第375話 ドラゴニズマ

 王水の魔女が放つ『万物融化液アルカヘスト』はまぐれ当たりでもすれば確実に致命傷となる。

 まずはその対策をしなければ、まともに戦えない。

「五秒間、完璧に俺を守れ!!」

「――!? うん!」

 俺の前に立ったレリィの体から膨大な闘気が立ち昇った。八つ結いにした深緑色の髪が翠色に輝き、先端から徐々に赤く染まっていく。相当の闘気を消費しているが、それだけに安心感は絶大だ。


 『竜宮』が二発目の『燃え盛る叫声アーデントボイス』を撃ち、『王水』が『万物融化液アルカヘスト』の奔流を四方から俺に狙いを集中して放ってくる。

 だが、レリィは大振りの一撃で闘気を前方に放出して『燃え盛る叫声』を相殺、その反動で後ろへ跳ぶと俺の周囲を宙返りしながら跳ね回り『万物融化液』の奔流を真鉄杖で全て弾き散らす。いかに『万物融化液』と言えども、極めて高い腐蝕耐性と強靭性を併せ持った超高純度鉄を分解することはできないようだ。


 『万物融化液』を防ぎ切って一安心と思いきや、すかさず後隙を狙って『深緑』が神霊・絞殺菩提樹の蔓を叩きつけてくる。

 蔓のしなりでレリィの防御を掻い潜り、俺に攻撃を当てようとしてくるが、それも想定して蔓の一点を弾くのではなく長尺方向に真鉄杖を合わせ、衝突面積をわざと増やすことで蔓を大きく弾き返した。


 見事な防衛戦闘だ。

 レリィによる全力の防御を一秒でも無駄にはしない。

 俺は複数の術式を連続で発動させていった。


(――組み成せ――)

『鉄血造形!!』

 隕鉄メテオライトの魔蔵結晶で、レリィが装備しているものと同じ超高純度鉄の鎧を俺自身に生成する。レリィの鎧よりも重武装にしてあるが、回避性能に関しては術式で補助すれば問題ない。

 鎧に加えて両腕に大きめの盾も形成した。蓮華の花弁を平たくしたような形状の盾だ。花弁の縁は鋭い刃として磨き上げられており、押し付ければ敵を切り裂く剣の代わりとなる。


筋力増強ムスクル・ストレンジ!!』

加速アッチェレラティオ!!』

 虹色水晶の魔蔵結晶を使い捨て『共有呪術シャレ・マギカ』を発動する。水晶が虹色の粉となって崩れ去り、俺とレリィの両方に身体強化系の術式を施す。


 魔女達の攻撃をしのぐレリィの負担は大きい。それでも、身体強化の術式で格段にレリィの動きはよくなっている。時間に余裕はないがもう一手、魔女共と戦うための増強はできる限りやっておいた方がいい。


(――傷を癒し続けろ――)

『天使の息吹!!』

 黒みを帯びた緑と絹糸のような光沢の筋が入った斜緑泥石セラフィナイトの魔蔵結晶。これを俺とレリィの鎧に複数埋め込む。

 この魔蔵結晶は蓄積された魔導因子を消費しながら、長時間に渡って術式をかけた対象の体力と傷を回復し続ける。


「準備完了! 反撃を開始するぞ!」

「きっちり五秒、クレスってば律儀だね! もう少し守ってあげていてもよかったけど!?」

 五秒間、その僅かな間にレリィの髪の毛は大量の闘気を消耗して三分の一ほどが紅色に染まっている。もう少し守ってやれたというのは、レリィの強がりだ。

 だが、並みの術士なら一つの術式を発動するのが精一杯の五秒間で、俺は四つの術式を使って無事に増強を終えた。

 レリィは務めを果たしてくれたといえる。頼もしくなったものだ。


「おらぁ! 『深緑』!! てめえがちんたらやっているから、強化を許しちまったじゃねぇか! 出し惜しみしてんじゃねぇよ!!」

「手を抜いているのはあなたも同じでしょう『竜宮』? 自分だけ消耗を避けようというのは姑息なのではありませんか?」

「不愉快だわ……。本気で戦わなければ『結晶』が調子づくだけだというのに……」

 対して、古参魔女三人は俺達がまんまと強化に成功したのをお互いの責任として擦り付け合っている。

 このまま仲違いでもして争ってくれたら嬉しいのだが、さすがにそれは望みが薄いだろうか。


「ちっ……。仕方ねぇなぁ。あの様子だと、がちの接近戦で勝負決めるつもりだろうが……舐めんなよぉ、ガキどもがっ!!」

 『竜宮の魔女』から異様な魔力の高まりが感じられる。

『――太古より古き血脈の力よ。怒り、猛り、食い散らせ!』

 呪術的な魔力の込められた暴力的な詠唱。

 額に血管が浮き出るほどに歯を食いしばり、目を見開きながら『竜宮』が吠えた。『竜宮』の瞳が、竜の如く縦長に引き絞られる。


竜化ドラゴニズマ!!』

 『竜宮の魔女』の全身が硬く艶やかな竜鱗に覆われて、筋肉量が一回りも二回りも増大する。顔つきは竜種のごとく口の端が裂けて牙をのぞかせている。骨の軋む音が鳴り、上背までもが伸び上がって肉体強度が上昇していく。


