第333話 第十二階層『幻想郷』

 溶岩の川を下り終え、焼けた大地を凍結の術式で固めると俺達は魔導推進船を送還した後、溶岩の熱気が伝わってこない安全地帯まで足早に移動していた。

「ミラ達、大丈夫かな? 途中で船が止まっていたけど……」

「予期せぬ敵との遭遇で足止めを食ったらしいが、ムンディ教授とミラとの通信で問題ないことはわかっている。まあ、平気だろう」

 不安を口にするレリィに俺は努めて軽い口調で返した。あちらには風来の才媛がいる。だから問題ないと信じてはいても、この魔窟では何が起こってもおかしくない。

 俺達がどれだけ先へ進もうとも、風来は迷わず俺達がいる場所まで追いついてくる能力を有している。だからこそ、なぜ早く合流してこないのか、それが少なからず俺に焦燥を抱かせていた。


「んん~……クレスお兄さんってば、少ぉし苛ついているのかしらぁ? ねぇ?」

「時間の問題じゃないかね? 僕も心配はいらないと思うんだ。それはクレストフ君もわかっているはずだよ。それでも心配せずにはいられないものさ。友人の安否というものは」

 メルヴィとムンディ教授の二人は俺に聞こえないように小声で話しているようだったが、あいにくとただ何もしないで待機している身としては、他に意識をやることもなく二人の会話へと自然に耳を傾けてしまう。

「ムンディ教授は~、ミラおば様の心配しているのかしらぁ?」

「はっ! あの妖怪婆を心配する必要なんてそれこそないよ。僕はメグ君が怪我していないか、それだけが心配かな。彼女は結構、無理をするから」

「皆さん、ご無事だといいのですが……」

 ヨモサは心から案じている様子がうかがえるが、メルヴィやムンディ教授はどこか冷静に突き放した印象がある。しかしそれは仲間への思いやりが欠けているわけでもなく、かといって絶対の信頼をもっての態度とも違った。

 達観であろう。かつては俺も似たような心境で宝石の丘を目指していた。


 メルヴィは己の半身ともいえる姉メルヴィオーサの死を経験して、ムンディ教授は長い年月の経験から、親しい者達の危機にも心を揺らすことがないのだろう。一方で俺は、失くすことの恐怖を覚えてしまったがゆえに冷静でいることができなくなっていた。

(……まったく我ながら情けない。こうも自制が利かなくなるとは……)

 風来の才媛が遅刻してくることなど毎度のことだった。なのに、どうしても――。

「あ、無事だったみたい。まだ遠いけど、凄い力強い闘気の波動が伝わってくる。きっと、ゴルディアだね」

 俺の内心の焦りなど知らないレリィが、あっさりとその不安を払拭する。まだ視認できる位置にはいないが、どうやら風来達は魔導推進船でこちらへ向かってきているらしい。



 それから半刻ほどして、ようやく風来の才媛達が俺達の元へと合流した。

「遅い! 何を遊んでいたんだ!」

「まあまあ、そう怒らないでくれないか。これでも急いで来たんだよ。ああ、まあ、少しばかりゴルディアが騎士道精神を発揮して、戦闘に時間をかけたのはいなめないがね。それも必要なことさ」

「ゴルディアが? 相手は何だった? ただの魔獣ではなかったのか?」

「姿は怪物なれども、あれは確かに騎士だった。雑に切り捨てるには惜しいほどに」

 厳つい顔を渋く歪めて、ゴルディアが感傷めいた言葉を呟く。その様子が気になった俺は、ミラ達が遭遇したという溶岩人形ラーバ・ゴーレムについて詳しく聞いたのだが、これといって俺の記憶に該当する騎士は思い浮かばなかった。この魔窟は必ずしも俺に関わりのある存在だけを現出させているわけではないのだろう。


「それで。ここはもう次の階層に入っているのかな? 階層に区切りをつけるとすれば第十二階層といったところだと思うのだけど」

 話は終わりとばかりに、次の階層へと興味を移した風来の才媛が好奇心も隠さぬ様子で周囲を見回している。冷え固まった溶岩地形を歩き続ければ、徐々にその環境にも変化が見られるようになっていた。ただひたすら黒いばかりであった大地に、ちらほらと透明な石の塊が混じり始めている。最初は豆粒程度であったそれらの結晶は、進むにつれて大きさを増していた。

