第337話 第十四階層『地底集落』

 アスラゴーレムによる突然の背後からの奇襲。俺が攻勢術式で後方の回廊へ追いやった後は、再び姿を消して現れていない。だが、このまま終わるとも思えなかった。

 風来を中心に、前後を警戒しながら慎重に古代迷宮を進んでいく。

「あと少しなのに……」

 ヨモサが小さく独り言を呟く。誰に聞かせるつもりもないようなほどの小さな声。あるいは自分でも口に出したことを気づいていないのかもしれない。焦る気持ちはわかるが、逸って飛び出してくれるなよ、とヨモサの様子に気を配っておく。


「近くに探知できる移動物体はなし……。少し、この辺りを調べさせてくれ」

 迷宮の回廊を少しばかり進んだところで、風来の才媛が敵の痕跡を調べ始める。一級の探査術士としては、敵を一度は補足しながら逃げられてしまったことが許せないのだろう。稀に見る真剣な表情で風来は回廊を隅々まで調べていた。

「追跡子が迷宮の壁に擦り付けられているね。どうやってか追跡の術式を認識して、壁に擦り移していったというところかな。こちらの探知に気が付いて対処するだけの知能もあるというわけだ」

「しかしな、いくら階層主級の魔獣だからって、そこまで勘が鋭く、賢いか? まあ、奴らは人間なんかよりよほど感知能力に優れている場合もあるが、あのアスラゴーレムはむしろ『複雑だがある種の法則に従った動作』をこなす種類だと思うんだが……。そんな奴が風来の探査術式を見破って対処してくるというのは違和感があるぞ」

 現場の状況からしてアスラゴーレムが追跡子に気が付いて対処したと見るのが自然なわけだが、俺はなんとなく納得がいかなかった。


「私の探知能力を買ってくれるのは嬉しいけどね。こうも見事に逃げられてしまっては私とて言い訳も立たないよ」

「それだ。それが気に食わない。あまりにもあっさりと逃げられ過ぎだろ? お前の探査術の腕が鈍っていたとは思わない。だからこそ、何か見落としているんじゃないかと思ってな」

「でもぉ~。その何かがわからないんじゃあ、結局はぁ、打つ手なしってことよねぇ~」

 何の変哲もない迷宮の回廊を調べるのにも飽きたのか、メルヴィが欠伸をしながら大きく背伸びをする。形の良い胸が零れそうになって、慌ててヨモサがメルヴィの服を押し上げていた。

「ここで粘っても緊張を切らせてしまうだけか……。仕方ない、出たとこ勝負になるが先へ進もう」

「逃げ出す階層主なら、案外このまま戦わずに先へ進めたりして」

 楽観的な意見がレリィから出てくるが、さすがにそれはないだろう。一旦、退いたのはそれなりに理由あってのはず。俺達を仕留めるための魔獣なりの作戦が。

「……魔獣が考える作戦……アスラゴーレムのような一定の状態遷移概念アルゴリズムを持つであろう敵が考える、作戦……」

「クレストフお兄様~? 考えすぎて、周囲の警戒を怠ってはダメなのですよ~」

 あまりにも思考に没入しがちな俺は、とうとううっかり者のメグからも心配されてしまった。


「クレストフ君。考えても答えが出ない時もある、と僕は思うよ。たぶん、今はまだ情報が足りないんだ。わずかでも手掛かりさえあれば、君ほどの術士なら即座に答えを導き出せるとも。観察を怠らず、追い詰めていけば敵はきっと尻尾を出す」

「あら、ボケ爺にしてはいい前向き発言するじゃない。ただの楽観でなければいいけど。まあ、あれだわ。クレストフの坊や一人で考えることでもないでしょ。ここには一級術士が三人もいるのだから。『一級術士』が『三人』もね」

「それは準一級の僕に対する当てつけかな?」

「えぇ? そんなこと思いもしなかったわ。まさか一級術士三人を前にして、準一級を数に入れろだなんて言い出すつもりかしら? 自己主張の強い爺は煙たがられるわよ」

「ミラ……君とはやはり一度、互いの尊厳を賭けて勝負する必要がありそうだね……」

「まあなに? やる気? 二度と逆らえないよう、操り人形にしてあげるわよ」

「あーもう~。これだからお婆ちゃんとお爺ちゃんはぁ~。喧嘩しないのぉ」

 俺への助言からミラとムンディの口喧嘩になってしまったが、ムンディ教授の言うことはもっともだ。情報が足りない。だから、答えが出ないのだ。ならば情報収集の手段を増やせばいい。索敵は風来の才媛に任せてはいるが、敵の動きを監視する目は多くて困ることはない。そうと決めたら、情報収集に向いている魔蔵結晶を幾つか、迷宮の回廊のあちらこちらに仕掛けて回ることにした。



