第349話 堕ちた聖女
海蝕隧道を抜けて水気がすっかりなくなると、周囲の風景は無機質な洞窟の岩肌が続くようになる。変わったところと言えば岩壁のあちこちに結晶質の美しい鉱石が散見されることだろうか。結晶からは魔力を伴った光が放射されており、洞窟内はそこそこの明るさを保っていた。
「驚いたな。こいつは魔核結晶だぞ」
「透き通った純度の高い結晶だわね」
「色もいい。青色で拳大のこの大きさなら、金貨一二〇枚にはなるぞ。大型の魔導具を何年も稼働させられるだけのエネルギーがあるはずだ」
「金貨一二〇枚!? ほ、他には!? 他にはないのです!? 探し出したら一獲千金なのですぅ!」
この小さな結晶が金貨一二〇枚と聞いて、メグが血眼になって魔核結晶を探し始めた。
「ほどほどにしておけよ。結晶探しに夢中になって迷子にでもなったら助けられないからな」
「昔の君なら真っ先に飛びついていただろうに……うんうん。これも成長か……」
高価な魔核結晶を前にしても振り回されない俺の様子を見て、何故か風来の才媛が感慨深げに頷いている。それで言ったら俺だけでなくレリィなども昔に比べて随分と金や宝石といったものに対する耐性が付いた。今も結晶を特に気にすることなく素通りしている。
ただ、そのすぐ傍ではミラが魔導人形を何体か動かして結晶を回収させていた。魔導人形の素材にでも使うのだろう。
(……普通は一つや二つくらい拾おうとするよな。俺もサンプルとして二つ三つ回収したところだ。その気配すら見せないってのは、むしろレリィの金銭感覚がぶっ壊れたか……?)
普段のレリィの生活状況からしたら、専属騎士としての給金だけで全く不自由していない。その上で、
「あっ! あっちにもあったのです! ふぇへへへっ、みぃんなメグのものぉ~!」
魔核結晶の収集をしながら先へ進んでいくメグを、とりあえず道を外れない範囲で先に進むのならいいか、と半ばあきらめた感覚で見守る。メグやミラが魔核結晶の収集をしている間も風来の才媛、ゴルディア、レリィ、そして俺も警戒は緩めなかった。ムンディ教授も目的地を指し示す『時空羅針盤』を常に注視している。
ただ一人、メルヴィだけが魔核結晶を拾うでもなく、辺りを警戒するでもなく、周辺の環境を興味深そうに調べている。
「どうした、メルヴィ? 何か気になることがあるのか?」
「うう~ん、ねえ。クレスお兄さ~ん? 確かに、ちょぉっと気になることがあってねー、お兄さんに聞きたいんだけど……」
そう言ったきり、メルヴィは宙に視線を泳がせたまま言葉を
俺も自然にそちらへと視線をやり、暗い闇が続く洞窟の奥、ちょうど結晶を採取しようとしゃがみ込んだメグがいる少し先で目を止めた。
「メグ……。おい、メグ! すぐに戻れ! こっちへ!」
「ふへぇ?」
間の抜けた声を漏らしながらメグが顔を上げたすぐ前に、一人の女が立っていた。
一切の気配なく、生気もなく、呼吸も感じられない様子で立っていた。
ぼろ布一枚をまとった身は痩せこけて肋骨が浮き上がり、半裸の上半身は一切の赤みを失った青白い肌をしていた。
不自然なくらいに折れ曲がった猫背で屈み込むと、細く乱れた長い白髪が顔の前に垂れ下がって表情を隠した。
胸元で銀の
「……エリザベスお姉さま?」
メグの呟きに女の動きがぴたりと停止する。伸ばした腕をゆっくりと引き、丸まった姿勢をぎこちない動作で真っ直ぐに戻していく。
姿勢を正した女の視線と、メルヴィの視線が交錯した。
『め……め、メ、メッ……メルゥウウヴぃオぉオサァアアぁー――ッ!!』
枯れ果てた喉から無理やり絞り出された怨嗟の声がメルヴィに向けて叩きつけられる。
「ここってたぶん……聖霊教会の
「……後になってメルヴィオーサのやつから聞いたよ。聖霊教会においては禁忌の存在でありながら、
不死者エリザベスは、宝石の丘への道中でメルヴィオーサともう一人の仲間によって討たれた聖霊教会の悪魔祓いだ。死なない体の持ち主ではあったが、決して傷つかないわけではなかった。それゆえに『流血の呪詛』を込めた矢傷によって血を失い、行動不能に陥ったはず。
「あ……ありえないのです……。エリザベスお姉さまは十年も前に、宝石の丘への旅路で亡くなっているはずなのです。クレストフお兄様達との戦いに敗れ、確かに死んだってメグは聞いたのです! それが、こんな変わり果てた姿でさまよい出てくるわけが……。幻想種に憑依された……? 違うのです……聖霊教会の悪魔祓いともなれば、死後でさえ主の加護に包まれて……幻想種など宿すはずがないのです!! だから、こんなことはありえない――」
「メグ、違うぞ! 幻想種の仕業じゃない。たぶんこいつは、聖霊教会が信仰する神からも見放されたんだ。『死なずの呪詛』を使った弊害だろう。こいつはそもそも十年前から死んでいない。ずっと生き続けて、この場をさまよい続けていたんだ!!」
『……メルヴィオォオサァアアー――ッ!!』
不死者エリザベスは近くにいたメグには目もくれず、いまやメルヴィオーサの面影が残るメルヴィへとその敵意の全てを集中していた。
「この人……人間なの? 倒していいんだよね?」
