第332話 溶岩人形

 流れの緩やかになった沸騰大河。その川には溶岩が流れ込んでおり、あちこちで小規模の水蒸気爆発が起こっている。あれほどの大きな川が沸騰していたのは、ここのように地下水と溶岩が混じり合っていたからなのだろう。

 熱気はそれまでの比ではなく、魔導推進船の甲板からも足の裏に熱が伝わってくるほどだった。

「お兄さ~ん……。ちょっと暑すぎるわー。どうにかならないかしらぁ?」

 わざとらしく胸元をはだけさせたメルヴィが、操舵する俺の隣ではぁはぁと荒い呼吸を繰り返している。演技なのか、それとも本当に暑くてそうなっているのか。正直なところ本気で暑いのではないかと思わせるほどには、周囲の熱気が尋常ではなかった。このままだと肺が焼けてしまいそうである。


「確かにこの熱気はまずいな。魔導推進船の冷却機能を使うか……。ヨモサ、機関室に行って冷却機の出力を上げて来てくれ。エネルギー源になっている精霊機関だけで足りなければ、備え付けの魔蔵結晶を補助の動力炉に入れるんだ。虹色水晶オーラクリスタルが保管庫にたくさんあるから、そいつを五個くらい使えばしばらく持つだろう」

「わかりました。教えられた通りにしますね」

 魔導推進船に乗り込む前に、ヨモサに船の設備の説明をしておいてよかった。俺は相変わらず手が離せない状態で、ムンディ教授には周囲の警戒を続けてもらいながら、レリィとメルヴィも船の護衛として常に甲板上に待機していてもらいたい。ここでヨモサが動いてくれるのは助かる。


「ムンディ教授。ミラ達にも船の冷却機能を出力上げるように伝えてもらえますか。あちらはメグにやり方を教えてあるので」

「ああ、構わないよ。僕が連絡しておこう」

 ムンディ教授も術士として経験豊富なので、こういうちょっとした連絡手段用の術式なども扱える。その点は心配いらないのだが、メグがちゃんと冷却機能を扱えるかが少々不安だった。教えたときは自信満々に胸を叩いていたので大丈夫だと信じたいが。

「まあ……どうにもならないときは、ミラか風来がどうにかするだろう……」

 あの連中ならどうとでもやり方を見つけて、この灼熱の環境も乗り越えられるに違いない。


◇◆◇◆◇◆◇◆ 


 ムンディ教授から連絡を受けたミラは魔導推進船を操舵しながら、メグに冷却機の出力を上げるよう指示を出していた。

「問題ないわよね? メグ、あなたに任せるからね」

「大丈夫なのですー。こう見えて施設の冷暖房に使われる魔導具とかは、教会でもよく扱っていたのですよぉ」

 普段の言動から幼さが見えるメグであったが、これがかなりの苦労人のようで細かな雑用は意外と得意な様子であった。手慣れた感じで冷却機の調整に取り掛かるメグを見て、ミラはひとまずの安心感を得た。


「それにしても溶岩地帯を船で行くことになるとはね。クレストフの旅はいつも刺激に満ちているよ」

 周囲に広がる地獄の如き光景にもまったく怯むことのない『風来』は、まるで優雅なクルージングを楽しむような態度で甲板の上に立っていた。その隣には金剛鉄の全身鎧フルアーマーに身を包んだゴルディアが無言で直立している。何かあればすぐさま『風来』を守れる位置に待機し、さりげなく全周囲にも異常がないか気を配っている。

 広範囲の索敵については『風来』が探査術式で常時警戒をしているのだが、それに頼りきりにならない姿勢は立派なものだ。

(この布陣であれば、こちらの船は何があっても沈むことはなさそうなのだわ。まあ、クレストフの坊やがいるあちらの船も心配することはないと思うけれど)

 思えば以前に宝石の丘ジュエルズヒルズを目指したときの人員は、数こそ多かったものの玉石混交で不安定なものだった。互いの連係も拙く多大な犠牲が出てしまった。今回の旅ではクレストフも前回の失敗を反省したのか少数精鋭で挑んでいる。危うい場面もあったが、ここまで犠牲を出さずにやって来られたのは精鋭を集めた判断が正しかったといえる。


 溶岩地帯という生物の生存を拒む環境においても、二隻の魔導船は穏やかなほどの順調な航行を続けていた。このまま何事もなく通り抜けられれば……と、ミラが淡い希望を抱いた時、それまでのんびりしていた『風来』と直立不動でいた騎士ゴルディアが同時に動いた。

「来るべきものが来たかな。やはりここは魔窟ダンジョンだね。どんな階層にも行く手を阻む敵は存在するものだ」

「正面から近づいてきているな。魔獣にしては妙な気配が混じっている」

 粘性の高い溶岩流を航行する魔導船の進行速度は大河を渡ってきたときよりもずっとゆっくりだ。だからこそ、操舵に集中していたミラにも前方に出現した敵の存在がはっきりと見て取れた。


