第363話 戦闘空域

 領主館でのエリアーヌとビーチェの再会も束の間に、永夜の王国ナイトキングダムから脱出するべく俺達は別れて行動を開始した。

 俺とレリィは先行して、魔導飛行船によりヘルヴェニアへ向かうことにしている。隣の国というだけあって、直行便が割と頻繁に出ている。普通席で乗客に紛れれば俺達二人が特段、悪目立ちするようなことはないだろう。

「以前みたいに飛行船の中で騒ぐなよ。目立つからな」

「そんなことしないよ! あたしだってもう飛行船は慣れたし、状況もわかってるから!」

 そう言いながらも飛行船が飛び立って高度が上がるときは、窓に顔を寄せてウキウキした様子でレリィは外を眺めていた。


(……船内を軽く探った感じでは追手の気配はない。ここまで来れば、気を付けるべきはヘルヴェニアに着いた直後か。可能性は低いが国外逃亡を見越して、飛行場に戦力を集結させていることも考えられる。そうなれば周辺被害による犠牲もやむなし。儀式呪法で撹乱したあと……)

「あ! ねぇクレス、見て見て。鳥がいる!」

 飛行船の窓に目をやったレリィが鳥を見つけたとかで俺に声をかけてくる。どうでもいいことに思考を中断された俺は、レリィに聞こえないくらいに小さく舌打ちしながらも、やかましい相棒がこれ以上に騒ぎ立てないよう適当に相鎚を打ってやる。

「渡り鳥か? 飛行船の高度なら珍しくもないが……」


 そう言って俺もちらりと窓の外に目をやると、確かに飛行船からかなり離れた距離だが鳥のような影が見える。

 体の数倍はありそうな大きな翼を広げ、風を受けて滑空するように青い空を飛行している。

「あぁ? あれは鳥か? ……妙にデカいが、いったい何の種類だ?」

 飛行能力を持った鳥類であれほど大きな種類は聞いたことがない。合成獣キメラや魔獣の類なら、特殊な能力を使って巨体を飛ばすこともできるだろうが。

 その想像にふと寒気を覚える。もし、あれが飛行系魔獣だった場合、捕捉されれば高い確率で戦闘になる。この逃げ場のない空の上で。


 俺に問い質されたレリィは改めて窓の外で飛行する存在に目を向けた。

「あー、よく見ないで適当に言っただけだから……。うん、そうだね、あれは鳥じゃないかも」

「なら、なんだ?」

 レリィの答えを聞くまでもなく、俺は自分の目で確かめようと左手中指の指輪に嵌めた鷹目石ホークスアイの魔導回路を起動させる。

 『鷹の千里眼』の術式で視力を補助して遠くから迫りくる飛行体の姿を捉えた。

「えーっと。よく見たらアレ、おっきな飛竜だね……」

「飛竜……くそがっ!! 飛竜ワイバーンだと!?」

 俺は周りの目も気にせず、椅子から勢いよく立ち上がると魔導飛行船の操縦室へ向かって駆け出した。


 空で飛竜。およそ考えられうる最悪の遭遇。

 中途半端な合成獣や魔獣とは比較にならない。

 飛竜とは空中戦に特化した生き物である。

 対してこちらは飛行船の浮体を破られれば足場ごとの墜落を免れない、哀れな地上の獣。

 できることは地上から空の敵を撃ち落とすのと同じ手段のみ。


「おい、操縦席! すぐに開けろ、非常事態だ!」

『…………お客様、申し訳ありませんが、御用事があれば船内の乗務員にお声がけください……』

 俺をただの迷惑な客と勘違いしているのか、頑丈な扉で遮られた操縦室の向こう側からは事務的な対応の声が聞こえてくる。その口調で、操縦者が飛竜の接近に気が付いていないことを俺は察した。


(──焼き切れ──)

桃灯灼爍とうとうしゃくしゃく!!』


 鍵のかかった操縦室の戸を桃色に輝く光の鞭で焼き切ると、俺は飛行船の操縦室へと無理やり押し入った。

「一級術士『結晶』のクレストフ・フォン・ベルヌウェレだ! 緊急事態につき船の運航権限を渡してもらう!」

「なっ!? 何事だ!? あんたいったい何を言っているんだ!! 乗っ取りか!? 馬鹿なことはやめるんだ! 操縦室を荒らせば飛行船が落ちるぞ!」

 操縦士と思われる船員が、いきなり飛び込んできた俺に的外れな説得を始めるが、俺は聞く耳を持たない。

「馬鹿はお前達だ! 飛竜の接近を許しているぞ! 気づいてないなら、この船の防衛術式は機能していない!!」

 有無を言わせず、窓の外を指さして飛竜の存在を教えてやる。それから、役立たずなこの船の防衛術式の欠陥も指摘してやった。


「……待ってください! 外部監視装置に異常はありません……。探査術式は今も正常に稼働しています!」

「監視装置が機能しているなら……やはりあんたの言うことは信用できない。武力で操縦室を制圧するつもりなら、我々は解除不能の自動運行に切り替えるまで──」

 観測手の船員が防衛術式の生命線でもある観測装置に異常なしと断言すると、操縦士は落ち着きを取り戻して悠長にも俺に対する説得を再開しようとする。飛行船乗っ取り犯罪に対するマニュアルでもあるのだろう。馬鹿正直にその通りの受け答えをしているようだ。

