第344話 大寒氷洞

 火山地帯を抜け、熱気の薄れた岩と土の大地をしばらく進んでいた。

「クレストフ君。そろそろ休憩した方がいい時間じゃないかい? 前回の休憩から六時間は経過しているよ」

 黙々と歩を進めていた俺はムンディ教授の指摘で我に返る。

「もうそんな時間か。空が明るいから気が付かなかったな」

 魔窟だからなのか、それとも秘境だからなのか、あるいは単にそういう地域なのかはわからないが、俺達が歩みを進めている場所では何時間経っても日が落ちることはなかった。そのため時間の経過に気が付かずに過ごしていたようだ。

「どおりで疲れたわけだわ~。本当ならもう夜の時間帯よぉ! 休みましょ、休みましょ!」

「ふわぁ~……。ここ数日、歩きづめで疲れたのです~」

「何もない風景で飽きてきたかなー」

 メルヴィとメグはその場に座り込み、レリィは疲労こそ見えないが周囲を遠くまで確認しては、うんざりとした顔をしている。いつもは艶やかに見える深緑色をしたレリィの髪の毛も、長時間に渡り陽の光を浴び続けたせいか、どこかくたびれているように見えた。


「周辺に異常はないようだし、今日はここで野営するかい、クレストフ?」

「そうだな。拠点まで作る必要はないだろう。簡易天幕で十分だ」

「だがここは魔窟であり、秘境だ。見張りが必要だろう」

 風来の才媛が上空から付近を偵察して安全を確認したが、ゴルディアの言う通り魔窟の中で油断は禁物だ。

 とはいえ、一級術士三人の探知術式をしかけておけば寝ていても危機に陥ることはまずない。普段ならそれで済む話なのだが、ゴルディアがわざわざこんなことを言いだすからには、何か直感的なものでもあるのだろう。こういうときの騎士の勘は侮れない。

「気は抜けないか……。二人ずつ交代で見張りを行おう。最初は俺とムンディ教授だ。今のうちに、この先の道筋も確認しておきたい」

「いいとも。僕らが見張りを行いながら次の番号座標がある方角の確認をするということだね」

「こうもだだっ広い大地ばかりが続いていると方向感覚も狂うからな」

 特に誰も異論をはさむことなく、俺とムンディ教授以外は召喚した天幕の中へと入って休息を取り始めた。



「『時空羅針盤』はどうなっていますか? ムンディ教授」

「うーん。まあ、一定の方角に安定しているね。『標石マイルストーン』の方はどうだい?」

「たまに大きく針が振れますが、同じ方向を指しているので間違いないかと」

「ふむ。大きな振れか。なんだろうね。時空の揺らぎというわけでもなさそうだけど」

「何か気になることが?」

「ちょっとね。『標石マイルストーン』の位置捕捉に影響が出る程度の現象が何かと思ってさ。考えても仕方ない。それより、目的地の方角に何かないか、見えないかな?」

「……探ってみましょう」


 左手中指の指輪に嵌められた灰青色の宝石、鷹目石ホークスアイに意識を集中する。

(――見透かせ――)

『鷹の千里眼!!』

 術式が発動すると視界が急速に狭まる代わりに、肉眼では見えようもない遠くまで見通せるようになった。『時空羅針盤』の示す方角を眺めてみれば、かなり遠くに岩山があり、そこの岸壁に洞窟らしきものの入口が見えた。

「また、洞窟か……」

 過去の道程にあんな洞窟があったか覚えがないが、今は『時空羅針盤』と『標石』の指し示す方向を信じるしかない。

「洞窟なら、そっちで休んだ方がよかったかな?」

「いえ、むしろ洞窟の方が危険でしょう。ああいったところには魔窟の悪意が溜まりやすい。下手すると階層主みたいな魔獣が潜んでいるかもしれない」

 とりあえず向かう先が確認できたことは良しとして、俺とムンディ教授はそのまま交代の時間になるまで何事もなく見張りを続けたのだった。



 地を伝わる微振動と、遠くから響いてくる風の音に気が付いて俺は目を覚ました。

 見張りを交代して眠りについてからだいぶ時間は経っている。天幕の中の人を確認すれば、外で見張りをしているのがレリィとミラであることがわかった。だが、異変を感じたのは俺だけではないのか、風来の才媛とゴルディアもほぼ同時に目を覚ましていた。