 アスラゴーレムが姿を消した周辺の調査を終えて再び歩き出した数分後、風来が異常を察知した。

「現れたよ。追跡子はなし、大きな移動体が前方から来る」

「敵の出現状況は? どこから現れた?」

「なんとも中途半端な距離から湧いて出た感じだね。これも奇妙だが……クレストフとレリィは後方を警戒してくれるかい?」

「そのつもりだ。敵が先ほどと似たような行動を取る可能性は高いからな」

 頭はひどく冴えていた。冷静に、敵の動きを分析できる。次の交戦でアスラゴーレムの不可解な動きの理由を突き止めるのだ。

「来た! ゴルディア、迎撃!」

 風来の指示でゴルディアが突出する。一方で俺とレリィは加勢したい気持ちを抑えて後方の警戒に当たっていた。目の端でゴルディア達の戦闘は捉えながらも意識は後方に割く。なかなかに神経を使う立ち回りだ。


 砂煙と共にアスラゴーレムが出現し、ゴルディアと正面から激突する。茶褐色の結晶斧がゴルディアを襲い、それをゴルディアが弾けば間髪入れずに槍と鎌で突きと斬撃を放ってくる。メルヴィとミラはゴルディアを援護して術式を放っているが、アスラゴーレムは彼女らの攻撃は無視してゴルディアへの集中攻撃を行っている。奴は自分を滅ぼしうる力の持ち主が誰か、わかっているのだ。

 しかし、今の攻防を垣間見て、俺は一つの可能性に行きあたっていた。

(……馬脚を現したか。後はいつ仕掛けてくるかだが……)


 アスラゴーレムを直接観察して、確認したいことは確認できた。戦況もこちらが優勢。となれば俺はレリィと共に、背後からの不意打ちに備えるだけだ。

「敵が目の前にいるのに背後を警戒しなくちゃいけないなんて……変な感じ」

「確かに妙な気分だが、ここは直感に頼らず理性で対応するぞ」

 ゴルディア達が戦っている間に、俺は後方に仕掛けてきた探知術式を発動させる。

(――見透かせ――)

『虎の観察眼!!』

 金色縞模様をした虎目石タイガーズアイの魔蔵結晶を握りしめ、俺は後方の迷宮を観察する。今はまだ何の変化もない。だが、アスラゴーレムが後ろから回り込んでくるとしたら、必ず変化が起こるはずなのだ。


「アスラゴーレムが退くぞ!」

「ゴルディア、深追いはなしだ。クレストフ! レリィ! 後方警戒を!」

 ゴルディアからアスラゴーレム撤退の気配が伝えられ、風来から俺とレリィに後方警戒の指示が飛ぶ。

 ――来るか、ここで。通常なら、前方のアスラゴーレムに気を取られ、敵の撤退に気が緩むところ。不意打ちを仕掛けてくるとしたら絶好の機会である。


 そのとき、虎の観察眼が後方の変化を捉えた。

 砂煙が立ち込め始め、のっぺりとした白亜の壁が見る見るうちに禍々しい魔像の姿を形作っていく。

「風来! 追跡子トレーサーはどうなっている!!」

「――はっ!? 追跡子が、動いている!! 後方だ! 後方に敵が出現している!」

 間もなく後ろの方から砂煙が迫り、アスラゴーレムが姿を現す。しかし、今回は万全の迎撃態勢が取れていた。

「こっちは俺とレリィに任せろ! ゴルディアと風来は前方警戒! レリィは全力攻撃だ!! 出し惜しみもなしだ。やれ!!」

 輝かしい翠色の闘気を放ちながらレリィが突貫する。砂煙から現れたアスラゴーレムはレリィの突撃を盾で受けようとするが、それは俺が『銀鎖の長縄』を腕に絡めて封じる。残る腕の武器、槍と鎌と棍棒で迎え撃つアスラゴーレム。残りの腕は砂煙を出現させている呪術用の『石変の剣』だけ。斧を持った腕は失われていた。


