第322話 第九階層『岩窟闘技場』

 第八階層の階層主『妖猫』が討たれた後の魔窟は、殺風景な白亜の石壁が続くだけの洞窟に変化していた。

「これで終わったの……?」

「これだけ大きな魔石を落としたんだ。あの黒い影が階層主で間違いないだろう」

 両手で抱えるほどの大きな青緑色の結晶。純度が高いのが一目でわかるほどだ。

「この魔石だと、いくらぐらいになるのです?」

「これぐらいの大きさだと巨大魔石扱いで、基礎価格が金貨約一〇〇枚。だがこれは魔窟の深層で取れただけあって質も高い。透き通る青緑色の魔核結晶ともなれば等級も上の下、一応は上級品の部類に入るから価格にも高い倍率が掛かって、ざっと金貨三五〇枚ってところだな」

『三五〇……!?』

 メグ、レリィ、ヨモサの三人が揃って驚きの声を上げる。いい加減、魔窟で手に入る物の金銭感覚には慣れてほしいものだ。ここは到底、並みの人間が到達できる場所ではなくなっている。そうした場所で手に入る物の希少性がどれほどのものか。

「そ、それだけあればええと……十年くらい質素な生活ができるじゃないですか!」

「そこは一年、遊んで暮らせるというべきなのです!」

「お前ら、どっちにしても酷いな」

 ヨモサは十年暮らせるというが、それはよほど質素に暮らしてどうにかといったところだろう。逆に一年で使い切るつもりのメグには、この旅が終わる前に常識的な金銭感覚を身に付けさせないといけないようだ。これまでの貧しい生活の反動なのか。二人とも矯正しなければ。


「はしゃぐのはそれくらいにしておきなさい。すぐに次の階層へ入るみたいだから」

 ミラが盛り上がる二人をたしなめながら、魔窟の奥を注意深く覗いて様子を窺っていた。本当に目と鼻の先が次の階層であるようだった。

「うう~ん? なんだか大きく開けた場所ねぇ~」

「闘技場、みたい?」

 緊張感もなくミラの背中にくっつくようにして奥を覗き込むメルヴィ。レリィはさらにメルヴィの後ろから、狭い石壁の通路の先にある大空洞を覗いていた。そこは中央が階段状に凹んだ、闘技場と言えなくもないすり鉢状の部屋だった。

「白亜の石壁で整えられた洞窟。その先に大空洞と闘技場……。これだけの要素が揃っているとなると、嫌な予感がするな」

 どうにも思い当たることが多すぎる。ギルドの断片的な情報も合わせると、この先で待ち受ける者達を想像するのは難しくない。もし俺の予感が当たっていれば、この先へ足を踏み入れた瞬間から激戦は必至である。さっさと前に出ようとするレリィの首根っこを捕まえて、俺は一旦、後続の連中の様子を確認した。

「全員、準備はいいか。この先は恐らく、複数の魔導人形ゴーレムとの戦闘になる。第九階層『岩窟闘技場』だ。準備できるものは先に準備しておけ。それから、念のため考えられそうな敵の奇襲攻撃も教えておく。必ずしもその通りの行動をするとは限らないが、そういう可能性を考慮できているかどうかが明暗を分けることもあるからな」

 ギルドの調査隊はここで大きな岩の巨人と戦ったらしい。十中八九、岩人形ロックゴーレムのことだろう。その他にも複数の魔導人形に囲まれて、ギルドの調査隊は正面戦闘を余儀なくされた。明確な攻略方法は見つけられておらず、犠牲を出しながらもどうにか力押しで突破したらしい。