 すぐさま天幕の外へ出ようとしたところ、外から中へ飛び込んできたレリィの胸に顔を突っ込ませてしまう。超高純度鉄の鎧が顔面を強かに打った。

「あ! ごめん、クレス! でもそれどころじゃなくて! すぐ外の様子を見て!」

 慌てながらもレリィはいまだ寝こけているメグとメルヴィを叩き起こしている。俺は風来やゴルディアと共に外へと飛び出してみて絶句した。

「空が、暗い!?」

 この数日、雲もほとんどない快晴がずっと続いて日が落ちることもなかっただけに、暗雲立ち込める天候に胸騒ぎを覚える。しかも、先ほど感じた微振動はまだ継続して地面を伝わってきている。


「クレストフの坊や! 向こうの方角から何かが向かって来ているのだわ! 防衛術式を構築した方がいいのよ!」

 ミラが指さす方角はまさに、俺とムンディ教授が事前に次の目的地と見据えていた洞窟のある方向だった。すぐさま『鷹の千里眼』の術式で洞窟の方角を見た。

 だが、どういうわけか洞窟が見えなくなっている。と言うよりも、洞窟を隠すように何か白い煙のようなものが視界を途中で遮っているのだ。

「あれは――まさか、雪崩だと!?」

 それはさながら地を滑る吹雪のような、しかし迫りくる雪の密度からすると雪崩に近いものが、洞窟の方から一直線に俺達がいる場所へ向けて流れてくる。雪山もないところで何故かと疑問はあるが考えている暇はない。かなりの広範囲に広がっているその雪崩は障害物の少ない不毛の大地を飲み尽くすように迫ってきていた。


(――壁となれ――)

『硬質群晶!!』

 黄玉トパーズの魔蔵結晶を足元へ叩きつけ、水晶よりも硬度の高い黄褐色の結晶防壁が瞬時に構築される。これで雪崩の衝撃には耐えるだろうが、生き埋めの恐れはあるのでまだ安心はできない。

 白い雪煙が硬質群晶の壁へと到達し、辺りの視界を真っ白に染め上げる。

 ――どぉん!! と衝撃が結晶壁を伝わってきた。凄まじい質量の波に、大地へ生やした群晶がビキビキと音を立てて罅割れ、徐々に押し込まれていく。

「これだけではもたないか!? もう一度、壁を創る!!」

「自分が間を持たせよう」

 騎士ゴルディアが前へ出る。

「雪崩相手にどうするの!?」

 自然災害相手にできることなど限られているが、自信を持って前に出たゴルディアにならってレリィも前に出た。俺の術式が完成するより早く、硬質群晶の壁が決壊して白い雪煙がなだれ込んでくる。ゴルディアは金色の闘気を全開にして、これを真っ向から断ち割った。


 金色の闘気が巨大な波となって地を走り、怒涛の勢いで迫る雪崩を中央から割り開く。ずっと先にある洞窟がはっきりと見えるくらいにゴルディアが切り開いた空間だけが綺麗に雪煙を晴らしていた。


(――世界座標『風吠かざぼえの洞穴』より、我が召喚に応じよ――)

嵐神ルドラの息吹!』

 風来の才媛が追撃の術式を放ち、高密度の旋風によって左右からいまだ迫ってきていた雪崩も完全に吹き飛ばす。


「すごぃ……」

「俺が壁を創るまでもなかったか」

 さすが一流騎士と一流術士の二人だ。この程度の危機など苦も無く退ける。俺と同じく特に何もすることがなかったレリィはぽかんとした表情で口を半開きにしている。

 俺が感心していると、不意にくるりと風来が振り返って、にかりと満面の笑みを浮かべてみせた。

「どうだいクレストフ。私の騎士は、大したものだろう? それに私だって昔より術式の改良をしているからね。発動時間はより早く、規模は大きく、だ。ま、そんなわけだから、もう少し私達を頼ってくれていいんだよ?」

「ああ、本当に。まったく頼りがいのある連中だよ……」

 危機は完全に切り抜けられた。ただ、今のがいったい何だったのか、その結論はまだ出ていない。雪崩が来た方向、岩山の洞窟へと視線を向けると隣に立った風来の才媛も洞窟を指さしながら話を向けてくる。


