第376話 ドリュアデス
三人の魔女が次第に本気を出し始め、俺達は劣勢に立たされていた。
苦しい戦いだが、ビーチェやセイリスの力は借りられない。
できることなら、二人の力を借りたいところだが、現状で隠し通せている魔人の存在をわざわざ明るみに出すことはできなかった。万が一、彼女達が魔人だと知られれば、世界中どこへ行っても敵だらけになってしまう。
どういうわけか『風来の才媛』は魔人に関する情報を魔導技術連盟に対して秘匿してくれている。その心遣いと幸運を無駄にすることもないだろう。
今後、ビーチェとセイリスが静かに生きていくことを望むなら、この場は何としても俺達だけで切り抜けなければならなかった。
(……だが、ずっと違和感がある。どうして、連盟でも重要な立場にある古参魔女が三人も、俺に対する根拠の薄い容疑で出張ってきているのか。そのくせ、専属騎士は連れてきていない矛盾。何が起こっている……?)
魔女どもの思惑が明らかになるまで、迂闊な行動は禁物だ。
迷いを抱えながら戦う俺に対して、三人の魔女達は遠慮なしに襲い掛かってくる。とりわけ『王水の魔女』の殺意は高めであった。
『王水の魔女』は散発的に『
(――
『皮剥ぎの水!』
鬱蒼と茂る木々の合間を縫って、浜辺に打ち寄せる波のように濁った水が地面を広がってくる。地に生えた草が萎れて、腐ったように溶け落ちていく。
(……腐食液か。地味ではあるが厄介だな……)
『王水の魔女』の召喚術。草の枯れ具合から見ておそらく強塩基性の湖などから召喚した水で、それを浴びせかけて身体を腐食する呪術だ。典型的な物力召喚だが、『王水の魔女』しか知らないような特殊な座標からの召喚だろう。
腐蝕液に足を取られないように、俺は『
――
音圧による衝撃波が、地面を這う腐蝕液を巻き上げながら、たった今まで俺がいた場所を通り過ぎていく。
「ちっ! 外したか! 運のいい野郎だな!」
「あたしを無視して、クレスにちょっかいかけるのやめて!!」
「ああん!? 小娘がっ!! てめえこそ邪魔すんな!!」
竜化した『竜宮の魔女』と、翠の闘気を身にまとったレリィが激しく衝突した。
真鉄杖の先端に闘気を込めて突きを繰り出し、『竜宮』の胸を強かに打つ。
「ごふっ!? くそ、重てぇ一撃を……!!」
怯んだのは一瞬で『竜宮』はすぐさまレリィへと飛びかかり、鋭い爪を振るう。それをレリィが真鉄杖で受ければ、すかさず蹴りから回し蹴りの二連撃を放ち、ついでに尻尾の一撃でレリィの首を狙っていく。
「あっ! く……!」
膝を落としてかわそうとしたレリィだったが、尻尾が額をかすめた衝撃にふらつく。振りぬかれた竜の尻尾は地面を強烈に叩き、硬い土に罅を入れて凹ませた。
『竜宮』は騎士の一撃をまともに受けても一瞬怯むだけ。そればかりか、闘気で体を守った騎士に肉弾戦で有効打を与えてくるとは、『竜宮』の竜化は一流騎士に匹敵する肉体強化を施すらしい。異常な強さだ。
レリィにしても、この村で出会った頃から比べたら成長している。それでも互角か、少し押されているくらいだ。『竜化』などと言ってはいるが、何が混ざっているのか知れたものではない。もしかしたら禁呪の類であるのかもしれない。
(……本当に、自分達のことは棚に上げて他人の非難をよくできたもんだ……)
横目でレリィと『竜宮』の戦闘を見ながら、あの様子では一対一で精一杯だろうと判断する。二人の戦闘は激しさを増して、戦いの場を徐々に森の奥へと移していた。
ちらちらと『竜宮』と『深緑』が視線を交わしているのも、俺とレリィの分断を意図しているのかもしれない。
その『深緑の魔女』はといえば、散発的に絞殺菩提樹の蔓を放ってくる以外はほとんど様子見である。それはそれで油断すれば足元をすくわれかねない攻撃で、かなり鬱陶しくはるのだが。こちらは一歩間違えて『王水』の攻撃を受ければ致命傷だ。自動防衛の術式もどこまで有効かわかったものではない。
ただ、『深緑』に対して俺よりも苛立ちを覚えていたのは『王水』だった。
見るからに手を抜いている『深緑』に、攻撃の手を緩めてまで『王水』が口を出す。
「……そろそろ本気を出してもらわないと、裏切りを疑うわ『深緑』。ただでさえあなたは、あの男に甘いのだから」
長年一緒に連盟組織を運営してきた同胞に向ける言葉ではない。底冷えのするような声音で『王水』が『深緑』を非難し始めた。『深緑』を睨みつける目には憎しみすらこもっている。強い非難を受けた当の『深緑』は薄っぺらい笑顔を崩すことなく、しかし少しばかり疲れた様子で口を開く。
「困りましたね……。私としては『結晶』と事を荒立てたくはないのですが」
「まだそんなことを言っているの!? こいつはここで殺すべきなの! 生かしておけば脅威になるに決まっているのだから!」
『王水』の俺に対する殺意は根深い。
……そんなに恨まれるようなことをしただろうか?
