【第五章 薄幸の風】

第328話 鉱泉のひととき

 魔獣化した餓骨兵と絞殺菩提樹を撃破した俺達は、絞殺菩提樹の根が生き残っていないか確認するために周辺を隅々まで探索した。その過程で、第二拠点からほど近い場所に地下温泉を発見していた。

「あぁ~……生き返るです~。目覚めてから、なんだか血行が悪くて気持ち悪かったのです」

「文字通りに生き返ったわけですけど……」

 瀕死状態からムンディの時間逆行の術式で復活したメグ。その発言を呆れたように聞いているヨモサは、まだ不自然な体の硬直が残っているメグの肩や足を、温かい湯の中で揉んでやっている。

 時間逆行によって一日前の身体状態に戻ったはずのメグであったが、どういうわけか体の調子がひどく悪かった。ムンディにも原因がわからないらしく、ひとまず十分な休息が必要だろうという判断が下された。

「ふぅん? ムンディ老師の時間逆行はメグ君の体を元に戻したように見えるけど、もしかすると完全に元通りというわけではないのかもしれないね」

 メグの具合の悪さをよくよく診断した『風来の才媛』は、時間逆行による復活の際にメグの体から何かが失われている可能性を指摘していた。


「失われている、って……例えば何が?」

 『風来』の語る不穏な予測に、レリィが心配そうな声で話の詳細を問う。

「そうだね……。ムンディ老師はメグ君の体を構成していた全ての物質に対して時間逆行の術をかけたらしいが、例えば地面に滲みこんだ血液や、胃の中の未消化物、膀胱の尿、髪の一本、爪の一欠けまで本当に全て元に戻ったのか? ということだよ。もしかすると、もっと大きなもの……臓器の一部とか、死んだときにどこか遠くへ吹き飛ばされてしまって、ムンディ教授の術式の範囲に収まらなかったという恐れはないかな?」

「んん~……。それって術式の範囲指定の問題かしらぁ? メグちゃんの体をメグちゃんであると認識できる範囲で、取りこぼしなく術式の範囲に含められていたかってことよねぇ~」

「ま、そういうことだね。老師の腕は確かだし信頼はできるが、なにせ自分の体ではなく他人の体の復活だ。もしかすると、老師ではいまいち想像が及ばない部分……例えば、子宮なんかが無くなっていたりとか――」

「そこっ!! さっきから根拠もなく恐ろしいことを語るのではないのです! メグはちょっと疲れているだけで、体は五体満足なのです!」

 メルヴィと風来の会話を聞きとがめたメグが、ざばりと温泉から上がって、傷一つない裸を見せつけながら反論する。無意識に下腹の辺りを手で押さえているのは、ちょっとした不安の表れだろう。本気で子宮が無くなったなどと考えているわけではない。


「はははっ! すまない、冗談だよ、冗談」

「ふわぁあっ!! なんですか、もう! 性質たちが悪すぎる冗談なのですよ!!」

「確かに今のはちょっと、冗談としてはきついかも……」

 苦笑いするレリィの横で、じっとりと怪しげな視線をメグに送るメルヴィは、水面下に身を隠して静かにメグの背後へと回る。そして、メグの後ろからがばっと抱きつくと――。

「本当に冗談で済んでいるのか~、確かめてみないといけないんじゃない?」

「ひゃわはははっ!? く、くすぐったいのです! なっ!? ど、どこ触っているのですかぁっ!!」

「触診よ、触診!」

 メルヴィのやつ、どさくさ紛れでどこに触ったのか、本気で怒った様子でメグが声を荒げている。触診などと言って、医療術士でもないメルヴィが体を触った程度で内臓の状態などわかるはずもないだろうに。


 そんな賑やかな隣の温泉の様子を音に聞きながら、俺とムンディ、そして風来の才媛が連れて来た騎士ゴルディアの三人は、俺が即席で作り上げた岩壁を背にして静かに温泉に浸かっていた。この壁一枚を隔てた向こうでは、年若い娘達が裸で騒いでいるのだ。もういい加減、『娘』と表現するには年齢の上がり過ぎた者も混じってはいるが、この深き魔窟の奥底で実現された奇跡の空間に文句はつけぬが華であろう。

「気になるかい? クレストフ君。隣の様子が」

 のぼせたように紅潮した顔で、のほほんと尋ねてくるムンディ教授。本来なら老爺であろうはずのムンディ教授は、過去に行った異界渡航の影響で幼い少年の姿になっている。血色も肌艶も若々しく、世の女性達がムンディ教授の若返りに羨望の眼差しを向けるのもわかる。しかも、外部記憶の移植による自我の再現まで可能としたなら、誰もが自分も同じく若返りたいと願うことだろう。だが、おそらくは無理だ。ムンディ教授の類まれな才能と奇跡的な幸運で結果的にそうなったというだけのこと。若返りの方法は確立されているわけではない。

 それに、果たして本当に自我の連続性が保たれているかは、ムンディ教授自身にもわからないときた。見た目は少年で中身は老獪な異質の存在。しかし、こうして温泉に浸かりながら俺に下世話な冗談を言ってくるところは、どこまでも人間くさいと言えよう。


「別に気になりませんよ」

 ムンディ教授の冗談に、俺は何の迷いもなくそう答える。餓鬼じゃあるまいし、女連中が隣で裸になって騒いでいようが別段、気にすることはない。

「気にならんのか?」

 突然、野太い声を響かせて問い詰めるような口調で話しかけてきたのはゴルディアだった。はち切れんばかりの筋肉に覆われた巨体と厳つい顔は普段と大して変わらない。しかし、どことなく不満げな言い方なのは何が気に食わないのだろうか。剣呑な雰囲気を振りまくゴルディアに対して、答え方を間違えると面倒なことになりそうだったが、考えを少し巡らせてから結局あれこれ言い繕うのはやめることにした。

 俺がこの旅路に同行を依頼したのは風来の才媛に対してであって、この騎士は風来が勝手に連れて来たに過ぎない。この騎士に遠慮することなど何一つないのである。

「少し、騒がしいな」

 俺から言えるのはその程度の感想だ。気分よく温泉に浸かっている現状では、それが心からの本音である。


「本当に気にならんのか?」

 先ほどとは違って、やや険の取れた口調でゴルディアが再び同じことを尋ねてくる。今度は隣の女連中には聞こえないくらいに声を潜めてのことだ。何故、しつこくそんなことを聞いてくるのか。

 どうということのない問いかけかと思っていたのだが、どうやら彼にとっては相応に意味のある問答だったらしい。

「どうして混浴の誘いを断った。今更、距離を取るような関係であったか? 他の女子に遠慮したわけでもあるまい」

「……その話か。いや、遠慮するだろう、普通は」

 ほんの少し前、温泉を発見した直後のことだ。

 いざ温泉に入るとなった段階で風来の才媛が、「昔、旅した時には一緒に水浴びしたこともあるのだから」とクレストフに混浴を提案し、それに乗っかる形でメルヴィが裸で迫ってきたのだ。

 ミラは魔導人形の身体だし、ムンディは子供の身体のうえ精神的にも老成していて、どっちでもいい感じだった。ヨモサとメグは多少の恥じらいはあるようだが、メルヴィに押し切られていた。レリィにしても、湯浴み用の着衣を着ていればいいんじゃない? と、至極まっとうな意見を言っていた。さすがに素っ裸になろうという考えなのはメルヴィくらいのものであった。


 俺としても混浴を恥じることはない。ただ、お互いに気にせず身体を休めることを優先すべきとして、率先して男女を隔てる壁を作ったのだ。

 しかし、ゴルディアに問われて自分の行動を省みる。この場に風来の才媛がいなかったとしたら、あるいは彼女と俺だけだったなら、果たしてこんな壁を作っていただろうか。レリィの言う通りに湯浴み用の着衣を着けていれば、何も遠慮するほどのことではなかったのではないか?

