【第六章 永き幸】

第361話 人類の敵

 異界の狭間より送還の門をくぐって、底なしの洞窟の第一階層にまで戻ってきた人影が五つ。

 目的を達して帰還の道を辿れば、あっけないほど楽に俺達は魔窟を脱出できてしまった。

「魔窟の往路が性質たちの悪い冗談だったみたいにあっさり帰還できたな」

「本当にねぇ~! 気のせいか、さっさと出ていけって意思さえ感じたわぁ! これも魔窟の意思なのかしらぁ?」

 あまりにも手応えというか苦労のない帰り道だったため、悪いことではないのに自然と文句が出る。思わずといった様子で、露出度高めの魔女っ子衣装を着たメルヴィも同意した。常に飄々とした態度でいたメルヴィも感極まるものがあったのか、頬を紅潮させていつもより興奮気味である。


「う~ん……帰り道も普通に魔獣から襲われたし、魔窟の危険度は何も変わってなかったと思うけど」

 冷静に帰路の難度を評価しているのは、意外にも普段は考えの足りないレリィだった。そういう彼女の白い胴着もほとんど汚れた様子がなく、銀色に輝く超高純度鉄の鎧にも曇り一つない。


 魔窟の最深部から帰還する途中に立ち寄ったドワーフの集落で入手した、超高純度鉄を加工して製作された銀色の鎧は、ドワーフ達から俺達に対する最大限の友好の証だった。精緻な彫金細工はドワーフの娘ヨモサがとりわけ力を入れてくれたらしい。材料が同じでも俺が魔導加工で作った鎧と、ドワーフが丹念に鍛え上げた鎧とでは品質の差が明らかに出る。

(……俺の鎧も一級品の自負はあったんだがな。ドワーフが細部まで意匠と機能性にこだわった作り込みには敵わないか……)

 材料となる希少な超高純度鉄は俺が提供したのだが、圧倒的な技術で魅せてくれたドワーフ相手に少し嫉妬してしまった。


「師匠。私にはむしろ、これだけの実力者が揃っていて苦戦する状況が想像できないのですが。一級術士と一流騎士、それに魔人二人が組めば国の一つや二つ攻め滅ぼすことも可能な戦力でしょう?」

 銀色の魔眼を静かに輝かせながらレリィよりもさらに冷静な態度で語るのは、魔人の騎士セイリス。

 大粒で透明度の高い宝石を色彩豊かにちりばめた純白の鎧を身に纏うその姿は、お伽話にでも出てきそうな騎士の姿だった。魔人化の影響だろうか、言動が人間であった頃と比べてだいぶ冷徹になったようにも感じる。

 変化したのは容貌や性格だけではない。能力的にも、人間の騎士であったときから既に高い実力を有していたというのに、魔人化した今の彼女の実力は俺でも計り知れない水準に達している。


「……魔窟ダンジョンは、私のお庭……」

 黒い子供用ドレスに、伸び放題の真っ黒な髪。

 全体的に暗い色合いで統一された様相に反して、強烈なまでに存在感を主張する金色の魔眼が特徴的な少女――ビーチェ。

 宝石の丘ジュエルズヒルズの冒険で生き別れになり、そして再び取り戻した俺のさいわいそのもの。

 ビーチェもまたセイリスと同様に魔人化しており、その戦闘能力は本気を出した俺と互角に考えていい。まだ子供っぽさが抜けず、戦術的な技能に関しても単調で粗削りではあるが、単純な肉体強度は極めて強靭で魔力規模も人間の比ではなく膨大である。


「なるほど。確かにこの四人なら敵なしか」

「ちょぉーっと!! 私はぁ!? 超絶美少女術士メルヴィちゃんを忘れてないかしら!?」

 抗議の声を上げるメルヴィ。彼女も術士としてはかなりの戦力だが、頑張っても武闘派の二級術士に相当するかどうかだろう。五人の中ではやや見劣りするのは致し方ない。それでもメルヴィは氷系統と炎系統の広範囲呪術を得意としているので、魔窟では敵集団の殲滅力において一級術士並みの活躍をすることもある。


「そういえば、魔窟の最奥で見失ってから屑石精霊共の姿が見えないが、あいつらはどこへ行ったんだ?」

 貴き石の精霊ジュエルスピリッツの双子。一度は『風来の才媛アウラ』によって無力化されていたはずなのだが、俺達が一悶着している間に、どさくさ紛れで姿をくらましてしまった。

「……あの子たちは自由だから。『ジュエル』と同じ。旅に出た……」

 訳知り風にビーチェが語る。


「まあ……むしろ付きまとわれる方が面倒か。奴らのことは忘れよう」

 厄介極まりない精霊が二匹も野に放たれてしまったのは不安だが、今の混乱した状況であいつらを抱え込むのも厳しい。

 先代の貴き石の精霊ジュエルスピリッツも長い年月、各地を放浪して人間社会とも少なからず関わってきた、という例がある。あいつらが好きにすると言うのなら、その自由な行動を止める理由もないだろう。とりあえず、俺に被害が及ばないのであれば知ったことではない。好きにさせよう。

 ……本当に、俺に関わってこなければいいのだけれど。念のため、俺の拠点の一つである魔蔵結晶生産工場は警備を強化しておこう。貴き石の精霊ジュエルスピリッツに侵入などされたら、全てを食い尽くされてしまう。奴らの本性は悪魔だ。『宝石喰らいジュエルイーター』なのだ。


