第377話 劣勢

(――まずいな。非常にまずい状況だ……)

 『深緑の魔女』が呼び出した精霊『樹木の乙女ドリュアデス』。

 あの魔女が精霊を操るなど聞いたことがない。それはすなわち、これまで完璧に秘匿されてきた切り札ということ。古参の魔女達の間では既知のことであったのか、『竜宮』も『王水』も一切動じていない。

 おそらく『樹木の乙女ドリュアデス』の特性もよく理解しているはずだ。それに対して俺の方は全くの初見である。ここから先の戦いは、俺だけが未知の脅威を相手に立ち回らなければいけない。


「さあ、姉妹達。そこの男を捕らえなさい。死なない程度にね」

 『深緑の魔女』が指示を出すと、『樹木の乙女ドリュアデス』がゆっくり動き出す。

 ざっと見渡しただけでも、付近の木々に五体ほど存在が確認できた。人型で知能を持った上級精霊が複数体。加えて、『深緑の魔女』と『王水の魔女』の二人を同時に相手取る。

「ふざけた状況だ、くそっ!!」

 周囲の森が一斉に揺れ動く。

 これまでの絞殺菩提樹による蔓の攻撃とは次元が違った。『樹木の乙女ドリュアデス』の宿った重量ある太い樹木が、地響きを立てながら四方八方から迫ってくるのだ。


 死なない程度に、だと? 冗談じゃない。こんな馬鹿げた質量攻撃をまともに受けたら圧死してしまう。

 蠢く木々の根が地面を掘り返しながら突き進んでくる。村の建物が圧迫されて幾つかの家屋が倒壊した。中から、人の悲鳴が聞こえた。

「くそババァ共……。老い先短いからって、好き勝手しやがる……」

 元々、自然に飲まれかかっていた集落だ。奴らにとってこんな辺境の村など消滅しても構わないのだろう。

 俺だって関りがなければ、見知らぬ村の一つ二つが消えたところで気になどしない。だが、ここは、この村は、レリィの故郷なのだ。

 彼女にとって、決して幸福に過ごせたとはいえない故郷であっても、愛する両親と共に過ごした実家もある。


「お前たちが、土足で踏み荒らしていい場所じゃないんだよ!!」

 正二四面体の形をした鉄礬柘榴石アルマンディンの魔蔵結晶を八つ、両手の指の間に挟んで同時発動する。


(──削り取り、擦り潰せ、肉片一つ残さずに──)

二四弾塊にしだんかい八砲斉射はちほうせいしゃ!!』


 鉄礬柘榴石アルマンディンの魔蔵結晶が鮮血のように赤く輝き、俺の周囲を埋め尽くす無数の赤褐色をした結晶弾が出現した。

 全方位に射出された結晶弾は、赤い閃光となって迫りくる樹木を穿ち、『樹木の乙女ドリュアデス』と『王水の魔女』の接近を阻む。『深緑の魔女』は前に出てくるつもりはないのか、森の奥に潜んで姿が見えなかった。

 無数の赤い閃光の幾つかが村の建屋を直撃して、村人の悲鳴が上がる。全方位から迫る木々を押し退けようと広範囲術式を使ったのだが、必然的に村への被害が出てしまう。

「ちっ……! 戦いにくい!」

 周囲に人がいなければ広範囲制圧術式で吹き飛ばしてしまうのだが。


 俺は周囲への被害を抑えつつ、迫りくる木々を斬り払うのに適した術式を選択する。懐から取り出したのは紅水晶の魔蔵結晶だ。


(――薙ぎ払え――)

桃灯灼爍とうとうしゃくしゃく!!』


 桃色に輝く光の鞭で俺を囲い込もうとしていた動く樹木を薙ぎ払った。

 人間の腰よりも太い樹木を一薙ぎで焼き切り、幹を半ばから切断された木が倒れ込む。それが近くの民家に倒れて、屋根を圧し潰してしまった。

「ぐぅっ……!」

 何をしても被害は免れない。

 こうなれば樹木を動かす精霊現象の元凶である『樹木の乙女ドリュアデス』本体、あるいはその主である『深緑の魔女』を直接に排除するしかない。

(……俺がそう考えることも予想して姿を隠したか。『深緑の魔女』……っ!!)