「昔とは違う……ってことかもな。互いの関係も、周囲の人間への気遣いも。俺が遠慮したのはむしろあんただよ、ゴルディア。あんたに遠慮したんだ」

「私に遠慮を? 貴殿が? それはなぜだ?」

「なんなら新婚二人だけの岩風呂を別に作ってやった方がいいか、と少し考えた程度の気遣いだけどな」

「そうだったか……。しかし、そこまでの気遣いは無用だ。もう、新婚というほど初々しいわけでもない。付き合いもそれ以前からで、相応に長い」

 宝石の丘ジュエルズヒルズへ旅立つ前までは、俺も風来の才媛とは一緒にいる時間が長かったが、俺が旅に出ている間はこの男が風来の傍にいたのだろう。そこまで考えを巡らせてようやく気が付いた。ゴルディアが何故、しつこくこんな質問をしてきたのか。


(――嫉妬、か? 自分の伴侶が昔の男と仲良くするのを見ては、関係を問い質したくもなるか……)

 昔の男、というほど男女の関係が深かったわけではないのだが、たぶんゴルディアはそのように見ているのだろう。これから魔窟を共に戦い抜く仲間として、誤解は正しておいた方が良さそうだ。妙な誤解を受けて後ろから斬りかかられでもしては困る。

「あいつと俺は、良くも悪くも互いに遠慮なしで付き合える友人だったよ。まあ、俺の方が一方的に絡まれて、仕方なく魔窟の探索とかに付き合わされることは多かったが。俺は俺できっちり、自分の利益は確保していたから悪い関係ではなかったけどな」

「……男女の情はなかったのか?」

「無いな。少なくとも俺にはなかった」

 それはきっぱりと否定した。事実であるし、あれは言ってみれば小うるさい姉のような存在だった。

「俺が宝石の丘ジュエルズヒルズの探索に出たとき、あの時期が、お互いに別の道を歩む頃合いだった。先ほどは久しぶりに共闘して昔を懐かしみもしたが、ただそれだけだ。今はお互い一級術士としての立場もある。昔のような遠慮のない付き合いなどできないな」

「そうか……貴殿は、とうに割り切っていたのだな?」

「その言い方だと『風来』の方は未練でもあるような言い方だが?」

「あるのだろうよ、彼女には。いまだもって、私は貴殿ほどに彼女の相棒として相応しい動きができているとは思えない」

「それは幻想だ。俺から見ればあんたらはいい組み合わせに見える。俺と『風来』が組むより、よほど噛み合っているさ。たぶん、本人達がわかってないだけだろ」

「そうだろうか?」

「そうだよ。それ以上は惚気のろけにしかならないからな?」

 ゴルディアは大岩のような体から「ふぅ」と深く息を吐き、張り詰めていた体の緊張を解いた。納得できたのだろうか?


「貴殿は……なぜ『風来』などと彼女のことを呼ぶ? そこまで他人行儀にする仲でもないはずだ。意識しているのではないのか? 彼女……アウラのことを」

 ――アウラ。久しぶりに聞いた名前だ。

 それは『風来の才媛』の本名。あいつが俺よりも先に一級術士となった日から、口にしなくなった名前。

「意識……意識ね。なるほど、そう見えていたか。それは確かに納得もいかないだろうな」

 ようやく、ゴルディアの言いたいことがわかった。俺と『風来』の関係性。それについて、彼が何に引っかかっていたか。

 ゴルディアの言う通りだったのだ。俺は『風来の才媛』のことをずっと意識してきた。


「ああ、そうだとも。ずっと意識してきたさ、『風来の才媛』のことをな。俺よりも先に一級術士になって前を歩いていく女を、この俺が、意識しないとでも? 年齢は一つしか変わらなかった。だけどあいつは俺よりも先を進んでいた。今ならわかるし、認められる。……嫉妬だよ。当てつけさ、アウラに対するな。俺とは違う一級術士様は、二つ名で呼ばれるのがお似合いだってな。もっとも、それだって俺が一級術士になってしまえば通し続けるような意地ではなかったが。いつの間にか、素直にあいつの名前を呼ぶことはできなくなっていたんだ。その時点で、俺はあいつとの腐れ縁に整理をつけていたんだろうよ」

 まくし立てられた俺の言葉を、ゴルディアはまるで子供のように呆けた表情で受け止めた。思いもよらぬ悪意を、信じていた相手から浴びせかけられたような、そんな間抜けな顔をしている。

