第360話 想い出は宝石に
砕けた結晶が、歩くたびに小さな音を立てて崩れ落ちていく。全身に生えた結晶は罅だらけで、僅かな衝撃でも剥がれてしまう有り様だった。
『
息を荒げながらも俺は一歩一歩足を進めてアウラの元へと辿り着いた。
「よぉ。生きているか?」
「ゴルディアのおかげでね。思いのほか無事だよ。しかし最後のあれは、まともに受けていたら私は死んでいたんじゃないかい?」
黄金色の闘気を静かに揺らめかせるゴルディアに抱かれて、アウラが抗議の声を上げてくる。
「ほざけ、死ぬかよ。全身真っ黒の呪いまみれになって三日三晩苦しむだけだ」
「まったく君は……容赦がないな……」
「どの口が言う。戦闘直後の怪我でいったら、ゴルディアに守られたお前より俺の方が重傷だったぞ」
どうにか再生を終えた体で、あちこち動かして異常がないか確認する。そんな俺を見て、アウラは脱力したようにふっと笑った。
「……私の負けだよ。もう、君を止めるだけの力は残されていない」
「そうか。なら、俺はもう行くぞ」
「行き先は決めているのかい?」
「とりあえず国外だな。移動しながら適当な潜伏先を考えるさ。ま、どうとでもなるだろ」
投げ槍な言い方になったが、実のところ不安はなかった。遠く国外まで出かけて活動することはこれまでに何度も経験していることだし、むしろ首都の自宅でゆっくりしていることの方が少なかったくらいだ。単に今度は旅の行き先に別の拠点を探して、二度と『
今後の行き先としては、なるべく魔導技術連盟の手が伸びていない辺境がいいかもしれない。どうしたって連盟関係で俺は知られ過ぎている。
迷いのない俺の言葉に安心でもしたのか、アウラはゆっくりと目を閉じながら独り言のように呟いた。
「君にはいつだって自由を選ぶ権利がある。なにものにも縛られない、強く気高い……私の友よ。元気で――」
そのまま、かくり、と頭を垂らして眠りにつく。
「
ゴルディアが優しくアウラを抱き直す。無防備な状態で五日から十日の昏睡状態とは、なかなかに面倒な代償だ。
「眠っている間の飲食はどうするんだ?」
「水だけを摂取させる。この術式を使用したあとは、まさにこの通りなのでな。誰か信頼できるものが面倒を見なければならん」
確かに昏睡状態で五日も放置されたら死ぬ。一人では致命的な事態に陥るのだから、『半神憑依』の術式は迂闊に使えないもののようだった。
「そういうことなら、信頼できる騎士殿に任せるとするさ。あんたがいるから、アウラは後の心配をせずに『半神憑依』の術式を使ったんだろう」
「任された。結晶の錬金術士殿も達者でな」
ゴルディアとの会話はそれだけのものだった。俺達の関係ではこの程度が適当だ。俺がアウラを任せると言って、ゴルディアが任されたと言った。それで充分である。
近くで所在なさげに突っ立っていた悪魔祓いのメグにも声をかけておく。
「最後の最後で、面倒ごとに巻き込んで悪かったな、メグ」
「メグはここでお別れなのです。クレストフお兄様……最後に……」
おずおずと小さな両手を精一杯に伸ばしてメグは訴えてきた。
「……
「ああ……そうだな。そうだった……」
色々と面倒くさくなった俺は召喚術で、適当に金貨の詰まった袋と五頭烏を倒したときの魔核結晶をメグの手に乗せる。
「ほっふぇ!? お、重いのですぅ!」
金貨だけでも相当な重量であるのに、そのうえ両手でようやく抱えられるほど大きな魔核結晶を渡されてメグがふらつく。深く暗い青紫色の魔核結晶だ。
どうにもあの烏人達の呪詛でも込められていそうで、自分で持っておくにはやや不安の残った魔核結晶である。
守銭奴め、呪われてしまえ。
この際、メグに預けてしまえば、最悪でも聖霊教会の方で浄化してくれるだろう。そんな思惑も含めながら、メグには最大限の感謝を込めた報酬として渡してやった。
とりあえず立場的に、先に別れを済ませるべき連中とはこれで別れを済ませた。一仕事を終えてから、俺はようやくレリィ達の元へと戻る。
レリィはもう限界も限界といった様子で、真鉄杖に身をもたせかけながら気丈に立っていた。体は限界なのだろうが、この場を離れるまでは安心できないと考えているのかもしれない。騎士として随分と立派になったものである。
「お疲れ様、クレス」
「おう。レリィもよくやってくれた。さすが俺の騎士だ」
「あ……」
今にも倒れ込みそうなレリィの肩を抱いて、軽くぽんぽんと背中を叩いてやる。これくらいの労いはしてやってもいいだろう。
「…………羨ましい」