 溶岩流の中から盛り上がってくる小さな山。赤々と光る溶岩を掻き分けて赤熱した岩の腕が伸びてくる。所々に頭を出す尖った岩礁に手をかけると、それは自身の体を引き上げて真っ赤に焼けた足で岩礁を踏みしめる。その姿を見て、思わずミラの口から本音がこぼれた。

「あらま、珍しい。溶岩人形ラーバ・ゴーレムだわ」

 溶岩地帯から這い上がってきたのは溶岩の体を持った人型魔獣、『溶岩人形ラーバ・ゴーレム』だった。

「ふぅん? しかし、珍しいのはそれだけでもないようだね?」

「そのようだ。あれはまるで……騎士だな」

 ただでさえ珍しい溶岩人形ラーバ・ゴーレム。それがどういう趣向なのか剣を片手にぶら下げていた。よく見れば半ば溶岩と融合した鎧のようなもので全身も覆われている。だが、ゴルディアが騎士と評したのはそれだけが理由ではない。その溶岩人形からは赤熱した溶岩の光以外に、ゆらゆらと山吹色の光の帯が立ち昇っているのだ。


「まさか……あれは闘気、ではないのかしら?」

「まさしく。闘気に間違いないだろう」

 半信半疑のミラの言葉にゴルディアは断定で返した。それは間違いなく闘気であると。人間の騎士にしか発現することのないとされる闘気を溶岩人形ラーバ・ゴーレムがまとっている。なんとも信じ難いことであった。

「こんなことがありうるというの? 長く生きてきた私でも、魔窟ダンジョンの魔獣が闘気を宿すなんて見たことも聞いたこともないわ」

「だが、目の前のものが事実なのだろうね。そういう存在を生み出してしまうのが、この魔窟『底なしの洞窟』の特異性というわけだ」

 風来の才媛にしても初めて出会った異質な存在だ。全周囲を溶岩に囲まれた危険地帯で未知の敵との遭遇。


「やれそうかい、ゴルディア?」

「足場さえあれば」

「なら舞台を用意しようか。ミラ、船を停泊してくれるかな。この場で決着をつける」

 風来とゴルディアは勝手に話を進めるとミラに停船の指示を出す。

「クレストフの坊や達と離れてしまうわよ?」

「問題ないよ。どれだけ離れようと私なら追跡できる」

「まあ、そういうことならいいけれど。止めるわ」

 ゆっくりと速度を落として魔導推進船が停止する。


「ほぁー? どうしたのですー? 機関の不具合ですかぁ?」

 船の冷却機を調整していたメグが甲板下の階段からひょっこりと顔を出した。そして、溶岩地帯を歩いてこちらに向かってくる溶岩人形ラーバ・ゴーレムを見つけて「げぇっ!?」と下品な呻き声を上げる。

「この魔窟は本当に、どうなってるですか~……。溶岩の中で活動できる魔獣とか、非常識にもほどがあるのですぅー。それにしても人型ですけどぉ、まさか魔人とかじゃないですよね~?」

「さて、それはどうかな。まだわからないよ」

 そう言いながらも風来の才媛に切羽詰まった様子はない。あの溶岩人形ラーバ・ゴーレムは闘気をまとっている。生半可な魔獣などより遥かに強いことは想像できた。しかし、相手が真の魔人か超越種ならさすがの風来でもここまで余裕ではいられないだろう。


 風来の才媛が胸に手を添える。脳から発生した魔導因子を心臓の導通経路パスへ通して加速し、意識を集中させて爪に刻まれた魔導回路へ流し込む。

(――世界座標『風吠かざぼえの洞穴』より、我が呼びかけに応えよ――嵐神ルドラ、汝が力の一端を――原初の宿命に従いここに示せ――!)

『目覚めし嵐神ルドラ。凍れる息吹をここに!』

 ぞくりと、その場にいた誰もが感じるほどの寒気が、魔導船の前方にあった溶岩地帯をごっそりと吹き飛ばしたうえで溶岩の川を凍り付かせる。その威力は、こちらへと向かってきていた溶岩人形ラーバ・ゴーレムをそのまま滅ぼしてしまったのではないかと思うほどに強力なものだった。あるいはそれで片付くなら幸運とばかりに放った術式だったのかもしれない。

 だが、溶岩人形は健在だった。冷え固まった溶岩が折り重なった小山の上に、相も変わらず赤熱した体を堂々と晒していた。その威容はまるで、凍てつく吹雪でも己を凍り付かせることはできないと顕示するかのようである。

 溶岩人形が携えた剣は半ば垂れ落ちる溶岩に包まれ赤熱していた。だからといって見た目通りの柔らかい剣というわけでもないだろう。呪術的な炎熱と闘気によって補強された武器だ。正面から切り結べば、並みの剣士では焼き切られるのが目に見えている。


 風来が作り出した足場にゴルディアが無言で降り立つ。全身から滲み出すように金色の闘気が立ち昇っていた。それに対抗するかのように溶岩人形の体からも山吹色の闘気が噴き出す。こちらは打って変わって火山活動の如く激しい闘気だった。

「その激しい闘気……生前はよほど腕の立つ騎士であったか? いかなる成れの果てかは知らぬが、貴殿を一人の騎士として認め相対あいたいするとしよう。我が名は騎士ゴルディア!! 汝に騎士の誇りが残るならば、名乗りを上げてかかってくるがいい!!」

 会話など通じるはずもない。それをわかったうえでのゴルディアの口上であったが、これに溶岩人形は劇的な反応を示して返した。


 ――ヴォオオオオオッ!!


