第334話 望郷の呼び声

 一歩、また一歩と、幻想種を生み出す中核へと近づいていく。複屈折を起こして光を捻じ曲げる方解石の結晶群が、中核へと至る道を歪めて遠近感を狂わせる。


 ――帰りたい――


「――――なんだ?」

「今、何か聞こえたわね」

 俺の聞き間違いではなかった。ほぼ同時にミラも何かの声を聞いたようだった。

「クレス、どうしたの? 敵? 幻想種の攻撃とか!?」

 幻想種の攻撃。その可能性は大いにある。奴らはよく人の精神に干渉して害をなすからだ。ただ、必要以上に周囲を警戒するレリィの動きと、風来やメグなどの困惑したような表情から俺は嫌な予感を覚えた。


「レリィ。今さっき、何か声のようなものを聞いたか? 俺達自身の話し声とは別の……」

「声? あたしは声も音も、何も聞いてないけど……」

「あらぁ~ん。これはちょっと怪奇現象かしらぁ?」

 レリィ達を見ても彼らは首を傾げるばかりだ。

 これが幻想種による正体不明の攻撃で、一部の人間にだけ影響が出る類の呪詛だとすると厄介だ。

 呪詛をその身に受けていない人間には何がどう異常なのかわからないまま、標的となった人間だけが呪詛によって蝕まれていく。全員の身に降りかかった呪詛ならば、誰かがそれを打ち破ることで状況を打破できる可能性が高いが、一部の人間にだけ影響があるとなれば標的になった人間が己の力だけで呪詛を跳ね除けなければいけない。


 何者かの声を聞き取ったのは、あの時に反応したミラと俺だけ。

 その違いには何があるのか。


「クレストフ。すぐにもこの階層の中核を破壊した方がいい」

 状況が悪いと予感したらしい風来の才媛が冷静に助言してくるが、俺はすぐに行動へ移すことはできなかった。

「待て。既に何者かの術中にあるとすれば、正体を暴く前に呪術の根幹を破壊するのは危険だ。それが呪詛を打ち込むためのくさびになっているかもしれない。せめてもう少し、起きている現象を把握してから――」


 ――帰りたい――


 起きている現象を把握してから、と考えた瞬間に再びあの声が聞こえてくる。ミラに視線をやれば彼女にも聞こえたらしく、無言で頷く。一方でレリィに視線を送っても、ただじっと不安そうに見返してくるだけで声が聞こえたような反応はない。他の面々も同じだ。


 どこからともなく聞こえてくる声。

 誰の声かわからない。だが、どこかで聞いたことがあるような声。それは夢の中で聞く人の声のように、明確な音として記憶に残らない。

 周囲を警戒するなか、俺の背丈より大きな方解石の結晶にきらりと一瞬、影が映りこんだ。俺の視線から逃げるように、結晶の中を移動していく黒い人影。思わずその人影を目で追って、唐突に目の前の結晶が映し出した像に視線が釘付けになる。


 ――帰りたい――


 黒髪の少女が宿す金色の瞳と視線が交錯して、俺は金縛りにあったように体が動かなくなった。

 心を縛る金色の魔眼。かつては真っ直ぐに見返しても心揺れることのなかったそれに、今は魂を吸い込まれたかの如く引きずり込まれている。まずいとわかっていても視線を外すことができなかった。

 視界の端でミラもまた方解石の結晶を前に硬直している姿が見て取れる。

「――ベルガル? あなた、まだこんなところを彷徨さまよっていたの……?」

 ミラのガラスの瞳がガタガタと揺れて、焦点が定まらないままに方解石の結晶へと身を預けている。

「ミラおばさま!! 正気に戻ってぇ!」

 メルヴィが必死にミラの体を揺らしているが、当の本人はまるでただの人形になってしまったかのように反応がない。

「ここぞとばかりに悪霊どもが集まってきているのです~!!」

「クレスさんも、ミラさんも、普通ではありませんよ!? まずいのでは!?」

 メグは浄化の炎を宿した戦棍を振るって、寄り集まってくる幻想種を払い除けているが、浄化したそばから新しい幻想種が湧いて出る始末だった。メグによって聖なる炎をツルハシに宿してもらったヨモサも、近づいてくる幻想種へ果敢に応戦しているが増え続ける幻想種に対しては焼け石に水だった。


