第372話 村を呑む森
嵐が過ぎ去るのを待ちながら穏やかな一日が過ぎて、ようやく外から暴風の音も聞こえなくなったのは夜を越して朝方のことだった。
俺が目を覚ますと既に起き出していたレリィがじっと窓の外を眺めている。
寝台から起き上がると、木材の軋む音が妙に部屋に響く。その音で俺が目を覚ましたのに気が付いてレリィが振り返った。
「クレス、外の様子が……」
ただならぬ様子のレリィに俺も違和感を覚えてすぐに窓の外へ視線をやる。
窓の外は山奥の村らしく相変わらずの大自然が広がっている。鬱蒼と茂る木々が日の光を遮り、朝だというのにまるで深夜のような暗さだ。
寝起きで頭がいまいち働いていない俺は、状況を飲み込むのにしばらく時間がかかった。
「…………嵐で、倒木でもあったか? 森の木がやけに密集しているような……」
「本当にそうだと思う? 明らかにおかしいよ、これ。森の形が大きく変わっているうえ、気持ち悪いくらい静か」
森の異変に人一倍敏感であろうレリィが明確な異常を感じている。
嵐の後でただ森が荒れているのとは違うということか。
「完全武装で外の様子を見に行くぞ」
「うん! すぐに準備する!」
元々、寝間着がただの下着であるレリィはいつも着ている白い胴着と、超高純度鉄の鎧を素早く着こむ。
腰下まで伸びた深緑色の髪を八つに結い分けて、魔導回路の紋様が編みこまれた髪留めで束ねると、壁に立てかけてあった真鉄杖を手に取った。
俺も装備一式を着込み、さらに魔導回路と魔蔵結晶を多数仕込んだ外套を羽織った。
普段から着慣れているはずの外套が今日はやけに重く感じる。
玄関の扉に手をかけて、俺はそのまま踏みとどまった。
「どうしたの?」
「扉が開かない。外で何かが引っ掛かっている」
「どいて。私が押し開ける」
「……どうにも嫌な予感がする。警戒を怠るなよ」
無言でレリィが頷き、彼女はわずかに闘気を漂わせながら扉をゆっくりと、しかし力任せに開けた。
ギシギシと軋む玄関扉の音と繊維質のものをブチブチと引きちぎる音が同時に聞こえてくる。
扉が徐々に開くに従って、外から湿った空気が入り込んできた。むせ返るような緑の匂いも。
「待って、何なのこれ……」
一歩外へ出たレリィが驚きの声を上げて立ち止まる。
家の外に出てみれば異変は一目瞭然だった。
辺り一面が木々に覆われて、まるで秘境の樹海が如く鬱蒼とした森が目の前を塞いでいる。
やや村はずれとはいえ、昨日までこの辺りは間違いなく人の手が入った林だった。適度に間引きされた木々と、整備された林道が村まで続いていたはずである。
それが一切、緑に埋もれて見えなくなっていた。
「村はどっちだ……?」
「あっち、だね」
地面を調べたレリィが蔓草に隠された林道を見つけ出す。この村に長年住んでいたレリィでさえ、己の方向感覚だけでは不安があるほど、異常なまでに草木が繁茂しているのだ。
――ああ、くそ。最悪だ。
考えられる限りの最悪が今の俺達を取り巻いている。
良かれと思ってしたことが、何もかも悪い方向に転がった気がする。
「レリィ。木の上から、この森が広がっている範囲を確認してくれ」
「うん、了解。……あ、でも――」
「なんだ?」
「覗かないでよ。下から」
「……冗談言っている場合か。さっさと行け」
むぅっと眉をしかめたレリィが手近な木に足をかけて登っていく。生い茂る葉にレリィの姿が隠れて間もなく、レリィが木の上から滑るように落ちてきた。
「村全体……というか、村の周辺も明らかに森が濃くなってたよ。範囲はどこまでかわかんない。それくらい広い」
「かなり大規模だな。儀式呪法級の術式を使われた可能性が高いか……」
