第331話 第十一階層『沸騰大河』

 温泉を満喫して十分な休息を取った俺達は、魔窟の下層を目指す準備として互いの装備や戦闘方法について確認していた。そんな中、風来の才媛がふと思い出したかのように話し出す。

「そういえば魔窟に入る前に、冒険者組合から君に伝言を頼まれていたよ。ばたばたしていて、すっかり忘れていたけれど」

「そういう重要なことは早く言え」

「大層な話じゃないよ。君、魔窟に潜り続けてしばらく地上に戻っていないだろう。そのくせ換金のために魔核結晶だけは送還術でギルドに送り付けられてきて、何がどうなっているのか混乱している様子だったね」


 魔窟で手に入れた魔石や素材の類をいつまでも抱えて歩くのは面倒なので、送還術で飛ばして黒猫商会のチキータに預けていたのだ。魔石に関してはギルドに届けるよう依頼もしていたのだが、何の魔獣を倒して手に入れたとか詳しい情報は与えていない。もしかするとそれで評価を巡って、混乱が起きたのかもしれない。

「手紙を送還術で送るのでも構わないから、魔窟のどこまで潜ったのか連絡をくれとさ。ちなみに今の君たちの冒険者レベルは60だそうだ。レベルアップおめでとう。君たちはB級冒険者なんだって? すごいじゃないか」

「からかっているのか? 一級術士の俺が今更、冒険者の枠で評価されてどうなるんだ」

「ははは……それもそうだ!」


 冒険者組合のことは後で適当な手紙でも送っておけばいいだろう。元より報告の義務などない。詳細を省いた内容でも十分なはずだ。

「そんなことよりもこの先の魔窟のことだ。次はまた何が待ち構えているか……」

「それは君がある程度、予測を付けているのではないのかい?」

「以前までの洞窟だったらな。今は予想もつかないものが飛び出してくると考えなければ足元をすくわれる。それこそ探索術士のお前に、先の道の索敵を任せたいところなんだが?」

「まあ、私も一応は危険が近づいていないか探索の手は常に広げているよ。しかし、前情報はあった方がいい」

 風来の才媛はそう言うが、俺としては少し違う考えを持っていた。

「俺としては下手な先入観を持たない方がいいと思うけどな。正直に言ってここまで予測を裏切られることばかりだ」

「ふむふむ。そういうことなら仕方ないか。ここは君の直感を信じよう。ところで……レリィ君が何かを発見した様子だよ」


 風来に促されて前方をよく見れば、先行していたレリィが大きく手を振っている。あの様子ならば危険はなさそうだが、何か行く手を阻むような問題があったのかもしれない。

「あー……クレス。ここはどう見ても、この『川』を渡らないといけないみたいなんだけど」

「この『川』か」

 この辺りは地底湖などがあるように水場が多い。大きな地下河川も流れている。なので川に行く手を阻まれることは想定の範囲内ではあったのだが……。

「この川、煮えたぎっていますけど……」

「う~ん……。近くに温泉もあったからその影響かしらぁ」

「冷たい水よりは温かいお湯の方が――っあ!? 熱い! 熱いのです!! こんなところに間違って落ちたら、大火傷してしまうのです!!」

 ヨモサとメルヴィが湯気の立つ川面を覗き込み、横から手を出したメグが川を流れる湯の熱さに飛び跳ねる。

 確かに温泉があったことからも予想してしかるべきだったかもしれない。煮えたぎる高温の河川というものの存在に。


「これは早くも難題だが、どうするね?」

「小型の魔導推進船でも召喚してそれで行くか。一隻で全員が乗り切るような大きさだと座礁しそうだ。二組に分けよう。ミラ! 魔導推進船の操舵を任せられるか?」

「なんてことないわよ。魔導人形を操るのに比べたらね」

 操舵は俺とミラがそれぞれ受け持つとして、船上で何か危険に遭遇したときに対処できるよう戦力の振り分けはよく考えないといけない。

 早速、小型の魔導推進船を二隻召喚すると乗り込む人間を分けていく。


「俺の方にはレリィとメルヴィ、それからヨモサとムンディ教授に乗ってもらおう。ミラの方には風来とゴルディア、それとメグだ」

 近接攻撃と遠距離攻撃の両方に対応できるよう船の人員は振り分けた。ヨモサは戦力としてはあてにしていない。その代わり、魔導推進船の細かい機能などを教えて、いざというときに船の設備を使えるようにしておいてもらう。

 またムンディ教授には、ヨモサやメルヴィといった近接戦闘が苦手な二人が怪我をした時の保険として回復役を期待している。

 船の操舵に集中するため、俺やミラは魔獣が襲ってきても対処が難しい。他の人間で対処しなければならないが、レリィとメルヴィ、風来とゴルディアがそれぞれの船にいれば遠近どちらも対処可能だろう。メグはおまけだ。


