第367話 寂れゆく村
夜が更け、人も減って宴会の終わりが近づいてきた頃、食堂の女主人が机の上に並んだ食器類を片付けながらレリィに話しかけてきた。
「今日は村の連中に付き合わせて悪かったねぇ。あんたが村を出ていっちまってから、この村も随分と寂れちまった。今じゃ増え続ける竜種に怯えて暮らす毎日でね。そこへ、かつての村の狩人が立派な騎士様になって帰ってきたもんだから、今日だけは皆、不安な日々から解放されてはしゃいじまったのさ」
「あはは……。事故で突然、立ち寄っただけなのに大歓迎で……少し驚いちゃったかな」
村人達の歓迎ぶりにレリィは照れ隠しで笑いっぱなしだった。やや作り笑顔のようにも見えたが、無理に作った笑顔というよりは気持ちが高ぶってどうしていいかわからない、そんな表情だった。人が減ってそれも落ち着いてきたが、こうして少しでもおだてられれば表情は崩れる。
だが、食堂の女主人が話の端々に含ませる村の衰退について、自分の故郷だけにレリィは気にせずにはいられなかったようだ。
「……村周辺の竜種が増えているって話だけど、そんなに増えているの? あたしが村で暮らしていた時もそれなりに多かった気はするけど」
「増えているねぇ。少人数で森に入ろうものなら、半刻としないうちに何かしらの竜種に襲われるくらいだよ。……野生の竜種を狩れる腕を持った狩人がいなくなれば、そうなることは想像するべきだったのさ。皆して、あんたや、あんたの両親のことを軽く扱っていた。今日はそれを反省しての贖罪みたいなもんかね。よそから来た人に言われて初めて、この村の大事な人材が失われたことに気が付いたわけだから、なんとも間抜けな話だよ」
軽く笑って話す内容にしては重たい話だ。ただ食堂の女主人は達観しているのか、自嘲気味ではあったがその口ぶりに悲愴さはなく、悪意も感じられなかった。
「よそから来た人?」
「ええと、なんて言ったっけねぇ……。首都から来た一級術士様で、こう背が高くて、脚の長い、えらい別嬪さんだったよ。空飛んできたもんだから、皆が大騒ぎしたものさ」
「アウラ……『風来の才媛』だな……」
首都を活動拠点として、こんな山奥の村に用事があった空飛ぶ一級術士、となれば思い付くのはあの女しかいないだろう。
「山の中にある遺跡を調査しに来たとかで、そのついでにさ、レリィの両親のことも色々と教えてくれたんだよ。あの二人は村じゃ変わり者の夫婦と見られていてね、山奥でこそこそと何かやっているって変な噂もたったもんだよ。それが定期的に山の猛獣を狩りながら、危険な遺跡の調査と管理をして村を守ってくれていたっていうんだから……。何も知らずに安全を享受していたこの村ときたら、恥ずかしいくらいに感謝が足りなかったねぇ」
「レリィの両親の死についても話を聞かされたのか?」
「村の治安を守るために猛獣と戦って亡くなったって話は聞いたよ。竜種よりも危険な怪物が村に降りてくるのを未然に防いでくれたんだってね」
だいぶ大雑把な話ではあるが、一級術士の証言ということで村ではその事実が重く見られたらしい。実態は少し違うと俺は見ているが、今ここで言う話ではないだろう。俺もまた一級術士の肩書きを背負っている。迂闊な発言はできない。
レリィの両親が村の治安を守る為に猛獣と戦って死んだこと。それが『風来の才媛』の調査を機会に知れ渡り、村人達は今までの勝手な憶測や偏見を捨てるきっかけになった。しかし、既に二人は亡くなってしまっているうえ、その娘であるレリィも村から飛び出していた。
「私達はさ、レリィの両親が狩人をやっていた頃から、守られることに慣れ過ぎていたんだ。だから、レリィが狩人の役目を継いだ時もそれが当たり前のことだと勘違いしてたのさ。本当に情けない話だよ。レリィが出ていってから、だいぶ経たないとそのことにも気が付けなかったんだから」