やけに嫉妬じみた視線をセイリスから感じたので、レリィとの抱擁は手早く済ませて離れる。名残惜しそうな表情でレリィがぼぅっと見つめてくるが、何も言葉は出てこないようなので、俺はミラ達と先に話を済ませることにした。
「とんでもない事態にしてくれたものだわ。どうするのかしら、魔人二人も抱えて」
憮然とした表情を作って、ミラが俺のすぐ近くに立つセイリスと、メルヴィに膝枕されて寝ているビーチェを交互に見やる。
「別にどうってことはない。仮に魔人が超越種に変貌したところで、どこか奥深い秘境にでも引っ込めてしまえばいい。それまでは俺が二人の面倒は見る」
「簡単に言ってくれるわ。でもまあ、それを可能にするのが『結晶』の一級術士ということかしら。ひとまず今はあんたの制御下にあるようだし……どうにかしなさい。つまらない失敗するんじゃないのよ」
ミラはそれだけ言って満足したのか、ぷいっとそっぽを向いた。もう、自分は関与しないという意思表示だろう。口は出さないし、手助けもしないといった感じだ。
「クレストフ君。僕から一つ提案なのだけど。いっそ、ここらで別れないかい?」
ミラとの話が終わったところで、ムンディ教授がおもむろに提案してきたのは今この場での解散だった。
「……ここで別れる? しかし、無事に帰還させるまでは俺にも責任が……」
「僕はもう少し、異界の狭間を調査してからアカデメイアに帰りたい。しかし、君らは風来の才媛から逃げ切って、早く安全な場所へ辿り着きたい。ここが双方にとっての分かれ道だと思うんだ」
もはやアウラが俺を追ってくるとは思えないが、建前上はそういうことになる。だが、それで良いのだろうか。アウラなら自前の探索術式で帰還は可能だ。ムンディ教授も異界の専門家であるし、この狂った世界で目的地を目指す能力に関しては俺以上に長けているので、帰還することも不可能ではないはずだ。しかし、ここまでの旅路でもわかっているように、魔窟には脅威となる魔獣や過酷な環境が存在している。そんな中を帰してしまっていいのだろうか?
ムンディ教授の我がままを見かねたミラが仕方なさそうに溜息を吐きながら、俺達の間に割って入ってくる。
「やれやれだわ。仕方のないやつね。ボケ老人を一人、異界の狭間で徘徊させておくのも忍びないから、私が付き添っておくわ。面倒だけど」
「ミラ、あんたまで無茶を言い出すな。素直に帰還してくれると俺も安心なんだが」
「心配することなんてないのよ。
「んん~、僕としては別におせっかい婆に付いて来てもらいたくはないんだけど?」
「放っておいたら勝手に野垂れ死にして迷惑だから、仕方なく付き添いをするって言っているのだわ。そんなこともわからないのかしらこのボケ老人は」
そのまま口喧嘩を始めてしまった二人はとりあえず放置して、もう一人、動向を確認しておきたい人物に声をかける。
「メルヴィはどうするんだ?」
「え~? 私はそうねぇ~。面白そうだから、クレスお兄さんに付いて行ってもいいかしら? もちろん、国外逃亡まで含めて、ね!」
とても気軽な口調で言っているが、どうもメルヴィは本気のようであった。
「面白い旅にはならないと思うが……それでいいなら一緒に来るか?」
「えぇ! 魔人となった女の子のために人類を敵に回しての逃避行……うん、いいと思う!」
メルヴィの感性はよくわからないが本人がそこまで納得しているのなら俺としても拒む理由はない。
ぐいっとメルヴィが前のめりになったところで、膝からころりと転がり落ちたビーチェが目を覚ます。
「ん……。なんだか騒がしい……」
「起きたか、ビーチェ。歩けるか? そろそろこの場を動くぞ」
「うん、大丈夫……。ところで、この人は誰?」
ビーチェが俺、セイリス、メルヴィを見た後、レリィに視線をやって首を傾げた。レリィの方はビーチェの事情をよく知っているが、初対面で何の情報も持たないビーチェとしては、レリィは全く見知らぬ人に違いない。困惑するのも無理はないだろう。レリィが慌てて自己紹介をしようとするが、それよりも早くビーチェが続く言葉を放つ。
「……クレスの愛人?」
ちょっと待て。誰が誰の愛人だ。そもそも愛人がいるなら、正妻がいるとでも言うのか。
「なっ……な!? 違うよ!? あたし、愛人とかそういうのじゃないから! クレスの騎士だから! 専属騎士のレリィ! よ、よろしくね!!」
ビーチェは俺とレリィ、そしてセイリスを見てから自分の胸に手を当てて考え込む。
「…………わかった。でも、クレスの一番弟子は私。それは譲れない」
何やら複雑な思考の果てに、ビーチェは自分の中でそれぞれの関係性について整理をつけたようだ。
「ところで師匠、私は何番目の弟子になるのでしょうか?」
