第362話 待ち続けた女

 長い時間を魔窟で過ごしていると、外界の認識とのズレが大きくなる。


 俺達がずっと潜っていた魔窟『底なしの洞窟』は、朝露の砂漠リフタスフェルトと呼ばれる乾燥地帯にそびえ立つ『永眠火山』、その山の中腹に存在した。そして、この『底なしの洞窟』の資源を目当てにして、周辺に発展したのが洞窟攻略都市である。俺達が冒険者として登録して活動していた都市なのだが、魔窟の深層に潜り始めてからはもう随分と連絡を入れていない。

 こうして無事に帰還はしたものの、事情が事情なだけに冒険者組合へ報告するのはメリットよりもリスクが大きい。そこで情報収集をするわけにもいかないだろう。


 ただ、色々と動く前にまとまった情報を仕入れるには、誰か信頼できる知り合いに接触する必要はあった。

 一人、都合のいい知り合いがいる。

 洞窟攻略都市を統治する、俺にとっては旧知の間柄であるフェロー伯爵家の娘、領主エリアーヌだ。

 現在は別領地の伯爵貴族と結婚しながら、相変わらず洞窟攻略都市の管理は続けているらしい。それだけうまみのある土地であり、『底なしの洞窟』から採掘される宝石資源や、魔窟の魔獣を倒すことで得られる魔石の価値は、大きな都市を一つ潤すほどの経済効果を生み出していた。


「街中で少し聞いた限りでは、領主エリアーヌの立場はここ数年、安定していて際立った変化もないらしい。念のため、エリアーヌに訪問の手紙を直接送ったが、こっちの事情の方があれこれと問題が多すぎる。変なところから俺達の来訪に関して話が漏れる前に、エリアーヌとの面会を済ませてしまおう」

 向こうも出迎えの準備に時間が欲しいだろうが、俺達の状況が許さない。悠長にお招きの返事を待っている猶予はないのである。



「というわけで、突然だが邪魔するぞ」

「……ついさっき、送還術の手紙を受け取ったばかりなんですけど……?」

 手紙を送還術で飛ばしてから、一刻と経たないうちに俺達は伯爵夫人エリアーヌのいる領主館を訪ねていた。

 エリアーヌは執務室の机で眉根を揉みながら、複雑そうな面持ちで溜息を吐いている。彼女の両脇では護衛の騎士ゲッツェンと術士サリタがやや緊張した様子で警護に当たっていた。

「手紙の内容だけではわけがわかりません。事情があって秘密裏に情報収集したいから、下手な抵抗はせずに迎え入れろとは……」

 聞く者が聞けば脅しのような手紙の内容だが、事実その通りに俺達は領主館の警備を穏便に無力化して、執務室へと侵入していた。事情を先に把握していたゲッツェンとサリタだけはエリアーヌの傍に控えて俺達の到着に備えていたらしい。


「メチャクチャですよ……。貴族の屋敷、それも領主館に顔を隠した格好で、五人も連れ立って押し掛けるなんて」

 エリアーヌが言うように俺達は全員がフード付きの外套とマスクで顔を隠していた。だから、この場に誰が『帰ってきた』のか、まだ気が付いていない。

「エリー、ただいま」

「はぁ。ええと、おかえりなさい?」

 あまりに自然な流れで、ただいまからおかえりと答えてからエリアーヌは首を傾げた。まだ事情が呑み込めてないエリアーヌとは対照的に、まずサリタが気付いて声を上げそうになった口を押え、ゲッツェンも遅れて気が付いて「まさか!?」と前のめりになる。

 そんな二人の間をすり抜けて、まっすぐにエリアーヌの胸へとビーチェが飛び込んでいく。


 フードからぼさぼさの長い黒髪が溢れ、潤んだ金色の瞳がエリアーヌの顔を見上げている。

 十年ほども前に別れたときの姿そのままで現れた少女に、驚きでエリアーヌの表情が固まっている。一度、エリアーヌが俺の方を見て確認を取るかのような視線を送ってくる。

「本物の、ビーチェだ」

 俺が力強く頷いてやるとエリアーヌは、ばっ、と顔をビーチェの方へ戻して、その小さな顔を両手で挟んでじっくりと眺める。やがて、状況が呑み込めてきたのか、静かにエリアーヌの目から止まらぬ涙が流れだす。

「ビーチェなのね? 帰ってきたのよね?」

「ん。帰ってきた」

「でも貴女、以前と変わらず小さいまま……」

「エリーはかなり大人の女になった?」

「そうね、ええ、かなり大人になってしまったわ。貴女は本当に変わらず生意気なんだから……」

 目の前にいるビーチェの存在を少しでも近くに感じたいのか、エリアーヌはビーチェの頬に自分の頬を擦り寄せて、しばらく肌のぬくもりを確かめていた。



 エリアーヌが落ち着きを取り戻したところで、俺達は改めて情報交換を始めた。

「今回の帰還は早かった、というべきなのでしょうね……。それでも冒険者組合への連絡が途絶えてから一年以上。あなた達は登録こそ抹消されていないけれど、冒険者組合では死亡扱いになっていますわ。魔導技術連盟の方はこの程度の期間であれば問題ないと見ているようですけど。なにしろ今回は『風来の才媛』も協力しているのですから」