「構わん! 例え人間であっても、敵だ!!」
敵、その一言でレリィとゴルディアが同時に動いた。
人型の相手へと攻撃する躊躇いを断ち切るように、レリィの八つ結いの髪が一斉に翠色の闘気を帯びて、真鉄杖に莫大な力が注がれる。跳び上がり大上段から攻撃を仕掛けるレリィの足元をくぐって、ゴルディアが先制攻撃を仕掛けた。黄金の闘気が絡みついた大剣を横薙ぎに振るって不死者エリザベスの胴を真っ二つに断ち切る。そこへレリィによる追撃の一打がエリザベスの上半身目掛けて打ち下ろされた。翠の閃光が弾け、爆発する闘気の圧力でエリザベスの体は下半身を残して四散した。
――即時、変化が起きた。
粉々に砕けた体が、爆発の過程を巻き戻すようにして再生されていく。残された下半身に、上半身の骨や肉片が寄り集まって粘土細工の如く固められていき、間もなくして不死者エリザベスの全身は元通りに再生されたのだった。
『――けけけけ、獣畜生と同じくらい大切なあなた達の命ぃ、む、虫けら同然に、うう、奪って差し上げます……。だ、だってだってだって全ての命は、命は! 等価に重んじるべきものですもの……! わわ、私の命が、お、脅かされるなら……。他のすべての命も脅かしてあげます!! あははっははっ……!!』
再生したエリザベスの様子がおかしい。
元からかなりおかしな精神構造をしていたのかもしれないが、今は誰が見ても明らかにおかしな状態だ。
「ちょっ……ちょっとクレス……! この人、やばいって!? メルヴィもどれだけ恨みを買ったわけ!?」
「えぇ~っ!? メルヴィ知らないからー! 恨まれているのはメルヴィオーサお姉さまよぉ~!」
「あれで死なぬというのか……? 面妖な……」
レリィもゴルディアも間違いなく全力の一撃だった。幻想種さえ存在の根本から吹き散らす闘気の攻撃で、エリザベスの体は粉々に砕かれたというのに、それでもなんら損傷を残すことなく復活したのだ。
『あぁ……さ、寒い。寒い、寒い……。ど、どうしてこんなにも、寒いの……?』
剣撃による傷は一切痕を残さず完治していたが、全身の皮膚は相変わらず血の気を失った色をしていた。見たままに体の異常はあるらしい。エリザベスの体は常に震えていた。触れてみなくてもわかる。彼女は体温を失っているのだ。
『……愚かな子らに、
不死者エリザベスは携えた錫杖を震える腕で掲げながら、呪詛の言葉を吐き出す。そして、十年前と変わらぬ術式行使で、敵を切り刻む凶器を召喚する。
(――世界座標、『聖者の蔵』より我が手元へ――)
『踊れ円月輪!』
無数の
(――世界座標『
『
風来の才媛が爪に刻まれた魔導回路から、鋭い気流を召喚する。無数の
『踊れ円月輪!』
攻撃を逸らされてもエリザベスは動じることなく、再び同じ術式を使用してくる。だが、今度は壁に刺さった円月輪に呪術で力を与えて、全方位から直線的な投擲攻撃を仕掛けてきた。
防御の苦手なメルヴィとムンディはレリィとゴルディアが守り、他の多くの円月輪は風来がその威力を削ぎ、ミラが多数の魔導人形を操って叩き落とした。俺とメグは自分に向かって飛んできた円月輪だけを避けるなり叩き落とすなりして対処する。
『死ねない……死ねない……。私は死ねない……』
かつて聖霊教会の優秀な悪魔祓いとして暗躍していたエリザベスの成れの果て。今はただ、半ば理性を失った状態で呪詛を吐き続けるばかりだ。
『あああぁっ!! 私、死ねないんですよぉおおおっ!? なんで、どうして? さ、寒くて、
完全に血の気を失った青白い肌は既に死人のそれだ。
よく見れば、体のあちこちに小さな穴が開いており、そこから流れ出たであろう血の跡が薄っすらと残る。十年の時を経て劣化した血液は乾き切って剥離したのだろう。もはや流れ出る血を全て失って、それでも死ぬことなく呪力だけで体が動き続けているのか。
「おい、メグ。やるべきことはわかっているな?」
「……クレストフお兄様、残酷なのですよ。でも、それでもメグはやります。お姉さまをあのままにはしておけません」
「俺も加勢する。生半可な術では無駄に苦しめるだけだろうからな」
「お願いするのですぅ。灰も残らないほど、完全に焼却するために――」
俺とメグはゆっくりと不死者エリザベスを挟むように立ち位置を変え、互いの発動時間を考慮しながらそれぞれの術式を構築する。
祈るように、願うように、メグは不浄を正す浄化の祈祷儀式を――。
『……異界座標、煉獄より我は
無念を払い、未練を断ち切れるように、俺はあらゆる呪詛を焼き尽くす破魔の儀式呪法を――。
『異界より
二人の術式が完成する。
『
『
眩い輝きを放つ火柱が上がった。炎というよりは閃光に近い劫火が不死者エリザベスを包み込み、瞬く間に体を燃え上がらせて、髪を、皮膚を、肉を、骨までも焼き尽くして灰塵に帰す。
「――ああ、あたたかい……。主よ……愚かな子を…………赦し……給え――」
悪魔祓いエリザベスは、恩赦を願いながら逝った。
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