「騎士だろうが、重装備だろうが、関係ねぇ!! 叩き潰してやるからなぁ!!」

 内臓の構造まで作り変えられているのか、『竜宮』の発する声はまるで男のように低く変化している。

 恐ろしいほどの威圧感が伝わってくるのは、決してその見た目や凄みの利いた声だけが原因ではない。

 『竜宮』の全身から、尋常ではない魔導因子の波動が放たれている。竜化した今の『竜宮の魔女』の体は呪術的な強度も増しているということだ。


 大きく深呼吸して肺を膨らませた『竜宮』が口から何かを吐き出そうとする仕草を見せる。

 ぞっとするような魔力の集中が『竜宮』の胸から喉元へとせり上がってきた。何かはわからないが、なんとしても防がなければならないという恐怖感に駆られる。


(――壁となれ――)

『硬質群晶!!』


 高純度の黄玉トパーズを惜しげもなく使った魔蔵結晶。それが砕け散るのも構わず限界まで全力稼働させて、分厚い黄褐色の結晶壁で『竜宮』を包み込むように囲う。さながら結晶の大津波の様相で『竜宮』を完全包囲した。

 黄褐色の結晶の向こうで『竜宮』が喉を膨らませて戸惑う姿が垣間見えた。

 ――何を吐き出すつもりか知らんが、盛大に自爆しやがれ!!


『……万物融化液アルカヘスト……』

 底冷えするような呪詛の声が響き、黄玉トパーズの壁が水に打たれてひび割れた。

「またそれか!! いい加減にしろよ、『王水』!!」

 『王水』の横槍で水に濡れた黄玉トパーズが透き通り、屈折する結晶に映った『竜宮』がわらう。


 『竜宮』が大きな竜の顎を開き、溜め込んだ魔力と共に恐るべき重みを持った音圧を一息に吐き出した。


 ――轟く響声サンダーボイス――。


 ドォンッ!! と激震が走り抜け、強烈な衝撃波が硬質群晶を貫くと、『万物融化液』によって脆くなった結晶群が砕けて、散々にその破片を撒き散らす。

 飛んでくる人の頭ほどもある結晶塊をレリィが前に出て迎撃する。単に叩き落とすだけでなく、丁寧に闘気を乗せて打ち返すことで強烈な反撃へと転じている。

 打ち返された結晶塊に対して、『王水』は舌打ちしながら宙に滞留させた『万物融化液』の水球を盾にして防ぐ。『深緑』はやや離れた位置で樹木を壁にして隠れ、『竜宮』は翠の闘気が乗った結晶塊を真正面から拳で打ち砕いた。


「うそっ!? 絶対、防げないと思ったのに!?」

「闘気の乗った結晶塊を素手で砕くとか……どんな化け物だよ」

 今の反撃はタイミング的にも絶妙で、威力にしろ反応速度にしろ容易に防げるものではなかった。それを真正面から打ち砕いてくるとは……。

 『竜宮』の変質した体、あの竜鱗は本物の竜が持つ鱗などよりもよほど硬質な別物だ。

 呪術の系統としては俺の使う術式『鮮血紅化せんけつこうか』や『金剛黒化こんごうこっか』に近い。魔力的な強度を付加した攻防一体の身体強化術式だ。


 最悪なのは、こちらが同じように『鮮血紅化』や『金剛黒化』で対抗しようと思っても、『王水の魔女』の『万物融化液』をまともに浴びれば、おそらく結晶の防御は容易に脆化ぜいかされてしまう。まだ超高純度鉄の鎧の方が安心できるだろう。


「球打ち遊びはもう終わりかぁっ!? だったら、次は直接ぶん殴ってやるぜぇ!!」

 地を蹴り『竜宮』が飛びかかってくる。人間離れした脚力で跳躍し、一気に俺の目前まで間合いを詰めると真っ直ぐに拳を握りしめて殴りかかってきた。蛮族が過ぎる。

 超高純度鉄の大盾二枚を前に掲げ、こちらから一歩踏み込んでやる。


 ドゴォンッ!! とまるで崖から転がり落ちてきた大岩でも受け止めたのかと思うような衝撃が盾を介して伝わってきた。鎧を地面に対するつっかえ棒代わりにして盾を支えなければ、真後ろに弾き飛ばされていたところだ。

 しかし、衝撃は思わぬ方向からも加えられていた。

 正面から来る『竜宮』の拳を受けた刹那、まったくの死角から脇腹を狙った攻撃が炸裂したのである。

「――――ぶっ!?」

 声を上げることもできないまま、正体不明の攻撃を受けて俺は横方向に吹っ飛ばされた。

「クレスっ!?」

 レリィの悲痛な声が聞こえる。だが、俺の方はあまりの衝撃に大丈夫、との一言を口にすることもできない。実のところ、大丈夫ではなかったからだ。

 盾に咲く蓮華の花弁のようだった刃は見るも無残にひしゃげて、ど真ん中には大きな陥没穴ができている。鎧は謎の衝撃を受けた脇が大きく変形して俺の肋骨を強く圧迫していた。


 身体強化の術式をかけていたおかげで軽傷で済み、自動回復の術式によってすぐに痛みは引いてくるが、それにしても意味不明な威力の攻撃をまともに受けてしまったのは苦しい。


「よそ見すんなよ、小娘!! てめえも死んどけ!!」

 レリィに肉薄する『竜宮』は拳打と蹴りと太い尾を駆使して痛打を与えてくる。

 尻尾……。

 尻尾だ。

 竜化した『竜宮の魔女』には尻尾が生えていた。根元から先までかなり太めの竜の尻尾である。

「完全に人間やめていやがる、あの魔女……」


 そして、倒れ込んだ俺に今も淡々と追撃を加えてくる『王水の魔女』に、少し離れた位置から様子を見ながらも的確に牽制してくる『深緑の魔女』。

 三人三様の特殊能力を駆使する魔女達は、連携においても俺達を圧倒していた。


 レリィの髪の色が、刻一刻と紅く染まっていく。

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