第335話 第十三階層『古代迷宮』

 方解石の柱が立ち並ぶ第十二階層を抜けて次なる階層へやってきた俺は、そこでまた見たことのある風景に出くわすことになった。

 綺麗に面を出して切り出された大理石を整然と積み上げて作られた白亜の迷宮。そこはかつて宝玉の大蛇グローツラングが棲み処としていた古代の迷宮に違いなかった。魔窟の中に突如として現れた人工の迷宮に、ムンディ教授は大いに好奇心を刺激されたようだった。

「ふむふむ。この白亜の壁は人工物のように見えるね。それも現在の建築方式とは随分とおもむきが違うようだ。ひょっとして古代の遺跡かな? 魔窟の中にこんな建造物があるなんて、まったく興味が尽きないよね」

「以前に底なしの洞窟で俺が見たときと、ほとんど変わっていないようだな。もっとも迷宮の規模や道順まで一緒とは限らないが……」

「そもそもクレス、こんな複雑な迷宮の道順なんて覚えているの?」

「要所要所に打ち込んできた世界座標の標識が見つかれば話は早いが、感知できないな。魔窟化したときに標識が破壊されたのかもしれん」

「それじゃあダメね。改めて、新しい階層を攻略する気持ちで挑むしかないのだわ」


 ミラの言う通り、魔窟化した洞窟は過去の情報が当てにならない。未知の魔窟ダンジョンに挑む気構えでなければ簡単に足元を掬われてしまうだろう。

「それにしても複雑な迷宮よねぇ~。これだとどこが出口かわからないんじゃなーい? 下手すると一生迷い続けるかも?」

「おっと! 心配いらないよ。こういう迷路の攻略は私の得意分野さ」

 ぱん、と手を打って風来の才媛が自信満々に言い切る。軽薄な態度ではあるが、それはこいつが本当に軽くやってのけるだけの実力を持っているからだ。

「少し探査に集中するよ。周囲の警戒を頼んだからね」

 長い手足を折りたたむようにして地面へと胡坐あぐらをかいて座り込んだ風来は、魔導回路の刻まれた指先を胸へと当てながら探査術式に意識を集中し始めた。徐々に風来の周囲で風が渦巻いていき、五指の爪に刻まれた魔導回路が発光を強くしていく。いよいよ旋風が暴風へ変わろうという強さになって、風来は勢いよく腕を横に振るうと術式を発動させる。


(――流れる風の行方を掴め――)

風洞探査ふうどうたんさ!!』


 解放された旋風が四方八方へと吹き抜けていく。呪術的な力を伴い、減衰することのない風圧が閉塞的な迷宮の回廊に余すところなく行き渡り、無数の袋小路を突き止め唯一つの出口を探し当てる。

「わかったよ、この迷宮の構造は。入口の他に出口は確かに存在する。一つだけ。それとね、明らかに迷宮の壁とは違う大きな塊が一つ、ゆっくりと動きだしたようだ。もしかすると今の探査術式で刺激してしまったかもしれないな」

「ふえ~。風来さん、面倒なことしてくれるのですー。眠っていたかもしれないものを起こしてしまうなんて~」

「こらこら。私の探査術式なんて風で頬を撫でる程度のものだよ。それでこちらを察知したというなら、何人も人間が集団で歩いてきたら、それだって簡単に気付かれてしまうさ。気が付かないまま迷宮で突然ばったり遭遇、なんてなるよりは事前に敵の存在を知れたのだから悪くはないだろう?」

 メグの糾弾をそよ風のようにふわりと受け流して返す風来に、俺は敵を起こした言い訳を聞くよりもっと重要なことを再確認する。

「そんなことより動き出した塊とやらは一つだけなのか? だとしたらそいつは階層主だろう」

「一つだけだね。感じ取れる存在の規模から、敵は一体とみていい」


 他の魔獣はいない。階層主のみが存在する階層ということか。それはそれで厄介ではある。この手の魔窟における階層の特徴として、他の魔獣が存在できないほど凶暴な階層主が一体、この階層をうろついているという場合がほとんどだからだ。

「風来、常時索敵を頼む。敵が近づいてきたら知らせてくれ」

「わかっているとも。……距離はまだ遠い。だが確実にあちらからも近づいてきている。気を付けるんだよ」

 敵もまたこちらを捕捉しているということか。風来の注意喚起に全員が緊張感を高める。

 そんな中、きょろきょろと白亜の迷宮を見回すヨモサが、一人だけ全体の歩みから遅れていた。


「ヨモサ。どうした? 遅れているぞ。迷宮ではぐれたら、迷い果てて二度と合流できない恐れもある。注意しろ」

「クレスさん……すいません。この迷宮、迷うというよりは……道に見覚えがあって……」

「ああ……ドワーフの集落から地上へ上がるときに通ってきたのか。だとしたら、覚えがあっても不思議はないな」

「あ――っ!? そう! そうなんです! ここは地上へ出る際に通ってきた道で……あれ? ということは、もしかして……」

「ドワーフの集落も近いということか」

「……私、帰れる、ってことですか?」

 ヨモサの質問に俺はすぐには答えなかった。おそらく、以前までの底なしの洞窟の構造であれば、この迷宮を抜けた先にドワーフの集落に通じる道があったはずだ。だが、今は魔窟化したことで順路が変わっていることも考えられる。それに考えたくはないがドワーフの集落やそこに住む人々が無事である保証もないのだ。


