第365話 生家の闇

 窓から差し込む西日が対面する老人の顔を赤く染めていた。傍らに佇む若い女の顔には影を落として表情が読み取れない。

 魔導飛行船の墜落に関して聞かされた村長は、顔に刻まれたしわをさらに深めて大きく溜め息を吐いた。

「……事情はわかりました。まさか、飛行船が墜落とは……。しかし、困りましたな。この小さな村では食糧も十分な用意が難しいのですが……」

 あからさまに面倒ごとを持ち込まれたという様子だが、俺は村に立ち寄るついでに事実を伝えに来たまでで、むしろ迎え入れの準備もできないまま突然大勢に押しかけられる事態を避けられたことに感謝してほしいものだ。

「無理な要求を呑めと言っているわけじゃない。食糧は魔導飛行船に随伴の術士が召喚術で取り寄せるだろう。雨風がしのげる天幕を村の空き地にでも用意して、手洗いの場を提供してやれば問題ないはずだ。村の負担となる分は、魔導飛行船の運営組織から対価を受け取ればいい。今回は飛竜の襲撃という不幸な事故・・・・・だからな。運営組織には保険金も出るはずだ。金を渋りはしないだろうよ」

「おぉ……その程度であれば、なんとか協力ができそうですな。ご助言、感謝いたします」


 どの程度の準備をすればいいのか明確に示してやると、村長は自分達でも手に負える範囲だと納得したらしい。

「ところで一級術士様、今晩はどちらでお休みになられますか? 客人として我が家の客間を使って頂くか、あるいはそこの……おほん……。レリィ殿の生家が残ってはおりますので、そちらを使われるのもよろしいかと」

「レリィの家? それはどうなんだ?」

「あ~、あたしの家? そっか……まだ残っていたんだ。もう何年も放置しているから掃除は必要だろうけど、複数人でも寝泊まりできるよ」

 複数人で泊まれる、というのは暗にビーチェ達との合流にも都合がいいと言いたいのだろう。


「多少、家が傷んでいても問題ない。そちらにしておこう」

「そうですか、わかりました。夕食はもし良ければ村の食堂をお使いください。……避難民の方々とは別に、ささやかながら歓迎の場など設けさせて頂きますので。村出身の者が帰郷したこともあれば特別の扱いでも不思議はないでしょう」

 去り際に小声で村長が夕食に誘ってくる。これから大勢来るであろう避難民とのやり取りで、俺を味方に付けておくのが得策と判断したのだろう。レリィの帰郷を理由にして、避難民との差をつけた接待をするから、飛行船の運営組織との話し合いでは便宜を図ってほしいといったところか。

「……そうだな。この村の食堂では何度か食事をしたこともある。縁もあることだし、夕食はそちらで済ませよう」

「おお……であれば準備をさせておきます。それから、墜落した飛行船には人をやった方がいいでしょうか? 墜落現場は私共では位置がわかりませんが……」

 飛行船の連中が勝手にやってくるのを待ってもいいが、それだと夜遅くなったりバラバラに到着したりと面倒が増えるかもしれない。


「レリィ、お前の家に寄った後になるが、墜落現場まで案内してやれ。飛行船の連中、見捨てられたと勘違いして俺達を逆恨みしているかもしれん。飛竜から守ってやったことも含め、恩をわかるように売っておけば村に来てから騒ぐこともないだろう。面倒だから一度に全員、連れてくるんだ」

「クレスはどうするの? 一緒に来ないの?」

「俺は拠点の整備だな。お前の家を掃除しておく」

「それって、役割が逆じゃない?」

「整備と言っただろう。色々とやることがあるんだ」

 魔導技術連盟から追手がかかっている恐れがある以上、寝泊まりする場所にはある程度の防衛術式を仕掛けておきたい。他にも色々と、あるのだ。やることが。



 その後、村の少しはずれにあるレリィの実家に寄ると、レリィは村の若者数名を連れて飛行船の墜落現場に向かい、俺は古びた家屋を簡易拠点とすべく家の中で防衛術式の構築やら室内の浄化作業を行うことにした。二階を物置にした木造の一軒家で、田舎の大工が安く仕上げたような、所々に歪みのある家だった。

「ここがレリィの育った家か……」

 前に村へ来たときは、レリィの家に俺が寄ることはなかった。

 今回、初めてやってきたわけだが、これといって特徴的なところはなく普通の家屋だ。昔のレリィは両親と三人で暮らしていたらしく、今も三人分の食器類などが残っている。両親が亡くなってからの一人暮らしが長かったはずだが、物が多く感じるのは家族の残した物を捨てずに取ってあるからかもしれない。


「……違和感があるな」

 村のはずれにあって土地だけは余裕があったのか、家屋の造りは単純なものの三人家族が暮らすにはやや大きめだ。

 中に入ってみれば、ごく普通の一般的な家庭の室内である。

 それがどうにも腑に落ちない。

(ここが、二級術士デニッサの住んでいた家なら……あるべきものがない)

 風呂場や手洗い場、調理場、居間、物置部屋、大きめの寝室と子供部屋。あとは狩人だったレリィの父親が使っていただろう作業部屋がある。

 間取りはそんなところなのだが、肝心の部屋が見当たらない。離れのような建物もなかった。

(……工房はどこだ?)


