第343話 焦熱平野

 高熱の蒸気が地面を漂い、爆発的に噴き出した熱水が水柱となって天高く昇る。

「うひゃぁ~! 何あれ? 地面が爆発したよ!! ねえクレス! あれどういう原理なの!?」

「……無駄に口を開くな。蒸気を吸ったら肺をやられるぞ」

 地面が沸騰するほどの地熱を蓄えた火山地帯。蒸気と毒ガスが蔓延する危険地帯に入ってから、俺達はガスマスクを装着して先を進んでいた。

 高熱を闘気で遮ることのできる騎士でも、常時毒ガスにさらされていては支障がある。そんなわけで俺の他にゴルディアとレリィもガスマスクを付けているが、並走するミラは魔導人形の体のおかげか全くの無防備でも平気でいた。

 時折、足元で小規模の水蒸気爆発が起こるが、騎士二人は闘気で身を守り、俺は氷晶石の魔蔵結晶による冷気の加護と鉄砂の鎧が熱と爆風を防いでくれる。ミラは頑丈な移動用魔導人形を一体召喚して、その上に騎乗しているため水蒸気爆発の衝撃にもさしたる影響を受けていない。


 地上から空を見上げれば、風来の才媛が風の防護でムンディとメルヴィ、メグの三人を包み込み、上空を飛んで運ぶ様子が辛うじて濃霧の切れ間から見える。

 彼らに関しては色々と防護服を着せるよりも風来の才媛が運んだほうが早いというので任せていた。

(……それにしたって、人間四人を空中に浮かせながら長時間の移動を続けるなんて芸当、専門の飛行術士でも難しいはずなんだがな……)

 ここはさすがに『風来の才媛』も一級術士といったところか。予想もしない方法で過酷な魔窟の環境を平然と攻略してみせる。まだ十年以上も昔、俺と風来が組んで冒険していたときはここまでの重量を安定して支える制御はできなかったはずだ。自身単独でなら鳥のように自在に飛び回っていたが、風の力で重量物を常に浮かせるというのは想像以上に大変なことなのだ。

(……風の力以外にも、補助となる性質の魔力を合わせて使っているのか? あいつも常に進歩をやめない女だな……)

 上空を見上げて感心しながら歩いていると、不意に背中をミラからつつかれた。


「珍しいからってあんまり気を散らすんじゃないのよ。この濃霧だと上空からでは『風来』も地上組全員の位置は把握しきれないのだわ。当然、私達も濃霧の真っただ中にいるのだから、下手をすれば迷子になりかねないかしら」

「悪い、少し気が抜けていたか。しかし、そうだな……。凄まじい熱気のくせに薄ら寒い感じのするこの霧。幻想種が潜んでいるかもしれない。やつらにさらわれるような隙は見せられないな」

 今の俺ならば地の精ノームと契約しているので、幻想種からの脅威もある程度は彼らが退けてくれるはずだが、あまりに強力な幻想種だったりすると精霊任せにもできない。


 気を取り直して前を向き直すと今度はレリィとゴルディアが揃って足を止めていた。

「──幻想種、かどうかはわからないけど。上ばかりを見ていられないのは確かみたいだよ」

「複数、妙な熱気と存在感の塊が近づいてきている」

 二人とも濃霧の向こうからやってくる何かに感づいたようだ。ちらりと上を見れば風来の才媛が俺達の頭上でやや前方を指さしている。あちらでも近づいてくる何かを確認したようだった。


 がしゃり。と、重苦しい金属音が響いてくる。

 ぼうぼぉう。と、唸るような風音かざおとが鳴っている。


 浮遊する霧が高熱で蒸発し、あたかも霧の中から突然湧いて出たかのように現れたのは、半ば燃え溶けた溶岩の入り混じる鎧姿の怪物。鎧の関節部分から青紫の炎と白いガスを吹き出していた。それが一つ二つと数を増やしていく。


「また溶岩人形ラーバゴーレムか?」

「いいえ、違うのだわ。あれは、あの鎧は――」

「あたし、あれと同じ鎧を見たことある。確か、運河の都市カナリスで」

「違いない。あれは魔導都市ハミルで製造された魔導鎧……」

 ハミル魔導兵団、その成れの果てであろう。

 魔導剣や魔導鎧など魔導回路を刻んだ兵装に身を固めて闘う術士集団で、かつてその中身はハミル魔導学院の可愛らしい女学生達だった。

 だが、これもまた亡者の類に違いなかった。溶岩を被って、青紫の炎を吹き出す魔導鎧など中身が無事であるはずがないからだ。


『──帰りたい……』

『ああぁ……帰りた……い』

『ここは苦しいの……息ができないのよ……』


 紫色の炎が地を舐めるように拡がり、大地に走った亀裂に沿って青紫の光を放つ溶岩が川のように流れていく。

 地獄のような光景を背にして、無残な姿をさらす亡者の行進。

 少なからず知った者達の哀れな姿に、ミラが整った人形の顔を最大限に歪ませていた。

「見てられないわね。早々になんとかしてあげなさい」

「言われずともやるさ。メグ、お前も手伝え」

「やれやれなのです。いったいどれだけ呪われた亡者を生み出したんですぅ? 汚れに汚れたクレストフお兄様の罪を雪ぐためにも、仕方なく浄化してやるのですよ」

 ゆっくりと近づいてくる魔導鎧の亡者達を浄化するべく、俺とメグの二人は浄化の術式を唱え始めた。


 苦礬柘榴石パイロープの魔蔵結晶を握りしめ、亡者の呪詛を解きほぐす浄化の術式を入念に制御する。

(――異界座標、『煉獄』に指定完了――)