「今の雪崩が何か、それを考えているね? 私はなんとなくわかったよ。これがどういうものか」

「心当たりがあるのか?」

「あるとも。私も君も覚えがあるはずだ。これと似た天災について」

「似たような天災? もったいつけるな。どういうことだ?」

「君は近頃、短気になったかい? 思い出してごらんよ。こんな大きい規模で、私と君で経験した似たような天災といえば一つしかないだろう?」

「一つどころか、わりと数多くあったような気がするが? お前に付き合わされてどれだけの秘境を巡ったと思っているんだ」

「おや……そうだったかな?」

 あさっての方向に視線を逸らし、頬を指でかく仕草でごまかす風来の才媛。


「だが、そうだな。とびっきり最悪の記憶を持ち出すなら、確かに似たような経験がある。――風吠かざぼえの洞穴。嵐神ルドラの住まう聖域に吹き抜ける風。……あれは、風と呼ぶのも疑問なほどに暴力的な力の奔流だったが」

「なんだ、やっぱりわかっているじゃないか。あれだよ、まさに。狭い洞穴に吹く、重武装の騎士さえ吹き飛ばすほどの暴風。私はあれと似たようなものじゃないかと思っているよ、今回の雪崩はね」

「だとすると雪崩が来たのはあの岩山にある洞窟からだと? その中を進んでいかなくちゃならないってことかよ……」

 あんな馬鹿げた自然災害の真っただ中を突っ切っていくなど正気の沙汰ではない。

「思うんだがね。今がその時ではないかな? 一度、あれだけの雪崩を吐き出したんだ。しばらく次はないと思う」

 言いながら風来の才媛は長い脚を屈伸してほぐしながら、岩山の洞窟を見据えていた。既に乗り込む気満々である。

「ここで様子見していても仕方ないか。全員、少しずつは休憩も取れただろうからな。行くか」

 そうと決めてしまえば動くのは早い。簡易拠点に出してあった荷物をすぐにまとめて、岩山の洞窟へ向けて出発する。



 洞窟までの道のりは何事もなく、俺達は岩山に開いた洞窟の前へと到着していた。

 近づいてみると洞窟の口は予想以上に大きい。これならば洞窟の中からあの雪崩が吐き出されたと言われても納得できるほどだ。

 洞窟は奥が真っ暗で先が見えないが、基本的に長い一本道になっているようだった。洞窟の壁や地面は雪にまみれて凍り付いている。これはある種の氷洞と言い表してもいいかもしれない。

 氷洞の入口からは、人が吹き飛ばされそうなほどの強い風と猛吹雪が噴き出ていた。氷洞の天井からは粉雪まみれの氷柱つららが垂れ下がり、地面の凹凸に雪が溜まって成長した霧氷が芸術的な氷の世界を作り出している。

 もっとも、吹き荒れる雪の中で、いつ来るともしれない雪崩を警戒する心持ちでは、とてもではないが美しい氷の世界を楽しむ余裕などなかった。


「底なしの洞窟の第五階層を思い出すな……」

「また追い立てられるように駆け抜けるのはやーよぉー?」

「蜘蛛の大型魔獣……アシナガのいた階層のことかい? 確かにあれは大変だったねぇ」

 俺達の中でも足の遅いメルヴィとムンディ教授は、通路で立ち止まることができない第五階層のことを思い返して苦い顔をしている。

「似たようなものだな。いつ来るかわからない雪崩を警戒しながら進むことになる」

「雪崩が来るなら早い段階で振動も感じるはずだわ。そのとき確実に身を守れる防衛術式だけ用意しておけば恐れることはないのよ。クレストフの坊やもさっきのでどれくらいの防壁ならしのげるかわかったでしょう?」

「群晶の防御壁を最低でも二重。風来があと風の防護でも張ればなんとかなるだろう」


 雪崩の恐ろしさはその勢いと質量によって発生する抗いようのない力だ。これに対抗するにはこちらも充分な質量でもってあたるしかない。大質量の防御壁を一瞬で生成したり召喚したりするような術式は俺の得意とするところだが、普通の術士は魔導因子の消費効率が悪いのでそういった術式を使うことが少ない。

 大質量の召喚となると俺達の中でもメルヴィが多少は使えるかどうかといったところが、それも防衛用でなく攻勢術式の類になるのであまり期待できない。一方で、風来が使う風の防衛術式は質量を伴った攻撃を止めることには不向きであるが、群晶の防御壁に積み上がる雪を随時排除することができるので、だいぶ防御壁にかかる負荷を減らすことができるはずだ。

