第340話 皇位黄玉の契約

 拠点の奥にある広い通路。やや急勾配の下り坂を進んでいくと、前方にぼんやりと虹色に輝く半透明の大きな球体が浮いていた。

「送還の門……まだあったか……」

 ここにあるだろうと予想はしていたが、実物を目にしてひとまずほっと胸を撫で下ろす。あるいは魔窟化の影響で送還の門が消滅しているのではないかと不安があったのだが、どうやら杞憂だったようだ。しかし、これがなければ宝石の丘ジュエルズヒルズへの道は閉ざされたも同然だった。このルートばかりは地続きでないため、寸断されてしまえばそこで終わりだったからだ。


 『送還の門』の手前には大勢の地の精ノームが犇めき合っていた。

 押し退けて通ろうとする俺の体によじ登ってくる毛玉の群れ。悪意はないようで、まるで連れていけと言っている様子だった。

「クレス、好かれてるねぇ?」

 毛玉にまとわりつかれた俺を見て、くすくすと微笑むレリィ。ノーム達とは底なしの洞窟を掘削し始めた当初からの長い付き合いだ。互いの利益もあって協力関係にあったが、純粋に好かれているとみてもいいのだろうか。そうだと判断するならば、この魔窟に潜ってからずっと考えていたことを実行するときが来たのかもしれない。

「ここまで来たら、いっそ契約してしまった方が良さそうだな。まさか、拒絶はしないだろう?」

 俺の問いかけに相変わらず要領を得ない仕草でもそもそと応じるノーム達。拒絶の意思はないとみて、俺はある契約術式の準備を行う。

 地の精ノームと親和性が高いとされる黄玉トパーズ、それも最上級の皇位黄玉インペリアルトパーズを『契約の石』として精霊契約を交わすのだ。

 黄褐色に輝く皇位黄玉インペリアルトパーズを差し出すと数匹のノームが宝石の中へと吸い込まれていき、宝石に刻まれた魔導回路が濃い褐色に光り瞬いて精霊契約の完了を示した。


「おや、これまた随分あっさりと契約をしたものだ。これでクレストフは精霊術士としての肩書も持つようになったわけだね、おめでとう」

「う~ん……幻想種との契約は、聖霊教会的には推奨できないのですけどぉ~。ま、人畜無害な地の精ノームなら問題ないですかねぇー」

 風来の才媛が率直に祝福する一方で、メグは聖霊教会の立場として渋い顔をしていた。

 まあ、どこぞの食い意地が張った屑石精霊との契約に比べれば、随分と穏当な契約相手だと思う。かつてはその精霊と契約していたことで、悪魔祓い達と殺し合いにまで発展したのだから。


 契約が済んだ後のノーム達は俺にしがみついて邪魔するようなことはなくなり、打って変わって送還の門へ誘うように背を押してくる。

「この手の平返しはどういう意味なんだか……。またいいように利用されている気もするが」

「手伝ってくれるんでしょ? いいじゃない。行こう!」

 ここまで来たのだ。今更何を怖気づくことがあろうか。

 楽観的なレリィにも後押しされ、俺は意を決して送還の門へと踏み込んでいった。




 送還の門へ飛び込み、視界が一瞬、虹色に染まる。そして、次の瞬間には目の前の風景が大きく様変わりしていた。

 視界一面を覆うほど全域を深緑の苔で覆われた大地が広がる世界。地底の超巨大空洞。

 空はまばらに苔の生えた茶色の岩石で閉ざされ、その岩盤には所々に穴が開いて陽が差し込んでいる。地下から滲みだしてきたのか泉があちこちに湧き出し、幾本も細い川が流れていた。

 

「この風景は……? 本当に宝石の丘への道なのか――!?」

「地底の巨大空洞は同じだけれど、この植物と水はどういったことかしらね……」

 岩石の地形そのものは同じに見える。だが、かつては荒涼とした大地が広がるばかりだったはずの場所に、どういうわけか水が流れ植物が生えていた。

「クレストフ君、落ち着きたまえ。魔窟化の影響で環境が激変するということはよくあることだよ。元の地形に変わりがないというなら、ここは間違いなくかつて君が辿った道に違いないはずさ。まずは世界座標を確認してみよう」

