第373話 三人の魔女
周囲を取り囲むように姿を現した三人の魔女。
魔導技術連盟の古参幹部にして一級術士の実力者達だ。
平時であれば、これだけの大物が三人も集まって連盟本部を離れることはありえない。
ましてや数少ない一級術士の俺や『風来の才媛』がまだ帰還してもいない状況では。
「一級術士がこんな山奥に四人も集まって、いったい何の騒ぎだ。連盟本部で何かあっても対応できないぞ。『風来の才媛』もまだ帰還はしていないだろ」
魔女三人が出張ってくる事態など、現状の俺には一つしか心当たりがないのだが、ここは建前だけでも己の正当性を主張しておきたい。
俺の非難に動じる様子は一切なく、『王水』は冷たく憎々しげな視線をよこし、『竜宮』は不敵な笑みを浮かべている。常日頃と変わりのない能面のような笑顔を貼り付けた『深緑』が一歩前へ出て口を開いた。
「その『風来の才媛』から、『結晶』が禁忌を破ったという連絡を受けたのです。一級術士からの公式な報告。ただ、その被疑者も一級術士となれば真偽の重みには差をつけがたい。ですから、私達三人がこの場に出向いたのですよ。いまだ戻らぬ『風来』に代わって、審問を行うために」
「禁忌に関する審問、か……」
妙に回りくどい言い方だった。
何だろう。この違和感は。
三人の魔女の態度にも不自然さが感じられる。警戒しているのに、警戒している様子がない。知っているはずなのに、知らない素振りをしているかのような。
いや、それもどこか……少しだけ違う感じがする。
「一級術士『結晶』のクレストフ。これは魔導技術連盟の正式な審問です。正直に答えてください。あなたはどうしてこんな山奥にいるのですか?」
「……質問の意味がわからないな」
何故、いまさらそんなことを聞くのか。尋ね返せばその態度が気に入らなかったのか、『王水の魔女』がいらいらとした様子で口を挟んでくる。
「さっさと答えなさい。これは審問だと言ったはずよ。問われているのはあなたなのだから」
機嫌が悪そうな『王水』とはまともな話し合いになりそうもないので、俺は素直に『深緑の魔女』の質問に答えることにした。情報は最低限にして、向こうが何を知っていて、どんな答えを決め手とするつもりなのか。
「どうしてこんなところにいる、とはよくも言えたものだな。魔導飛行船に
「それは禁忌を侵したあなたが国外逃亡するのを阻止したにすぎません。やましいことがないのなら、なぜ魔導技術連盟の本部へ真っ先に顔をださなかったのです?」
「それこそ知ったことか。あの山奥にあった村は、俺の専属騎士であるレリィの故郷だ。大仕事を終えて里帰りを優先したことの何が悪い」
「…………あなたが乗っていた飛行船は、隣国のヘルヴェニア帝国行きの便であったはずですが?」
「国境付近の村だぞ。空路でヘルヴェニアの飛行場まで行って、陸路で戻る方が早い」
咄嗟に思いついた言い訳だったが、『深緑』にとっては考える余地が生じたのか。問いかけが止まる。
(……何故だ? 何故、ここで質問を止める? こいつら……おかしいぞ……)
まだ、真っ先に聞かれるべきことを聞かれていない。
それから、彼女らは自分達の絶対的優位を疑っていない。
いくら一級術士三人が集まっているとはいえ、審問相手である俺は一級術士で専属騎士まで連れている。侮ることはないはずだ。
そのうえで、どうして一番に警戒すべき相手を――魔人の存在を警戒していない?
