第366話 故郷凱旋
魔導飛行船の墜落事故では軽い怪我をした者こそいたが、特に重篤な怪我人はおらず、山奥の村で先行して受け入れ準備をさせておいたこともあって大きな混乱もなく避難が完了していた。
「あーっ!! 疲れたぁ~。皆、助けられて当たり前みたいな態度で、文句ばっかり言って困らせるんだもん。クレスが雑な対応したのも納得しちゃったよ……」
墜落現場から村までの引率をしたレリィには色々と面倒があったようだが。
「ご苦労だったな。まあ、あいつらが粗末な天幕で数日暮らすことになる一方で、俺達はまともな環境で休めるわけだから、そう腹を立てるな」
「……なんか機嫌がいいね、クレス。そういえば、あたしの家がすごい綺麗になってるんだけど……出ていく前よりも……」
「短期間とはいえ俺も泊まり込むんだ。環境は良くしておかないと気が済まん」
地下室を発見した後、入口は元に戻して隠し、家の中を掃除しながら他にも何か手掛かりがないかと探し回った。
残念ながら地下室の工房よりも重要な手掛かりはなかったので、ついでとばかりに整理整頓と室内の浄化を術式で行って、家の傷んだ箇所も補強してやったのだ。
「は~……お腹すいたぁ。今日、晩御飯どうする? お台所も綺麗になっているし、ここで何か作る?」
綺麗に片づけられた台所と磨き上げられた調理器具を見て、レリィがちらちらと俺の方に意味深な視線を向けてくる。ここまで台所を整えたのだから、俺が何か料理することでも期待しているのだろう。この山奥の村に長居するなら自炊というのもありだが今は非常時だ。基本的には食事の用意に時間をかけたくない。それに、今晩に限っては約束がある。
「ああ、そういえば、今晩はお前の歓迎会を村で開くという話だったんだ。村長が村の食事処に準備させているはずだから、そちらに行くぞ」
「か、歓迎会!? なにそれ、あたし聞いてないんだけど。というか、あたしのための歓迎会? クレスの接待じゃなくて?」
「俺の接待も含まれてはいるだろうが、飛行船の避難者が不便を強いられている状況で俺だけあからさまな厚遇を受けるのもよろしくない。そこで、村出身のお前が帰ってきたことに対する歓迎会としておけば、見ず知らずの唐突にやってきた厄介な客人達より、俺達が優先されるのは当たり前ってことで角が立たないわけだ」
「あー、はいはい。高度な政治的やりとりってやつね~。変だと思ったよ、あたしなんかのために歓迎会を開くなんて」
どうもこの村に来てからレリィの態度には卑屈さが見える。昔からこの村で不遇な扱いを受けてきたことはわかるのだが、果たして今はどうなのだろうか?
「あながち変なことでもないけどな。これが純粋にお前の歓迎会であったとしても」
「……? どういうこと?」
「行ってみればわかるさ。村の人間達が本当にお前を歓迎しているのかどうか……」
俺の言葉に含まれた意味を察することもなく、レリィはどうにも気が乗らない様子で家を出るのだった。
すっかりと日が落ちて村が夜の闇に沈んだ頃、村唯一の食事処に多くの村人が集まって宴会が開かれていた。三十人ほどの老若男女が集まっていて、この小さな集落にしてみれば割合としてかなりの大人数であった。
「それでは~!! 我が村の~、おほんっ! わ、が、む、ら、の出身で、首都に出てから正規の騎士になった、レリィ殿の帰郷を祝して! 乾杯!!」
『乾杯!!』
乾杯の音頭を取っていたのはどこかで見たことのある男だな、と思ってレリィに聞いてみたら案内所で働いていた男だった。俺が初めてこの村に来た時にレリィを紹介した男である。
「やー、たまげたな……。あのレリィが、まさか騎士様になって戻ってくるなんて! ささっ! 今日は色々と大変だったようだし、酒と食事で英気を養ってもらって!」
乾杯の音頭を取った案内所職員の男が、気分良さそうに俺達の元へ寄ってきては腰を低くしながら酒を勧めてくる。レリィに対しても以前のように侮った様子はなく、不気味なくらい満面の笑顔で料理を盛りつけてやったり世話を焼いていた。
「ほんに立派になってねぇー」
困惑して目を白黒させているレリィのところへ今度は食堂の女主人がやってきて新しい料理の皿をテーブルに並べていく。
「肉付きもいい別嬪さんになって! いいもの食べさせてもらってるんだろう? ここで出すのは田舎料理で申し訳ないけど、故郷の味だと思って今日はしっかり食べていきなー!」
「えっ!? へへっ? あ、あー、いただきます……」
どう反応を返していいのかわからなくなっているレリィが、気持ちの悪い引き攣った笑みを浮かべてひたすら困惑していた。
まあ、この反応は仕方がない。
村に良い思い出もなく、首都に出てからは一切帰郷することのなかったレリィである。それが故郷に戻ってみれば村人達が彼女を盛大に歓迎してくれるという状況。
