第374話 アルカヘスト
王水の魔女が放った初撃は、俺が創り出した水晶の防壁によって阻まれた。
だが、『王水』の名の通り、奴の術式の恐ろしさは変幻自在の特性を持った液体操作だ。いくら分厚い水晶の壁を築き上げたとして、上からでも迂回させて酸の雨を降らせることだってできるし、なんなら隙間さえあればどのようにでも浸透してくる。
「俺の防御壁は過信するなよ! どこからでも攻撃が襲ってくると思え!」
「わかってる!!」
注意を促す声に応えるように、レリィの体から翠色の闘気が溢れ出す。
魔導技術連盟の魔女達の恐ろしさについては、レリィにも普段から伝えてある。しかし、そんな事前情報などなくても、出し惜しみできる相手ではないとレリィは本能的に感じ取ったのだろう。最初から全力だ。
「――星界の海、臨界の水源郷より汲み出し給え――」
水晶防壁の向こう側から、『王水の魔女』の深く沈んだ詠唱の声が聞こえてくる。召喚術の座標指定、そのための思考制御をより正確に実行するためか、王水の魔女は詠唱方式を取っていた。熟達すれば思考制御は声に出さずとも可能だ。ましてや詠唱内容から術式の特性が知られてしまうため、熟練の術士は思考制御の内容を口にすることは滅多にない。
一級術士である『王水の魔女』がわざわざ詠唱を行うということは、それだけ複雑高度な術式であり、音声言語として発しないと安定しないことを意味した。
ろくでもない呪術が放たれる予感――。
『――
「――――っ!? 退避だ、レリィ!!」
どぅっ!! と、水晶の壁に一瞬で穴が開き、俺が横っ飛びに跳躍した後の地面に透明な液体の奔流が突き刺さる。
大量の蒸気が立ち昇り、瞬時に周辺の空気が熱を帯びた。
たった一撃で、水晶の防壁は見るも無残に溶け、半壊してしまっている。
あれは水だ。
超高温、超高圧の水を星界の彼方から呼び寄せ、指向性を持たせて撃ち出したもの。
水とは万能の溶剤である。その性状はありとあらゆるものを溶かし込む潜在性を秘め、温度と圧力を臨界状態まで増大させてやると、地上にあるおよそほとんどの有機物を溶かす効果を発揮する。
水晶のような無機物でさえ溶かされることもあるのだ。
あれを防ぐには分厚い金属の壁でも用意するしかない。それだって半端な厚みなら圧力に押し負けて穴が開く。
防御戦術を主軸とする俺にとって、その絶対防御の前提を覆される、まさに天敵ともいうべき破壊術式だった。
「無事なの!? クレス!!」
「大丈夫だ! お前は『竜宮』と『深緑』の動きを警戒しろ!」
『王水の魔女』の攻撃は俺だけを確実に仕留めようと狙いを絞っていた。立ち込める蒸気で視界が良くないが、レリィがいる位置にはあの『
(……本気で俺を殺しに来ているな。今の術式、自動発動の防御術式で跳ね返せるか? 賭けはできない。万が一、防御術式を貫通されたら命はないだろう。可能な限り回避に徹するしかない……)
俺は
『――惑わせ――
ふわりと灰色の靄が漂って、俺の姿を呑み込み隠す。
『――
再び、『王水の魔女』から放たれる超臨界状態の水の奔流。
ジャッ!! と横薙ぎに水流が放たれ、周辺を手当たり次第に薙ぎ払った。
細く水流を絞られた『
(――貫け――)
『輝く楔!!』
『――
金色に輝く楔が飛翔して『王水』に襲い掛かるが、『王水』は淡々と『万物融化液』の奔流を前方に生み出して、俺が放った楔形結晶を全て飲み込み溶かし尽くす。質量も熱量も向こうが格段に上だった。
俺の攻撃は完全に無効化されたうえ、さして勢いを殺されることもなく『万物融化液』の奔流はこちらを蹂躙する。
相性が悪すぎる!!
