第327話 風向きを変えて

 蔓の先端に括られた瘤の塊が遠心力をもって縦横無尽に叩きつけられる中、俺とレリィはひたすら無心に敵の攻撃を弾き返すことだけに専念していた。

 ミラは蔓に捕らえられたまま身動きができないでいる。絞殺菩提樹も締め上げるだけ締め上げたものの、窒息もせず首の骨が折れるということもないミラを相手に、動きを封じただけで良しとしたようだった。

 俺の隣で真鉄杖を振るうレリィの表情は覇気を失い、苦々しい顔つきで絞殺菩提樹の攻撃を捌いていた。もはやレリィも俺からの指示は期待せず、ひたすら真鉄杖を振り続ける。既に焦燥感は過ぎ去り、諦めにも似た感情が俺にも芽生えていた。ただ現状を維持しながら、打開策の一案でも浮かばないかと虚しく考え続ける。


 どん詰まりの状況が次第に心をすり減らしていき、何もかもどうでもいい気分になってくる。もはや打つ手がないのなら、どうとでもなってしまえばいい。


 ──どうにでもなっていいのなら、試すべき手はいくらでもある。


 暗い感情が湧き上がる。

 このまま敗北するくらいなら、いっそ禁じ手でも何でも使ってみればいい。

 思考は冷徹に研ぎ澄まされ、俺はただ敵を倒すことだけを、その方法だけを考え始める。

「クレス……? なに考えてるの……?」

 絞殺菩提樹の蔓を払いながら、レリィが心配そうに声をかけてくる。その気遣いも今の俺には届かない。


 手段を選ばず、敵を滅ぼすことだけを考える。

 絶大なる火力を、大質量の運動を、悪辣なる呪詛を──。

「全てぶつけてしまえば……」

 鉄砂の鎧の下、その懐へと手を潜り込ませて、禁じられた呪詛の込められた魔蔵結晶へと指を伸ばす。

 『宝石鯨』ほどの大規模術式でも絞殺菩提樹を倒しきれなかった。ならばそれを超える呪術で敵を滅ぼすのみ。


「ここから先は俺一人でやる。俺が次の術式を発動したら、お前はミラを助け出して他の連中と一緒に一つ前の階層まで戻れ」

「ちょっと、馬鹿なこと言わないでよ。クレス一人になんてできるわけない──」

「やれるさ。この階層ごと潰すつもりならな」

「本気……?」

 俺が本気で言っているとわかったのか、レリィは半ば呆れた様子で溜息を吐く。

「悔しいな……。結局、クレスを一人にしちゃうのか……」

 それは呆れではなく、悔しさからくる想い。


 一人で戦い抜くことに不安はない。だが、レリィの想いを無視する形になるのは俺も心苦しかった。レリィを足手まといなどと思うことはないが、結果的に戦力外扱いしてしまうことになったのだ。

(……それでも先へ、俺は進まなくてはいけない。ビーチェが待っているのだから……)

 血を吐くような想いで、悲壮な決意をして前へ進む。宝石の丘への旅路を経て、あんな馬鹿げた道のりは二度と歩むものかと心に決めていた。

 それなのにまた、同じような過酷な道をわざわざ選んで歩いている。

(……結局また一人か。一人で俺は、進んでいく……)

 レリィが退避行動に移るのを見届けて、俺は自嘲の笑みを漏らしつつ、ただ一人で魔獣化した絞殺菩提樹に立ち向かう。

「さあ、糞植物が! 最上級の呪いでもって、蔓の一本さえ残さず根こそぎに滅ぼしてやる!」

 禁呪を封じた魔蔵結晶を握りしめ、破壊衝動の赴くままに力を解放する。


 刹那、金色の光の奔流が横に走り、俺の宣言通り根こそぎに吹き飛ぶ絞殺菩提樹。

 俺は魔蔵結晶を握りしめたまま固まっていた。禁呪の発動より一瞬早く、その黄金の光は目の前を通り過ぎたのだ。


 光の奔流が放たれた方向を見れば、これまでその場にいなかった何者かの姿がそこにはあった。

 猛々しい金色の闘気を放つ、全身金属鎧の大柄な騎士が一人と、その後ろから余裕の態度で颯爽と現れる一人の女。

「やあやあ、待たせた。待たせたね」

 ──その二人の登場で、場の風向きが変わった。

「だいぶ追い詰められていたみたいだ。君がそんな怖い顔をするのは、大抵が無茶をしようとしているときだよ」

 紅白に染色した合成皮革のツナギに身を包み、薄い外套マントを風になびかせる背の高い女術士。

「禍々しいほどに魔導因子が詰まった結晶。そんな物騒なものを握りしめて、何を考えていたんだい、クレストフ?」


 この場においては嫌味なくらい爽やかな笑顔で、先輩風を吹かせるような態度のいけ好かない女。

「……遅いんだよ、遅刻魔め……」

 遅れてきた助っ人。俺が真っ先に声をかけて協力を仰いだ人物、魔導技術連盟の幹部にして一級術士『風来の才媛』の登場であった。


「ははは……すまない。仕事が片付かなくて、すっかり遅れてしまったよ。でも、魔窟に入ってからは超特急で来たんだ。道中、でかい蜘蛛に時間を取られたけれど、それ以外の階層は風の如く駆け抜けてきたからね」

「そりゃ、途中の階層は全部、俺達が階層主を片づけてきたからな」

「なんと。そうか、道理で楽だと思った!」

 胸を反らして朗らかに笑う『風来』。その隣にずしりずしりと重い足音を立てて並ぶ黄金の騎士。ほとんど錆びることがないと言われる金剛鉄の全身鎧フルアーマーが、金色の闘気を反射して輝いている。金剛鉄は鈍い銀色のはずだが、それだけこの騎士の放つ金色の闘気が濃いのだろう。歴戦の強者といった風格すらある。


「クレストフと会うのは初めてだったね。紹介しよう。私の伴侶にして唯一無二の騎士、ゴルディアだ」

「悠長に紹介してもらっている余裕はないんだけどな」

「そうかな? そうでもないだろう?」

「…………」

 騎士ゴルディアは無言で絞殺菩提樹が放ってくる瘤の攻撃を、自らの身の丈ほどもあるような大剣で薙ぎ払っている。一振りすれば瘤と蔓が幾本も消し飛び、しばらく絞殺菩提樹からの攻撃がやむほどの威力だ。確かにこれならば余裕で紹介もできるというものか。


「クレス! どういう状況? 味方が増えたってことでいいんだよね?」

 一旦は離れていたレリィが、状況の変化を見て戻ってきた。騎士ゴルディアを見てひとまず余裕ができたことをレリィもわかったのか、俺と風来の才媛を交互に見て首を傾げる。

「前にクレスの家で会ったことがある人だよね?」

「やあ、君か。私の予想通り、クレストフと仲良くなってくれたようで嬉しいよ。……うん。以前とは見違えて強くなったのだね。それでこそ、『結晶』の騎士に相応しい」

「おい。無駄話は後にしろ。今は絞殺菩提樹を片付けるのが先だ」

「ああ……。あれはやっぱり『深緑の魔女』の眷属、絞殺菩提樹だったのか。不用意にあんなものの種をばらまくから、後になって苦労することになるんだよ?」

「説教も後にしろ。それよりお前がいるのなら、ここの戦闘指揮はお前が執れ。アレの原動力になっている精霊機関を探し出して破壊しなけりゃならないんだ」

「ふぅん? なるほど、それで苦労していたわけか。確かにここは私の出番のようだね。君も、力を貸してくれるかい?」

 風来がレリィに向けて芝居がかった仕草で手を伸ばす。すらりと伸びた手をどう扱って良いのかわからず、困った顔をするレリィに「無視していいぞ」と俺は小さく呟く。そういうわけにもいかない、といったように溜息を吐いたレリィは表情を引き締めて風来に向き直る。


「もちろん協力する。あたしのことはレリィって呼んで」

 誘うように手の平を上に向けた風来に対して、レリィは上から手を重ねるようにして風来の手を握ると強引に向きを変え、ぐっと強い握手で返す。

「いいね。元気で強気な娘は好きだよ。それじゃあ君は、私の騎士と一緒にクレストフの補助だ。私が道を示すから、絞殺菩提樹が抱え込んだ精霊機関までクレストフが辿り着けるように露払いを頼むよ。最後のとどめはクレストフ、君の役目だ」

 心底から楽しそうに、俺の方へ不敵な笑みを向けてくる。

「久しぶりに見せてもらいたいな。戦士として戦う君の姿を」

 俺を試そうっていうのか。

 ちらり、と騎士ゴルディアがこちらに視線を向けた。彼もまた俺の実力が気になっていたりするのだろうか。


「別に構わない。お前が指示を出せ。そうすれば俺が敵を倒す」

「いい返事だね。それなら今すぐ始めようか」

 昔、この女と組んで仕事をしていた時はいつだって俺が切り込み役で、こいつが指令塔になっていた。

 難しいことなんて何一つ考えず、風来は己の直感に従い、俺は風来の指示に従って、恐れを知らぬ心と力でもって道を切り開いてきた。


 胸の内で加速させた魔導因子を爪に刻まれた魔導回路へと誘導し、風来の才媛がこの場における『目標』を探り出す。

(──臓腑を掴む音を返せ──)