 俺は全員が準備を整える間に、考えられる魔導人形の奇襲パターンを口頭で説明していく。

「……ねえ、クレストフの坊や。今の説明を聞いた限りだと、これから出てくる魔導人形ってもしかして……」

「さすがに勘がいいな。俺はたぶん、『そういうこと』だろうと思っている」

「なるほどねぇ。ギルド調査隊が苦戦したわけだわ。全て予想通りとは限らないけど、もしあんたの言う通りなら、私達はそれほど苦戦せずに済むかもしれないわね」

「魔窟の影響がどれほど効いているかは未知数だけどな」

 ミラは過去に俺の作った魔導人形を見たことがある。だから、今の俺の説明でどういうことか理解していた。

「えぇ~? ミラおばさまとクレスお兄さんだけ、なんか分かり合っちゃっていやらしい~」

「二人だけ事情を把握しているのずるくない? どういうこと?」

 メルヴィとレリィから不満の声が上がる。しかし、ここまで魔導人形の説明は詳しく話したのだ。これ以上、不確かな情報について喋っている暇はない。


「俺とミラの二人が知っているのは、かつての底なしの洞窟に過ぎない。それも参考程度にしておけ。あまり先入観を持ちすぎるのはよくない」

「でしょうね。ここまでの階層でも、予想を上回る敵ばかりだったわ」

 ミラが十数体の自作魔導人形を召喚しながら、大空洞への突入に備える。魔導人形には全てツルハシのような打突武器を持たせてあった。対岩人形の武器である。

「ヨモサとムンディ教授は、この通路で待機を。俺の予想が正しければ魔導人形は通路を通り抜けることはできない。流れ弾にさえ気を付けていれば安全地帯になるはずだ」

「ははは……さすがに何度も無駄に殺されるのは勘弁だから助かるよ。ここは大人しく待機させてもらうよ」

「私は足手まといになってしまいますよね、仕方ないです。クレストフさん、レリィさん……皆さんもご武運をお祈りしてます」


 俺は斧石アキシナイトの魔蔵結晶を使って、破壊力のある『褐石断頭斧かっせきだんとうふ』を生み出して武装する。巨大な岩人形ロックゴーレム相手となれば、攻撃を受け止めることは考えない。

筋力増強ムスクル・ストレンジ……! 加速アッチェレラティオ!!』

 身体強化の共有呪術シャレ・マギカで行動速度を増して、敵の攻撃は全て回避する方向で動く。

 術式の効果で全身の筋肉がみちみちと張り詰め、腹の底から力が湧き上がってくる。


「準備はいいな? 全員、足並みを揃えて行くぞ。突撃、開始!!」

 今回は俺を先頭にして、ミラと魔導人形、メグ、メルヴィ、レリィの順でなるべく互いの距離を詰めた状態で大空洞へと飛び込んだ。

 大空洞、すり鉢状の部屋の中心には複数の大きな岩で構成された人型、岩人形ロックゴーレムが片膝を着いて鎮座している。

「足を止めるな! 入口から離れたら……メルヴィ! 背後へ術を! レリィはメルヴィの援護だ!!」

 大空洞へ入って間もなく、後ろを振り返れば数体の土人形クレイゴーレムが地面から湧き出してきていた。めらめらと赤い靄をまとった土人形が徐々に人型を成そうとしている。

(……赤い靄。低級の邪妖精とは違う、そこそこの幻想種が一体ごとに憑依しているのか。こいつは想像以上に厳しいか……?)

 だが、先手を取れたのはこちらだった。ここが底なしの洞窟を模倣した空間であるなら、大空洞へ立ち入ってから背後より襲撃を受けるのは想定済み。


(──世界座標『銀原野しろがねげんや』より召喚──)

 可愛らしい装飾の施された紫檀の杖を両手で握りしめたメルヴィが、大空洞に入ってからずっと意識制御の準備をしていた術式を放つ。

『吹けよ、地吹雪!!』

 光の粒が周囲に舞い踊り、氷雪の入り混じった猛吹雪が形を成そうとしていた土人形に叩きつけられる。瞬時に土人形は氷雪に包まれ、不完全な人型の凍土となって固まった。動きの停止した土人形をレリィが、次々と闘気を宿した真鉄杖で粉々に打ち砕いていく。

「たぁああああっ!!」

 凍り付いた土人形を殴打した瞬間、翠色の闘気が弾けて憑依していた赤い靄を消し飛ばす。凍結させただけでは動きが止まるだけで、赤い幻想種が土人形を溶かして再び動き始めてしまう。だが、こうして動きの止まった土人形を片っ端からレリィの闘気で殴り飛ばせば、幻想種は闘気によってその存在を破壊される。土人形に憑依した幻想種が消えれば、あとはどう足掻こうとも凍った土塊に動き出す術はない。辺りの地面もメルヴィによって凍結されているので新たな土人形が生まれることもないだろう。

(まずは一つ、背後からの襲撃という罠は潰した。次は──)


岩人形ロックゴーレムが動き出すぞ! 岩の投擲が来る! うまくかわせよ!」

 俺の声に反応して、全員が岩人形の動きに注視する。レリィも土人形をあっさり片づけると、ひとまずメルヴィを守れる位置まで戻ってきた。

 岩の継ぎ目から赤い靄を噴き出しながら岩人形が手近にあった大岩を片手で掴むと、両手で持って恐るべき腕力により投げつけてくる。あまりの速さに避けきれなかったミラの魔導人形の一体が岩の下敷きになった。想像以上の速さだ。岩の軌道を予め予測していないと避けるのは難しいかもしれない。

「あら。これは自動制御で操らないとダメね。反応速度が追いつかないわ。散開しなさい!」

 ミラの指示で魔導人形達が一斉にバラバラの行動を取る。目標が分散したおかげか、岩人形による大岩の投擲が俺やメグを狙ってくる確率は格段に減った。その代わり、岩人形はあちこちに向けて大岩を投げまくって暴れ始めた。