転がるように『万物融化液』の奔流を回避したところで、早々に戦法を考え直す。
(――組み成せ、地を跳ねる獣の如く――)
『
正直、『王水の魔女』相手にはレリィの援護を期待したかったが、あちらも既に『竜宮』と『深緑』の二人を相手取っていた。
『包囲して、捕えなさい。神霊なる絞殺菩提樹よ』
村を呑み込んでいた森がざわめき、全方向から樹木の蔓がしなる鞭となってレリィに襲い掛かる。
翠の闘気を宿したレリィの真鉄杖が蔓の鞭を弾くが、柔軟で強靭な蔓は千切れることなく再び空気を裂いて振るわれる。
「おいおい、『結晶』の騎士さんよぉ! 『深緑』の方ばっかり見ていると危ないぜぇ!」
防戦一方では押し込まれると判断したらしいレリィが『深緑の魔女』との距離を詰めにかかるが、横手から『竜宮の魔女』が足止めに呪詛を放ってくる。『竜宮』がわざわざ声をかけて牽制するのは、『深緑』が間合いを詰められると不利だと理解しているからだ。
だからこそ、本当は『竜宮』を無視してでも距離を詰めてしまった方がいいのだが、はったりで済ませてくれるほど『竜宮』も甘くはない。
「――世界座標『イグアス密林』より呼び出せ――!!」
『竜宮の魔女』が術式発動のため短い詠唱を口にする。『王水の魔女』の例のように、一級術士がわざわざ発声を伴う詠唱をするのは強力な呪術を確実に制御するため。
『咆哮竜の喉笛!!』
レリィと『深緑の魔女』との間に黄色い光の粒が立ち昇り、その場に巨大な竜の首だけが幻のごとく出現した。あれは不完全召喚によって竜の首から上だけをこの場に召喚してきたものだ。
「吠え猛れ、『
――キィァアアアアーッ!!
『竜宮の魔女』の号令に従い、竜の首が指向性をもった強烈な高周波の咆哮を放つ。
一直線に地面の草を焼きながら、高周波の咆哮がレリィにぶつけられた。
翠色の闘気と竜の咆哮が激突して、ごうごうと赤い
闘気で体を守ったレリィに咆哮は効いていなかったが、さすがに足を止めざるを得なかった。
あちらも手一杯。
いくらレリィでも一級術士が二人も相手では攻めあぐねる。
俺達の方がやや押され気味か。
それに、他にも伏兵がいないか注意しないといけない。
一級術士が三人というだけでも過剰な戦力だが、あの魔女共にも専属騎士がいるはずだ。
『竜宮の魔女』の専属騎士については俺もその存在を知っている。
ただ、今はどういうわけかその姿が見えない。
隙を見るために隠れているのか? しかし、ここで竜騎兵ディノスに参戦されたら、戦法も何もなく戦力差で押し切られる。
いるのなら、今ここで出てこない理由がないのだ。
(――魔女達の専属騎士。この場に連れて来られなかった事情がある? それならばこちらとしては助かるが、不利な状況に変わりはない……)
『――
「――ちっ!!」
狙いすまして放たれる万物融化液の奔流を、『
「よそ見をできる状況ではないでしょ? 舐めているの? この屑石男が」
天敵たる『王水の魔女』が冷えた声音で吐き捨てるように罵声を浴びせてくる。ちなみに屑石表現は俺の通り名である『結晶』を嘲弄しての言い回しだろう。
一対一では分が悪い。
かと言って、もう一方はニ対一になる。これでは勝ち目が見えない。
そうなれば状況を覆すにはレリィとの連係が絶対に必要だ。どうにか三対二の状況で勝ち筋を探し出す。
「レリィ! 連係して戦うぞ!」
「連係!? わかった! でも具体的には!?」
「……俺とお前の絆に賭ける」
「君の口からそんな言葉が出るとは思わなかったな……。でも、あたし達も付き合い長いもんね。二人で頑張ろう!」
ほとんど破れかぶれの賭けだ。ほぼ根性論である。
それでも、俺達が三人の古参魔女を打ち破るには奇跡の連係でもしなければ到底この場を切り抜けられないだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます