第350話 黒水晶の小路
燃え立つ炎は徐々に小さくなり、燻る灰となって崩れていく悪魔祓いエリザベスを俺とメグはしばらく見つめていた。やがて骨の一片まで白い灰となったのを見届けた後、俺は深く息を吐いてその場に膝を着いた。メグもすとんと尻を地面について、完全に脱力している。
ここ最近の亡者達との戦いは、だいぶ俺達の神経をすり減らしていた。
まだ続くのだろうか。あとどれだけいるのだろうか。いまだ救われない過去の亡霊達は。
「疲れてしまったようだね。少し休憩しようか?」
俺とメグの様子を見て、風来の才媛が休憩の提案をする。是非もないことだ。こんな調子ではビーチェの救出もままならない。
「クレストフの坊や。抱え込み過ぎではないのかしら」
「あぁ? そうか?」
「あの旅路で起きたこと全ての責任を背負って、死者を弔う必要はないはずだわ」
「……別にそんなつもりはない。ただ、亡者は確実に滅ぼす。歪んだ理は正す。術士としての役割を果たしているだけだ。そして、それがたぶん、ビーチェへ辿り着く道になる」
「亡者の弔いにも意味があるというのかしら?」
「直感だけどな。ある程度の理屈はある。……魔窟には、その異界を生み出した原因が必ず存在する。それは意思を持った幻想種であったり、自我を失い狂った超越種であったり、あるいは単なる方向性を有した現象因子の場合もある。だが、そこには必ず元となった魔窟の主の意思が反映されるものだ。俺達の前に過去の亡者が立ち塞がるなら、そこには必ず意味があるはず」
直感ではあるが、それも経験に基づいた直感だ。これでも数多くの
「そうだね。僕も意味があるというクレストフ君の考えに賛成だ。魔窟に秘められた謎を解明し、それらの原因を取り除けば、魔窟は消滅して元々あった世界が戻ってくると言われている。それを成すには、魔窟が望む結末を叶えてやることさ。必ずしも良い結末ばかりが待っているわけではないけれど、この魔窟に限ってはビーチェという少女に繋がる結末だと僕も思うかな」
ムンディ教授の見解に対して、周囲にわらわらと姿を見せたノーム達が一斉に頷いている。本当に理解しているのか怪しいが、わざわざ集まってきてまで意思表明するので正解に近いということではあるのだろう。
ずっと黙って話を聞いていた風来の才媛も、納得した様子で会話に加わる。
「魔窟は現世の
「そうだな……。そうなのかもしれない」
俺の直感も、ムンディ教授の見解も、風来の予想も、正しいように思う。ただ、勘違いしてはいけないこともある。
魔窟が、そしてノーム達の望む結末が、ムンディ教授の言うように必ずしも最善の結末に繋がるとは限らないということだ。俺にとって、あるいはビーチェにとって。
けれど、それを今ここで言葉にすることはできない。
(……俺にとっての最善が、ビーチェにとっての幸福が、もしも世界の理に反する方向にしかないとしたら……?)
考えても仕方のないことだ。それでも、選択を迫られたときに俺はどうするのか。覚悟だけは決めておかなければならない。
「クレス……。考えすぎ。考えすぎだよ。いいじゃない、難しく考えなくて。ビーチェちゃんを助ける。それだけ考えてクレスは動けばいいんだよ。だって、その為にここまで来たんだから。あたしは何があってもクレスに協力する」
楽観的なレリィの意見。しかし、そこに込められた決意には、倫理感と自由意志の間で揺れる俺などよりもよほど明確な覚悟が感じられた。
「話の最中にすまぬが、何やら妙な気配が近づいてきている」
唐突にゴルディアが異変を告げる。風来の才媛も常に警戒していたはずだが、弾かれたように周囲の探査を改めて行った。
「怪しいものは何も感知できない……というより、これは……。ああ、参ったね。本当に『何も感知できない』よ」
「探査術式の妨害か?」
「意識するまで妨害されていることにも気が付かせない。かなり高度なやつだ。人間にできる術式ではないね。幻想種の仕業かな? それにしては妙に緻密な精霊現象だが」
風来の言葉を聞いて、全員に緊張が走る。
一級の探索術士を欺くほどの
洞窟の壁で仄かに魔力光を放っていた水晶が次々と黒く染まっていく。俺は先手を打って『日長石』の魔蔵結晶で光源の術式を起動させた。日長石がどこまで明かりとして役に立つかわからないが、何もせずにいるよりは視界を確保する術を一つでも多く準備しておいた方がいい。
間もなく洞窟の奥から黒い霧のようなものが漂ってきて、周囲が薄暗がりに包まれる。メグが聖火を掲げて黒い霧を払っているが、振り払えるのは一時的なもので、あまり効果はないようだ。その一方で黒い霧自体にも俺達へ何か悪影響を与える気配はなかった。精々が視界を悪くするだけだ。
(……だがおそらく、この黒い霧が風来の探査術式を阻害している原因だ。直接的な悪影響はないが、容易に消し去ることもできない。厄介だな……)
徐々に闇が濃くなってきている洞窟の先を見据えて、全員が戦闘態勢を取った。
……アァアアァ……アァアアァッ……。
……ァァアアアアァッ……!!
叫び声のような音が黒水晶の生える小路の奥から響いてくる。
意味を成す言葉ではなかった。これまでに聞いた亡者の怨嗟とは決定的に異なる質の声。
幾重にも折り重なった悲鳴は、純粋に苦しみを訴える声のようで――。
音もなく、それが闇から姿を現した。
始めは首。そして、首、首、首、首。
脂ぎった黒い羽毛に覆われた烏の頭が五つ、悲鳴を上げながら闇の中より突き出てくる。割れた嘴が喘ぐように忙しなく開閉して、赤くぎらついた目玉が視点を定めることなく常にぎょろぎょろと回転していた。
五つの首全てが闇より現れた後、続いて体と
――かぐろなる
こいつらには覚えがある。宝石の丘の旅路にて、最後の最後で裏切った烏人の商人達である。猫人チキータ、そして語り部の烏人リラートの証言で詳しい状況がわかっていた。
それも今では無残な化け物の姿と成れ果ててしまっていたが。
『アァ、アァ! 翼が! 翼が動きません! 翼はどこですか!』
『アァ、アァ! 脚が! 脚が翼のように動きます! 翼はどこですか!』
『アァ、アァ! 翼が! 脚が! 骨に当たるのです! 痛みが! アアアァッ!!』
『アァ、アァ! 頭は! 頭はどれですか! これが私の頭ですか!』
『アァ、アァ! 精霊は! 宝石の精霊はどこですか! 闇の精霊に追わせなくては! 彼の地まで追わせなくては!』
一つの体に押し固められた五頭の烏が、苦しみに苛まれる悲痛な叫びを上げ続けている。それでも死の間際に強く願っていた執着だけは残しているのか、頭の一つはしきりに宝石の精霊を探し求めていた。歪な形状の体からは闇色の霧が絶えず吹きだして、濃厚な呪詛の気配を漂わせている。
見るに堪えない光景を前にしてミラが目を細め、美しい魔導人形の顔を歪めた。
「旅の果てに命を落とし、魂まで汚されて、こんな醜悪な姿に貶められるなんて。むごいものね。魔窟の主に恨まれでもしたのかしら? こんな地獄を生み出す意味があるとは思えないのだけど」
「恨み……か。あるいは恨みなら、あったのかもしれないな……」