透振探査とうしんたんさ!!』

 不可視の振動波が洞窟全体を突き抜けていく。微弱な振動が体を伝わっていくのが感じられた。これで絞殺菩提樹の蔓と瘤に隠された精霊機関を探し出すのだろう。

 風来の才媛は第一級の探索術士だ。探し物は、必ず見つけ出す。


「見つけた!! あの瘤を潰せ、ゴルディア! レリィ! クレストフ!!」

 風来の才媛が三人に指示を出す。ただ一点、精霊機関を抱え込んだ絞殺菩提樹の瘤を指さして。

 騎士ゴルディアが黄金の闘気を大剣に集中させて、周辺に這いまわっていた絞殺菩提樹の蔓と根を薙ぎ払った。そこへ俺とレリィが間髪入れずに飛び込んでいく。目標は明確、行動も単純。ただあの瘤に近づいて、ぶっ潰せばいい。

 風来の才媛が探知と指示の役を代わることで、俺は純粋に戦闘へと集中することができた。何も考えず、指示通りに最善の戦闘行動を取る戦士として。


 レリィと俺の二人が無言のままに、それぞれ標的を捉えて邪魔な蔓と瘤を叩き潰しながら距離を詰めていく。打つ手なく詰んでいた状況が一変して、追い詰められていた側が逆に追い詰めていくことになる。

 翠色の闘気が美しく光を散らしながら、レリィは四方から飛んできた瘤を一撃、二撃とまとめて真鉄杖で弾き飛ばす。目標である瘤と距離を詰めながら、俺はレリィの後ろへと移動して止めの一撃に備えていた。握りしめた金剛杖へと魔導因子を流し込み、身体能力向上の術式を自身に重ね掛けする。短時間で最大の瞬発力を発揮するように、少しきつめの効果を肉体に与えたのだ。さらに──。


(──組み成せ、地を跳ねる獣の如く──)

鹿発条しかばねの靴!』

 鉄砂の鎧の一部を変形させて、脚にバネ仕掛けを組み込む。接近して一撃、そのための一度きりの加速があればいい。

 レリィがさらにもう一つ飛んできた蔓と瘤を打ち払うと、精霊機関を抱え込む瘤までの道が開ける。俺は強く両足を踏み込むと前傾姿勢になり、バネの力で勢いよく飛び出して一息に距離を詰めた。

 跳躍しながら上半身を捻り、魔力を込めた金剛杖を斜め上に振りかぶる。

「枯れ果てろ!!」

 白光が閃き、振り下ろした金剛杖の先端が瘤に突き刺さった。蔓が固く巻き付いてできた瘤の外皮が吹き飛び、中にあった精霊機関が一撃のもとに砕け散る。

 精霊機関内部に封じられていた魔力の源たる幻想種も一緒くたに弾け飛んだ。金剛杖の一撃は魔力を込めた攻撃だ。物質的な攻撃が効かない幻想種相手でも、魔導因子の構成を乱して滅することができる。


 精霊機関の中から出てきた青い靄が蒸発していく。幻想種の死だ。

 そして、精霊機関から力を得ていた絞殺菩提樹は、重く固めた瘤と伸ばし過ぎた蔓と根を支えることができなくなり、各所で断裂を起こしながら崩壊していく。

「終わったの……?」

「ああ、どうにか終わった」

 倒しきれたのか、まだ不安な様子のレリィに俺は戦闘終了を断言してやる。いかにしぶとい絞殺菩提樹であっても、この崩壊の様子は魔獣としての体構成を維持できなくなった証拠だ。ここから復活することはまずない。

 騎士ゴルディアは神経質な性格なのか、戦闘が終わっても気を抜くことなく周囲の警戒を続けていた。そこへ、余裕をもった足取りで風来の才媛がやってくる。

「ゴルディア、もう近くに敵の気配はないよ。警戒は解いて大丈夫だ。クレストフは敵の撃破ご苦労様。レリィも、ね」

 俺はともかくレリィにも旧知の仲であるかのように親し気な様子でねぎらいの声をかけてくる風来の才媛。

「正直、助かった。それでも、お前には色々と言いたいことがあるんだが──」

「今はまず、優先するべきことがあるようだね?」


 風来の才媛が視線を向けた先には、完全に血の気を失った顔で横たわるメグの姿があった。ヨモサがその冷たくなった体に縋り付き、泣きじゃくっている。

 そんな中、休憩地点のあった方角から、ようやく復活を遂げたらしいムンディが駆けてきた。

 彼がいれば、メグもすぐに蘇生できる。


 それがわかっていても、仲間の死を前にして心を乱さずにいられる者はこの場にいなかった。

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