 そうなれば選択肢は一つだ。

 『樹木の乙女ドリュアデス』を倒すしかない。


 俺は『竜宮』の攻撃でひしゃげてしまった超高純度鉄の盾を捨てて、新たな武器を生成するべく赤い八面体をした尖晶石スピネルの魔蔵結晶を握りしめた。

(――組み成せ――)

尖晶獄炎槍せんしょうごくえんそう!!』

 血の色をした尖晶石が光り輝き、細長く引き伸ばされた八面体の結晶を穂先とした太い槍が形成される。柄の端まで尖晶石の結晶で構成された槍は仄かに赤い光を帯びて、穂先からは幻想種さえ焼き滅ぼす魔導因子の波動を放つ。


「一匹ずつ確実に、葬ってやるよ!!」

 気合一閃、背後の死角から近づいてきていた気配に向けて、瞬時に逆手で持ち直した『尖晶獄炎槍』を突き立てる。

 樹木の幹から半身を生やし、俺に手を伸ばそうとしていたドリュアデスの胸を刺し貫いた。同時に、槍の先端から鮮やかな赤色の炎が噴き出し、ドリュアデスの体を激しく燃え上がらせる。炎に包まれたドリュアデスは束ねた蔓が解けるようにして、緑色の肢体をばらばらに崩壊させた。幻想種を滅ぼした手応えのようなものは一切ない。

「擬態か!?」

 ドリュアデスの擬態が燃え尽きた直後に、目の前の樹木から別のドリュアデスが半身を生やして俺に抱き着いてくる。人間ではありえないほど強い腕の力で締め付けてきて、植物の蔓で作られた深緑色の髪までもが伸びて絡みついてくる。


(――貫け――)

『双晶の剣!!』

 双子水晶の魔蔵結晶を発動させて、自身の体から鋭い水晶の剣を生やすことで絡みついてきたドリュアデスの髪と腕を引き裂く。

 幻想種相手には効果の薄い術式だが、物理的に切り離すには十分な威力を発揮した。

 引き裂かれたドリュアデスはと言えば、痛みを感じた様子もなく、木の幹へと体を沈めて姿を隠してしまった。そうしてまた別の場所から出現するのだ。

(……厄介極まりないな。この樹海のなかで『深緑』を見つけ出さないといけないのに。横切った木々から腕が伸びてくるのを警戒しないといけないとは。それに加えて……)


『……万物融化液アルカヘスト

 ぼそり、と不吉な呪詛が聞こえてくる。

 咄嗟に近くの木を蹴りつけて方向転換すると、今さっきまで俺のいた場所を高温高圧の水流が貫く。太い樹木が根元から抉られて横倒しになった。抉られた部分は高熱によって焼け焦げており、術式の凶悪さをまざまざと見せつけてくる。

「ちっ……。まともに受けたら、ただじゃ済まない──なっ!?」

 がしっ! と、木の根元から生えたドリュアデスの腕に、脚を掴まれる。すぐに『尖晶獄炎槍』の穂先で掴んできた緑色の腕を切り落としたが、一瞬の行動停止を『王水の魔女』は見逃さなかった。


『――万物融化液アルカヘスト

 じゃっ!! と木陰から撃ち出された超臨界水の奔流が俺の心臓を狙って放たれた。超臨界水は出現からすぐに半ば蒸気と化して消えていくが、蒸発せずに余った分の威力だけでも馬鹿にできない。

「がぁああっ!!」

 胸に走った痛みに思わず俺はうめき声を上げてしまった。

 水の奔流は超高純度鉄の鎧に阻まれたが、高熱を帯びた水はその熱量を鎧越しにも伝えてきたのだ。

「やりやがったな……糞魔女が!!」

 意識制御も雑に、ただ牽制として水晶の魔蔵結晶を発動させる。


結晶弾クリスタル・グランデ!!』

 散弾のように撃ち出された水晶の弾丸が前方の木々を貫いて穴だらけにする。

 『王水の魔女』に当たってはいないだろうが、距離を取らせることくらいはできたはず。

 胸の辺りにひりつく痛みがあるが、自然治癒を促進させる術式をかけているので次第に痛みは引いていく。だが、このままではじり貧だ。確実に追い込まれてしまう。

 そんな弱気が生まれた隙へ付け込むように、ドリュアデスが一斉に木々の蔓と枝を伸ばして俺の動きを阻害し、複数体でがっしりと腕と体を絡めてきた。


 はたから見れば美しい樹木の妖精に抱かれた羨ましい構図に見えるだろうが、こいつらの腕力はそのように生易しいものではない。まるで大蛇のような恐ろしい力で締め付けてきて、そのまま地の底まで引きずり込もうとしているかのようである。