 考古学士でもあったレリィの母親、二級術士のデニッサが自宅に工房を持っていないとは考えにくい。

 ないと考えるよりも、隠されていると考えるべきだ。

 ただ、魔導関係の器材は貴重な物や危険な物が多い。幼いレリィと暮らしていたなら、工房を作るにしても子供が容易に入れない場所にするだろう。


(――見透かせ――)

『天の慧眼……』

 俺は左耳にぶらさげた天眼石アイズアゲートの耳飾りに触れて、透視の術式『天の慧眼』を発動した。

 ぐるりと家を見回してすぐ、足元に巨大な地下空間が存在することに気が付く。

 透視によって地下へ降りる階段を発見し、その入り口の場所を突き止めた。

 調理場の奥に鍵をかけられる食糧倉庫がある。倉庫の隅の床石に配水用の溝に見せかけた魔導回路が刻まれていた。床石をずらすだけの単純な魔導回路だが、それだけに魔導仕掛けとは思えないほど簡素な溝で構成された回路になっている。


 床石に触れて魔導因子を送り込めば薄っすらと白い光が回路の筋を浮かび上がらせて、音も立てずに四角い床石が横へとずれる。床石が横へずれると地下へと続く階段が現れた。

(――照らし出せ――)

『煌く陽光……』

 日長石ヘリオライトの魔導回路を起動して橙色の光を生み出し、地下の闇を払って照らし出す。

 地下室はかなりの広さがあり、地上の一軒屋よりも大きな空間を有しているようだった。


「……これが二級術士デニッサの工房か」

 考古学士の工房だけあって、地下室の天井まである棚には奇妙奇天烈な品々がずらりと並べられていた。それらの雑多な蒐集品とは別に、織物や縫物の類が美しく飾られた一画がある。そのすぐ隣には自動で布を織ったり、糸で縫ってくれる装置類が置いてあった。それらは単なる家庭用の裁縫道具ではなく、布製品に呪術的な魔導回路を組み込むための特殊な装置である。

 飾られている縫物をよく観察すると、レリィが闘気を制御するのに使っていた髪留めと同じような紋様が縫い込まれた布なども置いてあった。

 考古学の蒐集品とは別に整頓された本棚が一つあり、そこには研究記録の冊子がぎっしりと詰め込まれていた。織物や縫物専用に作られた魔導回路の研究記録、それも信頼性の高い二級術士のものとなればこれは一財産になりうる。


 その中で一冊だけ、本の装丁が他のものと大きく異なるものがあった。大抵が無地で飾り気のない表紙に題名と日付を書いただけのものに対して、その本だけは固い厚紙と布張りされた表紙で、丁寧な刺繍まで施されていた。

 魔導書の類か? と思ったが、どうやら純粋に高価な装丁をしただけの日記であるようだった。数頁をめくってみて、すぐにそれが何を記録した日記かわかった。

「……『我が愛しの娘レリィ』か……」

 それは子供の成長記録というにはやや偏執的なほど詳細に、我が子の成長を綴った日記だった。


(……『愛しの』と書いてあるが、これは……)

 生まれてからの経過日数、身長、体重、胸囲や胴囲、腕や脚の長さといった身体的な特徴の記録が、毎日欠かさず細かく記録されている。果たしてそれは愛ゆえなのか、それとも実験動物のデータ収集のようなものなのか。

 日記の頁をめくるたび、禁忌を覗き見しているような居心地の悪さを感じてくる。

 間違いなくレリィはこの地下室の存在を知らない。彼女の素養では地下室の入口を開けることはできないからだ。レリィの両親はもちろん伝えていなかった。伝えていたならレリィがああも自分のことについて無自覚であるはずがない。

 こんな山奥の村では、デニッサ以外の術士も近辺にいなかっただろう。そうすると第三者がこの地下室の存在を知っていた可能性も低い。この地下室は、誰にも存在を知られていなかったのだ。


 日記を読み進めていくうちに、一つの事件を記した頁に行き当たる。

 ある日、幼いレリィが高熱を出して死にかけたときのこと。薬湯を飲ませるも効果がなく、医療術士もいない山奥の村でやれることは限られていた。


 その時、死にかけたレリィに対して、何が行われたのか詳細はぼかされていた。

 いや、どちらかというと日記を書いた本人デニッサにとっては当然の内容で、日記にわざわざ書き残さなかったのだと思う。あるいは別の冊子に書きまとめたか。

 伏せられた真実、レリィの体の謎が、おそらくどこか別の場所に秘されている。

(……心当たりはある。レリィの両親がたびたび出入りしていた遺跡……)


 まだ調べ切れていない何かが、レリィの力に繋がる秘密が、幻惑の呪詛で隠されていた村近くの古代遺跡にあると俺は確信を抱いた。

 誰もいない地下室の闇に潜みながら、俺は思わず頬を緩めて笑っていた。

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