 黒々とした母岩から結晶質の巨大な方解石が生えている。結晶はまるで石工が切り出したかのように美しく整った平行四辺形をしていた。方解石が映し出す屈折した光の中に、ちらちらと足元を走り抜ける地の精ノームの姿が映る。しばらく姿を見ないと思っていたが、ちゃっかりと俺達の後をついてきていたようだ。


「ここは……見覚えがあるな」

「昔の洞窟にもあったってこと?」

「そうだ。ここは、幻想種の無限召喚を行う陣が敷かれていた場所と似た風景――」

 レリィに答えを返して、第十二階層へ足を踏み入れると同時。辺りの方解石が仄かに光ると、一斉に周囲で靄が発生する。背筋に走る悪寒と、意思を持ったように動く色取り取りの靄とくれば幻想種に違いない。


「幻想種だ!! レリィとゴルディアは闘気で追い払え! メグは浄化の炎を! ヨモサはメグの近くに居ろ!」

 いまだ敵意は見えず漂うばかりの靄だが、俺達は直ちに臨戦態勢へと移行する。襲い掛かられた後では遅いのだ。幻想種が蔓延する領域では抵抗力の弱い者から拐われてしまう。この中ではヨモサが一番危ないので、幻想種に対して効果的な術式を使えるメグの傍が一番安全だ。


「ふっふーん! どうやら私が大活躍する場面がきたようなのです! 卑しき魔窟の亡霊共なんて、悪魔祓いのメグ様にかかれば蝋燭の火を吹き消すが如く、簡単に消し去ってやるのですよ!」

 自分の得意分野ときて俄然やる気を出し始めるメグ。口調は軽いが、台詞に込められた自信は本物だ。素早く意識を集中して、幻想種共を焼き払う浄化の炎を召喚する。

『――異界座標、煉獄より我は喚びこむ。あらゆる亡者を灰と化すもの。魔に魅入られし、悪しき獣を焼き滅ぼし給え……』

 メグが握る戦棍の先端を起点に独特の魔力が収束していく。召喚の前兆たる黄色い光の粒が舞い踊り、戦棍の先から眩い炎が吹き上がった。

『煉獄浄火!!』

 頭上を越えて四方へ広がった輝かしい炎が周囲に漂う黒い靄を焼き払って、人畜無害な灰色の煙と化す。低級の幻想種は煉獄浄火の術式で一瞬にして蒸発していた。一方で赤や青、黄や緑の色鮮やかな靄は距離を取るように引いたものの消滅してはいなかった。煉獄浄火が収まるや引いては寄せる波のように、色鮮やかな幻想種達がすぐさま押し寄せてくる。


(――世界座標、『聖者の蔵』より我が手元へ――)

 幻想種が押し寄せる中、メグの術式への集中はまだ途切れていなかった。これほどの場面で冷静に術式を構築できるというのは大した胆力である。

『聖なる篝火をここに! 我らの道を照らしたまえ!!』

 最初にメグの戦棍に火が灯り、続いてヨモサのツルハシ、レリィの真鉄杖、ゴルディアの大剣に浄化の炎が宿った。聖霊教会に伝わる悪魔祓いの奇跡は信仰心に乏しい者達にも分け隔てなく与えられていた。

「人を異界へ誘う悪魔よ、浄化の炎に焼かれて滅び去れ!!」

 押し寄せてきた幻想種達は浄化の炎を宿したメグの戦棍によって容易に吹き散らされる。それを見たレリィ達も武器を振るうと、炎のわずか末端が靄に触れただけで幻想種達は次々と焼き払われて消滅していく。これは予想以上の大した威力である。


「でかした! メグ! あとで特別報酬、金貨二枚くれてやる!」

「ふぇえええっ!? マジですか!? クレストフお兄様、それマジで言ってますぅ!?  金貨!? それも二枚!! そんなこと言われたら、メグもっと頑張っちゃいますよぉ!」

 とりあえずメグは金で釣っておけばいい働きをしてくれるだろう。だが、メグに頼りっぱなしというわけにもいかない。俺は俺で幻想種に対抗するべく術式を込めた、苦礬柘榴石パイロープの魔蔵結晶を発動させる。


(――異界座標、『煉獄』に指定完了――)

『異界より来る理を、異界へと戻せ……。因子還元いんしかんげん祓霊浄火ふつれいじょうか!!』

 血のように赤い苦礬柘榴石パイロープの魔蔵結晶から、湧き立つように激しく踊る浄化の炎が生み出される。異界の存在である幻想種だけを焼き滅ぼす炎が、俺達の足元を滑るように広がっていき、方解石の陰に隠れていた幻想種もまとめて次々に焼き払っていった。継続的に生み出される浄化の炎は幻想種を俺達に近づけることなく、進むべき道を炎のしるべで示してくれる。