 小型ではあるが安定感抜群の構造をした魔導推進船を二隻、川岸に召喚術で呼び出す。小型船と言っても甲板の下にしっかりした船室が設けられており、少々の荒波では転覆などしない大きさの船である。座礁に気を付ける必要はあるが、適当な場所に停泊さえできれば船の中で落ち着いて寝泊まりもできる。

「準備はいいな? レリィ、ゴルディア、船を押し出してくれ。行くぞ!」

 レリィとゴルディアがそれぞれの乗り込む船を川面へと一気に押し出すと、水上へと漕ぎ出した船へ後から飛び乗る。勢いよく飛び出した二隻の魔導推進船はすぐさま水の流れに乗り、沸騰する大河を走りだした。

「ミラ! しばらくは流れに任せて舵取りにだけ集中だ! 船同士の距離は付かず離れず一定の距離を保ってくれ!」

「言われなくてもわかっているのよ!」

 ごうごうと音を立てて流れる大河の上で、船同士が衝突しない距離を保ちながらお互いに会話を交わすには、よほど声を張り上げなければいけなかった。遠距離通話用の術式でも先に使っておけばよかったかと後悔したものの、もはや流れる川の上で操舵中となれば後戻りはできない。


 船室へと降りる階段の辺りから恐る恐る顔を覗かせているヨモサ、その近くで手すりに腰かけながらどこか遠くを眺めているメルヴィ、油断なく後方の警戒にあたるレリィ、さりげなく全周囲に注意を払うムンディ教授。

 それぞれの定位置と役割が固まった様子で、俺も操舵が安定して余裕が出てくると、周りの状況に細かく意識が向けられるようになった。ふと耳に飛び込んでくる音へと意識がいく。水の流れとは別にブクブクと弾けるような音が聞こえてくる。もうもうと湯気を立てて煮え立つ沸騰大河。前方は魔導推進船の照明に照らされているが、見えるのは高い岩の天井と所々が湯気に覆われた水の流れのみ。

 どこか現実離れした光景でありながらも、あまりに変化のない景色がいつまでも続くと、いつしかここが魔窟であることを忘れてしまいそうになる。


 だが、ここは確かに魔窟だ。順調な船旅が期待できるなどと思えるはずもない。

「クレス!! 水面! 何か見えるよ!」

 そら来た。と、俺は思わず溜め息を吐いた。この魔窟に入ってからというもの理不尽な展開には慣れた。一息つく暇も与えずに敵が現れるのは当然のように予想されたことであろう。

 ちらりと横目で水面を見ると、煮沸する水の中をゆらゆらと左右に揺れながら魔導推進船と並走している影が見えた。魚影か? 何かの生き物であることは間違いないのだが、こんな熱湯の中を平気で泳ぐ生物など、まともなものであるはずがない。

「おそらく魔獣だ! 船の底板を撃ち抜くような攻撃はないと思うが、甲板に飛び込んでくるかもしれない! 警戒しろ!」

 俺が警告を発した直後、ざぁっ!! と水しぶきを上げて巨大な影が水上に飛び出してくる。流線形のシルエットでびちびちと尾を左右に揺らす姿はまさしく魚であったが、その大きさは両腕を広げた幅ほどもあり、何よりそいつの体表は鱗というよりも荒れた岩肌のようで、化石となった魚がそのまま動き出したかのような姿であった。

「あの姿──甲骨鎧鮫コッコステウスの魔獣か!?」


 甲板に立っていたレリィへめがけて、飛び上がった勢いのまま鋭い牙の並んだ顎を開いて魔獣化した甲骨鎧鮫コッコステウスが襲い掛かってくる。

「船に乗り込んで来るなーっ!!」

 闘気を込めた真鉄杖で襲い来る甲骨鎧鮫を殴り飛ばし、再び煮沸する川へと叩き込む。殴打の衝撃で甲骨鎧鮫の身はバラバラに砕け散り、散乱した肉片を川面に降らしながら黒い霧となって消滅していった。一緒に魔石らしき、青緑色に煌めく魔核結晶が水中に落ちていくのが見えた。もったいないが回収はできないだろう。見たところ質は高そうだが小さい魔石だ。無理に手に入れることもない。

(……それに、すぐにそんなことを気にしていられる状況でもなくなる……)

 今のが甲骨鎧鮫の魔獣であるなら、これで終わるはずがない。おそらくは――。

「ちょっと、ちょっとぉ~。なんだか水面にい~っぱい魚影が見えるんだけどぉ……。もしかしてあれ全部、魔獣なのかしらぁ?」

 メルヴィのうんざりとしたような声が聞こえてくる。俺も魔導船を操作しながらチラチラと様子は見ていた。水面を埋め尽くすほどの魚影が魔導推進船の周囲にまとわりついていた。

「メルヴィ!! 奴らが水中にいる間にできるだけ数を減らせ!! 氷系統の術式で水ごと凍り付かせろ!! 今すぐに!!」


 俺の言葉に待っていましたとばかり、メルヴィが可愛らしい装飾の付いた紫檀の杖を頭上に掲げた。既に杖の先端の宝石に魔導因子が収束しており、いつでも術式を放てる状況にあった。