「ひゃぁあ……。とんでもない奴なのですぅ……。メグのところに飛んできませんように、飛んで──きゃわわっ!?」

 岩人形の投げつけた大岩がメグの横をかすめて飛んでいく。反射神経はかなりいいメグでも避けるのはぎりぎりだった。

 この岩の投擲による攻撃方法。対多数戦闘に特化して組まれた『状態遷移概念アルゴリズム』。それはかつて俺が魔導人形に組み込んだものとほぼ同じだった。ただし、幻想種が憑依したことで岩人形の能力が底上げされている。このまま開けた視界で戦うのはまずいかもしれない。


(──世界座標『宝石の丘ジュエルズヒルズ』の『水晶渓谷』に指定完了──)

 水晶の魔蔵結晶を起動して、即座に召喚術を発動する。

『白の群晶!!』

 すり鉢状の闘技場しかなかった空間に無数の水晶の柱が出現して、投げ放たれる岩の行く手を阻んだ。投げられた大岩は水晶にぶち当たると硬度と質量に負けて粉砕される。

 この水晶の壁があれば、暴れ回る岩人形に接近して攻撃を仕掛けることも容易になる。


 手近に投げる岩がなくなってしまった岩人形は、今度は出現した水晶の柱を掴み持ち上げようとしていた。

「クレストフお兄様!! あいつ、水晶を投げようとしているです!!」

「案ずるなっ!! 想定済みだ!!」

 岩の代わりに、召喚された水晶を利用する? そんなことは馬鹿でも予想が付くことだ。この俺が、むざむざ岩人形に武器を与えてやるわけがない。

(それに手を出したらお前の負けだよ)

 俺は召喚に使った水晶の魔蔵結晶を握って、召喚物への再干渉を仕掛ける。


(──貫け──)

『双晶の剣!!』

 岩人形が掴んだ水晶の柱から、先の尖った水晶が二本飛び出して岩人形の太い腕を貫く。がっちりと掴んでいたのだろう。突き出した水晶は岩人形の腕を深く貫き、亀裂を発生させて二つ三つの岩塊に割り砕いた。

 さらに追加で二本、四本と周辺の水晶を爆発的に成長させて、岩人形の体を串刺しにする。

くさびは打ち込んだ! 頼むぞ、メグ! ミラ!」

「了解したのです!」

「畳みかけるわよ」

 待っていたとばかりに飛び出したメグが、岩人形に肉薄すると水晶が打ち込まれて罅の入った箇所に戦棍を叩きつける。


『……主の御心を知らず、力に溺れし悪しき存在よ……あがなえぬ罪の重さに打ちひしがれよ……!』

 重撃の呪詛が込められた戦棍が岩人形の足に叩きつけられ、亀裂の入った箇所から大きく砕けて岩人形の巨体が傾いた。巨体が傾いたことで数本の水晶が半ばから折れて、岩人形は上半身の自由を取り戻していた。

「人形達! 粉々に打ち砕きなさい!」

 岩人形が振り回す両腕を掻いくぐって、ミラの魔導人形達が殺到する。岩人形に突き刺さったままの水晶の根元を狙って、魔導人形達が棍棒で殴りつけ押し込む。複数体による殴打の嵐であちこちに亀裂が広がり、両腕が割れ落ち、足も砕け、とうとう岩人形がばらばらになって崩れ去る。

 形を保てなくなった岩人形から赤い靄が立ち昇りその場から逃げ出そうとするが──。


(──永久の休息を与えよ──)

『青き群晶!!』

 青く透き通る天青石セレスタイトの魔蔵結晶で、雑ではあるが空間に生み出した青い結晶で赤い靄状の幻想種を閉じ込める。八割方を結晶に閉じ込められた幻想種は、ぎちぎちと青い結晶によって圧縮されていき、逃げ伸びた残り二割もメグの聖なる篝火によって焼き尽くされた。

「これで岩人形ロック・ゴーレムは撃破した! あとは……」

 俺は大空洞の天井を睨み据える。

 ここが『底なしの洞窟』の特徴を引き継いでいるのなら、天井にあるはずだ。魔導人形達を創り出す力となっている精霊機関が。

(──だが、本当にそうか? 魔導人形にはそもそも幻想種が一匹ずつ憑いている。この時点で精霊機関による魔導人形の創生術式は必須ではない。何もないかもしれない。無駄なことかもしれないが──)


 俺は己の直感を信じて、天井の中心に向かってなるべく破壊力の高い術式を放つ。

(──貫け──)

