第371話 嵐の祝日

 目が覚めた昼時、山奥の村は激しい嵐に見舞われていた。

「すごい嵐……。森が泣き叫んでいるみたい」

 俺につられて起き出してきたレリィが窓の外を眺めて呟く。村のはずれにある自宅ということもあって気が抜けているのか、薄い肌着一枚で窓際に立っている。

「ビーチェとセイリス、大丈夫かな?」

「……連絡手帳の方に状況が書き込まれている。嵐が激しいから、手近な岩場で身を隠しているらしい。つくづく運に恵まれないな。合流にここまで手間取るとは」

 嫌な感じだ。

 ビーチェとは長い間離れていたこともあって、根拠もなくこのまま再び会えなくなってしまうのではないかという不安に襲われる。

「大丈夫だよね。セイリスだっているし……」


 魔窟の最深部でセイリスと一戦交えたレリィは、その強さに絶対の信頼を置いている様子だった。単純な戦闘能力だけなら俺達の中でセイリスが一番強いかもしれない。魔窟からの力の供給は途絶えたとしても魔人の力は健在だ。ビーチェにしても魔人化したことで生前の能力が強化されている。あの二人が窮地に陥るようなことはあるはずもない。


 それよりも一人だけ別行動を取っているメルヴィのことが少々気になった。彼女とも連絡は取り合っているが、ひとまず魔導技術連盟の現状を探るためにも身を隠しながら情報を探っているとの話だ。あまり無茶はするなよ、と伝えてあるが、一方でメルヴィが現状把握に役立つ情報を掴んでくれることを期待していた。

(……こんな山奥の村ではまともに情報が集められないからな……)

 そのうえでこの大嵐だ。

 少なくとも嵐が治まるまで、しばらくの間は息を潜めているのが正解かもしれない。

 俺も朝まで続いていた狩猟祭のせいで体に疲れが溜まったままだ。


「ビーチェ達は心配するまでもなく平気だろう。この様子では俺達ができることは何もないし、たまにはゆっくり休めばいい。……思えば魔窟から地上に戻ってきてここまで、気の休まる時間がなかった」

「それもそうだね……。魔窟の中での休憩も常に緊張感があったし、実家に戻ってきた今が一番落ち着くときなのかも」


 レリィは今朝も元気な様子だが、俺も含めて丸一日無茶をさせられた祭りの参加者達は全員が疲労困憊である。

 それぞれ分配された食肉を冬備えの保存食に加工する作業も残っていて、今日は皆が皆、自宅にこもって仕事をしているはずだった。とはいえ、昨日の竜肉回収や解体作業などと比べれば随分と楽な作業に違いない。


 狩猟祭の終わりには村長から村人達に向けて、ある発表がなされている。

 昨日を狩猟祭の記念日として毎年祝うことにする、と。そして、その翌日は祝日として皆が自宅でゆっくり過ごすようにと通達された。


 村の行事の取り決めをしたわけだが、実態としては食肉を一日も早く保存食に加工するよう各自に促したというところだ。どの道、今のような吹き荒れる嵐の中では外作業などろくにできない。畑が荒れないように対策を施した後は家に引っ込んでいるほかないだろう。

 村人達が各々どんな作業をしているかは知れない。だが、昨日今日の作業が大変である分、今年の冬は余裕をもって安心して過ごせるようになる。狩猟祭の興奮も手伝って、浮き浮きした気分で食肉加工の作業をしているのではなかろうか。


「う~ん。なんで嵐の日ってこう、心がざわつくというか、わくわくしちゃうんだろうね?」

「低気圧だからだろ」

「ん? 低……気って?」

「……いや、大したことじゃない。気にするな」


 残念ながら学のないレリィには気圧の概念がピンとこないようだ。今の時代、気圧観測などという面倒な手法で天候を予測したりすることは少ない。

 本気で予測したければ、魔導技術を駆使することでおよそ数日先の天候は予測可能だろう。それだけの技術がない人間は、それこそ天任せで日々を過ごしている。

 馴染みがないことを教養として身に着ける者は珍しい。だが、こういったことの積み重ねが人類の能力格差を広げていて、優秀な個人が凡庸な多数を蹂躙するという歪みを生み出している。