「今はこの迷宮を無事に抜けることだけ考えていろ。レリィ、最後尾の警戒を頼む。ヨモサはもう少し前に来い」

「何か心配事? まあ、いいけど。あたしはとりあえず最後尾で進むよ? それでいいんだよね」

「それでいい。索敵は風来が続けているが、こんな魔窟だ。警戒は怠らない方がいい」

「あの、クレスさん? ひょっとして私、心配をお掛けしましたか? すいません。私、少し浮かれてしまったかも」

「気にするな。故郷が近いなら気持ちははやるし、注意も散漫になる。そういう前提で警戒度を強めただけだ」

 俺にとっては道半ばとはいえ、ヨモサにとってはもう目的地が目前なのだ。その最後の最後で予期せぬことに遭遇するなど、なんともありがちではないか。


 ヨモサのことに俺が気を回している間も風来は索敵を続けていた。その警戒線へついに階層主の存在が引っかかった。

「正面から敵が近づいてきている。速度を増しているよ。幸いこの場は幅の広い通路で、戦いに向く。ここで迎え撃つのが得策だ。全員準備はいいかい? ゴルディアが最前で敵を迎え撃つ。クレストフとミラは少し離れて援護を。メルヴィはさらに後ろから術式攻撃の準備、メグはメルヴィの護衛だよ。ムンディとヨモサはレリィの近くに。レリィは念のため背後を警戒しながら二人の護衛。いいね?」

 風来が戦闘の指揮を執って次々に配置を割り振っていく。的確な指示で俺も異論はなかった。おかげで、戦闘準備に集中することができる。敵の気配は既に俺も捉えていた。かなりの重量がある存在なのか、地面を振動が伝わってくる。俺は攻勢術式の準備を整えて、攻撃の瞬間を待っていた。

「間もなくだ。敵が姿を現したら、攻勢術式をぶち込むぞ! 風来! お前が合図を出せ!」

「言われなくても、そのつもりだとも。さあ、そろそろだよ。正面の角を曲がって……来る!」

 俺達は騎士同士の果し合いをしているわけではない。そこに手段を問われる理由はなく、敵が来るとわかっているなら出合い頭は絶好の攻撃機会!

「一斉攻撃!!」

 敵が姿を現す一瞬前に、風来の号令が飛ぶ。姿は見えずとも必ずそこに来る。術式を放った瞬間に敵は顔を出すだろう。風来はそのわずかな時間差も計算して号令を出している。だから迷わず攻勢術式を俺は放った。


(――貫け――)

『輝く楔!!』

 楔石チタナイトの魔蔵結晶を握り、瞬時に術式を発動させる。貫通力の高い、鋭く尖った黄色の結晶弾を数十発ほど、魔蔵結晶が砕ける限界まで力を絞り出してやった。

 一瞬、迷宮の回廊曲がり角から大きな影が見えた。そこへめがけて楔石の結晶弾が殺到していく。これと同時に風来とメルヴィもそれぞれに術式を放っていた。


(――世界座標『風吠かざぼえの洞穴どうけつ』より、我が召喚に応じよ――)

嵐神ルドラ爪牙そうが!』

 風来が前に突き出した左手の爪、その五枚に刻まれた魔導回路に、彼女が脳より絞り出し胸の内で加速した魔導因子が均等に流れ込む。

 五本の指からまさに怪物の爪の如き鋭い気流が呪詛となって飛び出していく。俺の術式とほぼ同時に放たれた気流は、俺が放った楔石の結晶弾を後押しするように、曲がり角から現れた敵へと襲い掛かった。

 凄まじい衝撃音が連続して鳴り響き、迷宮の壁の破砕によって生じた粉塵が辺りの視界を埋め尽くす。


(――世界座標『トルクメニスの地獄門』より召喚――)

 メルヴィが意識を集中すると、彼女の太腿に刻まれた魔導回路が白く光り輝き、召喚術の予兆たる黄色い光の粒が周囲に満ちた。

『逆巻け、炎熱気流!!』

 敵の姿が煙に紛れた状態でも構わずメルヴィは術式を放った。渦を巻きながら前方へと伸びる高熱の気流。視界を奪っていた粉塵を吹き飛ばし、空気を歪めて突き進む透明な熱の奔流が目標に直撃すると、それは敵の外装をちりちりと焼き、赤い火の粉を散らして敵の姿を顕わにした。