 ムンディ教授が懐から四角い懐中時計のようなものを取り出す。現在地の世界座標を数値化する魔導回路、世界座標計ワールドコーディネーターである。

 三次元座標を示す三列の数字盤に、有効数字十五桁の座標値が緑色の燐光を発して表示されている。

「ちょっと待ちなさいね。今、座標の照合をするわ」

 ミラは召喚で呼び出した世界座標目録ワールドインデックスと、世界座標計ワールドコーディネーターに示された現在地の世界座標とを照らし合わせる。

「間違いないのよ。ここは以前、宝石の丘へ向かったときに通過した場所に違いないのだわ」

 以前に送還の門をくぐったとき計測した座標と変わらない。その事実にようやく俺は一安心する。送還の門が魔窟の影響を受けていれば、どこかとんでもない場所へ送還されていた恐れもあったのだ。最悪の可能性はなくなったといってもいい。


 ――いや、本当に安心していいのか?

「ひとまずは安心、と言いたいところだが……面倒な事実も一つ明らかになったな」

「え~。今更、これ以上の面倒ごとって御免よぉ~?」

 メルヴィの抗議には俺も同意したい。だが、事実は事実だ。

 辺りを見回してみれば、薄ら寒い雰囲気の霧が漂っている。奇妙な流動を見せていることからも、幻想種が幾らか霧の中に身を潜めていると見ていい。以前にはこの場所に幻想種などいなかった。

「底なしの洞窟の魔窟ダンジョン化。その原因が送還の門の先にあったという事実だ。おそらくは宝石の丘へと続く道、経路そのものが一本の魔窟と化したんだろう」

「まさか!? 遠く離れた二つの場所が、送還の門で繋がって一つの魔窟ダンジョンを形成しているというのかい? それはすごい! 僕も初めて見たよ、そんな魔窟は!」

「ここも魔窟なのです? ただの洞窟と魔窟の違いがよくわからないのですぅ。ちょっと気味が悪い感じは魔窟のようにも思うのですけどぉ……」

 メグは目に映るものと直感だけで魔窟かどうかを判断しようとしているが、そんな曖昧な手段でなく、ここが魔窟であると明確にわかる術が俺にはある。


「間違いない。『天の慧眼』の術式で観察してみれば一発だった。辺りの地面や天井は見透かすことができない。この巨大空洞を構成しているのは高濃度の魔導因子ってことだ。こんな地形は魔窟以外にありえない」

「――ああ、そうなるとこれはもう、決まりだね」

 風来の才媛も確信をもって俺の意見を肯定する。

「ここの魔窟の主ダンジョンマスター宝石の丘ジュエルズヒルズ方面から送還の門を通じ、底なしの洞窟の入口までを魔窟化した。とんでもない化け物だってことだよ」

「そうね。ここまで広域の魔窟の主ともなれば、超越種並みの力があるとみて間違いないわ。大変な戦いになるわよ、クレストフの坊や」

「覚悟の上だ。今更、超越種の存在くらいで退く理由にはならない」

「……では、我らの向かう先は間違っていないのだな? なればこそ、ただひたすらに進むのみ」

 それまで黙して語らなかったゴルディアが、道筋が決まったと見るや先頭に立つ。

「さあ、道を示してくれクレストフ殿。我らが前に立ち塞がる脅威は、このゴルディアが切り開こう」

「ああ、頼りにさせてもらうとも」

 進む先にいかなる脅威が待ち受けていようとも、ビーチェ救出のため、俺は歩みを止めることはない。


 ――ただ。ただ一つの懸念。

 送還の門すら超えて影響を及ぼすほどの力と執念を持つ存在。

 この魔窟の主とは、いったい何者であるのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る