 やはりか。種が割れてしまえば単純なことだった。

「アスラゴーレムは二体いるぞ!! ゴルディア! 前方にある迷宮の壁を破壊しろ!! 奴は擬態している!」

「おおおっ!! 心得た!!」

「あーっ……! そういう手品かぁーっ! 私としたことが一本取られた! ゴルディアそっちじゃない! もう少し奥の、左にある壁だ! そこだ、やってしまえ!!」

 迷いなく前方にある迷宮の壁へと斬り付けていくゴルディアと、騙されて悔しそうな風来の才媛。

 追跡子が壁に付着していたことからも、風来による探査術式は正確に機能していたのだ。ただ、奴らの擬態である石像魔獣ガーゴイルとしての特異能力が、風来の索敵を惑わしていた。


「手品の種が割れたならぁ~。もう、深追いとか気にすることないかしらぁ。ただ前後に二体敵がいるってだけよねぇ~」

「ゴーレムにしては随分とずる賢いのです。作った奴の性格の悪さが透けて見えるというものですよー」

 メルヴィとメグが揶揄する通り。小賢しい戦法だ。だが、少なくとも種が割れるまでは有効だった。おかげでこちらは下手に深追いできず、いつ攻撃されるかもしれない背後を気にしながらの進行を余儀なくされたのだから。

 ただそれもここまでである。余計な警戒の必要がなくなった今、一級術士と一流騎士が二組、魔獣化したとはいえ魔導人形に後れを取るものではない。

 翠の闘気を迸らせたレリィが放つ全力の一撃は、アスラゴーレムの腕を三つの武器ごと吹き飛ばした。決定的に生じた隙に俺も攻撃を合わせて叩き込む。


(――貫け――)

『海魔の氷槍!!』

 水柱石アクアマリンの魔蔵結晶を制御して、ただ一本の巨大な水柱石アクアマリンの槍を生み出す。

 アスラゴーレムに斧を持つ腕は既になく、三本の腕は今しがたレリィによって破壊された。盾は絡め取られ、残すは石変の剣を持つ腕ただ一本。最後の抵抗とばかりに三つの顔をぐるぐると回転させて威嚇のように氷と岩と炎を連続で吐き出してくるが、いずれの攻撃も水柱石アクアマリンで造られた槍を打ち砕けるものではない。

 海魔の氷槍が撃ち出される。アスラゴーレムは石変の剣でこれを迎撃しようとするが、元より儀式呪法に特化した儀礼剣だ。純粋な強度と硬度で勝る海魔の氷槍を相手に為す術もなく打ち砕かれ、青く澄んだ氷槍が魔導人形の中心核を貫いた。

 ついに複腕多頭の魔像アスラゴーレムは撃破された。


 ほどなくして、前方でもゴルディアによってもう一体の複腕多頭の魔像アスラゴーレムに止めが刺された。

 階層主が倒された後には、両手にずっしりと乗るほど大きい青緑色の巨大な魔核結晶が残されていた。それも二つである。非常に立派な魔核結晶なので特別に保管することに決めた。

(――世界座標、『ベルヌウェレ錬金工房』、『封金ふうきんの蔵』に指定完了――)

『――陣内の事物よ――此方こなたから彼方かなたへ――。行け』

 さっさと送還術で送ってしまったが、その様子を見ていたメグが物欲しそうな顔でこちらを見つめてくる。


「今の魔石、ものすごく大きくて、綺麗だったのです。あれ、お幾らくらいするんですかぁ?」

 純粋な好奇心といった様子。そう、純粋な金への執着に満ちた疑問。

「お前は知らない方がいいぞ」

「えぇ~……!? ずるいのです、着服なのです、横領なのです! ここは真っ当な金額を告白して、皆に正当な分け前を示すべきでは?」

 しつこく食い下がるメグに根負けして、俺は結局、先ほど送還した魔核結晶の値段を教えてやることになった。


「あの魔核結晶、青緑色の高純度結晶で両手掴みの大きさとなると、金貨三五〇枚の価値がある」

「さん……びゃくごっじゅぅ!?」

「一つでな。二つだから総額金貨七〇〇枚相当だ」

「ななひゃっ――!!」

 メグはもはや言葉を失っていた。そして俺はこの後、彼女に残酷な事実を告げる。

「今回、階層主の撃破は俺とレリィ、風来の才媛とゴルディアが主体。メルヴィとミラが援護。メグは他の同行者の護衛という仕事の割り振りで、実質戦闘はなかったからお前の取り分はまあ金貨一〇枚ってところだな」

「えぇ……クレストフお兄様、守銭奴なのですぅ……」

 総額金貨七〇〇枚からの落差に、がっくりと肩を落とすメグ。いや、しかし結果的に何もしなかったのに金貨一〇枚は大した額なのだが。

「う~ん。メグも随分と金銭感覚、狂ってきたよね……」

 もはや自分の取り分が幾らになるか計算すらしなくなったレリィが、自分のことを棚に上げながらメグに対して呆れていた。レリィ、お前の取り分は金貨一五〇枚だと言ったら、どんな顔をするんだろうな?