 一際大きく山吹色の闘気が噴出し、溶岩人形が大気を震わすほどの咆哮を轟かせたのである。ゴルディアはこれを騎士の名乗りと感じ取り、剣を抜いた。

「いざ、勝負!!」

 ゴルディアが黄金色に輝く剣を構えて一歩を踏み出せば、遅れることなく溶岩人形もまた重々しい脚を踏み出し、溶岩のまとわりついた大剣を振りかぶりながら突撃を開始した。右の腕を大きく引いて、互いに間合いの外から横薙ぎに剣を振るう。遥か間合いの外と思われた互いの一撃は、打ち合う寸前の踏み込み一歩で瞬時に距離を詰め激突する。

 金色の闘気と山吹色の闘気がぶつかり合い、後から続く溶岩の破片と熱波がゴルディアを襲った。

ぁ――っ!!」

 押し寄せる熱波をゴルディアの全身から放たれた闘気が押し返す。互いの一撃に大きく弾かれ後退した二人は、すぐさま剣を振りかぶり次の攻撃動作へと移っていた。溶岩人形は頭上高く剣を掲げ、赤く光り輝く溶岩の剣を大上段から振り下ろす。ゴルディアはこれを迎え撃つように腰下から掬い上げる軌道で黄金の剣を振りぬいた。

 剣と剣の衝突が火の粉を撒き散らす爆風を生んだ。およそ剣同士の斬り合いとは思えない力と熱と質量のせめぎ合いがそこにはあった。


 一撃一撃が相手を叩き潰し、消し飛ばさんとする必殺の攻撃。打ち合っては弾かれ、間髪入れずに踏み出し斬りかかる。互いの攻撃の威力を把握し始めたか、溶岩人形は一撃を弾かれても大きく後退することなく、見た目にそぐわない柔軟な動きで体を捻り、剣を連続して切り返しゴルディアを攻め立てる。対するゴルディアもまた防戦に回るようなことはなく、しっかりと勢いを乗せた剣撃でこれに対抗していた。

 二人の剣が打ち合えば衝撃波が辺りに走り、冷え固まった足場の外で流れる溶岩が波打ち、火炎を噴き出す。


「敵もやるものだわ。本当に生前は名のある騎士だったりするのかしら?」

「さて、どうだろうね。ゴーレムに生前があったかどうかは疑わしいが、なんとも騎士らしい戦い方じゃないか」

「暑苦しい戦いなのですう。ふあ~……さっさと終わらせてくれませんかねえ。溶岩地帯で足止めなんて生きた心地がしないのですよ~」

「はははっ! まあ、暑苦しいのは否定できないな!」

 口の悪いメグのぼやきを『風来』は軽く笑って肯定する。周囲の気温は暑苦しいの一言で済ませられるほど生易しい熱気ではない。肺を焼くように熱い空気の中で騎士ゴルディアは戦い、ミラ達は流れる溶岩の上で船を停泊しながらそれを観戦していた。

「加勢はしなくていいの?」

「騎士同士の戦いだ。私達が水を差すべきじゃないよ。それに、もうまもなく決着はつく」

 ミラの問いに風来はしごく落ち着いた口調で答えた。そこには騎士ゴルディアへの絶対的な信頼が見える。


 剣撃と闘気のぶつかり合い。その果ての両者の姿には大きな差があった。溶岩人形は割れ砕けた鎧の隙間から残り火のように山吹色の闘気を漏らし、体のあちこちから血のように赤い溶岩を垂れ流していた。

 かたやゴルディアは全身に漲らせた金色の闘気に些かの揺らぎもなく、戦いの始まったときとまるで変わらぬ姿であった。

「騎士に足る見事な剣技に敬意を――」

 大剣を正眼の位置に構えたゴルディアがここ一番の強さで闘気を漲らせる。溶岩人形もまた罅の入った赤い剣を真っ直ぐに構えた。ほぼ同時に地を蹴り、小細工なしで両者は真正面から激突して渾身の一撃を交わす。


 一条の烈光が走り抜け、真っ赤な炎が花の如く咲いた。光の走り抜けた後にはばらばらに砕けた溶岩の欠片と無数の火の粉が舞い散る。

 第十一階層の階層主ボス、『溶岩人形ラーバ・ゴーレム』は騎士ゴルディアによって撃破され、赤黒く光る溶岩に変じて溶け消えた。

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