(――世界座標『大寒地獄』より召喚――)

『命よ凍れ! 白魔の息吹!』

 強烈な凍気がメルヴィの杖の先端から吹き荒れ、沸騰した大河に蓋をするように船の後方に広がる水面を凍らせていく。煮沸する水の流れは後から後から流れてきて凍り付いた水面を即座に溶かしてくるが、メルヴィの氷結呪法も凄まじい冷却出力で氷塊を生み出し、後方から迫ってきていた甲骨鎧鮫の群れを氷の枷に閉じ込めて身動きを封じる。それでも、しばらく川面に氷と一緒に浮いていたかと思えば、身を捩って溶けかかった氷を弾き飛ばしながら猛烈な勢いで魔導船を追撃してくる。

「クレスお兄さーん!! こんな沸騰したお湯に氷系統の術式を当てても効果は薄いわよぉ!? ちょっとした時間稼ぎにしかならないんだから! どうするのぉ! 氷より、炎系統の方が良くないかしらぁ!?」

 たぶんそれも同じ程度か、あるいはそれ以下の効果しか見込めないだろう。沸騰していてもあれだけ大量の水だ。炎系統の術式など川の温度を多少上げる程度の効果しかない。それならばまだ、一時でも魔獣の動きを封じることのできる氷系統の術式の方がましだ。しかし、贅沢を言うならば……。


「メルヴィ! 爆発系統の構成術式は可能か!? ミラ達を巻き込まない範囲で盛大にやってくれていいぞ!」

「無茶言うわぁ~。やるだけやってみるけどぉ、爆発力だって水中にまで大して届かないわよぉ~」

 俺とメルヴィがやり取りしている間にも、散発的に甲骨鎧鮫が船の甲板めがけて飛び込んできている。ことごとくをレリィが真鉄杖を振るって弾き返しているが、こうも数が多くては甲板に上がってくる個体も出てくるだろう。魔導船の操舵に集中している俺の背後にでも近づかれたら厄介だ。ここはメルヴィの広範囲攻勢術式でどうにかしてもらわないといけない。

(――ミラの方はどうだ?)

 大河の少し離れた場所ではミラ達の魔導船が遅れずに付いてきていた。時折、閃光が迸って川面を引き裂き、爆風のような圧縮空気の弾丸が水を突き抜けて甲骨鎧鮫の群れを蹴散らしていた。まったく危なげなく航行を続けており、こちらの船よりも幾分か余裕さえあるようだ。あちらを心配する必要はなさそうだった。


「それじゃぁ~、おっきいのいくわよぉーっ!!」

 メルヴィが杖に意識を集中して、太腿に刻まれた魔導回路が強く赤色に発光する。強力な攻勢術式を練り上げているらしく、メルヴィの体から尋常でない魔力の波動が伝わってくる。


(――世界座標『溶岩海溝マグマオーシャン』より召喚――)

『ガイアの鮮血!!』

 大河の水面付近、湯気の煙る空間へ無数の光の粒が発生し、後に続いて赤く鈍い光がふつふつと空中に湧き出してくる。

 溶岩海溝から召喚される融けた岩石が、大波となって沸騰大河に覆いかぶさった。

 全力で大量の溶岩を空中召喚したメルヴィ。その真意を悟って俺は背筋に冷や汗が流れた。確かに盛大にやれと言ったがそう来たか。

「全員、伏せて船にしがみつけ!!」

 俺もまた手近の柵に腕を絡めて体を固定する。次の瞬間、船の後方で大量の水が一気に弾け飛んだ。水蒸気爆発だ。既に沸騰している大河の水であるが、より高温の溶岩と混じり合えば劇的な反応は必然。

 轟音と爆圧が魔導推進船を襲うなか、俺は船が転覆しないよう必死に平衡を保つための操舵を行っていた。荒れ狂う水面と降り注ぐ熱湯の雨。


「熱いっ!! うわわわぁっ!? あっつぅっ!!」

 翠色の光を帯びた闘気を全身にまとうレリィが派手に熱湯を頭からかぶっていた。闘気に守られているので平気だとは思うが熱いものは熱いのか。じたばたと跳ねまわりながらも、爆発に紛れて甲板に上がってきた甲骨鎧鮫を次々に殴り飛ばして、大河へと叩き落としている。今の爆発で大河を泳いでいた甲骨鎧鮫の群れは大半が吹き飛んでいた。


「よしっ!! この勢いで大河を渡り切るぞ!」

 後背からの爆風と大波も利用して、魔導推進船を一気に加速させて甲骨鎧鮫の群れを引き離す。ミラ達の船も『風来』が風を推進力として加速させることで、しっかり後を付いてきていた。

 勢いのままに大河を突き進んだ俺達は、ほどなくして大河の終点へと辿り着く。


 その先は、水の代わりに溶岩の流れる灼熱地帯だった。

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