仕事の上で衝突することはあっただろう。元々、俺は監査側の人間だった。
魔導技術連盟の幹部でありながら、権威を笠に着て違法行為ぎりぎりの研究をしている『王水の魔女』に釘を刺したことは何度もある。だが、それは職務上の行動であるし、そもそも疑われるような研究を俺の目につく所で行っている『王水』が悪い。
あとは何だろうか? 互いの利益関係でぶつかった一番大きな出来事と言えば、魔蔵結晶絡みだろうか。
魔蔵結晶は宝石へ人工的に魔導因子を貯蔵する俺の専売技術である。特に、人工合成された安価な
実はこの魔蔵結晶が世に出る前は、似たようなものとして魔導因子を蓄積することができる『
しかし、『魔素水』は魔導因子の貯蔵密度が希薄でかさばり、時間経過とともに濃度が薄まっていくという短所があった。これに対して俺が開発した魔蔵結晶は、魔導因子の貯蔵密度が魔素水よりも高く、しかも魔導因子の固定に優れていて濃度低下が起こらない。この特性は生ものと貴金属くらいの違いを生じて、実用的でありながら資産価値もある魔蔵結晶を術士達はこぞって買い求めるようになった。大衆向けに安い虹色水晶を発明したこともあり、魔素水は全く見向きもされなくなったのである。
稼げる商材であった魔素水の価値は暴落し、『王水の魔女』は主要な収入源を失ったのだ。
しかもこの虹色水晶に限らず、俺が工房で製造している人造宝石や魔蔵結晶は『王水の魔女』が発見した『
俺には『
『王水の魔女』にしてみれば、自分の研究成果を真似されたように感じたのだろう。そればかりか自分が作った商品の上位互換品まで出されて利益を丸ごと持っていかれた。陰湿で嫉妬深い『王水の魔女』の性格なら、逆恨みしてもおかしくはない。
(……『王水の魔女』とはわかりあえそうもないな。説得するなら『深緑の魔女』だが、あれも腹の内は自分の利益追求に余念がない魔女だ。こちらから折れれば無茶な要求をされかねない。かといって完全に敵対して、この魔女達を倒してしまってもいいのか……)
性格は最悪な三人の魔女達だが、これでも魔導技術連盟を支えてきた幹部だ。彼女らが突然いなくなれば大きな混乱が生じる。とりわけ連盟の権力を掌握しようと常日頃から働きかけている『
俺個人としては痛くも痒くもないし、なんなら王国派の貴族連中とはフェロー伯爵を筆頭に友誼を結んでいる。別に貴族が連盟を牛耳ってしまっても構わないのだが……。
(……連盟組織を売ったとか、多くの一般術士達から確実に恨まれるだろうな……)
虹色水晶の供給を独占していることで、ただでさえ術士達からは金の亡者とか思われているのだ。苦労して俺が開発した技術を、それを見て真似もできないような無能共が利益を独占するなと口を出してくるのは本当に腹立たしい。
太古の昔なら『特許』なる発明保護の法があって、発明者の利益がそれなりに守られていたらしいが、現代ではそのような法秩序は崩壊しており技術の複製に制限などない。
つまり、できない奴が悪いのである。
そんな弱肉強食の世界は俺にとって何の不都合もない。
不都合があるのはむしろ、そんな世界でうまく利益を上げられない不器用な古参の術士達だ。
(……もしかして、その辺りの利権が絡んでいるのか? だとすると、三人の魔女の中では比較して成功している部類の『深緑』は気が乗らず、不器用な『竜宮』と『王水』はやる気になると……)
そうだとしたら実にくだらない。己の利益を得るために、他人から奪おうとしているだけだ。
『深緑の魔女』に更なる利益を提供できるなら懐柔できるか? 『竜宮』もそこそこのうまい汁を吸わせてやれば満足するかもしれない。『王水』だけはどうにもならない気がするが。
「『深緑』、何が望みだ? 言ってみろ。俺ならお前の利益を提供できるかもしれない」
「聞く耳を持つ必要はないわ『深緑』。必要ならそいつから全部、力づくで奪ってしまえばいい」
俺の懐柔策と、『王水』の言い分。果たしてどちらが『深緑の魔女』の心に響くのか。
「そうですね……。交渉するにも、より有利な立場は欲しい。だから、ごめんなさいね『結晶』。一度、私に捕まってください」
ぞわり、と背筋に寒気が走った。
村を呑み込んだ森全体が、一つの生き物のようにざわめき始める。
「私の呼びかけに応えて、力を貸してちょうだい。姉妹達」
『深緑の魔女』が両手を広げ、森に向かって語りかける。
「誘惑の時間よ、『
周囲の木々、とりわけ太い樹木ほど『深緑』の呼びかけに大きな反応を示した。
脈動し、太い幹が裂け、そこから新たな瘤が膨れ上がる。
一見して美しい少女達が、裸体もあらわに、大樹の裂け目から生まれ出てきた。
だが、細かく容姿を観察してみれば、その風体は異様なものであった。
少女たちには共通して瞳の虹彩がない。
乳房の突端はのっぺりと滑らかで、へその穴さえ見当たらない。
さらには下半身が樹木と一体化しており、人が生きるうえで不可欠な排泄器官も持ち合わせていない様子だ。
人のようでいて、人に非ぬ者。
へその緒を必要としない、母親の胎内で生まれず、木々の股から生まれ出ずる者達。
すなわち、樹木の精霊ドリュアデス――。
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