第378話 ノームの助け

 赤く染まった八つ結いの髪が宙に棚引き、ゆっくりとレリィの体が倒れ込んでいく。

 闘気の守りがない状態で、竜化した『竜宮の魔女』が放つ『轟く響声サンダー・ボイス』をまともにくらってしまった。

 魔導の類であれば、魔導因子収奪能力で威力を減衰できただろうが、『轟く響声サンダー・ボイス』は物理攻撃としての特性が強いので相殺できない。


 俺は『樹木の乙女ドリュアデス』に捕まったまま。レリィは『轟く響声』の直撃で倒れ込んでしまう状況。最悪だ。

 ――判断を誤った。

 村に被害を出さずに戦おうなどと考えず、最初から手段を選ばない攻撃で場を荒らして、後は逃げに徹していればよかった。

 ビーチェとセイリスの存在を秘匿するために別行動を取ったのも、俺の覚悟が足りなかったせいだ。取り戻した幸福を失いたくないと考えて、それで新たに手にした幸福を取りこぼしてしまっては意味がない。

 今の俺にとってレリィもまた欠けてはならない存在だ。ここで失うわけにはいかない。


 両手両足をドリュアデスに拘束されているが、俺にはまだ切り札がいくつもある。へそに埋め込まれた蛍石の魔蔵結晶へ意識を集中して、『竜宮』や『王水』の追撃が来る前に術式を発動する。


(――焼き尽くせ――)

『煉獄蛍!!』

 橙色の光の球が無数に宙を舞い、ドリュアデスの蔓の拘束を焼き切る。続けて、自由になった腕で黄玉トパーズの魔蔵結晶を大地に叩きつける。

 大粒の黄玉トパーズだが惜しまず、魔導回路が焼き切れて結晶が砕け散るほどの出力で召喚術を発動した。

「力を貸せ!! 地の精ノーム!! 辺り一帯、掘り返せ!!」

 地の精ノームの力を借りた精霊現象。

 専門の精霊術士ではない俺が精霊の力を引き出すには、魔蔵結晶に貯めた魔導因子を大量に消費するなりして精霊への干渉を強める必要があった。

 しかし、大粒の黄玉トパーズを消費しただけの効果は得られた。


 ずず、ずん!! と、大地が揺れて木々を根こそぎ倒す振動が周囲に伝わったあと、地面のあちこちが大きく隆起する。

 ドリュアデスの宿り木となっていた樹木が次々に横倒しになり、慌てた様子でドリュアデスが木の幹から這い出して来る。

 その隙に俺はレリィを担ぎ上げて、森の奥へと迷わず飛び込んだ。

「――!? 『結晶』が逃げるわ!! 捕まえなさい! 『竜宮』!!」

「うるせー!! 腰の引けてやがるてめえが指図するな!! 『王水』!!」

 『王水』がすぐに追ってこないのはレリィの魔導因子収奪能力を警戒してのことだろう。もちろん『深緑』も迂闊には姿を現さない。

 その慎重さが今の俺にとっては決定的な離脱の隙になりうる。


 森へと入って全速力で山奥の村から距離を取った。

 俺が完全に逃げに徹していると気が付いたところで、魔女三人が本気で追撃にかかる気配がする。

 だが、もう遅い。

地の精ノーム!! 地を穿て!! 崖を崩せ!!」

 ずぅん……と遠くで重々しい音が響くと、近くにあった断崖の岩壁が崩れて、大岩の塊を複数含んだ大量の土砂がなだれ落ちてくる。

 発生した土砂崩れに俺を追ってきていた樹木の乙女ドリュアデスが呑み込まれる。

「逃がすかぁああ──っ!? ぁああっ!? んだ、これはぁあっ!!」

 単身、竜化した姿で猛烈な追撃をしてきた『竜宮』は、俺が地の精ノームに掘らせた落とし穴へと見事に落下する。必死に這い出そうとするが、落とし穴の縁はがっちりと固められ、その一方で穴の中は大きな空間になっており、『竜宮』の足場を奪うことで脱出を阻んでいた。