「ややこしくなるから、お前は黙っていろ……」
「セイリスは私の後だから二番弟子。つまり、私が姉弟子」
「なるほど! ビーチェが私の
「どういう関係だ、それは?」
「あは~ん? そうすると、メルヴィは何番目の愛人になるのかしらねぇ~」
「お前もややこしくなるから口を閉じろ!」
唐突に話に割り込んできてややこしくするメルヴィ。そんな彼女に視線を向けて、ビーチェが珍しく小さな笑いを漏らした。
「メルヴィオーサ、相変わらず……」
「んん? あー……うーん……ちょっと違うかしらぁ~。私はメルヴィ。メルヴィオーサじゃないの」
「……? よくわからない。少し背が縮んだけど、この身体は間違いなくメルヴィオーサ」
ぱんぱん、と無遠慮にメルヴィのお尻を叩くビーチェ。
「あはーん! ……まあ、『生命の設計図』は全く違わないから、ある意味で正解なのかしら~?」
「そんないい加減な話でいいのか? 後でもいいから、ちゃんと説明しておけよ?」
どうにも不安になる互いの紹介を終えて、ようやく俺達は新たな旅立ちの時を迎えた。
ミラがムンディの首根っこを掴んだまま、見送りをしてくれる。
「それじゃあね。こっちはなるべく、風来の才媛と一緒に行動するから。このボケ老人があちこち徘徊しなければだけど」
「そうしてくれると俺も安心して別れられる。いや、ぜひそうしてくれ。ムンディ教授も、長くこの異界を調査するならアウラの協力を得た方が効率的ですよ」
「うん。まあ、そうか。確かに風来の才媛を説得して、このまま本格的な異界調査に移るというのは悪くないかもね」
「本格的じゃないのよね? 観光程度にしときなさいっての!」
いつまでも終わることのないミラとムンディの言い争いを横目に、苦笑しながら俺はその場を去ることに決めた。これ以上、ここに居ては色々な決心が揺らぎそうだ。他の全員を巻き込んでどこか遠くへ、なんて欲張ったことまで考えてしまいそうになる。だが、それはさすがに利己的に過ぎる。彼らには彼らの人生があるのだ。
それぞれが決めた道を尊重すべきである。
「あ! そうそう、帰りはちゃんとヨモサちゃんの所には寄っていかないとダメよぉ」
「ヨモサ? 誰?」
「ドワーフの集落にいた娘だ。ビーチェも一度、会っているはずだ。覚えがあるか?」
「なんとなく。会ってみたい」
「楽しみにしておけ。ヨモサも会いたがっていたからな」
こうして俺達は異界の狭間を後にした。
まだ、いまいち実感の伴わない――けれど、確かな幸せを噛みしめて。
今度こそ、クレストフ・フォン・ベルヌウェレは己の真なる
◇◆◇◆◇◆◇◆
クレストフ達が異界の狭間を去り、しばらくしてゴルディア達も休息可能な場所を求めて移動したあと。
異界でこそこそと動き回る二つの姿があった。
「行ったね?」
「旅立ったね」
風来の才媛によって捕らえられていた二匹の精霊。
戦闘のどさくさに紛れて拘束を解き、クレストフ一行がその場を去るまで岩石に擬態して隠れていた。
「生まれたね?」
「誕生したね」
くすくすくす、と悪戯に成功した子供のように無邪気な笑みを浮かべて双子の精霊が踊る。
「魔人の王様!」
「魔王様!」
双子の精霊の口から不穏な単語が飛び出してくる。
だが、その意味を問い質す者はこの場にいない。
「これからどうなるの?」
「どうなるんだろうね?」
この二匹の精霊には自覚がない。
「何が起こるのかな?」
「何が起こるんだろうね?」
自分達のしたことが、いかなる事態を引き起こすのか。
「わからないね?」
「うん、わからない!」
先の結末など当然知る由もない。
「楽しみだね!」
「退屈しないね!」
彼らはただ、楽しいことをしていただけだ。
「次は何して遊ぶ?」
「何して遊ぼう?」
彼らはただ、遊んでいただけ。
「また玩具を探す?」
「玩具を探そうか!」
悪意なく、ただ自由な発想で。
子供が積み木の玩具でお城を作るように。
「楽しいものいっぱい作ろう!」
「楽しいこといっぱいやろう!」
遊んでいただけだ。
「いつかまた帰る日まで」
「長い旅を終えるまで」
「世界を回って、遊んで! 食べて!」
「楽しく、遊んで! 食べて!」
目に映る全てが楽しくて、輝く世界を食べ尽くしたくて。
「思い出たくさん作ってこよう!」
「きらきらの宝石集めてこよう!」
二匹の精霊は無邪気に世界へ干渉し、美しいものを貪り食って、千年後か、二千年後か、終わりなき旅路を終えて戻ってくる。
――伝説の秘境、精霊の故郷、魔王誕生の地――
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