 無論、それに付き合っている暇はない。

「解除不能の自動運行だと!? 死にたいのか!! 飛竜のいい獲物にしかならないぞ! 今見るべきは、目前に迫ろうとしている、飛竜だ!」

 もう一度、俺が指をさした窓の外。

 半信半疑でその方向に視線をやった操縦士達は、明らかに肉眼でも確認できるほど存在感を増してきた飛竜の姿を目にする。


「馬鹿な……。この空域に飛竜だと……」

「この近辺の空域は何年もずっと、安全が確認されてきたはずなのに……」

「そんなばかな! 監視装置は正常動作しているのに……!」

 船員達が呆然とした表情で呟く。

 だが事実だ。飛竜が迫ってきているのは紛れもない現実である。

「魔導飛行船の迎撃装備はどうなっている!! もう飛竜への牽制を始める距離だぞ!」

「────!? そ、狙撃手用意!! 迎撃準備!! 目標、飛行系竜種!」

 さすがに飛竜を目の当たりにすれば危機感も覚える。

 操縦士は慌てて飛竜の迎撃を狙撃手へ命じた。


 魔導飛行船の防衛術式はうまく機能さえすれば非常に強力なものだ。飛竜とて迂闊に近寄ることはできない。

 問題は、観測手が飛行船の探査術式を使いながら、あんなわかりやすいデカさの飛竜を発見できずに見逃したことだ。

(……職務怠慢か? 定期点検をしていなかったか。それとも……飛竜の方に特別な理由があるのか……)

 ここで考えていても答えは出ない。

 とりあえず俺がやるべきことは決まっている。

「俺は飛行船の甲板かんぱんで飛竜の迎撃にあたる。迎撃装備による飛竜への攻撃は、そちらの狙撃手の判断に任せた」


 はっきり言って船の迎撃装備に頼るつもりはなかった。

 魔導飛行船の甲板は遊覧客が空の旅を楽しめるように、それなりの広さとしっかりした足場を整備してある。俺が甲板に上がってみれば既にレリィが一人だけ飛竜を迎え撃つべく真鉄杖を構えていた。

「近距離用の武器しかないのに、どう戦うつもりだ?」

「あたしが気を引いたら、甲板に降りてきてくれないかなーと……」

「お前を囮にか? それはありかもな。飛竜は人間も捕食するわけだから」

「えぇ……。半分冗談だったのに、それが正解なの……」

 甲板の上に立つ餌を狙って降り立つ可能性もないわけではないが、実際にはそれを期待するのは難しいだろう。むしろ魔導飛行船本体の方がどうしたって目立つのだから、船の胴体部にでも体当たりされる確率の方が高い。


 魔導飛行船に向かって明らかに突撃をしてきている飛竜に、船の迎撃装備が起動して多数の『炎弾』が射出された。だが、狙撃手の経験が浅いのか、散発的に撃ち出される『炎弾』を飛竜は余裕をもってかわしている。三次元的に回避行動をとれる空中において、遠距離の敵を仕留めるには曲芸のような一点狙撃かもしくは相応の面制圧力が必要になる。

 この船の狙撃手には残念ながらそのどちらも足りていないようだ。魔導飛行船が空で撃墜されかねない強敵と遭遇する確率は万に一つ程度。狙撃手が実戦不足なのは仕方ない。有事のときのために普段は戦うことのない常駐戦力など、金をかけられるものではないのだから訓練だって不足しているだろう。


「わかってないな、この船の狙撃手は。一点狙撃で狙える腕がないのなら、対空攻撃は引き付けてからの一斉射に限る!!」

 両手の指の間に鉄礬柘榴石アルマンディンの魔蔵結晶を八個挟んで、迫りくる飛竜に向けて構える。


(──削り取り、擦り潰せ、肉片一つ残さずに──)

 この広い青空を蹂躙する無数の礫を意識制御で思い浮かべ、力強く術式発動の楔の名キーネームを声として発する。

二四弾塊にしだんかい八砲斉射はちほうせいしゃ!!』

 正二四面体の形をした鉄礬柘榴石アルマンディンが鮮血のように赤く輝き、空を埋め尽くすほどの赤褐色の結晶弾が出現した。


 飛行船と飛竜との距離はまだ離れていたが、飛竜の飛行速度なら数秒で到達する距離。その距離で、上にも下にも逃げられない広範囲に放たれた赤い結晶弾が、魔導飛行船へ肉薄していた飛竜に対して雨の如く降り注ぐ。