 森の中には他にも落とし穴が多数。後から追ってきた『王水』は穴にはまっている『竜宮』を見て二の足を踏んでいる。

 さらに何度か崖崩れを引き起こして、三人の魔女による追撃を完全に振り切った。




 過去に『幸の光』という伝説を追い求めて、この辺りの山奥まで調査に来たことがあった。

 その時に俺とレリィは初めて出会い、山の案内を彼女に任せた経緯がある。

 俺達はそこで、『幻惑の呪詛』によって隠された古代遺跡を見つけた。探索能力の高い術士でなければ存在に気が付くこともできない。

 だからこそ、気絶したレリィを連れて隠れ潜むには絶好の場所だった。


 この遺跡の存在自体は、『深緑』や『王水』なら連盟に上がってきた報告を見て知っているはずだが、実際に現場に調査へ来たことがあるのは俺と『風来の才媛』ぐらいなので、古参の魔女達が山奥に隠れた遺跡を探し出すのは難しいはずだ。連盟の情報部に所属する調査員も一人、遺跡まで辿り着いていたようだが、その人物は調査中に亡くなっている。連盟の情報部に問い合わせても、すぐにはこの遺跡の情報は出てこないだろう。


 ここでなら時間をかけて態勢を立て直すことができる。

 遺跡の奥まで入り込んだ俺は、抱え上げたレリィをそっと棺のような台上に横たえた。この棺のようなものは以前にも少し調べたことがある。謎多き古代の魔導装置だ。あれこれと魔導による干渉を試みたが、一切の反応がなかったものだ。古き時代の機能は失われ、いまや単なる石の台でしかない。

 それでも、寝台の代わりとするにはちょうどいい。


(――正常なる心身を取り戻せ――)

『……癒しの揺りかご』


 魔蔵結晶の水晶で陣を作り、中心にレリィを寝かせて回復術式を発動する。これで陣の中にいるレリィの自然回復力を促進させてやるのだ。

 気を失った状態でもレリィの魔導因子収奪能力は微弱ながら発揮されている。その影響で水晶の陣が破壊されないように、レリィの体の近くには魔導因子を貯め込んだ虹色水晶を幾つも配置してある。

 傷の治癒と魔導因子の補充を同時に行うことで、回復は多少早まることだろう。

 ただ、『竜宮の魔女』の放った『轟く響声サンダー・ボイス』は思いのほか強烈だった。闘気の防御を失っていたレリィは、体中の筋肉や骨をずたずたに破砕されている。衝撃波の影響で脳震盪も起こしたようで、いまだに目覚める気配がない。


 本来なら傷を完全回復させる術式『癒しの箱庭』を使いたかったのだが、術式発動に必要な庭園水晶ガーデンクォーツの魔蔵結晶はレリィの魔導因子収奪能力によって真っ先に砕け散っていた。

(……まったくもって諸刃の剣だな、レリィの能力は……)

 高度な術式を封じた結晶は、造るにも多大な労力と時間を要する。ないものねだりは諦めて、術式としては等級の低い、自己治癒能力を活性化させる術式でどうにかレリィの回復を試みているのが現状だった。


(……ひとまず、メルヴィとビーチェ達に連絡を入れておくか。合流は……レリィの傷が癒えるまでは危険だな。ビーチェ達がここに近づけば、この場所が魔女共に知られる恐れがある。それでも加勢が可能な距離までは来てもらっておこう……)


 メルヴィに連絡の手紙を送還しながら、何が最善の選択なのか、俺はずっと考えていた。

 理想的なのはビーチェ達が魔人であることを隠したまま、古参魔女達の追撃を逃れて国外に脱出することだ。しかし、先ほどは混乱に乗じて逃げられただけで、次に森へ足を踏み込めば『深緑の魔女』が樹木の乙女ドリュアデスに張らせた包囲網に引っかかる。今度は奴らを振り切ることはできないだろう。確実に、戦闘になる。