『異界より来る理を、異界へと戻せ……』

 俺の術式に合わせるようにメグもまた祈祷儀式の聖言せいごんを唱和する。

『……異界座標、煉獄より我はびこむ。あらゆる亡者を灰と化すもの。主の慈悲深き光の下で、魔に憑かれし、さまよえる魂に安息を……!!』


 術式の発動は同時。

因子還元いんしかんげん祓霊浄火ふつれいじょうか!!』

『煉獄浄火!!』

 一瞬で異界の炎が周囲を埋め尽くし、紫色の炎を押し退けて真っ赤な浄化の炎を立ち昇らせた。

 ハミル魔導兵団の亡者達が炎に呑まれていく。痛ましい姿だ。死してなお焼かれ続ける苦しみはどれほどのものだろうか。

「せめてこの浄化の炎を最期に、灰となって燃え尽きるがいい」


 浄化の炎が鎮火し、青紫色の炎だけが小さく燻っていた。

 いまだに形を保ったままの魔導鎧が、力なくがしゃりと膝を着く。

『帰り……たい──っ!!』

 突如、青紫色の炎を一気に噴き出した魔導鎧が地を蹴って走り、俺の体へと飛びついてくる。

「クレス!! 下がって!!」

 咄嗟に割って入ったレリィが真鉄杖で、飛び掛かってきた魔導鎧を弾き返した。

 魔導鎧の亡者が最期に見せた足掻きかと思ったが、魔導鎧はまだ青紫色の炎を噴き出したまま立っている。


「なななっ!? どういうことですぅ!? 浄化の炎が効いていないのですかぁ!?」

 浄化の炎に包まれて動きを止めていた魔導鎧が、メグの言う通り全て立ち上がり再び青紫色の炎と慟哭の呻きを漏らし始めていた。

「単に炎への耐性がある……ってだけじゃ説明がつかんが。理屈を考えている暇はないな。メルヴィ!! ここは力押しだ!! デカいのを頼む!!」

 上空にいるメルヴィへと向けて大声を張り上げる。どうにか声が届いたのか、メルヴィが杖を振り回して応えてくれた。俺達はすぐにメルヴィの術式の邪魔にならないよう一塊になって魔導鎧の亡者達から距離を取る。


「いっくわよぉ~!!」

 上空からメルヴィの元気な声が聞こえてくる。

(――世界座標、『凍れる大陸』より召喚――)

 メルヴィが脳裏に描くのは、常に氷に閉ざされた世界の最果てにある極寒の大地。

万年凍土まんねんとうどに埋もれて眠れ! 氷葬霊柩ひょうそうれいきゅう!!』

 大量の光の粒が舞い踊り、最果ての地より凍れる大地そのものが召喚されてくる。中空から出現した凍土が魔導鎧の亡者を押しつぶし、大量の氷で灼熱の大地を埋め尽くした。


「効くには効いたみたいだけどぉ……! ここの環境じゃ、数時間もあれば氷が溶けて動き出しちゃうわぁ~!!」

 メルヴィの言う通り、この場を切り抜けるには十分な時間だが、彼らをこのまま放置していくのも忍びない。

 せめて永遠に静かな眠りへとつけるように、俺の方でも封印術式を重ね掛けしておく。


(――永久とわの休息を与えよ――)

『晶結封呪!!』

 緑藍晶石ヌーマイトの魔導回路に威力増幅用の魔蔵結晶を幾つか加えて、儀式呪法級の広範囲封印術式を発動する。凍土に包まれて身動きの取れなくなった魔導鎧の亡者達を、水晶の封印結晶がゆっくりと覆っていく。

 外側だけを覆うにとどまらず、凍土を押し退けるようにして結晶の範囲を徐々に中まで浸透させていった。凍土によって火勢を抑えられた魔導鎧の亡者達をそのまま完全に水晶で包み込むためだ。『晶結封呪』の術式は、対象を封印時の状態で固定する。氷のように涼し気でありながら、しかし溶けることのない水晶によって、せめて身を焼く炎を鎮めた状態で封印してやりたかった。

「いつか魔窟の呪縛から解き放たれるそのときまで、静かに眠れ」


 不毛の焦熱平野に巨大な水晶群の領域が展開された。その中ではもはや魔導鎧の亡者も彷徨うことなく、身を焦がす炎を鎮め、大地を流れる溶岩とも無縁の結晶中で確かな安寧を得るのだった。

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