殊な能力を獲得していた。
周囲の魔導因子を吸収し、闘気として自らの身体を強化する。本来の人造魔人なら魔導因子の吸収と闘気の放出を同時に行えるのだが、施術が半端だったレリィは魔導因子を一度蓄積してからでなければ闘気に変換できなかった。そして、貯蔵した魔導因子を使い切って初めて魔導因子を吸収する能力が発現するという不完全なものになっていた。
それでもこの施術は、闘気によって単純に体力を増強するだけでなく、免疫能力の向上も実現していた。
病状は峠を越えて、レリィの命は救われた。
それから幾年かの時間が経った頃、守護者は封印を破って突然動き出した。
遺跡付近の森の中で暴走しており、放置はできない状況になっていた。
レリィの両親は守護者の暴走の原因が、封印の劣化であるとの考えに至る。封印は半永久的に働くはずだったが、予想以上に守護者の力が大きかったのか、封印は破られてしまった。
猛獣の討伐と称して、人知れず守護者を止めるつもりだったが、激しい暴走に巻き込まれ、二人は大怪我を負ってしまう。そのまま遺跡の奥で動けなくなり力尽きたのだ。
しかし、守護者もまた機能停止に陥るほどの損傷を受け、遺跡の中で自己修復の為の眠りについた。それが、事の顛末であった。
デニッサの手記には、棺の魔導回路を起動させる方法と、完全に機能を復活させるための外付け魔導回路を隠した場所が記されていた。棺単体では正常な動作をしないようである。
娘を人造魔人に改造してしまうくらいには倫理感の欠如したデニッサにも、この古代魔導技術が人類社会にとって危険極まりないものだという理解はあったらしい。他の人間がこの遺跡を発見しても利用できないように、施術装置の部品をばらして隠していた。
幸にも隠し場所は近くの森の中、大体の場所を知っていて透視の術式を使えば容易に発見できる場所にあった。
小さな箱型の魔導回路を八つ回収してきた俺は、棺にもちょうど同じ大きさの凹みがあったので、そこに差し込むのだろうと当たりをつけた。デニッサの手記にはその辺りから細かい記述はなかったが、必要なものさえ揃ってしまえば二級術士のデニッサに解析できたものが、一級術士の俺にできないはずもない。
その後、棺の魔導回路とレリィの魔導回路を解析し、それが彼女を癒し、更なる強化も可能な装置であると突き止め、レリィの治療を行った。
重傷だったレリィの傷は、俺の治癒術式と古代魔導回路の回復機能によって塞がっていく。呼吸もすっかり安定して、もう命の危険はないだろうと思えた。
古代魔導技術の極みである回路刻印の施術装置『棺』の機能はこれだけではない。
おそらく、半端に中断しているレリィの施術を完全なものにすることができる。
「許されない……。許されることではない……」
魔女共に与することも考えたが、その決断をするには期を逸してしまった。
深緑の魔女ならば弱みにつけ込み、二度と歯向かえないような呪詛を掛けるに決まっている。
そうなれば奴隷の如く利用され、慰みものにされるのが落ちだ。
「この窮地を乗り切るなら最も確実な方法だ」
元来より人が持ちえた可能性である魔導因子の発露。それを闘気へと変換する魔導回路を遺伝子レベルで刻み込まれたのが騎士という存在だ。
その特殊な魔導回路は何世代も受け継ぐことによって、人工であったはずの能力はやがて定着し、血統による素養へと変化を遂げた。
――だが、それは代を重ねることでようやく人の体に馴染ませることができた、切れ味の良すぎる諸刃の剣のようなものである。
この特殊な魔導回路は素質のないものでも騎士の闘気を生み出せるようになるが、その分だけ肉体が人間離れしていく。
本来なら闘気を宿すはずもなかった身体に、むりやりその能力を植えつける代償である。
レリィにとっては二度目の施術。一度目はただ彼女の命を繋ぎとめる目的で、守護者の妨害もあり中途半端な施術に終わっていた。
施術を完全に行ったとき、どこまで彼女の体を作り変えてしまうのか。
どれほどの力を彼女に与えるのか──。
そして、どれだけ彼女の寿命を縮めてしまうのだろうか。
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