第341話 我が道を示せマイルストーン

「植生のせいで、だいぶ地形が複雑化しているな。以前の道を正確に辿っていかないと迷うぞ、これは」

 送還の門の先に広がっていた秘境へと至る道は、昔とは打って変わった様相となっていた。濃厚な魔導因子の影響を受けて成長した植物群。立ち込める霧とそこに潜む幻想種達。

「魔窟の領域に浸食されたことで、異界現出が進んでいるんだろうね。既に半分、異界に足を突っ込んでいると思った方がいいよ」

 ムンディ教授の指摘に俺も肯く。ここからは下手に道を外れると永遠に彷徨さまよいかねない危険がある。

「着実に進もう。前に通った道には、世界座標の標識を連番で設置しておいた。それを一つずつ辿っていく」


 俺は外套の裏ポケットから、見た目は方位磁針をかたどった魔導具、標石マイルストーンを取り出す。指針には細い磁鉄鉱の魔蔵結晶が用いられており、三次元の可動域を持たせることで目標とする世界座標への最短距離を常に指し示すことができる。緻密な魔導回路の刻まれたこの針こそが俺達を宝石の丘に向けて導いてくれるだろう。

(――連番座標、宝石の丘ジュエルズヒルズの道標に指定完了――)

『我が道を示せ、標石マイルストーン!!』

 磁鉄鉱の魔蔵結晶がくるくると指針を回転させると、やがてぴたりと一方向を指し示す。


「こっちの方向だ。行こう」

「十年前の仕込みかい? 用意周到だね。これなら私がいなくても平気だったかもしれないな」

「今やこれが宝石の丘へと至る唯一の指針だ。標識を見失ったら終わり。そんな心もとない命綱だけで平気なわけないだろ。風来、お前にも働いてもらうことになるからな」

「当然わかっているとも。私がここにいる理由はね。心配しなくても、私の方でも常に座標確認を行っているし、周辺の広域探査も始めている。何しろこんな興味深い、新しい土地の情報だ。探索せずにはいられないよ」

 優先事項が自分の好奇心なのが『風来の才媛』らしいところだ。けれど、それでいい。好奇心が続くうちは探索にも身が入る。『風来』の能力を最大限に発揮するなら、その何もかもを探ろうとする好奇心こそを絶やしてはいけない。この女とは昔からそうやって一緒に冒険してきたものだ。


 おおまかな道は過去に打ち込んだ番号座標を追うことで迷うことなく辿ることができる。さらに、それとは別にノームが率先して道案内をしてくれていた。彼らが宝石の丘を目指して先導しているのかは怪しいので全面的に信用することはできないが、精霊契約を交わした俺が望めば少なくとも異界で迷った際に脱出の手助けはしてくれるはずだ。これは想定していなかった嬉しい誤算である。保険が一つ増えるというのは、長期間の探索において精神的な支えになる。

(……少し気になるのは、今回はどういうつもりの案内なのかってところか……)

 地の精ノームはただ自然の摂理に従って、その地の循環と均衡を保ち続けるだけの存在であったはず。いくら契約者の願いがあるとはいえ、彼らが自主的にここまで動くのは珍しい。たぶん、何か理由があるのだろう。ノームだけではどうにもできない、自然の摂理を乱す何かがこの先に。




 進むにつれて鬱蒼とした草木と濃い霧が行く手を阻むようになると、早くも標石マイルストーンによる指針が怪しくなってきた。針が振れるようになってきたのだ。特に連番となる世界座標の標識と標識の距離が離れているときほど方向の誤差が大きい。

「……反応が弱いな。下手をすると座標を見失うかもしれない。こんなことならもっと小刻みに、ケチらず標識を打ち込んでおくんだった」

「当時のあんたに言ってやりなさいな。たぶん、勿体ないの一言で却下だわね」

 ミラの皮肉も否定はできなかった。確かに昔の俺なら今ほどの余裕はなかった。当時は最適と考えた間隔で標識も打ち込んできたのだし、それを今更後悔しても仕方あるまい。そもそも今のように順路が異界に呑まれることは想定していなかった。

「ここからは俺の標石マイルストーンだけでは不安だな。もう少し精度よく番号座標を追っていけるか?」

「そういうことなら探査範囲を狭めて座標の特定に力を入れようか? まだこの辺りではビーチェの探索よりも道を辿る方が優先だろうからね」

「あー待って待って。標識の番号座標を教えてもらえるかい? 僕が方角を確認しよう。その方が高い精度を出せるから。風来さんはそのまま広域探査を続行してほしいな。もう半分は異界に呑まれている空間だから、何が起こるかわからない。はぐれる人が出ないように気を配らないと」

「わかった。なら私は広域の探査術式を継続するよ」

 風来の才媛とムンディ教授に補佐を頼めば、二人はすぐに最善の行動を選んで動いてくれる。頼りになる専門家達だ。


(――異界座標、『逆転の渦』に接続開始――)

『時空羅針盤!!』

 ムンディ教授が不完全召喚で呼び出したのは、羅針盤とは名ばかりの不定形な魔導因子の流れ、それを球状の空間に閉じ込めただけの不可思議な魔導具だった。送還の門のような虹色の揺らめきが細い帯のようになって浮かび、ゆらゆらと球状空間の中に漂っている。

「これは異界法則に馴染ませた標石マイルストーンのようなものだよ。世界座標を指定してやれば、指向性をもった魔導因子がその方角を流れでもって示してくれる」

 ムンディ教授が次の番号座標を『時空羅針盤』に思念で入力を行うと、球状空間に漂う虹色の帯がふらふらと揺らめきながらも一定方向への流れを作り出す。それは標石マイルストーンが針をぶらしながら示す方角と同じ方向へと、一筋の流れを作り出しながら球状空間を循環している。


「なるほど、これはぶれがないな。俺の標石マイルストーンと合わせて見ていけば信頼性も高い」

「それがいいね。どちらか一方だけを信用しすぎるのもよくない。それに番号座標が近い位置に来れば、標石マイルストーンの方が応答性はいいはずだよ」

 ムンディ教授が言うように、『時空羅針盤』は安定した方向を示すものの方角の修正には時間のずれが多少あるようだった。時間をかければ遠距離での精度は『時空羅針盤』の方が高いが、目標の座標が近づけば標石マイルストーンも精度を取り戻し、方向修正の点ではこちらの方が応答性は早いのである。

「特にビーチェが持っているであろう番号座標に近づいた場合は……標石マイルストーンの方が追いやすいということか」

「座標が動く場合は、応答性は早い方が当然いいね」

 三人がかりで順路を確認しながらの旅路。

 確実に、間違いなくビーチェへと近づいている。その確信があった。

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