第345話 雪崩山脈

 吹雪で白く視界が遮られるなか、突然、氷のように透き通った青い爪が舞い散る雪を裂いて眼前に迫る。

 咄嗟に水晶棍を前に突き出して弾き返すが、息つく間もなくすぐ後ろで別の金属音が鳴り響いた。ちらりとそちらを見ればレリィが俺の背中を守るように真鉄杖を構えている。

 吹雪が激しく、口を開けば容赦なく冷気が入り込んでくる。

(……下手に声を出せば肺まで凍り付くな……)

 目配せだけで合図をすると俺は他の仲間がいる方向へとレリィを誘導する。その間、レリィは俺と背中をぴったり合わせて一緒に移動していた。高濃度の魔導因子を含んだこの吹雪は魔導的な透視さえ阻害するため、仲間と一度でもはぐれたら合流が困難になるのだ。


 雪崩を警戒しながら進む俺達に散発的に襲い掛かってきたのは白い影。魔獣化した氷雪大鬼フロストオーガであった。

 氷雪大鬼フロストオーガ自体が珍しい存在なので、それが更に魔獣化しているとなると、もはやその生態については予想もつかない。今も吹雪に乗じて、攻撃を仕掛けては逃げ去り、また間隔を空けて襲い掛かってくるという面倒な行動を繰り返していた。

 ここでは雪崩を誘発する恐れがあるため、広範囲に強力な攻撃を放つことができない。地道に奴らの攻撃を受け止めては反撃の一撃を入れることで、どうにかしのいでいた。


 他の仲間と分断されかかっていた俺とレリィは慎重に進行方向を修正して、ようやく目立つゴルディアの大柄な体を発見する。近くでは風来の才媛やメルヴィ、メグに囲まれるなか、ミラがなにやら大きな術式を構築しているようだった。

 こちらに気が付いた風来の才媛が、ほっとしたような表情で手を振っている。そこへ踊りかかってきた氷雪大鬼をゴルディアが見事に切り伏せた。いつの間に距離を詰めて来ていたのか油断できない敵だ。


(――世界座標、『傀儡の人形館』より召喚――)

『暗躍の指人形ギニョール!! 私に敵意あるものを排除しなさい!』

 召喚されたのは大きな針のような武器を持った十体の魔導人形。身軽そうな形態で即座に散開して吹雪のなかへ飛び込むと、あちこちで獣の唸り声と魔導人形が破壊される音が聞こえてくる。

「今のうちよ。連中が魔導人形に気を取られているうちに先へ進むのだわ。人形達に持たせた毒針が効いていれば、追撃は防げるはずかしら」

 魔導人形の体のミラにとっては吹雪を吸い込んでも肺が凍るようなことはないのか、普段と変わらぬ様子で声をかけてきた。

 俺は「山頂を越えて向こう側へ」という意味を込めて、指先を山の頂上へと向けた。他の仲間もそれで理解したようで一心不乱に頂上を目指す。

 こんな吹雪の中で延々と氷雪大鬼との戦闘を続けていたら体力が尽きてしまう。今はとにもかくにも頂上を越えて、なるべく早くこの山を降りてしまうのが一番いい。



 その後も何度か氷雪大鬼からの追撃を受けたが、次第に襲い掛かってくる数も頻度も減り、俺達は無事に山頂を超えて山の反対側へと出た。背後からの雪崩に巻き込まれないようにだけ注意して雪山を下っていく。

 皆、会話はなかったが氷雪大鬼の追撃が一切なくなり、徐々に吹雪が弱まってくるとどこか余裕のある動きが戻ってくる。野山を跳び回る兎のように、メグが軽快に雪山を下っていくのが前方に見えた。対照的にメルヴィの方は気が緩んだのか、杖に体重をかけながらなるべく疲れないように滑るような足運びで山を下りている。あの歩き方では靴底がすり減ってしまうだろうが、体力を温存する方が今は重要だ。後で落ち着いたら新しい靴にでも替えればいい。


「だいぶ雪の量が減ってきたね」

「……言われて見れば、足元もしっかりしてきたか」

 言葉を交わす余裕も出てきたか、レリィに言われて周囲に気を配れば所々に茶色い岩肌が見えるのに気が付く。眼下の風景はまだ白い雪靄に遮られているが、時折背の高い木々が樹氷となっているのを見かけるようになってきた。

 ようやく雪山の領域を抜けられる。その事実にほっと一息ついた瞬間、地面から嫌な微振動が伝わってきた。同時に、遥か後方にある山頂から奇妙な音が聞こえてくる。


 ウヴォオォ――――ィイ……


 山を脱する俺達を呼び止めるかのような不気味な音が響いてくる。

 地面の振動が加速的に大きくなり、奇妙な音も圧を増してきた。


 ウヴォオオォォオオオオ――ィィィイ!!