『輝く楔!!』

 楔石チタナイトの魔蔵結晶を罅が入るほどに全力発動させて、鋭い楔状をした黄緑色の極大結晶を魔窟の天井へと撃ち込んだ。

 大空洞に激震が走り、楔状の結晶が突き刺さった天井の一部から破砕された岩の塊が落下してくる。

「ふわわわっ!! クレストフお兄様、ご乱心なのですかぁ~!?」

「過激すぎぃ~!!」

「ちょっとクレス!! どういうつもり!?」

「せめて一言、声をかけてからにしなさい!!」

 崩落してくる岩を避けながら、メグ、メルヴィ、レリィそれにミラの四人から一斉に文句を言われる。

「初めに伝えておいたはずだぞ。魔導人形を生み出す仕掛けが天井にあるかもしれないから、隙があれば壊すと」

「岩人形倒して、こんな間髪入れずにやると思わないもの!」

 レリィはまだ文句を垂れていたが他の三人はそんな余裕もなく、ヨモサ達が待機していた大空洞前の通路へと飛び込んでいた。


 遅れて俺とレリィも一旦、通路へと避難する。

 大空洞の崩落はまだ続いていた。次々に大きな岩が落ちて来て──。

「ねえ……あれかなりまずいんじゃないの? 完全に崩れちゃうんじゃ……」

「ああ……少し、崩れ過ぎのような気がするな」

 だが、おかしい。俺の術式はかなり貫通力の高いものだったが、ここまでの崩落を起こす威力ではなかったはずだ。天井がやけに脆い。

(魔窟に変貌した際に、精霊機関ごと天井の岩盤が何か別のものへと置き換わったのか?)

 一際大きな岩の塊が落ちてくる。

 妙に黒みを帯びたその塊は、巻き上がる砂塵の中でゆっくりと背を伸ばした。


「何か動いてる」

 警戒した様子のレリィが一言呟く。それだけで全員の間に緊張が走る。

 目を凝らして、砂塵の中で動く存在を観察してみる。


 鈍い銀色の金属光沢を放つ体。身の丈は大人の三倍ほどか。飢餓で痩せ細り朽ち果てた骸のごとく、不気味な亡者の姿形をした怪物。

 銀色の亡者が身動きをする度に、金属質の関節がぎちぎちと軋んだ。


鉄人形アイオンゴーレムね」

 ミラが確信をもって言葉にした。

 精錬された鉄の光沢が、ただ鉄鉱石を寄せ集めただけの体ではないことを証明している。

 赤い靄を帯びた鉄人形の頭部には、人の死に顔にも見える悍ましい形相が刻み込まれていた。


 ずしん、とまた一つ別の方向から重々しい音が響く。

 音のした方を見れば、こちらにも巨大な人形の影が砂塵に浮かび上がる。

 表面はくすんだ黄金色の光沢。瓢箪のようにずんぐりむっくりとした形状。赤い靄を立ち昇らせながら、悲愴なまでに歪んだ亡者の表情を顔面に貼りつけている。


「あっちは銅人形ブロンズゴーレムか……」


 こちらもまた純度の高い銅の金属光沢を有しているのが、表面の輝きから見て取れる。

 鉄人形よりも重量密度があるはずだ。あの巨体で大半の組成が銅となれば、重さがそのまま脅威となる。


 そしてこれまでで一番大きな崩落の音が響き渡ると、天井からの崩落が止まったのか静寂が戻ってくる。

 崩落の中心に、そいつはいた。

「反則だろ、これは……」

 鉄人形や銅人形よりもさらに数倍は大きい。様々な鉱石を寄せ集めたような岩人形が立っていた。いや、もはやそれは岩人形などという可愛い水準のものではない。名づけるとしたら『巨岩兵ロック・ギガース』とでも名前を付けるだろう山のように巨大な岩人形ロックゴーレムの化け物だった。特別製なのか、鉄人形や銅人形と違って巨岩兵は黄色い靄を立ち昇らせていた。

 巨岩兵を目の前にしたミラが呆れ果てた様子で俺に向けて不満をこぼす。

「あんた、あんなものまで底なしの洞窟に仕込んでいたわけ? どんな侵入者を想定していたのかしら」

「待て。俺は知らないぞ、こんな奴」

 そうだ。俺は知らない。だから『反則』だと呟いたのだ。

 そもそも魔窟に真っ当な規則性を期待してはいけないのだが、これはあまりにも無茶苦茶だ。

 背丈としては第四階層『魔熊林道』に出た白銀魔熊といい勝負だが、あれよりも横幅は倍以上あって、しかも体の組成が鉱石となると質量がどんなものか想像するのも難しい。


 恐るべき質量の怪物たちが、俺達を敵とみなして動き出した。

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