 そしていよいよ防衛術式で持ちこたえられなくなったら、ゴルディアが最後の砦となる。広範囲を吹き飛ばすほどの闘気は、危機を切り抜ける切り札となるだろう。他力本願だがここは大いに頼らせてもらう。


 当のゴルディアは先程、多大な闘気を消費したにも関わらず、これといって疲れた様子をみせることもなく一行の最前を歩いていた。ゴルディアの隣にはレリィが並んで歩いており、なにやら騎士同士で闘気に関する話を小声で交わしていた。いや、特に小声のつもりはないのかもしれない。ただ、洞窟に入ってからというもの、ごぉごぉと強い風が吹いていて周りの音が聞き取りにくいだけだ。

「気になるかい?」

 いつの間にやら俺の隣にいた風来の才媛が耳元で囁いてくる。微妙に腰を落としてニヤニヤと見下ろすような表情をしているのが絶妙に腹立たしい。無駄に背の高い女だ。本人にその気がなくてもどことなく舐められているように感じてしまう。

(……この気に障る態度は昔から変わらないな……)

 いい加減に彼女とも長い付き合いだ。本人に悪気がないのはよくわかっている。だが――。


「気になるだろう? 私もそうだ。なので、ちょっと風を操作して二人の会話を聞いてみよう」

「また悪趣味な……。だが、騎士同士で有益な情報交換をしているなら内容は知りたいな。俺にも聞かせろ」

「君ならそういうと思ったよ」

 こういう時の悪戯心と悪だくみについてはお互いの乗りがよくわかっている。

 ふふん、と鼻にかけたような笑みを浮かべて風来が風の流れを操作して二人の会話に聞き耳を立てる。俺の耳にも直接、二人の会話が流れ込んできた。

「……盗み聞きはあまり感心しないのですよ。でも、メグもちょっと気になるのです。一緒に聞きたいのです」

 野生の勘でもあるのか、目ざとく会話の盗み聞きに気が付いたメグが背伸びして俺の肩に耳を寄せ、風来の術式に割って入ってくる。あまり騒ぐと前の二人にも気付かれるのでメグのことは放っておいて、流れてくる会話に集中した。

「ああっ! メグちゃんてばクレスお兄さんにくっつき過ぎ! メルヴィもくっつくわ! 風除けになってねぇ。ちょっとこの洞窟寒くって!」

 全く状況を理解しないまま今度はメルヴィが背中に引っ付いてきた。寒いというのも相変わらず肩やら腿が出た薄着の格好をしているからだ。そのくせ引っ付いてくるメルヴィの体温はぽかぽかと温かい。メルヴィのことだから体を温める術式でも常用しているのだろう。つまり、寒いというのは嘘でとにかく過剰な抱擁を求めてのことである。


「モテモテだねぇ、クレストフ」

「ええぃっ! うっとうしい! 話が聞こえないだろうが……」

 揶揄する風来は無視して、メグとメルヴィという重しを引きずりながら、どうにかレリィとゴルディアの会話に耳を傾ける。


「……先ほどの、というと。雪崩を切り裂いたときのことか?」

「そう。あれ、どうやってるの? 闘気を飛ばすやつ」

 レリィはどうやらゴルディアに闘気の扱い方を聞いていたようだ。レリィも一流騎士といっていいほどの闘気の量を持つが、ゴルディアの闘気の扱いは質と量ともに一枚上手である。

「難しい理屈ではない。通常、騎士の闘気は体やその延長にある武器を包んで強化するものだが、それ以上に多量の闘気を発すれば自然と体から離れて放散していく。それを一方向に収束させただけなのだ」

「え? すごい力技だね」

「まさにその通りなのだ。技というのもおこがましい。ただ馬鹿げた闘気の量を消費するというだけのこと。レリィ殿ほど闘気の量があれば、さして苦労することもなく習得できよう。ただ、効率の悪い闘気の使い方ゆえ、あまり多用すべきものでもない」

「あー……そっかぁ。ここぞという時に闘気が切れたら致命的だもんね……。うーん、でも広い範囲や遠くまで攻撃が届いたら便利なんだけど」

「まずは闘気を己の体から放つ練習をしてみればよいだろう。細かな制御はその後の訓練次第になろう」


 二人の会話はそこで終わった。

 レリィにとって更なる高みへ上るきっかけになればいいが。

 魔窟を攻略中の道半ばでは満足な訓練もできないだろう、と思いかけてすぐに頭の中で訂正する。

(……むしろ今こそいい機会なんじゃないか?)