「村の皆は無事かな」
「家から出ないように注意喚起が必要だな。そこまでの余裕があればだが」
行く手を阻む木々を薙ぎ払いながら、村の中心部へ向かって足を進めた。
くそったれな状況に自然と吐き捨てるような舌打ちが漏れ、先を進むレリィが心配そうにこちらを振り返っていた。
「ねぇ、クレスこれってさ……。誰かのしわざなの?」
「……一晩で森が成長して村を呑み込む。そんなこと自然に起こるわけがない。誰かのしわざだとして、そんなことできる奴は限られている」
話をしているうちに村へと入ったようなのだが、森は村の中を埋め尽くすほど木々で浸食してきており、家屋も蔓で縛り上げられたようになっていた。人の気配も感じられるが、今は家の外に出てきてほしくないので、家屋が森に呑まれて出入り不可能になっているのはむしろ好都合だった。
「注意喚起するまでもなかったな。戸や窓を壊せば出られなくもないが、この状況で家の外に出てきたやつは危機感のない馬鹿だ。何かあっても自己責任ってことで仕方ないだろう」
「あたし達も馬鹿ってこと?」
「馬鹿か? 俺達は警戒心を持ちつつ、現状を力で打破する自信があるから外に出ているんだ」
「馬鹿って言った……馬鹿って……」
いらいらしてつい辛辣な言葉をレリィにぶつけてしまう。ぷっくりと頬を膨らませていじける彼女の姿に緊張感はあまり感じられない。
深刻に受け止めすぎても動きが悪くなるだろうから、レリィはこれくらい力が抜けていてもいいだろう。その時、が来れば気持ちを切り替えてもらおう。
視界の悪い森の中、周囲を警戒しながら村の中央広場まで来たところで、そこに一人だけぽつんと立っている浮いた姿の人物を見つけた。
「……!! あの人、村の人じゃない……。飛行船のお客さんの中にもいなかった」
「ああ……。わかっている」
警戒するように俺の前に出て構えの姿勢を取るレリィ。記憶にないというだけでなく、見た目の立ち姿からも危険人物であると察したのだろう。その判断は正しい。
俺の知っている人物であり、また俺にとって予想外の人物でもあった。
「なぜ貴様がいる。『王水の魔女』」
声をかけられてゆっくりと振り向いたのは、しわ一つ見えない黒染めのローブに身を包み、濡れたように艶やかな漆黒の長髪を垂らして不気味に佇んでいる一人の女だった。
本来想定した敵とは異なり、よりにもよってこの場に現れたのが俺の天敵ともいえる『王水の魔女』。
最悪である。
普段から出不精で滅多に姿を見ないこの魔女がいるということは――。
「おい見ろ! 本当にいるじゃねぇかよ! あたしが言った通りだろ! そんで……こんなしけた山奥の村で何してんだぁ? えぇ、『結晶』よぉ!」
木々の枝葉を押し退けて大声を発しながら姿を現したのは、騎乗用の
「『竜宮の魔女』……。やっぱりお前が来ていたか」
飛行船が飛竜に襲われた時から、おそらくこいつの仕業だろうということは予想がついていた。
それとつい先日、付近の森の竜種を派手に狩ったばかりだ。こいつが近くに潜伏していたとすれば、その大きな動きに気が付かないわけもなかった。
そして、村が森に呑み込まれた異常現象の元凶がさらに一人。
「もう近くにはいないかと思っていたのですけど、包囲を慎重に狭めていった成果があったようですね」
若草色のローブに身を包み、緩やかに波打つ栗色の髪が腰まで垂れ、長い睫毛と濃い褐色の瞳が特徴的な妙齢の女性。
その実体は半世紀以上を生きる連盟の古参魔女。
『深緑の魔女』もまたこの場に姿を現したのだった。
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