せめてレリィが戻ってきたときには、これまでの働きについて両親の分まで感謝の気持ちを表そうと村の者達で決めていたそうだ。それがこの大歓迎の理由でもあった。
「……アウラのやつ、余計な根回しをしやがって……」
「あはは……本当に、おせっかいだよね。でもまあ……父さんと母さんを皆に認めてもらえたのは、うん、嬉しい、かな」
レリィは自分が歓迎されたことよりも、両親の名誉が取り戻されたことを素直に喜んでいた。相変わらずのお人好しだ。この村の人間達は結局、自分達のしでかした失態をなかったことにしたいという保身から、レリィへ擦り寄っているに過ぎない。
「あたしが村を出た後、村で用心棒を雇ったりしなかったの? 新しい狩人は?」
「ああ、それかい……。森の獣が増え始めてから慌てて外の人間を雇ったけど、この辺りの森に慣れてなくて思ったほどの仕事ができなかったんだよ。半端な狩人じゃ、ここいらのずる賢い竜種に食い殺されることもあってね。次第に仕事を受ける人間もいなくなって、
村人達の自業自得といえばそれまでの話だった。
レリィがいなくなってから、村にはまともな用心棒がいなくなり、猛獣被害も増えた。村の中まで獣が入り込み、畑は荒らされ、街道を通る旅人や商人も襲われることが多くなったそうだ。
「まあ、そんな具合でね。今は村の若手で自警団を作って、猛獣が村に侵入してくるのをどうにか防いでいるってところで。山の中は迂闊に歩けないし、首都方面へ続いていた街道も廃れて久しいねぇ……」
村の若者がかなり必死な様子でレリィに首都の話を聞いていたのは、たぶん彼らもこの村に限界を感じているからだろう。村を出られるのなら出たい。しかし、村から出て首都で暮らしていけるのか、その保証もなければ、そもそも首都がどんな場所かも情報がない状態だった。
(……着実に滅びゆく村から、いざという時には出ていけるように、か……)
宴の終わりにつまらない話を聞いてしまった。
俺達が思っていた以上に、この村はもう手遅れな状態にあるのかもしれない。
宴が解散となって、俺とレリィは真っ暗な夜道を黙ったまま歩き、レリィの実家へと戻ってきていた。久しぶりとはいえ慣れたものであろう自分の家の戸を開けて、明かりを点けたレリィは思わず感嘆の溜め息を吐いた。
「あ……。うわ、家の中すごい綺麗になってる……。あたしが出ていく前より……」
「あと数日いるかどうかだが、それでも汚い場所で寝泊まりするのは気分が悪いからな。しっかり掃除しておいたぞ」
「人の家を汚い場所ってはっきりと……。でもまあ、確かに綺麗になってるから文句も言えない……。むうぅ……」
自分の家だというのに、急に綺麗になった部屋では落ち着く居場所がないのか、椅子に座りもしないでレリィはしばらくそわそわと家の中をうろついていた。
「今日はさすがに疲れた。俺はあっちの広い部屋を使わせてもらうが、いいな?」
「ああ、父さんと母さんの部屋? クレスがそこでいいならいいよ」
聞いておいてなんだが、他にどこがあるんだという話である。レリィの部屋では本人が寝るのだろうし。
そう思ってふと疑問が浮かぶ。
本当に今更の話なのだが、レリィは両親がいなくなって何年もの間、狭い子供部屋でずっと寝泊まりしてきたのだろうか。家の清掃時に見たところでは、両親の部屋はなんとなくそのまま残されていたように感じた。レリィが家を出てから手入れはされてないにしても、寝具はさほど古びた様子がなかった。
もしかすると両親恋しさで、寝る部屋は親の部屋を使っていたのかもしれない。
大きな夫婦部屋に入って寝台で横になっていると、少し経ってからレリィが部屋に入ってきた。
宴会のときは着ていた胴着と軽鎧は脱いで、薄手の肌着だけになっている。