 なんにしても今一番重要で要注意なのは、魔人化したセイリスとビーチェ二人の扱いだった。


 人類の敵である魔人を二人も魔窟の奥底から連れ出したという事実が公になれば、俺は一級術士としての資格を剥奪されるどころか魔人共々に討伐対象として追われる身となるだろう。

 そして、既にそうなっている可能性は高かった。


 風来の才媛アウラは公私をわきまえている。魔窟で俺達を見逃したのは私的な情だが、それ以上は魔導技術連盟の幹部として動いたはずだ。だとすれば、送還術で事の次第を記した報告書を連盟に送っているだろう。

 そうなれば最悪、魔窟を出た時点で連盟の武闘派術士達に囲まれる恐れもあった。

「……慎重に行くか。よし、魔窟の外に出る前に俺とレリィで入口の様子を見てくる」

「クレスもしかして連盟を警戒しているの?」

「アウラが報告をしていれば対魔人の討伐隊が編成されていてもおかしくないからな。最悪、騎士協会や聖霊教会も共同戦線を張っているかもしれんぞ。なにしろ魔人は人類の敵だ。それと行動を共にする俺達も同じく人類の敵ってことだ」

「うひゃ~……とんでもないことになってるんだ、あたし達……」

 今更ながら事態の深刻さを理解したらしいレリィに当の魔人二人が恐縮する。

「むむ……ご迷惑をおかけして誠に申し訳ない」

「私達のせい……」

「あっ!? あっ! 二人を責めているんじゃないよ!?」


 縮こまるセイリスとしょぼくれるビーチェに、レリィが慌てて取り繕った言葉をかけるが、思いのほか二人は責任を感じてしまったようで重苦しい雰囲気が漂う。

「んもーっ!! 仕方ないわねぇ。ここはメルヴィちゃんが二人の面倒を見ておくから、クレスお兄さんとレリィお姉さんはさっさと入口の様子を見てきて!」

 一番子供っぽいメルヴィが、こういう時に一番頼りになったりする。そんな姿を見ると、どうしてもかつての氷炎術士メルヴィオーサを連想してしまう。ビーチェとセイリスもその懐かしさというのを感じているのか、素直にメルヴィの誘導に従って俺達と別れたのだった。




 俺はレリィと二人、先行して『底なしの洞窟』の入口を偵察していた。

 ビーチェとセイリス、それにメルヴィの三人は第一階層の横道、影小鬼シャドウゴブリンの巣窟奥に身を潜めてもらっている。冒険者の行き来が多い第一階層であっても、危険度の高い影小鬼の巣窟奥では他の冒険者と遭遇する確率は低いからだ。


「待ち伏せの気配は……ないな」

「罠とかじゃないよね?」

「透視と遠見の術式、両方で確認したが辺りに潜伏しているような戦力は無い」

 まだ情報が回っていないのか? 


 考えられる可能性は幾つかある。

 情報は伝わっているが俺達を油断させてから捉えるため、包囲網を広く配置して伏せている可能性。

 そしてもう一つの可能性は、アウラの報告が留保された可能性。

 証拠となるのは俺と同格の一級術士アウラの証言のみ。そもそも魔人が同時期に同じ場所で二体も発生するなどという悪夢のような報告、誰もが信じたくはないだろう。

 俺が馬鹿正直に魔人の二人を連れてさえいなければ、口先だけでその場を一時的に凌ぐくらいのことはできるかもしれない。

(……ビーチェとセイリス、この先も二人とは別行動するのが最善か? ただ、分断してから討伐に動く手筈を整えている恐れもあるか。情報が欲しいな。今この状況が生まれた理由さえわかれば……)


 先程からずっと魔窟の入口を監視しているが俺達を捕縛しようという気配はなく、偶に冒険者が数人、魔窟を出入りするだけだった。


「どうするの? クレスの計画では魔窟を出る時点で、ビーチェとセイリスは別行動で国境を越えるって話だったけど……」

「……いや、魔導技術連盟の動きがわかるまでは分散せず、集まって動いた方がいい」

 連盟が本当に動いていないのなら、魔人組だけでも先行して山中から国境を越えてしまうのがいい、とも一瞬考えたのだが、あまりにも動きがなさすぎるのは妙だった。アウラの奴が手心を加えた可能性もないわけではないが、そこを無条件に信じて動くのは危うい。


 俺は頭の中で幾つもの可能性と、合理的で安全確実な方法、果たすべき義務や義理といったものまでを天秤にかけて答えを出そうとしていた。


 深く考えず合理的な手段を取るならば、魔人組を先に逃がすのが賢いとわかってはいた。

 俺はビーチェとセイリスの二人とは眷顧隷属の呪詛で繋がっているので、遠く離れていてもお互いの位置関係がわかる。なので一度別れても、合流しようと思えばそれほど苦労せずに再会できる。さすがに細かな意思伝達は送還術による手紙のやり取りが必要になるが、ビーチェのいる座標に直接手紙を送ることも可能なので、連絡は迅速に済ませることができるのだ。


 今はまだ余裕がある。その前提の上で俺は、危険があっても一つの義理を果たすべきではないかと考えていた。

 それと同時に確実な現況を知るため、信頼できる情報源と接触したいとも。

 現在の状況はその義理を果たすのにも都合がいいので、自分の中で折り合いをつける言い訳になっていた。


「魔窟周辺に伏兵はいない。これは確実だ。ビーチェ達を呼び戻す。それから……すぐ近場にいる『協力者』へ会いに行くぞ」

「協力者?」

 ビーチェの帰還を待ち望んでいたのは俺だけではない。

 この世界にビーチェを受け入れてくれる存在が俺の他にもいるということ。それを知っておいてほしかった。

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