 山頂を見上げれば、左右の端から端まで山脈全てが震えているかの如き大規模な雪崩が発生していた。

 まるで山に意思が宿り、俺達を何としても逃がすまいとしているかのようである。


「クレストフ!! 今までにない大きなのが来る! これまでの比じゃない!!」

 風来の才媛が焦った様子で走り寄ってくる。俺にだって山頂の様子を見ればただ事じゃないのはわかる。生半可な防衛術式では防ぎきれないだろう。

「全員、俺の近くに集合しろ!! 早く! メグも戻れっ!!」

 やや先行していたメグも、俺の余裕のない剣幕に慌てて斜面を駆けあがってくる。

「いいか! 全員、俺を信じてこの場にとどまれ! 余計な抵抗はするな! 防衛術式いくぞ!」

 あの規模の雪崩に対抗するには、これまでの結晶防壁では足りない。より大質量で隙のない、強固な防護壁でなければ。


 魔導因子を大量に含ませた虹色水晶オーラクリスタルを十個ほど地面にばらまき、その中心に大ぶりな紫水晶アメシストの魔蔵結晶を設置する。

(――世界座標、『宝石の丘ジュエルズヒルズ』に指定完了――)

 術式発動の細かい意識制御は、自動化して予め魔蔵結晶に刻み込んである。あとはただ発動させるための引き金、ごく簡単な意識制御と楔の名キーネームを口にするだけ。

『――彼方より此方へ――。来たれ……紺碧こんぺきの大晶洞!!』

 俺達が向かう先、世界の果てにある『宝石の丘』の『大晶洞』を丸ごと物力ぶつりき召喚する儀式呪法。

 視界を覆い尽くすほどの光の粒が舞い上がり、瞬く間に俺達を囲う結晶の卵が出現する。地面からもゆっくりと結晶が伸び上がり、足元まで完全に透き通った結晶に包み込まれた。


「――ほへぇ……」

 俺の下へ転がり込んできたメグの口から間抜けな声が漏れる。座り込んだまま目をきらきら輝かせて天上を見上げていた。

「これはまた、すごいな……」

 世界のあらゆる秘境を旅してきた風来の才媛でさえ圧巻の光景に見惚れる。それほどまでに美しい、幻想的な秘境を切り出した光景だ。二度目の経験となるはずのレリィも頬を紅潮させて興奮を隠せないでいる。

「これが……ベルガルの見た景色……」

 旅半ばで離脱したミラにとっても感慨深いものだったろう。


 光の粒が弾けて消失した代わりに、深い青紫色の六角水晶が重なり合う大晶洞が姿を現した。無数の水晶が梁となって外殻を支える一つの大きな卵と化している。美しい宝石の丘ジュエルズヒルズの大晶洞に抱かれて、しかし俺だけは他の者と異なる感慨を覚えていた。

(……この秘境の光景も随分軽いものになった。今ではこうして容易に呼び出すことができる。それだけ、俺にとって身近な場所ということ……)

 かつての感動は色褪いろあせた。

 だがそれは、これまで畏怖を抱いてきた秘境の存在を克服したということでもある。


 間もなくして大晶洞を揺るがす衝撃が襲ってきた。いかに大質量といえどもあれだけの規模の雪崩では足元からすくわれかねない。もう一手、対策が必要だろう。

 白石綿クリソタイルの魔蔵結晶を取り出し、大晶洞の中で術式を発動する。

(――空にそびえる雲が如く――)

綿雲わたぐもの石!!』

 大晶洞の壁を綿のようにふわふわとした繊維質の鉱物が覆っていく。大晶洞の美しさを隠してしまうのは不粋だが、それよりも現状における必要性が優先された。


 足元が持ち上がる不快な感覚。それに伴って大晶洞が傾いていき、一瞬のうちに平衡感覚が失われた。

 体が宙に浮いたかと思えば、すぐさま石綿で作られた緩衝材に体を叩きつけられる。これが結晶の壁であれば大怪我をしてしまうところだが、綿状繊維に覆われていることで頭から落ちても平気である。

(――しかし、この質量でも流されるか。もし、まともにあの雪崩に巻き込まれていたら……)


 生身のままであの雪崩に巻き込まれていたら、雪の奔流に呑まれた瞬間に四肢がバラバラになってしまってもおかしくない。それほどの勢いがあった。

「やーん、転んじゃった~!」

 わざとらしい声を上げてメルヴィがころころと転がってきて、仰向けに倒れている俺の腹の上へと乗ってくる。

「お前は本当にこんな時まで……」

 石綿が敷き詰まって足場の悪いなか、上からのしかかられては立ち上がることもままならない。起き上がるのにもたついていると、この足場が悪く常に傾き続ける場所で真っ直ぐに立つレリィに見下ろされる形になった。

「ふーん……楽しそうだね? もう少し、寝ていたら?」

 棘のある口調と冷めた視線が突き刺さる。この状況で責められるのはとても理不尽な気がした。



 やがて雪崩が収まり、傾く大晶洞の動きが止まった。

 結晶の向こうを『天の慧眼』の術式で透かして見ると、幸いなことに雪の下に埋もれているというわけではなさそうだった。ただ、相当な距離を押し流されてきたのか、辺りの風景が一変している。

 不完全召喚で保持していた紺碧の大晶洞は、魔蔵結晶の魔導因子の流れを強制中断させると光の粒となって消え去っていった。

 石綿の緩衝材を破いて外へと出る。

「石綿の繊維は吸い込まないように気を付けろよ。服や肌に付いたやつはなるべく落とすんだ」

「私が強めの風で吹き飛ばそう」

 風来の才媛が気を利かせて全員の体に付着した石綿の繊維を吹き飛ばしてくれる。この繊維は吸い込んだり肌に刺さると体に悪影響がある。そうした悪い面はあっても、優れた耐熱性と緩衝性そして防音性もある石綿は何かと役に立つ。使い終わった石綿は術式で結晶に包み込み、土中へと埋没させる。処分が面倒な石綿だが、こうしておけば環境への影響は最小限に抑えられるのだ。


「さて? それでここは今、どの辺りだろうな?」

「ここは見覚えがあるのだわ。毒蟲の湧く森……」

「……毒蟲樹海に入ったか」

 ミラの言葉に俺は苦い表情となるのを隠せない。

 多種多様な毒蟲が棲息する森。十年前の宝石の丘ジュエルズヒルズへの旅路では、かなりの数の犠牲者を出した場所であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る