「俺が禁忌を破ったと言ったな? それもいったい何の話だ? どうにも難癖をつけて俺をハメようとしているふうにしか取れないが?」
『深緑の魔女』は沈黙を続けている。思慮深い魔女だ。話が一筋縄ではいかないと悟ったようだ。
逆に、俺の態度に我慢ならなかったのが『王水の魔女』だった。冷静を装っていてその実は相当に怒りを溜め込んでいるのか、かなり荒い口調でまくしたてる。
「とぼけるのもいい加減にしなさい。『結晶』が、明確な形で『禁呪』を行使した、という報告が『風来の才媛』から届いているのよ。そして、『結晶』を拘束しようとした『風来の才媛』は戦闘の末に無力化されて、逃走を許してしまったとね。あの女が認めるほどに、あからさまに禁呪を使用したということでしょう? 見逃せるはずがないわ」
「『禁呪の行使』だと?」
そんなもの、
一級術士が禁呪を手札として有するのは暗黙の了解とされている。
無論、建前上は研究目的でしか認められてはいないから、禁呪を実際に行使してはならない。
ただそれも、人の目につかなければ問題とされないのが通例だ。
「馬鹿が、くだらん! 禁呪を使ったなどと、そんなあやふやな話で俺に攻撃をしかけてきたのか!? 俺は、たった数日前まで
審問する魔女達に対し、一転して俺が言い募ってやる。向こうが決定的な証拠を出してこないのなら、いくらでも反論はできよう。
ちっ、と『竜宮の魔女』が舌打ちをして、『深緑の魔女』に視線を移す。
「おい、『深緑』。これじゃ話が進まねーぞ。『結晶』の言うように『風来』の奴の発言も意味が分からねえ! 正義感の塊でもあるまいしよぉ、『風来』は何だって魔窟内での禁呪使用だの、『くそどうでもいいこと』を通報してきやがったんだ? そもそも、その場での拘束に失敗したとか言って、『風来の才媛』が『結晶』を取り逃がしたって事実も気に食わねぇ。……本当は、あたしらに『結晶』をぶつけて共倒れを狙っているんじゃねぇのか?」
疑心暗鬼の言葉を投げかける『竜宮の魔女』に対して、『深緑の魔女』は表情こそ変化しないものの、明確に返せる言葉がないのか沈黙を続けている。『王水の魔女』に至っては歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほどに口元を食いしばり、俺を視線で射殺さんとばかりに睨みつけてくる。
少しだけ、状況が読めてきた。
こいつらは、俺よりも一つ下の次元で議論してやがる。情報全てが伝わっているわけではない。そもそも風来の才媛アウラが意図的に情報を制限したのだろう。この様子だと魔人の件は報告されていない。
今回の魔窟探索で、『風来の才媛』から「『結晶』が明確な形で禁呪を行使した」と報告を受けた以上は連盟幹部として調査しなければならない。『風来』がわざわざ慣例にそぐわない報告をしてきたということは、禁呪がそれなりに現世へ大きな影響を及ぼしたことを意味するからだ。
そしておそらく『風来の才媛』、アウラが報告したことはそれだけなのだ。
こいつら三人の魔女は、俺が魔人を二人も魔窟から連れ出したことを知らない。
(……これがお前の許容できる範囲か、アウラ。なんとも中途半端だな。俺がなにかしらの禁忌を破ったが、それは魔窟の中で禁呪を使ったとかいうあやふやな情報のみ。その内容が魔人であるという事実は伏せたということか……。大した人類への反逆だが、おかげでこの場を切り抜けることができる、か……?)
アウラのやつも、どうせなら何も報告などしなければ面倒なことにならないものを。
……いや、責められはしない。それだけ魔人の存在は、人類にとって脅威となりうる。『風来の才媛』としては、何も見なかったことにはできないのだ。少なくとも、俺が何かしら人類に対して敵対行動をしている、と他の人間にも警告するだけの義務感があるのだろう。
こうなれば徹底的にビーチェとセイリス、二人の魔人の存在を隠し通して、この場を乗り切るしかない――。
だが、ここで『王水の魔女』が食い下がってきた。
「いいえ、迷うことなどないはず。この男が禁呪に手を染めていることは明らか。その発動を『風来の才媛』が観測したと報告するなら、問答の余地などなく断罪すべきだわ」
この魔女はいつもこうである。何の恨みがあるのか知らないが、いつだって些細な瑕疵を見つけてはしつこく非難してくる。
普段であれば一笑に付して終わりだが、一触即発の状況で絡まれては冗談で済まない。
「建前で安易に語るなよ『王水』。突かれて痛い腹を抱えているのはお前の方じゃないのか?」
「なんですって……?」
「禁呪紛いの研究なら幾つも抱えているだろうからな。叩けば随分と埃が出そうじゃないか?」