「いいね。うん、いい! これだけの幻想種をものともしない戦力が集まっているのは実に爽快な気分だよ」

 ピュウッ! と、風来の才媛が口笛を鳴らして囃し立てる。


「ねえ、クレス? 調子よく焼き払うのはいいけど……地の精ノームまで焼いちゃってない?」

 レリィの指摘に一瞬俺は硬直した。素早く視線だけを左右に動かして地面を見れば、数匹のノームが仰向けにひっくり返って焦げていた。

「まあ……必要な犠牲というのはあるもんだ」

「クレストフ君……。彼らのことを忘れていたんだね……」

「相変わらず情け容赦ないわね、クレストフの坊やは」

 さすがに申し訳なくなって、早々に祓霊浄火の術式を引っ込める。それでもかなり広範囲に焼き払えたので、後はメグの術式で武器に聖火を灯して戦えばいい。あの術式は便利だ。聖霊教会の秘奥の術式だろうとは思うが、金を積んででも何とか手に入れたい。せめて浄化の炎を武器にまとわせて留める仕組みだけわかれば、後は俺独自の改良で使えるものになるだろう。

 俺はそんな打算的なことを考えながらも、幻想種に有効な術式を放っては次々に奴らを滅ぼしていく。


 一度は派手に焼き払われ、数を減らした幻想種の群れであったが、しばらく経つと周囲から湧き出すように増えてきて俺達は再び蠢く靄に取り囲まれる。

「あら? どうも幻想種達を刺激してしまったみたいだけど。これ、どうにかできるのかしら?」

「クレストフ君。これは発生の根源を絶たなければダメそうだよ。これだけの幻想種が発生するには、中核となるものが必ずあるはずだ。それを破壊しよう」

 ミラとムンディが揃って現状の不安を指摘する。この二人が苦言を呈するということは、今の状況がよろしくないことは疑いようもない。

「風来、幻想種の発生源になっている中核の場所はわかるか?」

「探せと言われれば探し出してみせるよ。そういうのは私の仕事だからね」

 姿勢よく胸を張り、自信満々に言ってのける風来の才媛。この様子ならば任せてしまって問題ないだろう。


 風来は手足をすらりと伸ばして術式発動の為に意識を集中させている。意識集中に入った風来を守るようにゴルディアが周囲の幻想種を払い除ける。

 右手の指先を胸に当て、爪に刻まれた魔導回路が淡く光り輝き、風来の術式が発動した。

(――臓腑を掴む音を返せ――)

透振探査とうしんたんさ!!』

 彼女にとっては標準的な探査術式だが、この場にある幻想種の発生源たる中核を探し出すには充分だった。人の体も、方解石の結晶も容易に突き抜けて、跳ね返ってくる振動から違和感を探り当てる。

「近いね。すぐそこだ」

 風来の才媛が指し示したのは、無数の方解石の結晶に埋もれた一画。似たような風景ばかりが広がるこの場所では、探索術士がいなければいつまでも気が付かなかったかもしれない。


「さすがに見つけるのが早いな。俺の術式じゃ、こうはいかないが」

「そこはまあ、私の得意分野だからね。君がなんでもできてしまったら、私の立つ瀬がないよ」

 魔導因子の流れであらゆる物質を透視する俺の術式『天の慧眼』はかなり万能感のある探査術式なのだが、あらゆる構築物が高密度の魔導因子で構成された魔窟の中では見通しが酷く悪くなる。そんな中でも広範囲を一瞬で探査し、異質なものを見分けることができる風来の能力は重宝する。

「さて、幻想種を生み出す中核は見つけられたわけだが……。ここで詰めを誤るわけにはいかないな。レリィ、警戒しながら俺についてこい。俺が指示をするまで手は出すなよ」

「うん。慎重にいこう。ここまで思ったほどの抵抗がないのも気味が悪いよ」

 レリィが言うように、幻想種達は俺達の周囲を囲んでいる以外には散発的にちょっかいをかけてくる程度で、メグが浄化の炎をちらつかせればそれだけで引いてしまうほど押しは弱い。この深い階層へ来て、この程度の抵抗。その手応えのなさが逆に不気味ではあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る