いつ見ても日焼け一つない白磁のように滑らかで白い肌。たっぷりと栄養を取るようになって昔より洗練されたレリィの肌艶は、村の若い娘達の間でも注目の的だった。
「どうした? 自分の部屋で休むんじゃなかったのか?」
「ちょっと相談もあってね……」
深緑色の長い髪を手持ちぶさたに撫でながら、遠慮がちに前置きをしてから話を切り出してくる。髪がしっとりと濡れているところから、軽く湯浴みもしてきたようだ。それにしても早すぎる。烏の行水か。
ここのところ魔窟探索とかでゆっくり湯浴みする機会も少なかったから、早風呂の癖でも付いてしまったのか。
などと、残念な想像を俺がしているうちに、レリィは寝台の片側に腰かけて、こちらに背を向けたままころんと横になる。
「ねえ、少しの間だけさ。この村の周辺で狩りをしちゃダメかな? 猛獣が増え過ぎて村の皆が困っているって……」
「ダメだ。時間がない。数日としないうちに、ビーチェとセイリスが合流するだろう。そうしたらすぐにこの村を発つ」
大方、自分がいなくなったことで荒れてしまった村を見て、何かできないかと考えてしまったのだろう。
レリィを受け入れてくれた今のこの村であれば、レリィにとっての本当の幸せがここで手に入るかもしれない。この村で認められることが彼女の幸せに繋がる可能性がある。
だがレリィが村の用心棒として働くなど、今の状況では許可を出すことはできなかった。
「せめて一日だけ。それで、できる限りのことをしたいの」
「これまでお前を冷遇してきた、この村を助けるためにか? お前がたった一日、村周辺で狩りをしたところで焼け石に水だぞ。すぐに猛獣は数を増やして元の状態に戻る」
「そうかもしれない。けど、少しの間でもいいから、この村に猶予ができたらいいなって思って。身動きできなくなる前に次の可能性を見つけるための猶予があればって……」
「猶予か。そんな言い方をするってことはわかっているんだろう、この村に先がないことくらい。それでもやるのか?」
「それでも、あたしの故郷だから」
レリィから返ってきた言葉には強い意思が込められていた。
『それでも』という言葉には、冷遇されてきたことも亡くなった両親のことも、救う価値があるかどうか怪しいこの村のことも含めて『それでも』手助けするのだという確固たる意思がある。
「……わかった。明日、一日だけだ」
「いいの?」
くるりとこちらに顔を向け、翡翠色の瞳を大きく見開いて真っ直ぐな視線をぶつけてくる。こいつは本当にお人好しが過ぎる。俺が言っているのは、明日で故郷への未練を断ち切ってこいと言っているに等しいのに、それを深く考えもせずに感謝さえ覚えている様子だ。
「元々、二日を限度とした滞在予定だったが……実はビーチェ達から情報が入ってな」
レリィの実家を掃除しているときに、召喚術でビーチェに持たせた連絡用の手帳を取り寄せたのだ。手帳へは定期的に現状の書き置きをしておくよう言ってあった。ビーチェは召喚術ならともかく、送還術に関しては未熟なので基本的には俺が情報のやり取りを行うようにしている。
「ビーチェとセイリスの状況としては、夜間の移動が迷いそうで手間取る、ということで合流にはもう一日ほど時間がかかるそうだ」
「それじゃあ、その一日の間だけなら……!?」
「やるなら後悔しないよう、徹底的にやれ。害獣どもの索敵くらいなら手伝ってやる」
その一日だけなら、村周辺の猛獣討伐をやることは問題ないと俺は許可を出した。
一時的な獣の間引きにしかならないが、当面の安全を得られれば村の方針を決める猶予もできる。村の守りを固めるにしろ、村を捨てるにしろ、選択肢が増えるのだ。
俺とレリィを引き合わせたこの村に、それくらいの慈悲を与えてやるのも悪くない。
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