 レリィが全力で闘気を放出するのに好都合な幾つかの条件が、俺の考えでは現在の状況にぴたりとはまる。

「おい、レリィ。ちょうどいいから、もし次に雪崩が来たら全力で闘気、放ってみろ」

「はっ!? な、なんで? えっ、聞いてたの?」

「細かいことは気にするな。それより、お前には少しでも経験を積んでもらいたいからな」

「でも、闘気を使い果たしちゃった後に魔獣と遭遇でもしたら対応できないでしょ?」

「忘れているのか? ここは魔窟だぞ。お前の『魔導因子収奪能力』がここでは最大限に発揮できる。闘気が枯渇してもすぐに回復できるはずだ」

「な、なるほど! そう考えると確かにいい機会なのかも……。だけど、ぶっつけ本番でやれるとは思えないよ。今まであたし、闘気を遠くに飛ばすようなことしたことないから」

「それなんだが少し思い当たることがある。自信がないなら一度試してみろ。今、ここで」

「うぇ~? 今から~?」

 俺は全員の足を止めると、レリィを急かして闘気の全力解放を促した。


「何が始まるんですかぁ?」

「一流騎士による闘気の曲芸だな」

「ちょっと、クレス! 見世物みたいにしないで!」

 全員から注目されているのが恥ずかしいのか、レリィは顔を赤くしながらも徐々に闘気を練り上げていく。一つ、二つと闘気を封じる髪留めを外していくと、八つ結いにしていた長い髪が深緑色から輝く翡翠色へと変じて光を放つ。

 後ろ髪半分ほどが翠色の光を帯びて闘気と共に立ち昇る。だが、これだけでは何の威力も持たない闘気が垂れ流されているだけだ。

「ゴルディア。これは闘気を放っていると言えなくもないか? どうだ?」

「体外に放散されている、という点では既にできているな。後は一方向に、一瞬で、大量に闘気を放出できればいいのだ」

「だそうだ。できるか、レリィ?」

「そんなこと言われてもここからどうしたらいいのかわからないよ! これ以上は無理ぃっ!!」

 やはりこのままでは無理か。だが、この展開は予想していた。その解決方法も――。


「クレストフ! 訓練の最中悪いが、遠くから振動が伝わってきている! もしかすると、来るぞこれは!」

 風来の才媛が大きな声で危険を知らせる。彼女の察知能力を疑う理由はない。雪崩は来るのだろう。

 俺は照明用に使っていた日長石の魔蔵結晶を最大光量にして、遥か前方へと投げ飛ばした。これで視覚的にも雪崩が迫る状況を把握することができる。

「よし、レリィ! そのまま前方に向かって闘気を放つ構えでいろ。心配するな。お前が失敗しても俺が雪崩は防ぐ。そしてゴルディアと一緒に闘気を解き放て!」

「だから無茶だってばっ!!」

「じゃあ、これならどうだ!」

 俺はレリィの背後から彼女の髪を八つに結っている髪留めを全て取り外した。元より闘気を無理やり押し出すように放出していたレリィの体から、さらに大きな闘気の奔流が立ち昇る。

「あ、あっ、あぁ!? なにこれ、闘気が抑えられない!?」

 ここ最近、レリィは闘気の扱いがうまくなって、闘気の流出を封じる髪留めがなくても制御が可能になっていた。それゆえに体へ無駄なく闘気を留めることはできても、逆に無駄な闘気の放出ができなくなっていたのだ。だが、こうして髪留めを全て取り外して、意識的にやれば以前と同じように爆発的な闘気の放出が可能になる。真鉄杖や超高純度鉄の鎧といったレリィの闘気を増幅して制御しやすくする装備も整っている今、闘気を放つための条件は揃ったといえる。