(……純粋馬鹿のレリィには意味がわからないだろうな。悪意と善意、それが容易に反転する理由なんて考えもしないか……)
俺のように打算で動く人間からすれば丸わかりの状況なのだが、感情で動きがちなレリィであるからこそ、この歓迎ぶりは奇妙なものに映っているに違いない。
ただ、それにしたって村人の歓迎ぶりが熱狂的過ぎるのは少し気になった。単純な打算では計りきれない部分もありそうだ。
俺は村人達に囲まれているレリィを置いて一旦席から立つと、奥の方で何人かの老人達で固まり酒を飲み交わしている村長の方へと向かった。
「村長殿、飛行船の件は問題なく終わったのかな」
「あぁこれはこれは……クレストフ様。おかげさまで良い交渉ができました。事前に情報を頂いたこと、感謝せねばなりませんな。ありがとうございます」
村長の様子は村へ来た時とは打って変わって明るい表情だった。
「その様子だと負担以上の利益を引き出せたみたいだな」
「ははは……人命がかかっておりますので、そうアコギな真似はしておりませんよ。ですが、受け入れ時の避難者用に食料を充分に渡してもらい、こちらで調理してお出しする際に余ったものは村の者にわけて構わないと言われておりまして」
飛行船付きの術士が召喚術で食料を取り寄せたのだろう。急な事故であったし、調理済みの食事を召喚するのは難しかったと思う。簡単な準備で食べられるものばかりを召喚したに違いない。数日をそれで過ごすのは何の問題もないだろう。しかし、魔導飛行船を利用する客には富裕層が多い。これから何日も保存食みたいなものばかりでは不満も出る。
そこで食材は提供するから村で調理を行ってほしいと頼んだというわけか。魔導飛行船の運営側にとってだいぶ都合のいい話に感じる。
「食料品のあまり程度で手を打ったのか? 欲がないな」
「……謝礼はまた別途ということではありますが、まあそちらは気持ち程度のものになるでしょうな」
村の食糧が目減りすることなく金銭的な対価も得られるというなら、どの程度の謝礼が約束されているのかは知らないが、差し引きで損はなく村にとっては利益になったと考えられるものなのだろう。だが、村の様子を見るに経済状況はかなり良くない。俺が見る限り、今回の謝礼程度では補填できるか怪しいほどで、来年には村が消滅してもおかしくない寂れ具合だ。
ここはもう少し、この村に恩を売っておいていいかもしれない。
「そうだな……。保存食のようなものであれば、つい最近の魔窟探索で余った分が俺の所にもある。そろそろ消費しないといけないから、良ければこの村で処分してくれないか? もちろん代金はいらない。今の季節の食料として使って、元々の食べる分は冬越し用にでも回したらいい」
「そんな……よろしいのですか? こちらが歓迎こそすれ、そこまで御親切にされる理由もないのですが……」
「一級術士である俺の専属騎士レリィの故郷なのだから、歓迎会の返礼としてそれぐらいはおかしくないな。どこか空きの倉庫はあるか? 小部屋の二つ、三つくらい空けられるなら置き場所は足りると思うんだが」
「なんと、それほどの量を……感謝いたします」
俺が無償で食料を提供すると言えば、村長は近くにいた他の老人達にも相談して空き部屋をしっかり用意することに決めていた。俺としては余り過ぎて消費の期限を過ぎる恐れがある食料を抱えていても無駄に腐らせてしまうだけだ。それを処分しつつ、レリィの村にも恩を売れるのは悪くない。
(……黒猫商会が保存食の入れ替えをする時期がそろそろだが、もしかすると連盟の邪魔が入って動きにくくなる恐れも出てくるな。一度、きちんと連絡を取った方が良さそうだ。今後は首都の拠点を避けて、別拠点に物資を運んでもらうか……)
猫人の商人チキータが実権を掌握している黒猫商会は、いまや一国に収まらない大商会へと成長している。魔導技術連盟とも対等な立場で取引をしているようだし、多少の圧力に屈するようなこともないはずだ。国外脱出した後の協力も問題なく取り付けられるだろう。
「それではクレストフ様。後ほど、うちの孫娘に倉庫への案内をさせますので、よろしくお願い致します」
「孫娘?」
「先頃、我が家でお話を一緒に聞かせておりました……えぇ、あそこにおります」
「ああ、あの娘か……」
村長が食料を運び込む場所への案内を孫娘に任せると言って、食堂で盛り上がっている若者集団の中の一人を指さした。一々、顔は覚えていないが、たぶん村長の家に行ったときに玄関でもあった女だろう。
その若者集団の中心にはレリィがいるようで、どうも俺が村長と話をしている間にレリィは村の若者に囲まれていたようだ。
この小さな集落の若手を全員かき集めたのかと思うほど若い男女に囲まれ騒がれており、村長の家にいた若い女、村長の孫娘からも質問攻めにあっている。