「わかったか? これが俺の本音だ。別にあいつのことが嫌いってわけじゃない。だけどな、素直に認めたくない相手っていうのはいるものなんだよ。俺とアウラの関係は、本質的に昔から何も変わっちゃいない。俺はあいつに負けたくなかった。昔も今も、その思いは変わっていない。あいつがどう思っていようが知ったことか。俺の方は、ずっとそうだったんだ」

「まさか――。いや、すまん。どうやら、くだらぬ邪推をしていたようだ……。アウラと君の関係は、他人が推し量れるものではなかった。そのような男女の関係があるなど、私には予想もつかなかった。まさしく、好敵手ライバルであったのだな。君らは……」

「ふん! 好敵手ライバルなものか。とにかくあいつは俺にとって目の上のたんこぶだったんだよ!」

 この際だとばかりに勢いで胸の内を吐き出せば、それまで静かに聞いていたムンディ教授が堪らずといった様子で笑いに身を震わせていた。そんなに面白かったか? 俺の独白は。言ってしまってから少し気恥ずかしくなる。始まりから終わりまで、まるきり子供の感情論だ。


 ただ、そこまで本音をぶつけたこともあってかゴルディアもさすがに納得したようであった。自分の頭を整理したいのか、ぶつぶつと独り言を呟きながら一人で何度も頷いている。しばらくそんな状態が続いたところで、不意にゴルディアが軽い口調で尋ねてくる。

「それで、貴殿の今の伴侶は緑髪のあの娘、でいいのか? 他にも大勢、連れているようだが」

 それまでの重苦しい雰囲気はどこかへ消え去っていた。これは単純に興味や好奇心からくる質問だろう。

「男女比率が偏っているのは認めるけどな。おかしな関係ではないからな? 伴侶というか相棒ということならまあ、レリィは俺の専属騎士だ。あいつとはたぶん、これからも長い付き合いになる」

「男女の関係までは進展していないと?」

「あんたも見かけによらず下世話なことを聞いてくるな……。正直、よくわからん。俺もあいつもどうなりたいのか。俺はとりあえず専属騎士として傍にいてもらえれば文句はない。男女の関係だとかは……まだその段階にはない」

 言い切った俺の言葉に、今まで黙っていたムンディが目を剥いて驚く。

「そうだったのかい? とうにその段階は過ぎているのかと思っていたけども」

「いや、俺達の何を見てそう思ったんですか、ムンディ教授は……」


 ムンディの言うことは冗談なのか本気なのかわからない。ただ、ゴルディアの方は言葉通りに受け取ったらしく、また別の方向に話を振ってくる。

「では……。もしかして、貴殿の想い人とは今回の旅路で捜索している『ビーチェ』という少女なのか?」

 今度はそう来たか。もう既に『風来の才媛』とは直接に関係ない話題となっている。このゴルディアという男、実はこういう話が好きなのか? 噂好きなそこいらのおばさんと変わらないぞ。


 ただ、問われてみて不思議に思う。

 ここまでの危険を冒して、財を投じてまで、俺はビーチェを取り戻そうとしている。

 そこまでする想いとはいったい何なのだろうか? 愛? 違う気がする。男女のそれとも、親子のそれとも。

 愛とか伴侶とか、そういう考えは持っておらず、ただ今は迎えに行かなければいけない、とだけ考えていた。

「想い人、とは違うな」

 そんなことではなくて、もっと純粋に取り戻したいという想い。

「強いて言うなら『忘れ物』といったところか」

「忘れ物だと?」

 ビーチェのことを物扱いとは我ながら酷い話だが、なんだかそんな表現が一番しっくりとくる。大事なものではあったのだ。俺にとってのビーチェとは。

「そうだ。置いてきてはいけなかったもの。今だからわかる、かけがえのない、俺にとっての幸福そのものだったんだ。ビーチェというやつは」

「幸福そのもの……。そうか。そうか……」

 その答えが納得できるものであったのか、ゴルディアはそれ以上、余計な質問はしてこなかった。

 ムンディもまた静かに目を閉じて、温泉の湯に肩まで浸かっていた。


 沈黙が訪れた男だけの湯に、隣の壁を越えて女達の騒がしい声が聞こえてくる。

 向こうではどんな話をしているのか。今はもう、本当に気にならなかった。

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