もしも魔窟の主が――。
そこまで考えて思考を止める。思い込みは危険だ。感情移入もまたするべきではない。
「早いところ引導を渡してやろう」
「待って、クレス。ここはあたしがやる。メグも少し休んでいて。連戦じゃ、きついでしょ」
俺は基本的に仕込みを済ませた魔蔵結晶で、多少の制御を組み込んで使うだけだから大した疲労はないのだが、メグは確かに消耗が激しいはずだ。任せていいのなら、ここはレリィに任せよう。
「しかし、やれるのか? あれは魔獣というよりも、高位幻想種の精霊に近いぞ」
「武器による直接攻撃は効き目が薄いから、闘気で散らすように意識すればいいんだよね?」
「手を貸そう。騎士二人ならば危険は少なく倒せよう」
ゴルディアもやる気だ。この二人ならば確かに精霊相手でも問題はないだろう。
「あれはおそらく闇の精霊と融合している。もしくは闇の精霊そのものかもしれない。一瞬でも身を守る闘気を絶やすなよ。闇の精霊による精霊現象は人の精神を狂わせる」
「そういう感じの精霊なんだ。わかった、気を付ける」
「心得た」
レリィが頷き、ゴルディアも敵の脅威を正しく認識した。
それぞれ翠色と金色の闘気がゆらりと体から立ち昇り、無駄なく隙なく闘気の光が全身を守るように包み込んだ。
二人の闘気に反応して、
『アァ、アァ! 翼よ、もげろ! もげろ! もげろ!!』
『アァ、アァ! 足よ、折れろ! 折れろ! 折れろ!!』
烏の頭がやかましくわめきたてると、水に落とした墨汁の如く黒い波紋が地を走り、それに触れた途端に背中に痛みが走り、両の脚から力が抜ける。隣ではメルヴィが尻もちをつき、メグも四つん這いになって動けないでいる。
「いったぁい!? なにぃこれ!?」
「足に力が入らないのですぅ!!」
「闇の精霊現象だ!! 対抗しろ!
地面から無数の
俺達が精霊現象の影響を受けている間にも、闘気の力で精霊現象を跳ね除けたレリィとゴルディアが五頭烏へと向かって走り出していた。だが、敵の残り三つの頭が全く別の呪詛を一斉に放つ。
『アァ、アァ! 霧よ! 雲よ! 闇を作りて視界を阻め!!』
『アァ、アァ! 灰よ! 煙よ! 喉を塞いで息を止めよ!!』
『アァ、アァ! 腐臭よ! 劇臭よ! 鼻を刺して苦痛を与えよ!!』
黒い霧と煙が入り混じって押し寄せ、そこへ度し難い程の悪臭がおまけで付いてくる。視界が塞がれた上に、まともに息ができなくなる悪意に満ちた闇の精霊現象だ。一つでも厄介な闇の精霊現象を同時に三種類。先ほどの二種類も加えれば、この五頭烏は頭の数だけ呪詛を同時に放つことができるというのか。
(――世界座標『
『
真っ黒な煙に遮られた闇の中に風来の才媛の声が響く。風の大精霊の魔力が乗った風が、濃密な呪詛を含んだ黒い煙を吹き飛ばした。
俺達を中心にして外側へ向かって流れるように風が吹き、押し寄せてきた黒い煙を逆に押し流していく。
「レリィ達は!?」
吹き流された煙の中からレリィとゴルディアの姿が現れる。二人は黒い煙を突っ切って、既に五頭烏のすぐそばまで接近していた。あれほど濃密な呪詛をものともしない。これが騎士の闘気である。
翠に光る闘気をまとわせた真鉄杖が五頭烏の頭を次々に叩き潰し、黄金の闘気を放つ大剣が骨と肉の塊となった胴体部を大きく切り裂いた。
『アァ、アァ! 翼が! 翼がもげます! 私の翼はどこですか!』
『アァ、アァ! 脚が! 脚が折れます! 私の脚が折れました!』
『アァ、アァ! 体が! 体がちぎれます! 私の体はどうなっていますか! アアアァッ!!』
『アァ、アァ! 頭が! 頭が減ります! 私の頭はどこですか!』
『アァ、アァ! 精霊を! 宝石の精霊を追わなくては! 彼の地まで――』
崩壊していく。ばらばらと、翼がもげ、脚が折れ、体はちぎれ、頭は潰れて、かぐろなる五頭烏が滅びていく。
最後まで宝石の丘への執着を残して、しかし一片の存在も残さずに滅びゆく――。
ごとり、と。
禍々しくも美しい魔核結晶が地に落ちた。
両手でなければ拾い上げられないほど大きな結晶は、深く暗い青紫色をしていた。
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