「その話しぶりだと連盟の方は平常運転ということか」

「…………? 何か、問題がございまして?」

「『風来の才媛』から連絡は来ていなかったのか?」

「少なくとも私の耳に入るような特別の連絡はないですわね」


 これをどう見るべきか。

 エリアーヌとの会合で、俺が魔人と繋がっているという情報は一般にもたらされていないことがわかった。それどころか、風来の才媛からは何の情報も伝わっていないようだった。魔導技術連盟の幹部とまではいかずとも、上層部に食い込んでいるエリアーヌに連絡が伝わっていない。魔導技術連盟も平常運転という状態らしい。

 一つの可能性として、風来の才媛が魔導技術連盟に魔人の話を伝えていない場合。

 あいつに限ってそれはない、と思っていたのだが、もしかしたら連絡を遅らせてくれたのかもしれない。時間の流れが異なる異界の狭間にいるのだ。時間的なズレに関しては言い訳が立つだろう。

 もしそうだとしたら俺達が自由に動ける期限として、風来の才媛が魔窟を脱出するまでは猶予があることになる。

 この時間を有効に使わない手はない。


「邪魔したな。俺達はもう行く」

「もうですか!? 一日くらい、ゆっくりしていっても良いでしょうに……」

 ビーチェとも話し足りない様子ではあったが、悠長にはしていられない事情がある。

「落ち着いたらまた連絡する」

「エリー、またね」

 意外とビーチェもあっさりとしたものだ。俺達の態度があまりにも淡白だったからか、エリアーヌもそこまで深刻な事態にあるとは思わなかったようで、特にそれ以上引き留めることもなく送り出してくれた。


 まさかここに、人類の敵となる魔人が二人もいるなどとと思いもしなかっただろう。

(……それでいい。エリアーヌは何も知らなかった。事実その通りであれば、後から責められる理由もない……)

 領主館の警備はサリタとゲッツェン以外は全員気絶させられていたし、見方によっては俺達から襲撃を受けた被害者側にも見せかけられる。

 貴族社会で生きてきたエリアーヌであれば、この先の厄介ごとに巻き込まれても上手く立ち回るだろう。



 領主館を後にした俺達はすぐさま洞窟攻略都市を出立して、道中でこれから先の方針を話し合っていた。

「取るべき道は一つだな」

 話し合い、といっても俺の中で選択する答えは決まっていた。

「隣国、神聖ヘルヴェニア帝国に潜伏する」

「ヘルヴェニアに国外脱出って……もう、そこまでの事態になっているんだ」

 俺がかなり急いで動いていることを感じ取って、レリィも危機感を強める。

「首都の工房は、放っておいていいの? どさくさに紛れて資産没収されちゃうんじゃぁ……」

「それはないな」

 私財を差し押さえると言っても、宝石の丘の資源を独占することは誰にもできない。身一つあれば、俺は幾らでも宝石の丘から資金となる宝石と、武力になる魔蔵結晶を調達できる。

 首都にある結晶工房にしても、侵入者に対しては施設に備えた迎撃術式を使い果たしたあと、『晶結封呪』で完全凍結するように防衛機構を組んである。誰もそこから俺の私財を持ち出すことはできない。

 ひとまずそちらは放っておいて大丈夫だ。資財はいずれ機会があれば持ち出せばいい。


「ここからは別行動になる。まず俺とレリィは真っ当な移動手段の魔導飛行船を使って国外を目指す。今のところは指名手配されている様子もないし、これが最短最速の国外脱出ルートになるだろう。メルヴィは時間差をつけて単独で国外脱出をしてくれ。たぶんお前一人なら一番、追手がかかる恐れが少ない。いざとなれば、アウラ達と同じく魔人を許さない人類側の術士、という建前でごまかすこともできる」

「え~……!? 薄情じゃなぁい、それ。別に連盟と敵対しても構わないからぁ、ビーチェやセイリスと一緒に行っちゃダメなのかしらぁ?」

「魔人二人組が一番の警戒対象だぞ。ビーチェとセイリスは存在そのものが言い訳できない証拠になる。面倒だが陸路を潜伏しつつ進み、国境を自分達の足で山越えしてもらう」

 メルヴィの足では魔人二人に付いて山越えするのは無理がある。それに、俺とレリィがもし指名手配を受けた場合、監視の薄いメルヴィには国外脱出を裏から手伝ってもらう役割がある。この分散の仕方が最適なはずだ。


「むぅ~……。私も、不満……」

「国境さえ越えてしまえば、ひとまず安心ということですね。師匠、ビーチェのことは私に任せてほしい!」

 ビーチェが別れを惜しんだが、そこまでぐずることもなく素直に言うことを聞いてくれた。

 『眷顧隷属』の呪詛による繋がりが安心感を与えているようだった。この呪詛によって、俺とビーチェ、セイリスとは、どこにいてもお互いの存在を感じられる。国外に脱出さえしてしまえば互いの気配を探ることで合流は難しくない。


 本当は全員で一緒に国外脱出できれば一番安心だったが、それは魔人の存在が完全に秘匿できる状況か、あるいは逆に魔人の存在が知れ渡ってしまったとき。つまるところ人類との共存が不可能となった場合だ。

 無論、正面切って人類すべてを敵に回す必要はなく、ほとぼりが冷めるまでどこかに潜伏すればいい。

 ただ潜伏するなら国外が絶対条件。どうしたって国内では顔が割れすぎている。


「いつアウラからの連絡が連盟に伝わるかわからない。一刻を争うぞ。直ちに行動を開始する!」

 そうして俺達は長年暮らしてきた国、『永夜の王国ナイトキングダム』からの脱出を図るのであった。

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