 無論、俺は蹂躙する側に回るわけだが。

 もっとも、そんな無学でも腕力で問題解決できるやつがレリィみたいな騎士だ。本当に今の世界は均衡が狂っている。

 努力と研鑽を積んだ者が優位に立つ一方で、ただ才能に恵まれただけのものが理不尽な力を手にしていた。


「そういえばさ、今回の狩猟祭ではどれくらいの数、竜を狩れたのかな?」

「その竜を全部狩ったお前が一番わかっているんじゃないのか?」

「いや~ははは……。狩猟祭の最中はとにかく次々、って数なんて数える暇もないくらい駆け回りながら竜を倒していたから……」

 ぽりぽりと頬を掻きながら視線を逸らすレリィ。

「俺も厳密な数は把握していないが、三〇〇匹くらいじゃないか? 大型種はそのうちの一割くらいのはずだ」

「三〇〇かぁ~。結構、狩ったね?」

「お前は村で暮らしていた時、毎年、何匹くらい狩っていたんだ?」

「んん~……。一年間だと一〇〇匹くらいかな。それくらい狩ると、村の近場にはしばらく竜が出なくなっていたから。狩猟数としては十分だったし、それ以上はわざわざ遠出してまで狩りに行くことはなかったよ」


 一人の狩人が狩る数としてはかなり多い。ましてや竜種ともなれば一匹当たりの重みがある。

 ただ、恐るべきはレリィの狩人としての能力よりもむしろ――。

「それだけ狩っても増え続けたのか。この辺の竜種は」

「まあねー。この辺りって国境付近だから、森の開拓とかし辛いでしょ? 地平線の向こうまで広がっている樹海にさ、いるんだよね。ちょっと想像できないくらいの数の竜が。いくら狩っても他所からやってくるから切りなんてないわけ。クレスはその辺の事情知っている?」

「……数字の上では知っている。永夜の王国ナイト・キングダム、国内の森林率は国土の八割を占める。残り一割五分は砂漠や岩石地帯、人の手が入った領域はわずかに残り五分だ。隣の神聖ヘルヴェニア帝国も似たようなもので、あちらは岩場や砂漠の割合がもう少し多いか。単純に、人類以外の獣の生存圏がその広大な森林地帯なわけだから、まあ竜種だけでも国内でざっと数百万匹はいるんじゃないか? 少なくとも、な」


 魔導開闢期まどうかいびゃくきの末期に起きた未曽有の大災害によって人類の生存圏は著しく縮小した。それこそ、かつてどれだけ人類が地上に分布していたかわからなくなるほどに、人類が活動する範囲は狭められたのだ。

 その代わりに人類以外の生物が地上には蔓延はびこったのである。

「それでさ、この村の周辺だけ、あたし一人で年に一〇〇匹の竜を狩ったところでどうにかなると思う?」

「すぐに別の竜がやってくるだけか……」

「でも今回、村の周辺に集中して短期間で三〇〇匹ぐらい狩ったから、ニ、三年間は竜の被害が減るはずだよ。新しい竜の群れがやってくるまでは、平和でいられるかな」

「対処療法に過ぎないな。それでも、ニ、三年の猶予ができるのは意味がありそうだ」

「うん……。その間に、狩人が増えるといいんだけどね」


 ここから先は、この山奥の村が自分達で竜を狩っていかなければならない。

 今回の狩猟祭では、狩り自体はすべてレリィがやってしまった。その最も危険な仕事を村人達は今後こなしていけるのか。あるいは腕のいい狩人を雇いながら生活を回していくことができるのか。

 難しいことだが、こればかりはここの村人達がどうにかしていかなければいけない。


「雨、やまないね」

「この様子だと嵐が過ぎるまで丸一日かかるかもな」

 真昼だというのに空は真っ黒な雲に覆われて、日が落ちた夕時のようだった。

 永夜の王国ナイト・キングダムは首都の暗黒都市を中心にして常時厚い雲が空を覆いがちだが、隣国ヘルヴェニアに近い国境付近では比較的、雲は薄い気候になっている。

 だから、この暗雲も一日経てばきっと晴れるだろう。


「外、見ていても仕方ないし、朝食にしよっか」

「もう、昼だけどな」

「今さっき起きたばかりだから朝食なの~」

「竜肉を腐りそうなほど受け取っているし、それで何か料理するか」

「久しぶりにクレスの料理が食べられる!?」

「ああ……お前にやらせると雑に焼いた肉塊になるからな……。俺が調理した方がいい。せめて野菜でも洗っていろ。適当に葉物をちぎってサラダにするくらいできるだろ」

「むぅ……。一々、余計な言葉が多い……。けど、美味しい朝食のためだから言う通りにしておく!」


 外は嵐で屋根を叩く雨の音が鳴り続けている。時折、強い風が吹いては森の木々がざわめいた。

 暗く寒々とした天気だが、家のなかレリィと二人で過ごす時間は静かで穏やかな日常だった。

 ビーチェとセイリスが合流できたなら、もう一日くらいここで過ごしてもいいかもしれないと思うほど暖かいひと時であった。

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