 そんな激しい戦闘の最中、竜化した『竜宮の魔女』と熾烈な肉弾戦を繰り広げていたレリィが、草木で茂った地面を転がりながら俺の前に飛び出してきた。そして、ドリュアデスに絡みつかれている俺を見て目を丸くした。


「なっ!? 何なの、その娘達……。ク、クレスー!? 私が必死で戦っている間に、何しているの!」

「落ち着け、レリィ! よく見ろ!」

「いやー!! もう、裸の女の子と戯れる姿を見せ付けるなんて!」

「馬鹿か! こいつらは人間じゃない!」

 こんな非常事態になんて勘違いをしているのか。ちょっと考えればわかるだろうに、レリィも相当に余裕がないと思われる。


 ちなみに、精霊が人に似通った姿を取ることが多い理由は至極単純である。

 情報体であり決まった形を持たない精霊は、精霊に積極的に干渉してくる存在、即ち人間と関係を深めることで人間性という情報を写し取ってしまう。そして人間性を獲得した精霊は、より人間らしく振る舞おうとする方向性を持ち、最終的に高等精霊ともなれば明確な自我と知能を有し、意思の疎通に人の言語を扱えるようにまでなる。


 ドリュアデスが言語まで操るのかは不明だが、少なくとも『深緑の魔女』の指示は理解していた。

 ドリュアデスの腕に込められた力は強いが、俺を絞め殺さないように加減している様子があるほか、体に這わせた手つきが妙にいやらしい。完全に体の動きを封じたうえで、優しく撫で回してこちらの戦意を削ぐかのような振る舞いである。

 そういった『害意の隠蔽』もまたドリュアデスという誘惑の精霊の罠なのだ。一見して、美しい女性達に囲まれた男が助けを求めているようには見えにくい。そうして発見した者達が救助をためらっているうちに標的を連れ去ってしまうのだ。捕まっている者も自分が優しく扱われているような気にさせられたうえ、どう足掻いても抜け出せないことから早々に抵抗を諦めてしまう。すべて、奴らの効率的な誘拐の手口だ。


「なんでもいいから、このドリュアデス達の拘束を解いて――」

 そこまで言いかけて、俺は初めてレリィの状態を把握した。

 普段は深緑色をしている長い髪が、先端まで全て赤く変色している。もうすでに髪へ貯蔵されていた魔導因子を使い果たしていた。


 レリィに特有の『魔導因子収奪能力』が発動する。


 見る見るうちにドリュアデス達から生気が失われ、『深緑』の魔導によって操作されていた周辺の樹木も枯れ果てていく。

 拘束が緩んで俺は体の自由を取り戻したが、この状況はよろしくない。魔導因子収奪能力を発現したレリィは、周辺の魔導因子を急速に吸収するので術士にとっては天敵となる。近くにいるだけで俺の魔蔵結晶が砕けて消費されていくのがいい例だ。術式の類は発動しようとした瞬間からレリィによって食われる。


 影響を受けるのは古参の魔女三人も同じであろう。『深緑』が操る『樹木の乙女ドリュアデス』には効果が高い。『王水』も迂闊には近づけず、放った呪詛も分解吸収される。

 だが、『竜宮の魔女』だけは別だ。

 おそらく竜化した『竜宮』には効果が薄い。あれはもはや魔導因子で術を使うより、肉弾戦に特化した身体構造になっている。

 一方で、レリィからは闘気の力が一時的に失われていた。彼女の特異体質は髪に蓄積させた魔導因子を闘気に変換するものだからだ。

「レリィ!! 避けろ!!」

「────ぅっ!?」

 闘気による守りを失ったレリィに『竜宮』の『轟く響声サンダー・ボイス』が直撃した。

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