「――こいつは、何なのだ!?」

 最前にて敵と相対していたゴルディアから驚愕の声が発せられる。


 迷宮の回廊、曲がり角の向こうから見上げるほどに大きな怪物が姿を現した。全身は錆びた金属の質感で覆われて、この幅広い回廊さえも狭いと言わんばかりに六本の手で左右の壁を押し退けるようにしながら、そいつは俺達の前に這い出してきた。

 まず目に入るのが大きな頭部。気味の悪い笑い顔、悲痛な泣き顔、敵意に満ちた怒り顔を貼り付けた三つの頭。そして頭の数の倍、畏怖さえ与えるほど太く逞しい腕に剣、鎌、槍、斧、棍棒、盾がそれぞれ握られている。

 背後には太いムカデのような金属質の尾が四本、周囲を探るようにゆらゆらと揺れ動いていた。


石像魔獣ガーゴイル!? でも、それにしては随分と禍々しいわね!」

 一同が息を呑み硬直する中でミラが動いた。

(――世界座標、『傀儡の人形館』より召喚――)

『破砕の指人形ギニョール!! 私の前に立ち塞がる壁を、打ち砕きなさい!』

 十体の魔導人形が光の粒と共に召喚される。そのどれもが武骨な鉄槌を抱えて、まさに目の前の敵を粉砕せんと飛び掛かっていく。

 鉄槌が火花を散らして、異様の怪物を打ち据える。外装がわずかに凹み、魔導人形十体による猛攻で無数の傷ができた。だが、それだけだ。決定的な破壊には至っていない。

 何という頑強さか。指人形ギニョール達は全方位から間断なく攻撃を仕掛け続けているが、次第に怪物は無数の腕と尻尾を駆使して全ての攻撃を弾き返すようになる。三つの顔は飾りでなく、背後からの攻撃もしっかりと認識しているようだった。


 金属の怪物は突然ぐるんと敵意に満ちた怒り顔を正面に持ってくると、その釣り上がった口から青い炎を吐き出して、ミラの魔導人形を三体巻き込んで燃やし尽くした。同時に五つの武器がそれぞれ動いて一撃のもとに五体の指人形ギニョール達を叩き伏せ、残る二体も鞭のように振るわれた尻尾で数回打ち据えるとバラバラに破壊してしまう。

「敵の手数が多すぎるのだわ……!」

 ミラが悔しそうに息を漏らしながら、一旦後ろへと下がった。


「あ……あれは……」

 攻防の一瞬に生まれた静寂に、絞り出すように呟いたヨモサの声が響く。

「迷宮の守護者……複腕多頭の魔像アスラゴーレム……」

 なるほど。伝説上の神、阿修羅にちなんだ魔導人形ということか。

「そんな、どうしてあの魔導人形ゴーレムが敵に……。あれはドワーフの集落を守るよう調整されていたはずなのに……」


 かつて、俺とドワーフとの間にある取引がなされていた。

 底なしの洞窟深くに眠る古代遺跡の保全をドワーフに任せる代わりとして、彼らの生活圏を脅威から守る守護者ガーディアンを譲り渡す契約だ。俺はドワーフ達に魔導人形の守護者『石の魔獣ガーゴイル』を、修繕に必要な設計図と共に預けた。おそらくその後も『石の魔獣ガーゴイル』はドワーフ達の手によって改修が続けられ、その果てに、魔窟に取り込まれてこのような姿になったのだろう。そして現在も――。


「守っているのかもしれない。今も外敵から、ドワーフの集落を」

「ははぁ。それはつまり、今では僕らがその外敵ってわけだね?」

「私が前に出たら、退いてくれるでしょうか?」

「やめておけ、ヨモサ。魔窟に取り込まれているなら、水晶髑髏の餓骨兵と同じだ。俺の命令も聞かなければ、お前のことを守るべき対象とも認識しない」

 あと一歩でドワーフの集落へと帰れる。悲願を目前にして、本来なら自分達を守るはずの存在に道を塞がれるとは、ヨモサも歯がゆい気持ちだろう。


「おいおい……クレストフ? 私はあの『石の魔獣ガーゴイル』に既視感があるんだけどね。あの造形はどう見ても君のだろう……?」

「俺の設計した魔導人形に違いないな」

「水晶髑髏の魔導人形といい、これといい、厄介な物を魔窟に利用されたね」

「今更のことだ。それならそれで、多少の手の内は予想できるだけ幸運と思えばいい」

「前向きなのはいいことだよ。わかりやすい弱点でも見つかればなおいいけどね」

 なんとなく風来に皮肉で返されたような気がしないでもないが、今はそんな些末なことを気にしている状況ではない。


 死角はなく、多数の武器で複数の敵を同時に迎撃できる戦闘能力。立ち塞がる複腕多頭の魔像アスラゴーレムを前にして、俺達は足を止めざるをえなかった。

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