 金貨一枚に大慌てしていた、出会ったばかりの頃のレリィが懐かしくもあった。


◇◆◇◆◇◆◇◆ 


 古代迷宮の探索は風来の才媛による探査術式とヨモサによる案内であっさりと出口へ辿り着くことができた。迷宮を抜け出してからは白亜の壁が途切れ、飾り気のない地味な岩肌が剥き出しの洞窟が続く。唯一特徴的と言えるのは壁のあちこちに大きく深い穴が開いているところだろうか。これはたぶん、ここらに生息している鉄針土竜てっしんもぐらの通り抜けた跡だ。

 あれも魔獣化しているかもしれないと考えると正直言って近づきたくない相手なのだが、これだけ奴らの棲み処があるのでは出くわしたとしても仕方がない。不意打ちだけは気をつけるようにとそれとなく全員に周知しておく。

 時折、穴の中から毛むくじゃらの地の精ノームがひょっこりと顔を出すものだから、地底洞窟を進む間は一々驚いて気が休まらなかった。ここへ来て急に、目に留まる地の精ノームが増えたような気もする。


「ああ……クレスさん、クレスさん。ここ、この道です。見覚えがあります。私、間違いなく戻ってきました。ありがとうございます。私、ついに戻って来られたんですよ……」

 どこかフワフワとした雰囲気でヨモサが足取りも軽く、地底洞窟を迷いなく進んでいった。

 言われて見れば俺もなんとなくこの道なりに見覚えがあるような気がする。この辺りでたまたま歩いていた土人ドワーフと遭遇して、集落へと案内されたのだったか。あの時は確か――。

「来ました! 来ましたよ! この坑道! ここを抜ければ!!」

 はしゃぐヨモサに連れられて坑道を抜ければ、そこにはドワーフ達の住む地底の街が広がっていた。大きく半球状にくり抜かれた空間は、幾階も段差を付けた道が整地され、壁際に掘りぬかれた住居が並ぶ。以前に見たときと比べて、少し集落の形が変わっているように感じた。


 魔導ランプか、あるいは古代遺物の照明か、奇妙な紫色の炎が集落の要所要所に設置されて、煙を上げることもなく静かに光を発していた。

 不気味な紫の光が集落を照らすなか、集落の中心に建つ大きな石像が存在感を主張している。

「あれは……何かしらね?」

「地底のドワーフが信仰する邪神かな?」

 博識なミラとムンディも首を捻る珍しい姿形の像。

「えーっ!? あれ、魔人じゃないですかぁ、やだー!! 聖霊教会の悪魔祓いとしては絶対に許せませんよ、あんなものを祀るなんて! ぶっ壊すですぅ!」

「まぁまぁメグちゃん。ここは普通の人は寄り付かない地底だしぃ、信仰の自由は許されるべきだとう思うわぁ」

 聖霊教会に所属するメグが嫌悪感を示すのも無理はないほど禍々しい様相の像。

「ねぇ……あたし、どうしてもあの造形に近いものに覚えがあるんだけど……。見たことないはずなんだけど、何か近いものを見たことがあるような……」

「奇遇だね。私もちょうどそう思っていたところだ。なあ、クレストフ?」

「……知るか。俺に聞くな」


 もはやそれが何なのか確信を抱いている俺は、ただ知らないふりをするしかなかった。

 だが、集落の広場に建てられた石像に近づいていったヨモサが真摯に祈りの言葉を捧げるのを俺は聞いてしまった。

「……我らが救世主、古き宝玉の大蛇の解放者。地底の魔窟において、我らが集落をお守り頂き感謝申し上げます……」

 集落に入って早々に見つけた石像。それは全身を尖った結晶に包まれて、黒紫色に染め上げられた魔人の像。

 それは紛れもなく、俺が禁呪で半魔人と化したときの姿だった。

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