「以前はそんな状態で戦っていただろうが。それでいいんだ! あとは前方に闘気を放つことだけ意識しろ!」

「ぜ、前方!? 前方って――雪崩来てる!!」

 地を揺らしながら白い雪煙が迫ってきていた。


「レリィ殿!! 武器に闘気を集中するのだ! 武器の先端へ向けて闘気を最大まで込めれば、あとは余った分が勝手に出ていく! ゆくぞぉっ!!」

「うわぁああああっ!!」

 真鉄杖に翠色の闘気を集中させて、やけくそで雪崩に向かって大きく振るった。その瞬間にレリィの闘気が爆発して、真鉄杖の先端から翠色の閃光がほとばしる。一条の光となって真っ直ぐに飛んだ闘気は、雪崩の中心を深く貫いてそのまま突き抜けていった。見事なまでの闘気の放出。だが、雪崩は中心部分に穴を穿たれながらも大部分が変わらぬ速度で迫ってきていた。

「範囲が狭すぎた!?」

「ゴルディア頼む!」

「なんのっ! 任されたぁ!!」

 レリィが悔恨の一言を発し、即座に風来の才媛がゴルディアに指示を出す。元より闘気を放とうとしていたゴルディアは、準備万端に金色の闘気をまとった大剣を頭上から振り下ろし、地に叩きつけるようにして闘気を前方広範囲に向けて解き放った。

 中心に深い穴を穿たれた雪崩は幾分か勢いを削がれてはいたのか、金色の光に呑み込まれてあっさりと吹き散らされていく。


「おっ……と? 俺の防衛術式は必要なかったか」

「すごいのです!? とても人間業じゃねぇーのですよ!」

「ほーんと、騎士ってデタラメねぇ~」

 レリィとゴルディアによって吹雪は散らされてしまい、防衛術式の準備をしていた俺は肩透かしをくらってしまった。だが、この結果は大きな成果が得られたといえる。


「まあよし! よくやったなレリィ!」

「あたしの闘気じゃ、雪崩は全然止められてなかったよ……」

「いや、レリィ殿。そうでもない。貴女の一撃が雪崩の中央深くを穿っていたので、追撃が通りやすくなっていたのだ。おかげで我ら二人だけであの雪崩を吹き散らすことができた」

「ん……。そ、そう?」

 お世辞でもなんでもない、ゴルディアの率直な評価にレリィは無言で鼻を掻き、顔を赤くして黙り込んでしまった。

「素直に喜べ。この局面で闘気による遠距離攻撃が身に付いたのは儲けものだ。正直、本当に一発でものにするとは思っていなかったからな」

「あーっ!! クレス、信じてなかったの!? あれだけ人をけしかけておいて!?」

「なんというかその、土壇場の馬鹿力が発揮されればあるいは……というくらいには期待していたぞ」

 「うぅ~」と唸りながら、ゴンゴンと俺の肩を叩いてくるレリィから俺は本気で逃げ回る。いつの間にかレリィの髪は深緑から真紅に色が変わっており、『魔導因子収奪能力』が発現していた。ものすごい勢いで魔窟の壁や地面から魔導因子の補充がなされていっているようだが、今のレリィに近寄られると俺の手持ちの魔蔵結晶まで魔導因子を吸い取られてしまうので俺はひたすら逃げるほかなかった。


「ふぅ……。しかし私の予想もあてにならないな。こんなに早く次の雪崩が来るなんて」

 一人、風来の才媛だけは浮かない顔で反省の言葉を呟く。

「予想も直感も裏切ってくるのが魔窟の恐ろしさなのよ。そういうものだから、切り抜けてしまえば誰も気にはしないのだわ」

「はははっ……。確かに! 久々の魔窟探検で、私も当然の心構えを忘れていたかな!」

 ミラの慰めに風来の才媛はすぐさまいつもの調子を取り戻す。レリィに追われながらも俺は傍目でそんな様子を眺めつつ、今回の旅路の同行者達に感謝した。これだけの危難に遭遇しながら、笑って切り抜けられる状況が俺にとってどれだけの救いとなっているか。


 一行はレリィの回復が済んで髪が深緑色に戻るまで休憩をとったあと、再び氷洞を奥へと進み始めた。


 洞窟を抜けるとそこは視界いっぱいに広がる雪山だった。右から左、端から端まで真白い山脈が続いている。山頂は吹雪でよく見えないが、首を後ろに反らさねばならないほどに高い。


標石マイルストーンの方角は……」

 指針ははっきりと雪山を真っ直ぐ指し示している。

 どうあっても俺達は山越えを強いられるようであった。

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