 縦横に飛び回って礫を避けようと無駄な足掻きを試みる飛竜を、降り注ぐ結晶弾が一瞬で穴だらけにして撃墜する。


 被害なしでの飛竜撃破。心の中で自分自身に喝采を送ったその瞬間、轟音と共に足元が大きく揺れて魔導飛行船の後部から煙が立ち昇った。

 後ろを振り返れば、船の甲板後部に取り付いた一匹の大型飛竜の姿。ついさっき俺が撃墜した飛竜はまだ地上に向かって墜落している最中だ。

「二匹目だと!?」

「あたしが行く!!」

 言うが早いか、翠色の闘気を迸らせたレリィが甲板の板を凹ませる勢いで飛び出し、船に取り付いた飛竜の眉間を真鉄杖で打ち据えた。

 首から上が弾け飛んで飛竜が即死する。ゆっくりと態勢を崩して、飛竜は魔導飛行船の浮き袋に爪を引っ掛けて破りながら倒れ込み、地上へ向かって落下していった。


「畜生め! やられた……。死角から狙っていやがったのか!」

 飛行船と衝突する寸前まで俺の索敵にも引っかからなかった。よほど遠くから加速してきてぶち当たったとみえる。

 ──前方から一匹が囮として迫り、もう一匹が索敵範囲外からの特攻だと?

 野生の飛竜がするような行動ではない。明らかに何者かの操獣術によって使役されていたと思われる。

 竜を使役する敵の正体に心当たりはあった。しかし、それがわかったところで手遅れだ。


「クレス!! 飛行船が落ちていくよ!?」

「……慌てるな。空に浮き続けるのは無理だが、浮力を完全に失ったわけじゃない。この落下速度なら大した衝撃もなく不時着する」

「不時着って……それもまずいんじゃ……。この辺り、まだ国境前の山奥だよ」

「面倒なことにはなったな……。だが、どうにもならん。衝撃には備えておけよ。落下速度は大したことないが、推進速度がそこそこ出ている」

「他の乗客の人達は大丈夫かな……?」

「運が悪ければ死ぬかもしれないって程度だな。放っておいていい。俺達はむしろこの混乱に紛れて国境を越えることを考えるべきだ」

「…………国境まではだいぶ距離があるよ。どうするの? 歩いて山越え?」

 乗客を助けないことにレリィは不満があるようだったが、俺達が助けてやらなくてもどうにかなる程度だとは理解できているようだ。そこは呑み込んで俺達が次に取るべき行動を考えている。彼女もこういった判断はだいぶ冷静にできるようになってきた。成長しているのか、それとも荒事に慣れて冷徹になりつつあるのか。


「歩いてすぐにでも国境を越えてしまいたいところだが……俺の直感では、このまま国境を越えようとするのは危険だと思っている」

「危険? 今、飛行船が墜落しているこの状況よりも?」

「ああ、さっきの飛竜が誰かの使役獣だとしたら……山の中も安全とは言い切れないだろう」

 竜種を使役する術士というのは極めて珍しい。竜種は総じて体が大きく、力強くて、凶暴な種が多い。そんな猛獣を多数従えることのできる術士など、国内では一人しか存在しない。


 魔導技術連盟の古参幹部、一級術士『竜宮の魔女』。

 奴が俺達の敵に回っているというなら、山の中には追手となる肉食竜を多数放っている可能性が高い。


「既に俺達に対して手配が回っているなら、一度、拠点になりそうな場所を確保してビーチェ達と合流した方がいいかもしれない」

 わざわざ戦力を分散させて国境を越えようとしたのは、潜伏できていることが前提条件だった。ばれているなら、戦力を集結させて強行突破することも考えなくてはならない。

「ふ~ん……。まあ、その辺の判断はクレスに任せるけどさ。拠点っていうことなら、あたし、この近くでいい場所を知っているよ」

「こんな山奥で拠点になりそうな場所をお前が? どうしてそんな場所がわかる?」

「ね、クレス。ここら辺の地形って見覚えない?」

 俺の問いを問いかけで返してくるレリィは、こんな状況だというのに余裕の表情で語っている。


 徐々に高度を低下させていく飛行船の甲板上で、辺り一面に広がる樹海をぐるりと全方位眺めてみる。

 森の木々で緑に埋め尽くされる山の中、わずかな平地を切り拓いた人の住む小さな集落らしきものが目に入った。

「あれは……そうか……」

「そうだよ。あれは、あたしが住んでいた村。あたしとクレスが出会った場所なんだよ、ここら辺って」

 何の因果か。何事もなければ意識せずに上空を通り過ぎていたであろう場所。


 そういえばレリィの故郷の村は、『永夜の王国ナイトキングダム』と『神聖ヘルヴェニア帝国』との国境付近にあった。

 俺とレリィが出会い、二人の旅が始まった場所に俺達は戻ってきていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る