(……切り札はまだ残っている。だが、その手段は『禁呪』だ。使えば魔導技術連盟とは完全に敵対関係になる。魔人の件は隠せても、二度とこの国に戻ってくることはできない。いや、国外に逃げてさえ、魔導技術連盟に追われることになるか……)


 俺にとって大事なものを失うことは避けられない。これまでに築き上げてきた地位や名声、権力、財産もかなり失うことになるだろう。

 それでも、ビーチェを迎えに魔窟へ潜ったことを考えれば、レリィを救うために立場を失うことは今更怖くはない。

(……そうだ。俺はもう理解している。俺にとって何が幸福で、何を捨ててはいけないかを……)


 眠り続けるレリィの額に手を当ててみると、風邪をひいた時のように熱い体温が伝わってくる。力なく垂れた腕を取って肌をよく観察すれば、先程まで蒼褪めた白磁のようだった肌にわずかだが赤みがさしていた。少しずつレリィの傷が癒え始めていることを確認できて俺は一息つく。

 棺の上に広がった八つ結いの髪を見れば、真っ赤に枯れ果てていた髪に深緑の艶が戻りかけていた。


 ――ぴしり、と俺の懐で魔蔵結晶の一つが音を立てて割れた。レリィに近づき過ぎて魔導因子を奪われたのだろう。

 異変はその瞬間に起きた。

 レリィの全身の血管に刻まれた特殊な魔導回路が翠色に光り輝き、彼女の横たわる古代魔導装置の棺がぼんやりと仄かな青色の光を放つ。機能を失っていたと思われた古代の魔導回路が活性化していた。

「なぜこんな時に……!?」

 これまで何をやっても反応などなかった古代魔導回路だ。それがどうして今になって起動するのか。


 俺が困惑していると、目の前に黄色い光の粒が舞って一枚の紙切れが出現する。

 空中でその紙を掴み取ると、俺は紙片に書かれた文章にさっと目を通した。


『至急。最優先で、所定の座標よりメッセージを受け取ってちょうだい。メルヴィより』


 メルヴィに連絡を入れた直後の返信。それも情報の機密に配慮して、俺の方からメッセージを召喚しろとの指示だ。いつものメルヴィらしい浮ついた調子はまるでない。彼女には魔導技術連盟の動きを探ってもらっていた。その調査結果かもしれない。ただ、なんとも間が悪い。

 目の前で起こっているレリィの異変よりも優先すべきことか? しかし、古代魔導回路が起動した原因などすぐにわかるものでもない。これが良くない兆候なのか、レリィをその場から動かしていいのかもわからない。

 情報過多で思考がぐちゃぐちゃになったまま、俺は自分にできる手段として何も考えずにメルヴィの元からメッセージを召喚する。


 黄色い光の粒と共に俺の手元へ召喚された一通の手紙には、俺をさらに混乱させるような内容が書き記されていた。


『魔導技術連盟本部の術士が永夜の王国ナイトキングダムの貴族議会を武力制圧。連盟術士と契約関係にあった一部の騎士も制圧に加担。連盟は君主・影屏王の勅令を大義名分として、既に首都の政治機能を掌握済み。武力制圧を逃れたフェロー伯爵を筆頭とする貴族同盟と、連盟から離反した『風来の才媛』および彼女に同調した術士一団が都市郊外にて抵抗活動を続けている。……何が起こっているのか私にもよくわからないの。クレスお兄さん、私はどうすればいいのかしら??? とりあえず身を隠しながら返事を待つわ。メルヴィより』


 ふっ、と意識が遠くなるような内容の手紙だった。

 やりやがった。

 とんでもないことを、やっていやがった!!

「あの古参魔女どもがっ!!」

 怪しげに光り輝く古代魔導装置とレリィを前にしながら、それとはまったく無関係な問題として明らかになった事件の顛末に、俺は思わず頭を抱えて怒鳴り散らした。

 怒声は虚しく、古代の遺跡に響き渡った。

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