『王水の魔女』の顔つきがわかりやすく険しい表情になっていく。
不毛な舌戦になりかけたところで、『深緑』が溜め息を吐きながら
「やめにしませんか、『結晶』。ここで私達が争うのはお互いにとって損しかない。これは『風来の才媛』の陰謀によるものでしょう? あなたが私達に協力する姿勢を見せるなら、禁呪使用の疑いについては潔白を証言しましょう」
「『深緑』!! どういうつもり!?」
「断罪されるべきは『風来の才媛』の方だということですよ。彼女は今回の旅で『宝石の丘』の座標を手に入れて、『結晶』の存在が邪魔になったのでしょう。市場の宝石価格も徐々に戻りつつあります。これから先、将来の莫大な利益を独占するつもりで、『結晶』を排斥しようと動いたのです」
なるほど。そういう『筋書き』なら、この場を見逃すということか。
『王水』は理由を付けて俺を抹殺したがっているようだが、『深緑』は少なくとも俺の破滅ではなく、『風来』を排除できる方が好都合なのだろう。
「もしあなたが『風来の才媛』と決戦を望むなら、私達は手を出さず見守りましょう。自身の潔白を、自らの力で証明してください」
俺と『風来』、どちらが倒れても構わないから二人で潰し合えと。とにかく自分の手は汚したくないってわけだ。
「ああー、だけどよぉ。一級術士の決闘の舞台を整えてやろうっていうんだ。これは貸しだぜ、『結晶』よぉ。騒ぎを起こした迷惑料として、出すもん出してもらわねえと割に合わねえ。そうだなぁ……『宝石の丘』の座標を連盟の共有財産とするってのはどうだ? そこまでの寄付をすりゃあ、お前の連盟での立場は安泰だろうよ」
ここぞとばかりに『竜宮』が頭の悪い提案をしてくる。『深緑』がいい具合に話をまとめようとしているのに、余計な利を得ようと口を挟まれて迷惑そうだ。
「話にならんな。自分達の稼ぎが悪いからと、他人の成果を掠め取ろうとは厚顔無恥にもほどがある」
「あんだとてめぇっ!? これだけ追い詰められてもまだ自分の財産に執着すんのかぁ? 金の亡者が!」
やはり、こいつらは真実に気が付いていない。
魔人の存在は知らされていないのだ。『風来の才媛』は『結晶』が禁忌を破った、としか伝えていない。それに対してこいつら三魔女は、俺が独自に研究している禁呪について、その発動を観測したという程度にしか認識していない。
ならばまだ、やりようがある。魔導技術連盟の敵にはなっても、人類の敵にはならないで済む。そして、俺に選択の余地を与えてくれたアウラの敵にはなれない。
「禁呪の研究など誰でもやっている。それこそ、お前達だって研究していて、本当は隠れて使ったこともあるんだろう?」
嘘の罪で、さらに大きな罪業を隠す。
「開き直るつもりですか? 困りましたね。あなたがそれを認めてしまうと、私達も見て見ぬ振りができなくなります。さて、落としどころは……」
『深緑』はあくまで話し合いで決着をつけようとしている。俺も話し合いで解決できるならそれが一番だ。最悪、この場だけでも切り抜けられればいい。
「『深緑』、もう無駄な交渉はやめて。初めから結晶に譲歩することなんてないんだから」
冷え切った声がその場に響く。それは、話し合いを強制的に打ち切らんとする言葉だった。
「『王水』、お前は黙っていろ。話し合いにならない」
不穏な流れの予感がする。こいつは本当に話が通じない。話をさせてはいけない。
「まだわからない? お前に都合のいい選択肢はないのよ」
「『王水』!! よしなさい!!」
『深緑』の制止を振り切って、『王水』が戦闘態勢に入る。
「恭順か死か、それだけよ!」
長く伸びた指先の爪を俺に差し向け、呪詛を放ってくる。
『
『白の群晶!!』
ほぼ同時に互いの術式が発動して、『王水』の指先から放たれた『水の奔流』は俺の創り出した水晶の壁に阻まれる。
「交渉は決裂!? クレス!?」
それまで一言もしゃべらず見守っていたレリィが俺のすぐ横に飛び出してくる。
「こんなものが交渉なものか!! 話にならん! 戦うぞ!」
『王水の魔女』が仕掛けてきたことで、完全に戦端は開かれてしまった。事ここに至っては仕方なしと『深緑の魔女』と『竜宮の魔女』も戦闘態勢に入っている。
一つ、俺も考えを改めねばならない。『王水の魔女』が俺に抱く確執について。
『深緑』と『竜宮』には話し合いの余地があった。
だが、『王水』には一切、話し合うつもりがなかったのだ。
譲歩とか、妥協とか、そんな甘い選択は考えるまでもなく、『王水』は問答無用で俺を排除することしか考えてはいなかったのである。
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