第346話 毒蟲樹海
薄暗く鬱蒼とした樹海に足を踏み入れた俺達は、すぐさま危険な害虫から身を守るための方策を整えた。
俺は毎度のことながら『鉄砂の鎧』に身を包み、風来の才媛は自身の周囲に風の防護をまとった。メルヴィとメグは虫除けの炎を杖や戦棍の先に灯し、それだけでは少々不安があったため、風来の才媛による風の防護を施してもらった。複数人や広域に効果のある術式をいともたやすく行使する『風来』の実力はやはり第一級に相応しい。ちなみに俺が『鉄砂の鎧』の術式をかけてやってもいいと言ったのだが、メルヴィとメグには断られてしまった。何故なのか。
「クレス、最近その格好ばっかりだね」
くすくすとレリィにまで笑われる始末である。もしかして格好悪いのだろうか。確かに全身を砂鉄で覆うこの術式は見てくれが良いとは言えない。完全防御を実現するために目元まで砂鉄で覆っており、視界を確保するのに虎目石の魔蔵結晶による『虎の観察眼』の術式を使っているのだが、この虎目石を幾つも鎧に埋め込んだ姿が不気味だったのかもしれない。
体が魔導人形のミラは毒蟲など苦でもないのか特に対策はしていない。ムンディ教授は死んでも復活するとはいえ、毒蟲に集られるのは嫌だったのか身の回りの空間に何か術式を仕掛けていた。常にムンディ教授の体の周りで空気の揺らぎが見える。下手に近づかない方が良さそうな雰囲気であった。
レリィとゴルディアは皮膚を守るように薄っすらと闘気をまとっている。騎士の闘気ならば虫の毒針なども防げるだろう。
毒蟲対策を万全とした俺達は、道中で虫の大群に襲われることもあったがこれと言った被害もなく、順調に樹海を進んでいた。
「クレストフ君、
「特に変化はなく……方向は変わっていないな。『時空羅針盤』の方は?」
「同じ方角を示しているね。問題ない。樹海のように込み入った場所では、方位を探る術式が乱れることもあるから注意深く行こう。森に潜んだ幻想種が悪戯をしてくることもあるからね」
「それは御免こうむりたいな……」
こんな場所で絡んでくる幻想種の悪戯が可愛いはずもない。奴らにとってはなんてことのない悪戯でも、魔窟の樹海で迷わされたら命に係わる。
鬱蒼とした樹海。集ってくる虫ども。
草木の繁茂した森に特有のべたつく湿気と、気を抜けば貼りついてくる蜘蛛や毛虫の糸。
この不快感は嫌でも昔の記憶を思い起こさせる。この森で死んだ同行者達の末路を。
指し示す方向の中心軸は変わらないのに、激しく左右に振れ動く。この動きは外部からの干渉によるものだ。
「そう簡単には通してもらえないか」
ちらりとムンディ教授の方を見ると、彼は『時空羅針盤』を取り出して見せて、そちらには異常が見られないことを伝えてくれる。仮に外部干渉によって
俺は足を止め、前方の暗い藪を睨む。がさり、がさり、と草木を掻き分けて進んでくる何者か。近づくにつれて漂ってくる濃密な呪詛の気配。
──迷え、マヨエ、迷え──
悪意に満ちた何者かの妨害思念。
──刺され、ササレ、刺され──
幻想種の悪戯などと、そんな生半可なものではない。圧倒的な憎悪と殺意を放つ存在が、俺達の前に現れた。
全身の皮膚がボコボコの玉状に膨れ上がった人型の魔獣。頭部は馬のように太い鼻先が前に伸びている。いや。馬のように、ではなく、正しくあれは馬なのだろう。
過去、毒蟲樹海で畜食宝石蜂に毒針で刺し殺された
果たして生前に持っていた武器かどうかも定かでないが、魔獣と化した馬人は両手に金棒を持って荒い息を鼻先から吐き出している。水疱で腫れあがった皮膚、その状態でもわかるほど苦悶に満ちた表情を顔に貼りつけ、ぎしぎしと臼のような歯を擦り合わせていた。
「やだぁ~、これってもしかしてぇ、地獄の門番『
「
メルヴィは時折妙な知識を披露する。俺もそれなりに古代神話については詳しい方だが、あくまで雑学として知っている程度である。対して、メルヴィは体系的にまとめられた知識が身についているようだ。書籍で学ぶことが多かったようだし、俺の読んだことがないような文献も目を通したことがあるのだろう。今度、ゆっくり古代の歴史とか話をしてみたいものだ。ひとまずこの毒蟲樹海を抜けてからになるが。
――ブゥウゥウウウルルルルルッ!!
口元を震わせて馬人魔獣が雄叫びを上げた。震えは全身へと広がっていき、途端に皮膚の水疱が膨れ上がると赤黒く濁った体液を撒き散らしながら破裂した。その中から、次々と羽虫が飛び出してくる。緑色の金属光沢をした畜食宝石蜂のようだが、そいつらは黒い靄をまとって複眼は赤く光を帯びている。これもまた魔獣の類であろう。
「あわわわわっ!! どうして、魔獣はこうも気色悪い奴らばかりなのですかーっ!?」
メグが悲鳴を上げながら、飛びかかってくる魔獣化した畜食宝石蜂を、聖火を宿した戦棍で叩き落としている。
そうだ。こいつらは魔獣だ。馬人魔獣にしても、常識的な生物の挙動など参考になるはずもなかった。
全員が防護の術式や闘気で体を守っているが、魔獣化した畜食宝石蜂の毒針にどれくらいの貫通性能があるかは不明だ。極力、針をまともに受けないようにして対処しなければなるまい。
――ブゥアァアアアアアッ!!
苦悶の混じった雄叫びを続ける馬人は、尽きることなく皮膚の水疱を泡立たせて次から次へと宝石蜂を生み出し続けている。この苦しみをいつまで続けるというのだろうか。あるいは、己の味わった苦しみを呪詛に乗せて他者へと際限なく振りまき続ける、そんな現象として固定化されてしまったのだろうか。
そうだとしたら、なんと哀れなことか。だが、そうなのだとしても――。
(悪いが、お前の苦しみを共有してやることはできない。せめて安らかに、灰になって土へと還れ!!)
『十二劫火!!』
それでもなお、ぼこぼこと沸騰するかのように黒い泡が弾けて、宝石蜂を生み出し続けている。
「そこまで呪いが深いか……!」
「退くのです! ここはメグが浄化しますぅ!!」
すかさず前へ出てきたメグが浄化の術式を発動した。
『……異界座標、煉獄より我は喚びこむ。あらゆる亡者を灰と化すもの。主の慈悲深き光の下で、魔に憑かれし、さまよえる魂に安息を……!!』
祈祷儀式で膨れ馬頭を取り囲むように異界の炎が召喚される。
『煉獄浄火!!』
やや外周大きく炎で取り囲み、徐々に範囲を狭めていって宝石蜂も膨れ馬頭も合わせて綺麗に焼却してみせた。
呪詛を撒き散らしていた膨れ馬頭が焼失したあとには、その禍々しさとは裏腹に美しい澄み切った青色の魔核結晶が残される。
拳大の青い魔石を拾い上げ、この膨れ馬頭が魔窟で生まれた純粋な魔獣であることに少しばかり安堵した。誰も彼もが恨みを抱えたまま死に、俺に対して怨嗟の声をぶつける亡霊ばかりということではない。ただ純粋に呪われた獣として、この魔窟に存在するものもあるのだと。
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