「首都はどうだった?」
「クレストフさんって、ものすごいお金持ちじゃない?」
「普段どんな暮らしをしているの?」
「一緒に住んでいるの!?」
興奮した村娘の集団からは、首都の様子や普段の暮らしを根掘り葉掘り聞き出されて、レリィはわたわたと顔を真っ赤にしながら応答していた。ああした若い女性同士の会話に慣れていないのが丸わかりだ。昔、村にいたときはそういう友達がいなかったのであろう。過去にさかのぼるほどに不憫な奴である。
一方で、若い男達からはかなり真剣な表情で、首都に出てからどうやって成功したのか質問を受けていた。
「なあ、教えてくれ! どうやって騎士になったんだ!?」
「本物の騎士ってどれくらいの強さなんだ? やっぱり素手で
「騎士はともかく、冒険者って儲かるのかな?」
「首都へ出てから仕事はすぐに見つかったのかい?」
正直、若い男達に囲まれる方が動揺するのかと思えば、気質としてはこちらの方が安心できるのか、質問には割と冷静な受け答えをしていた。村の若い男達も、レリィの容姿に鼻の下を伸ばして近づいてくる者も一部いたようだが、村を出て活躍するレリィにその成功話を聞きたいという者が大半だった。
レリィもそうだったが、今の村の若者達は村を出たいという気持ちが強いのかもしれない。それだけこの集落に限界が来ているのか。
質問攻めが一段落すると、俺が近づいてきたことで遠慮したのか若者達はぎこちない会釈をしてレリィの周りから離れていく。村出身のレリィには気安く話しかけられても、一級術士で外の人間である俺には近寄りがたいようだ。村長と話している姿も見られているし、粗相がないようにと老人達から言い含められているのかもしれない。
レリィも一旦、落ち着きたかったようで、あからさまにほっとした様子で飲み物と料理に手を付けている。
狭い食堂とはいえ大勢が騒がしくしているので、すぐ傍にでもいなければ声は聞こえないだろうと、俺は小声でレリィに耳打ちする。
「随分と人気者じゃないか。村の連中には嫌われているという話ではなかったのか?」
突然、耳元で囁かれてレリィが「ぅひゃぁ……」と小さく声を漏らす。肩を寄せて耳打ちする俺とレリィの姿を見て、遠くで見守っていた村娘の集団から黄色い声が上がる。大方、甘ったるい口説き文句でも囁いたと見られたのだろう。それでも近づいてきて会話を盗み聞こうとする動きはなかったので、俺は構わずレリィが口を開くのをすぐ傍らで待っていた。
果実酒をごくごくと一気に飲み干した後、観念したようにレリィも小声で話し出す。
「……そのはずだったんだけど。おかしいなあ……。何で皆、勝手に村を飛び出した私を歓迎してくれるんだろう? 私が村で暮らしていたときはこんな雰囲気じゃなかったよ」
「――皮肉を言ったつもりだったんだが。……お前、本当に気が付いていないのか?」
目を瞬かせて俺の顔を見つめ返してくるレリィ。翡翠色の瞳はどこまでも純粋で、目の前に見たものを素直に捉えている。見たままを感じる素直さは彼女の美徳でもあり、鈍感であるという欠点だ。こんな簡単なことにも気が付くことができないのだから。
「簡単なことだ。歓待される理由は、お前が騎士になったから。こんな小さな集落だ。村から騎士が輩出されたなんてのは大事件だろう。つまりは出世頭なんだよ、お前は。手の平を返して取り入ろうと考えるのは当然というわけさ」
「うーん、そう言われると素直に喜べないなぁ……」
「だが、悪い気はしまい?」
「え? まあね……。目に見えて嫌われているよりは……ちょっとだけ気分いいかな」
もぐもぐと鶏の手羽先を頬張りながら、まんざらでもない様子で照れている。大勢の、それも故郷の人達に褒めそやされるのは初めての経験で、むず痒い気持ちが抑えられないようだ。
だが、本人がそう感じているのなら、わざわざ斜に構えて村人の厚意を拒絶することもない。
「それなら気持ちよく担がれてやれ。それがこの村にとっても、お前にとっても利益になる」
言われたレリィが一瞬、呆然とした表情になる。そういう考え方はなかった、とでも言いたそうだ。
「…………」
しばらく黙々と料理を口に運んでいたレリィだったが、考えがようやくまとまったのか口を開いた。
「……君ってさ、意外と人の心の機微がわかるよね。どうしてそれで人間関係うまくいかないの? めちゃくちゃ人から恨まれたりさ」
「俺はただ打算を推し量っているに過ぎない。他人の感情は考慮しないからな」
はぁ~……と、呆れた様子で溜息を吐きながら、レリィは村の名物・竜の尻尾焼きに噛り付いた。
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