「アウラ!! どうする!? 全て打ち払ってよいのか!?」

「待て、ゴルディア! どんな呪詛が働いているかわからない! 迂闊に破壊するのは――」

「まずいねこれは。異界現出を起こしかけている。このままではクレストフ君もミラも取り込まれてしまうよ! 直ちに呪詛の中核を破壊しなければ!」

「ムンディ教授! 確信はあるのかい!? 中核を破壊すれば呪詛は解けると!?」

「僕だって確信なんてないよ! ただ経験的に、このままだとまずいってことだけはわかる! そして僕らにできることは他にない!」

 この場で呪詛に関しては専門家といえる風来の才媛とムンディ教授の意見が真っ二つに割れてしまった。

「クレスは指示があるまで手を出すなって言ってたけど……どうすれば……」

「レリィさん、落ち着いてください! 誰にも答えなんてわかりませんよ! やるなら覚悟を決めないと……」


 ―― 一緒に、帰ろう――


 精神を引きずり込まれる。帰る。どこへ? 誰と一緒に? ビーチェ……?


 方解石に映る像へと誘われ足が自然と一歩前へ出る。だが、次の一歩を踏み出そうとしたとき、後ろ脚を誰かがぐっと掴んで縫い留める。いつの間にか地の精ノームが数匹、俺の足にまとわりついて引き留めていた。

「よしっ、覚悟決めた! あたし、自分の直感を信じるから!!」

 茫洋とした意識に鋭い声が割って入り、目の前の方解石に罅が走って粉々に砕け散る。金色の瞳が割れ砕け、少女の像が消失した。

「うっ――。ごほっ!? くはっ!」

 金縛りが解けた瞬間、自分がそれまで息すらせずに硬直していた事実に気が付く。そして、俺はすぐさまレリィに指示を出す。

「レリィ!! 中核をぶっ壊せ!!」


 どんっ!! と、翠色の闘気を迸らせてレリィが地面を蹴って垂直に跳んだ。先ほど風来の才媛が指し示していた幻想種の発生源となる位置めがけて降り立ち、渾身の力を込めた真鉄杖を地面にめがけて突き立てる。

「砕け散れぇえええ――っ!!」

 闘気の波動を込めたレリィの咆哮が、真鉄杖を伝わって地中に潜んでいた幻想種発生の中核へと極大威力の一撃を見舞う。激震が第十二階層を揺るがし、周囲一帯の方解石が連鎖的に砕け崩壊していった。平行四辺形の形状のまま綺麗に細かく割れ砕けた方解石は、灰色の煙となって虚空に消え去っていく。この消滅の仕方は幻想種が滅びるときの様子にそっくりであった。

「あの方解石! あれ自体が幻想種だったのか!?」

 幻想種といえば不定形の靄であったりするものが大半であるため、あまりにもどっしりとした質感の方解石の結晶が幻想種そのものであるとは思いもしなかった。あるいは方解石に憑依しただけとも考えられるが、いずれにせよ想定外であったのは事実だ。油断して敵に懐へ入り込まれていたというわけである。


「ミラおばさま、平気?」

「えぇ……。なんとかね。みっともない姿を見せてしまったわ。まったく情けない」

 階層の幻想種が一掃されたことでミラもまた正気に戻っていた。正気に戻った俺とミラの元に、丈の長すぎる白衣を引きずってムンディ教授が駆け寄ってくる。

「二人とも、いったいどういう状態だったのかな? 君達ほどの術士が幻想種の『幻惑の呪詛』にあそこまで深く嵌まるとは信じがたいことなんだけど?」

 幻想種の扱う『幻惑の呪詛』は、並みの術士では抵抗できないほどに強力だ。しかし、一級術士である俺やミラは幻惑の呪詛を打ち消す防衛術式を常時備えている。他の面々に比べたらよほど呪詛への耐性は強い。それでも、今回は幻惑の呪詛にかかってしまったのだ。


「呪詛の足掛かりとなる起点を作られたのだわ。そこに呪詛の楔を打ち込まれた。おそらく、私とクレストフの坊やだけに共通した何か……」

「大方の予想は付く。『宝石の丘ジュエルズヒルズ』の旅路。その過程に関わる『心残り』を魔窟の特性で増幅したのだろうよ」

 俺もミラも苦々しい表情でその事実を受け入れていた。要するに二人とも弱みに付け込まれたのだ。人の弱みに付け込むのは呪詛をかける常套手段である。呪詛の特性に関係しないレリィ達がいたからこそ助かったが、下手をすれば俺とミラはここで脱落していた。


「この階層の中核……。まだ生きているな?」

 全滅したはずの幻想種がわずかだが再び数を増やし始めている。レリィが破壊したように思われた階層の中核は、まだ完全消滅したわけではなさそうだった。

「ここで完全に破壊していけば、後も少しは楽になるか」

 この階層で生まれた幻想種は魔窟全体に散っていき、新たな魔獣を生み出し続ける。ここだけが幻想種や魔獣を生み出す原因というわけではないだろうが、その発生源の一つを潰しておくのは意味がある。そう思って中核が存在する場所、レリィが開けた大穴を覗き込んでみれば、幻想種を生み出していたであろう古代魔導式の召喚陣が、半ば破壊された陣の自動修復を始めていた。

「……古代式魔導回路ってのは、本当にしぶといな……」

 迷わず召喚陣の破壊に向かおうとすると俺の足を、しかし地の精ノーム達がしがみついて止めた。この魔窟に入ってから、どうにも高い頻度でノーム達の干渉を受けている気がする。

「お前たちは……今度は何だ? 中核の破壊をやめろっていうのか?」

 毛玉姿のノーム達は小さな体を懸命に揺すって肯定の意を示す。

「本当にそうなのか? これの破壊が魔窟の秩序を乱し、崩壊を招くっていうのか?」


 もはやノームの意思を疑う理由はない。俺はどうやら彼らの意思をはっきりと汲み取れるようになっているようだ。

「このまま放置していくのかい?」

 意外そうな顔をして風来が確認を取ってくる。なんなら自分が代わりに破壊しようかと言い出しそうな雰囲気だった。

「破壊は無駄だ。やめておけ。この召喚陣が自動修復するのも、この召喚陣自体の機能ではなく、もっと深い階層にこの召喚陣を復活させる原因が存在するようだ」

「そんなことまでわかるの?」

 レリィが純粋に驚いた感じで尋ねてくる。疑問に感じたのはレリィだけでなく他の連中も同じようだ。詳しく説明してやりたいところだが、あいにくと俺には理論的な説明ができるほどの情報がない。だから一言、率直な理由を述べる。

地の精ノームが教えてくれた」

 そうとしか言いようがなかった。


「そう、ノームがねぇ……」

「まあ、そういうことなら」

「君、いつから精霊術士に転向したんだい?」

 ミラは感慨深げに、レリィは納得した様子で、風来はからかうように俺の言葉へ一言返してきた。

「魔窟も異界の一種と考えるなら、ここで不可逆的な大破壊をするのは得策ではないね。魔窟全体に予期できない悪影響を及ぼすかもしれない。素直にノーム達の意思を尊重するのがいいと僕も思うよ」

「私も地の精ノームの進言には耳を傾けるべきだと思います。ドワーフの集落でもノームは有益な精霊として崇められていましたから」

「異存はない」

「むぅ……。悪霊を無限に生み出すような召喚陣、聖霊教会としては見過ごせないのですけどぉ……。この魔窟そのものが壊れちゃうかもっていうなら仕方ないのですぅ」

「んん~……。この毛玉ちゃん達の言いなりっていうのは気にいらないわ~。まあ、地の精ノームは人を騙すようなことほとんどないって話だから従うけどぉ~」

 ムンディとヨモサ、ゴルディアも賛成。メグとメルヴィはぶつくさ言っていたが結局は召喚陣の破壊はなしで納得した。


「それにしてもあの影……」

 方解石に映ったビーチェの影。実は最初、ビーチェだと気が付くのに少し時間がかかっていた。それには俺が即座にビーチェを認識できなかった理由がある。

 長すぎる髪、痩せた頬、疲れの見える表情。全てが、あの日別れたビーチェの姿とはかけ離れた様子に見えた。


 今、あの娘はどのような姿でいるのだろうか?

 そんな思いを抱きながら、俺は次なる階層へと進んでいった。

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